裏山の地底人
高知を舞台にしたちょいホラーテイストな童話っぽいお話
月曜日 朝
「昨日、地底人見たで!」
イシカワ・タクは、五年一組の教室に入るやいなや、クラスメイトのクロイシ・シマオに声をかけた。
「ウソ言うな!」
とくに最近、タクとシマオの間でこのやり取りがあいさつ代わりになっている。
「でも昨日はほんまに見たがよ。夢やったけどな」
続いて飛び出したタクの言葉に、シマオの顔が一瞬だけ驚きの表情になったが、夢と聞きすぐにもとの顔に戻った。
しかし、いつもすぐに終わる地底人の話は、この日はそれで終わらなかった。
「どんなんが出てきた? やっぱり真っ黒なが?」
シマオが確認するように聞く。
いま、タクとシマオの間で〝地底人〟がいちばん熱い話題だ。最初に地底人の話が持ちあがったのは半月ほど前のことだった。
ある日の放課後、シマオの家に遊びに行ったタクは、シマオに一枚のDVDを見せられる。外国の映画のようだった。シマオの高校生の兄の部屋に、無造作に置かれていたという。
パッケージにはおどろおどろしい文字で『地底人の襲来』というタイトルが書かれていて、タイトル文字の下には地底人が両手を広げて、いまにも襲いかかろうとしている写真が掲載されていた。
地底人は全身が真っ黒。ワニのような皮膚でおおわれている。また両手には鋭いツメがあり、だれかが近づこうものなら、そのツメで八つ裂きしてしまいそうに見える。
加えて、顔も恐ろしい。顔の皮膚と目の境界線があいまいで、のっぺらぼうのようだったが、よく見ると黒っぽい顔と同じように黒く大きな目があり、顔の半分ほどを占めている。太陽の光がない地底で暮らしているため、目は退化していて、ものを見る機能はないのだろう。
裏パッケージに書かれていた、映画の紹介についての記述も恐ろしい内容だった。
地底人たちは、お互いにテレパシーを使ってコミュニケーションしているという。その際、特殊な電波を相手に飛ばして会話するが、地上に住む人間たちが、その特殊な電波を浴びると脳を支配されてしまい、地底人の思うがままに操られるという。
地底人たちによる人間の支配はすでに進行しており、『知らないうちにあなたの家族が地底人に乗っ取られている』というキャッチコピーが、裏パッケージに大きく踊っていた。
タクは、自分が住んでいるところの真下で、こんな恐ろしい姿の連中がいるかと思うととてつもない恐怖を感じた。
一方のシマオは、タクほどには怖がっていない様子で、いっしょにDVDを鑑賞しようとしていた。しかし、パッケージを開いてみると、なかに入っているはずのDVD本体はなかった。シマオの兄が自分の部屋で、どこかに紛失してしまったらしい。残念そうなシマオとは裏腹に、タクはホッとしていた。
そしてタクは、地底人のことが頭から離れなくなってしまう。
タクはもともと、ヘンなものに興味をひかれる傾向があった。両親に、水族館に連れて行ってもらっても、イルカやアシカなど、〝スター選手〟には目もくれず、ヒラメやエイのような変わったかたちの魚をずっと眺めていた。
一方、シマオは、気持ちの切りかえがはやく、怖いものや刺激的なことを経験しても、その日の晩ごはんのほうが気になる性格だった。そのため、兄が持っているホラー映画を見たり怖い漫画を読んだときはかならず、いちばん仲良しなタクにその話をして、反応を見るのを面白がっていた。
そんなふたりだったから、〝地底人〟はすぐに話題の中心になったというわけだ。
「本当におるがか?」「地底人に支配された人間が近くにいるかもしれん」などという話で、毎日盛り上がっていた。
「真っ黒やったと思うけど、夢やからよう覚えてないわ」
そう言ったタクは、シマオの反応を待たずに続けた。
「なあシマオ、今日の放課後、裏山に行ってみん?」
もしも近所で地底人があらわれるとしたら、裏山しかないというのがふたりの考えだった。
「今日はちょっとダメながよ。学校終わったらすぐ帰って来いってお母さんにいわれちゅうき」
裏山とは、タクの自宅と学校との間にある自然公園のことで、一部に低い山がある。木々もうっそうとしていて昼でも暗い場所が少なくなく、怖い雰囲気があった。
学校とタクの自宅を直線で結ぶと、裏山を通過することになるが、学校の行き帰りには、裏山の南側を歩いている。裏山の公園内は舗装された道がなく高低差もあるため、通学路として整備された南側をまわるほうが時間的にはやかったからだ。
シマオの返事を聞いたタクが、帰り道に裏山にひとりで行こう決めたとき、教室に担任のサエキ先生が入ってきた。
「並木橋の交差点は、道が狭いのにトラックがけっこうなスピード出してることもあるから、歩道を歩くときは充分に気をつけるように」
春の交通安全期間ということで、月曜日のホームルームは交通安全の話だった。
担任の先生は、サエキ・タクマ。
二年前に、タクやシマオが通うヤマギワ小学校に赴任してきた。東京生まれ東京育ち。東京の有名大学を卒業後、コウチ市の小学校勤務を自ら希望してやって来たらしい。最初の挨拶で生徒たちに話したのは、学生時代に観光で来たコウチの自然がとことん好きになったということだった。
サエキ先生は、今年度からタクやシマオがいる五年一組の担任を受け持っている。イケメンで高身長で都会出身なだけに、赴任当初から女子からの人気は高く、また東京の有名大学卒業の高学歴ということで、父兄からの信頼も厚かった。
ただし、タクはサエキ先生が苦手だ。
ヘンな魚や動物に興味をひかれる感性のタクは、スマートで非の打ちどころがないサエキ先生に親近感をおぼえなかったし、また、先生が話す標準語にも違和感があった。
そのため〝タクマ先生〟と親しみを込めてファーストネームで呼ぶのが、女子を中心に広がっていたが、タクはこれまでいちども〝タクマ先生〟と呼んだことはなかった。
それに加えて、サエキ先生の名前に、自分の名前の〝タク〟が入っていることも、あまりいい気持ちはしなかった。
月曜日 放課後
タクはいつもどおり、シマオといっしょに学校を出た。やがてふたりが別れる交差点にさしかかる。ホームルームでサエキ先生が話題に出した並木橋交差点だ。交差点をまっすぐに行けばタクの住むマンションがあり、左に折れればシマオの自宅がある。
シマオは家に帰ったあと、母親といっしょに学習塾の見学に行くのだという。学校が終わったらはやく帰って来いといわれていた理由はそれだった。
「もしなんか見つけたら、明日教えて!」
そういうとシマオは左に曲がり、自宅に向って歩いていった。
一方タクは、自宅マンションがあるまっすぐの方向には進まずに、右の小道を進んでいく。交差点の右側には例の裏山があり、小道はやがて遊歩道となって裏山のなかに続いている。
もしかしたら、夢で見た光景は、この裏山だったかもしれない。タクは、そう思いながら歩いて行ったが、この世に地底人が存在するとは思ってなかったし、まして近所の裏山に地底人がいるとはもちろん思ってなかった。
ゆるやかな坂道をのぼっていくと、やがてちょっとした広場に到着する。広場にはベンチがいくつか設置されているが、利用している人は誰もいない。
数年前、タクがヤマギワ小学校に入学したとき、両親に連れられて来たことがあるが、そのときも広場には誰もいなかった。自然公園とは名ばかりで、実態は単なる山だ。だから地域住民からは〝裏山〟と呼ばれている。
タクは広場を一周してみる。広場を取り囲むように草が茂っていて、草が生えていないのは広場の中心部分だけだ。低いとはいえ周辺の住宅地よりは高い場所にあるため、景色は良さそうなものだが、草木が多すぎて周辺の住宅地はまったく見えない。
とくに面白味がない場所のため、両親に連れて来られたときも、すぐに引き返したことを思い出す。タクは、広場を一周したら帰ろうと思っていたとき、ひとつのベンチのわきに、小さな道があるのを見つけた。そこだけ草木がかき分けられたようになっている。
「動物が通った道みたいなけど、この山に動物がおるがやろうか」
タクは思いながら小さい道を進んでいった。足元の草はふみしめられたような形跡があり、動物か人間かわからないが何かが通ったあとのようにも思える。
十メートルほど進むと、道は右側に折れていた。そこからさらに進んだところに六畳間ほどの空間があらわれた。まだ太陽が沈む時間ではないのに、タクは肌寒さを感じる。
周辺の草木は湿っていた。ここしばらく晴天の日が続いていたが、その前に降った雨が残っているようだった。また、六畳間ほどの空間はすべて草木で取り囲まれているわけではなく、左側は土がむき出しになっていた。傾斜があり壁のように見える。
その真ん中にあったのが、あとあと問題になる〝穴〟だった。
おとながやっと入ることができるくらいの大きさの横穴で、入口は草木でおおわれている。奥はどこまで続いているのかと、タクがのぞき込んでみる。奥行きは二メートルくらい。入口にくらべて奥は多少広がっているが、それでもおとなふたりが入るとぎゅうぎゅうといったところだ。
山道で突然雨に降られたときには、雨宿りにいいかもしれない。しかし、なんのへんてつもない横穴で、地底人が出てきそうな気配などまったく感じられない。
それでもタクは、自分だけのひみつ基地を見つけた気がして気持ちが高まった。穴の奥に入り草木でおおわれた土のうえに腰をおろしてみる。
「イヤなことがあったときとか、ひとりになりたいときとかいいかも」
ついついひとりごとが出る。
しかし、具体的にイヤなことがあるわけではない。
ひとりになりたいおとなが、自宅以外で落ち着ける場所に逃げるみたいな内容のドラマを見たことがあったからかもしれなかった。
月曜日 夕方
「タク! なんぞね、これ! なんでクツがこんなに汚れちゅうが?」
タクが裏山から帰ってきて、三十分ほどしたら母親のサトミが買物から帰ってきた。玄関に脱いだ泥だらけのクツを見て叫ぶ。
「学校の帰りにちょっとだけ裏山に入ったきよ。そのとき泥がついた」
「なかなか帰ってこんと思うたら、そんなとこに寄り道しちょったがかえ。アンタが帰ってから買物に行こうと思うちょったのに。また、シマオくんといっしょやったが?」
「ひとりやった。シマオはなんか用事があるいうき」
「なんでそんなとこひとりで行くがで? また虫でも見つけに行ったがやろ?」
サトミは、買ってきた食材をキッチンのテーブルに置きながら聞く。しかしタクはそれには答えずにシマオの話をした。
「シマオは、お母さんと塾の見学に行くがやって」
「ちょうどよかった。アンタもいっしょに塾に行き! 五年生にもなって、地底人とかいいよったらいかんで。ココちゃん見てみなさい。最近は道で会うても、ちゃんとおじぎしてあいさつする。付属行ってからだいぶ〝お姉さん〟になっちゅう」
母親のサトミは、ことあるごとにココちゃんの話を持ち出す。
ココちゃんとは、数軒先に住んでいるタクの同級生の女の子で、本名はヤマシロ・ココネ。小学校に上がる前や小学校低学年のころは、お互いの家に行き来して毎日いっしょに遊んでいたが、ココちゃんは国立大学の付属小学校に入学し、タクが通う地元の小学校に通っていない。
そのため最近は、タクとココちゃんはほとんど会うことがなくなったが、母親どうしは近所付き合いをしている。
タクは、ココちゃんやココちゃんのお母さんに道であっても照れくさそうにしているだけだが、タクの母親の話によるとココちゃんはかなりしっかりした小学生に成長してるようだ。
それよりも、タクは母親に地底人の話をしたことを後悔していた。シマオの部屋で地底人の映画のパッケージを見た日に、もしも両親が地底人に乗り移られていたらどうしようという心配もあり話をしたが、爆笑されて終わりだった。
月曜日 夜
タクの部屋とリビングとはふすま一枚しかないため、布団のなかに入ったが、まだ眠っていないタクの耳に、リビングにいる両親の話し声が聞こえてくるときがある。
この日は、母親が父親のジュンイチに、タクを塾に行かせたいという話をしていた。
「ジュンちゃん、あの子、今日裏山に行って、クツ泥だらけにしたがよ。この前も、地底人とかいいよったし、低学年気分が抜けんっていう感じやろ。シマオくんといっしょに塾に行かせたら、ちょっとは〝お兄さん〟になるろうか?」
サトミは、夫のジュンイチのことを昔から〝ジュンちゃん〟と呼ぶ。一方のジュンイチは、サトミのことは〝お母さん〟と呼んでいる。
「子供っぽいかもしれんけど、想像力豊かなのはええことやないかねえ。まあ、塾に行かせるのは反対せんけど」
そんな両親の話を布団のなかで聞きながら、タクはだんだん眠くなってくる。塾には行きたいと思わなかったが、シマオといっしょなら行ってもいい気持ちもあった。
火曜日 朝
「タク! お母さん、アンタが帰ってくるころ、ちょっとだけおらんきね。家で待ちよってよ。五時半には帰ってくると思うけど」
タクが朝ごはんを食べているときに、母親のサトミがいう。
「ああ、わかった。待ちゆう」
せっかちな母親のことだ。シマオが見学に行った学習塾をちょっと見てみるのかもしれない。そう思っていたタクは、母親がどこに行くのかあえて聞かなかった。
父親はもうすでに勤めている工場に出かけていていなかったが、タクが起きる前、昨晩の続きで塾行きの話をしていたに違いない。
タクは、朝ごはんを食べたあと、すぐに家を出て学校に向かった。いつもより二十分以上はやい。もしも塾に行くことになると、学校から帰って遊ぶ時間が少なくなる。学校帰りに裏山に行くのもできなくなるかもしれない。そんな気持ちから、学校に行く前に裏山に行こうと思ったのだった。
遊歩道を通り、広場から小道に入る。少し進むと湿った草木と土でまたクツに泥がつく。母親がなげく顔が、タクの頭に浮かんだとき、例の穴が見えてきた。
昨日と違って、入口がはっきりと見える。昨日、穴から出るとき、入口を草木でふさいだはずだと、タクが思いながら近づくと、穴のなかでなにかが動く気配がした。
昨日、タクが座った土のうえに、人間らしきフォルムのなにかが座っていた。タクは、心臓が破裂するほど驚いた。タクの足音が響いていたはずだが、〝人間らしきなにか〟は、まだ、タクに気がついていないようで動く様子はなかった。また、上半身は穴の入口に茂る草木の陰になっていて見えない。
もしもシマオの部屋で見た地底人のように、目がなかったらどうしよう。確かめたいという気持ちと、もしも逃げるなら、〝なにか〟がこちらに気づいていないいまのうちという気持ちが、タクのなかでせめぎ合っていた。
直後、おもむろに〝なにか〟が立ち上がり、その全貌がタクの目に映る。
最初、目がないように見えたため、恐怖で泣きそうになったが、〝なにか〟は色つきのメガネをかけていた。そして頭には野球帽。グレーの長袖Tシャツに、茶色のズボンをはいている。タクが、シマオの部屋で見た地底人のイメージとは遠く離れており、普通の人間に見えた。
年齢はかなりいっているように見える。ただ奇妙なのは、はいている靴が右と左で違うことだ。タクは、いつもならこれほど誰かを観察することはないが、恐怖と興味から目が離せなくなっていた。
相手の顔がタクのほうを向く。目は色つきメガネにかくれて見えないため、タクに気がついているかどうかわからない。しかし、気づかれたかもしれないと思ったタクは、すぐにでも走り去りたかった。
そして少し後ずさりしたとき、相手の口が開き、声が聞こえてきた。
「おまん、誰で?」
しぼりだすような声だ。
見つかった! その瞬間、タクはむちゃくちゃにあせったが、相手が、日本語、それも地元の方言を話したことで少し気持ちが落ちつき、足のすくみが和らいでいた。
異次元からやって来た話が通じない相手ではなさそうと思ったからだ。
「ボクは、イシカワ・タクです。ヤマギワ小学校の五年生です。おじさん? おじいさんこそ誰なが?」
タクが相手に少し近づきながらたずねた。最初は中年のおじさんかと思ったが、近づくにつれておじいさんだとわかる。それもかなりの年齢で、九十歳くらいに見えた。
「わしか? ようわからんわ」
また、しぼり出すような声。口が動いてないように見えるが、声はきちんとタクの耳に届いていた。
もしかして〝例のテレパシー〟かも。そう思ったタクは、それ以上近づくのをやめてしまった。危害を加えてきそうな様子はないように見えたが、自分のことがわからないとはいったいどういうことか。
ただし、タクのことを子供だと思ってばかにしているようには見えない。
「あの、おじいさん、どっから来たがです?」
「どっから来たがやろう。おぼえてないわ」
「それなら、どこに行こうとしちょったがですか?」
奇妙なことだった。〝おじいさん〟は自分のことも、どこから来たのかもわからないという。タクの頭のなかに、また映画のパッケージに映った地底人が浮かんだ。
おじいさん自身が地底人ではなく、地底人に半分支配された状態の人間なのかもしれない。
「おじいさん、もしかして、怖いやつらに捕まっちょったがじゃありません?」
「おじいさん、おじいさんって、わしは名前があるがで」
相変わらずしぼり出すような声だった。
「すいません。なんていう名前ですか?」
「う~ん、そうやねえ。ショウヘイやったかな? そうやろ?」
「いや、ボクはおじいさんの名前は知らんがです」
なんだろう、このやりとりは。
地底人に乗っ取られたらこんな感じになってしまうのだろうか。タクは思いながら、ショウヘイと名乗るおじいさんにさらに興味がわいてきた。
「うん、そうや、捕まっちょったかもしれん。マスクした2、3人に囲まれて、手とか足をおさえつけられたこともあったわ。それがイヤでなあ」
「そんなことがあったがですか。相手はどんなやつらやったが? 人間?」
「理解できんことをしゃべりよった。そのあと、すぐに眠くなって、それからさきはおぼえてないねえ。それに、さっきもだれかがワシのことをずっと観察しよったきね。たぶん、この場所をもう知っちょって、取り囲まれちゅうかもしれん。捕まるのも時間の問題じゃないかねえ」
おじいさんを捕まえたのが地底人かどうかはともかく、悪いやつらに捕まってるところを逃げ出してきたのかもしれない。その証拠が、左右ではいている靴が違っていることだ。よほどあわてていたのだろう。
「おじいさん、もしかして土のなかに連れて行かれたがやない?」
もしもおじいさんがそうだと答えたら、悪いやつらは地底人に間違いない。
「土のなかかどうかわからんねえ。それもおぼえてないわえ」
タクは気がつくと、おじいさんの目の前まで来ていた。おじいさんに対する警戒心がかなり和らいでいた。
「逃げるところはあるがですか? 家は安全じゃないが?」
じいさんが家に帰らず、ここにいるということは、自宅は危険だということになる。タクは、どうしたもんかと悩む。
「土のなかにでも帰るか。はははっ! みんな最期は土のなかに帰るきね」
そのとき、小学校の始業5分前のチャイムが鳴るのが聞こえた。
「ボク、もう学校に行かないかんき」
「そうか、タク気をつけてな! いってらっしゃい」
やはりしぼり出すような声だったが、この日いちばん大きな声がおじいさんから発せられた。なにもおぼえてなさそうなじいさんが、タクの名前をおぼえていた。タクは驚きつつもたずねる。
「これから、どこに行くがです?」
「どうやろ、未来のことはわからんきね」
印象に残るキャラクターのおじいさんのため、もっといろいろなことを聞きたかったが、これ以上、おじいさんと話している時間はなく、タクはその場をあとにした。
火曜日 一時間目の後の休憩時間と理科の授業
「今日の朝、地底人と関係ありそうな人と話したで!」
タクは授業が終わるのを待ちかね、あわてた様子でシマオに報告した。
「え! ほんまか? だからタクが教室に入ってきたが、ぎりぎりやったがか? 裏山かえ?」
「そう裏山や。地底人かどうか、ようわからんけど、捕まっちょって、逃げてきたみたいな感じやったで。どこから来たとかもおぼえてなくて、土に帰るとかいいよった!」
「なに? ほんまに地底人ながかえ?」
「地底人というか、半分やられちゅうみたい。九十歳くらいに見えたけど、ほんまはもっと若いかもしれん。捕まったストレスで年寄りになったとか」
「目はあったが?」
「色つきのメガネかけちょったき、わからんかった。でもしぼり出すような声で、普通と違うで」
シマオはとても話に興味があり、タクの話に喰いついてくる。
「なあ、シマオ! 放課後行ってみん? まだおるかもしれんで」
「そうやなあ。でも今日、お母さんと塾にいっしょに行くがよ。たぶん通うことになると思うわ」
シマオが残念そうな顔をする。
「ちょっとぐらいやったら大丈夫やろ。確かめて、すぐ帰ったらええやんか」
「そやな!」
タクの提案に、シマオが満面の笑みを見せた。
タクとシマオは、その後の休み時間や給食のときも、この日の〝地底人騒ぎ〟について熱心におしゃべりをくりかえした。
ふたりとも、授業の内容はほとんど頭のなかに入らない。授業で唯一、興味をひかれたのが、地球内部にかんする内容だった。担任のサエキ先生は専門が理科ということもあって、地殻やマントルなど小学生には少しむつかしい専門用語を出しながら話をする。
「みんなは、土のなかに入ったことないと思うが、土の下にある程度もぐると、温度が一定なんだ。外だと、夏は暑くて冬は寒いだろう。でも地下5メートルのあたりだと、一年中十五度とか十六度で過ごしやすい。夏は涼しくて冬は暖かいんだ。ボクたちの家が建ってたり、街があるのは地殻って呼ばれる部分なんだけど、さらにその下、もっともっと地下に行くとマントルっていう高温の部分があって、500度から700度でものすごく熱いんだよ」
「あっ!」
お調子者でクラスのムードメーカーのヤマネ・シンイチが急にすっとんきょうな声をあげた。
「ん? どうしたヤマネくん。なにか質問か?」
「いや、その、うちの庭で、昨日、もぐらが出たがですけど、土のなかには、ほかに動物おるがやろうかと思いました」
シンイチは、名指しされて仕方なく発言したという雰囲気だった。気まずそうに、最後は消え入りそうな声になる。
「そうだなあ。大きい動物というよりも、ミミズとかダンゴムシとか小さいものがたくさん住んでるんだ。あと、目に見えない微生物とかも住んでるんだぞ」
サエキ先生の熱心な説明の途中で、教室の隅のほうから押しころしたような笑い声が聞こえてきた。
「ん? どうした?」
サエキ先生は笑い声の主をさがして、教室内を見まわした。
「タクマ先生! ミヤザキくんたちがさわいでます!」
そういったのはサワ・チカだ。
自分の目の前の席で笑っていた、ミヤザキ・タカシと、その隣の席のマツイ・トシノリをにらみつけている。
サワ・チカは、サエキ先生の熱狂的なファンで、休み時間に先生の席に真っ先に向かい質問責めするばかりか、昼休みともなれば、職員室にまで押しかけるほどだった。
一方、サワに名指しされたミヤザキ・タカシとマツイ・トシノリは、クラスのやんちゃふたり組。ミヤザキが親分でマツイがその子分だ。
近所の下級生を泣かしたり、気の弱いクラスの女子をからかったりして問題になったこともあった。
「おい、タカシ! 先生の話でなにか面白いとこあったか?」
サエキ先生が、親しみをこめて名前を呼びすてにする。ただ、ミヤザキはそのことに対してこころよく思ってはいなかった。
「タクたちが、土のなかには地底人がおるっていってま~す!」
クラスに爆笑がおきる。タクとシマオが地底人の話題で盛り上がっていることは、クラスで有名になっていた。五年生になっても、いまだに低学年の子供みたいなことで喜んでいると、男子からも女子からも距離を置かれていた。
「先生! 地底人ほんまにおるがですか?」
マツイが、タクのほうを見ながらわざとらしく質問する。
もちろん、本当に地底人がいるかどうか知りたいのではない。タクをからかいたいのだ。
「う~ん、そうだなあ。いるかいないかはともかく、先生は見たことないな」
今度は、教室のあちこちでクスクス笑いが起きた。
サワ・チカは、そんなどうでもいい質問にまじめに答えようとしているサエキ先生がかわいそうになってくる。
「タクマ先生、そんなアホみたいな話はどうでもいいから、授業にもどってください!」
「アホみたいってなんな! こちはタクと同じくらい真剣な気持ちで質問したがや」
マツイが、またしてもタクをからかいながら、サワにくってかかった。
「アホみたいやろ。なんで理科の教科書に地底人の話が出てくるがで?」
真面目で正義感の強いサワは負けていない。
「そんな質問に真面目に答える、タクマ先生がかわいそうやろ! 地底人いうがはマンガとか映画の話! いまは理科の授業中!」
そのあとも、すごい剣幕でまくしたてるサワの勢いに恐れをなして、ミヤザキもマツイも黙ってしまった。
「うちのオカアよりも怖いで。あんなんと結婚したら毎日地獄や」
ミヤザキ・タカシが小さい声で、マツイにいった。
「アンタ、それセクハラで!」
そういうと、サワはミヤザキとをしばらくにらみつけていた。
「とりあえず静かに! サワさんがいったみたいに、いまは理科の授業中だから、そこからあまりにも離れた話題は、たしかに好ましくないな」
サエキ先生がそういったことで、地底人の話は終了するかと思われたが、その直後、クラスのみんなが耳を疑う質問が、サエキ先生の口から出る。
「イシカワくんは、地底人がいると信じている派か?」
タクは逃げ出したい気分だった。サエキ先生がいまなぜ、そんな質問をしてきたのかわからない。たしかに、サエキ先生には、多少天然なところがあるため、タクが地底人をどう思っているのか純粋に知りたかったのかもしれなかった。
しかし、サワ・チカとマツイとの〝地底人バトル〟があったあとでは、タクにはあまりに酷な質問だった。クラスの一定数を占める、〝おとな〟の連中には、もうすでにある程度ばかにされていることもあり、タクは、これ以上恥をかかされたくはなかった。
それに、ほかの生徒たちと同じく、タクも本気で地底人がいると信じているわけではない。もしもいたらすごくワクワクする。そんな程度のことなのだ。それなのに、サエキ先生は持ち前の天真爛漫さでタクに選択をせまる。
まったく悪気なく、まるで小学生と同じ目線でたずねてくるサエキ先生に反感を持つと同時に、どう答えていいのかもわからない。「信じてる派です」と答えたら、クラスの失笑をさらに買うだろうし、かといって「信じてないです」と答えたら、きっとウソをついていると思われる。
「よくわかりません」
タクはサエキ先生の顔を見ないで答えた。
「自分がなにがわからないかを知るのはとても大切だ。わからないから、知ろうとする。その探求心が勉強の基本だからな」
サエキ先生のまとめっぽい話は、タクの耳には入ってこなかった。
それよりも、朝会ったじいさんは何者かということを、タクはおとなに聞いてみたかったが、その相手はサエキ先生ではないという思いがより強固になった。
火曜日 放課後
タクとシマオは学校を出て、例の裏山に向かっている。その間、サエキ先生が地底人を話題にしたことにはお互いにふれなかった。というよりも、タクもシマオも、今朝のじいさんがまだいるかもしれないという期待で、頭のなかがいっぱいだった。
「ようわからん集団から追いかけられゆうっていいよったき、もうおらんかもしれん」
「タクが会ったあとで、捕まっちゅうかもしれんにゃ」
そして問題の〝穴〟にたどりついた。入口をふさいでいた草木はすっかり払われて、穴の奥まで見とおせる。そして、どこにも今朝のじいさんの姿はなかった。
「ああ、やっぱりおらんわ」
タクが残念そうにシマオを見た。
「ちょっと穴に入ってみろう。なんか残ちゅうかもしれんで」
シマオの提案で、ふたりは穴の奥に入る。すると、じいさんが座っていた付近の草木のうえに、見たこともない金属製の箱が落ちているのを見つけた。
シマオが思わず拾い上げる。
「おい! あぶないで。放射能とかが出よったらどうする?」
タクが叫んだ直後、シマオは思わず箱から手をはなし、箱は草木のうえに落ちた。
「思ったより重いで」
シマオが落ちた箱をみながらつぶやいた。
箱は銀色の直方体で、タテが7~9センチ、ヨコが5センチ、奥行きが1センチほどの大きさだ。もっとも、どの辺が上になるのが通常の状態かわからないので、正確にいうとタテなのかヨコなのかは不明だった。
「でもなんか、すごい古そうな感じや」
いいながらシマオが箱をまじまじと見る。
「今朝、おうたじいさんが持っちょったものやと思うで。その前の日は、そんなんなかったも」
タクはそういって、危なくないはずと思い、箱を拾って持ち上げた。
まんなかあたりに切れ込みが入っていて、ふたつに分離できるようなつくりになっている。フタみたいにも見える。
しかし、どう力を加えてもフタらしきものは開かない。そのあとも、タクがあちこちいじりながらくわしく見たが、なんに使うものかすらわからなかった。
ひとつ見つけたのは、底面とおぼしき部分に、英語がきざまれていたことだ。
しかし、英語の授業で読み書きがはじまったのは五年生になってからだった。つまり英語の読み書きを習いはじめたばかりのため、タクもシマオもなにがきざまれているのかわからない。
「これ、どうしょうか?」
タクがシマオのほうを見る。
「じいさんのものやったら、今度おうたとき渡したらどうなが?」
シマオはいうが、タクは今朝のおじいさんのつかみどころがない感じから、同じ場所に二度とあらわれないような気がしていた。
「今度いつ会えるかわからんで」
タクの正直な気持ちだった。
「じいさんのものかどうかわからんけど、地底人となんか関係あるもんやろうか?」
タクが続けてシマオに聞いた。
タクもシマオも、今日の理科の授業でおきた〝地底人騒動〟をすっかり忘れてしまっていたかのようだ。
なぜなら、ふたりとも地底人が存在すること前提で話をしている。ふたりの間のいまの問題は、金属の箱が地底人と関係があるかどうかということだった。
「関係あるかどうかわからんにゃあ」
シマオが金属の箱をタクから受け取り、いろいろな角度から観察しながらいう。
「とりあえず、持ってかえろうか?」
タクが金属の箱をシマオからふたたび受け取りながら聞いた。
「タクが持っちょけや。オレ、これからお母さんといっしょに塾に行かんといかんも」
「親に見つかったら、またヘンなもん拾うてきたいうて、怒られるかもしれんけど、シマオが持ってかえっても怒られるかもしれんのはおんなじか」
タクとシマオは互いに顔を見あわせて、どうしたものかと悩む。
じいさんにかえすためには、このまま放置しておくよりも持ちかえったほうがいい。しかし、地底人に関する重大なものかもしれないから、親や別のおとなにみつかるのはさけたい。
「そうや! お母さん、五時半くらいに帰って来るっていいよったき、いま持ってかえって机のなかに隠しちょったら大丈夫やと思う」
いま持ってかえれば大丈夫と思ったタクは、箱を持ってかえることに決めた。
「それならちょうどえいわ。もう帰ろう。明日また来たらえいよ」
そしてシマオが帰宅をうながす。
タクとシマオが裏山をおり、わかれ道まで行く間、塾の話になる。
「うちのお母さん、たぶん今日、シマオが行くことになっちゅう塾を見学に行くと思うがよ。もしかしたら、シマオのお母さんといっしょに行くがやないろうか」
「でも、うちのお母さん、朝はそんなこといいやせんかったで」
「オレらが学校に行っちゅうときに、約束したと思うわ」
「ああ、そうかもしれん。それやったら、タクもおんなじ塾行くがか?」
シマオがタクとのわかれ道の交差点で、立ち止まりながら聞いた。
「たぶんそうなると思うで。でも行きとうないがちや。地底人とか宇宙人とか、そんなこと教えてくれる塾やったら行きたいけどにゃあ」
「そんなんあるわけないろうが。オレも、塾らあ行きとうないけどにゃあ。でも、お兄ちゃんもおんなじ塾に行きゆうき、あんたも行きゆうて親がいうきよ」
「シマオのお兄さん、高校生やろ? 高校生やったら塾に行くがはわかるけど、オレらあ、まだ小学生や。クラスでも塾に行ってないほうが多いろ?」
「でも、いまのうちに行っちょかんといかんいうて、お父さんもいうきよ」
そういったシマオは高校生の兄とふたり兄弟。一方、タクはひとりっ子だ。
タクは、自分の両親が教育熱心なほうではないと思っている。にもかかわらず、タクを塾に行かそうと思うのは、シマオの両親の話を聞いた影響があったのではないか。
シマオとわかれたタクは、そんなことを思いながら急いで家にかえり、自分の部屋にある学習机の引き出しのいちばん奥に、例の箱を入れた。
しかし、いつもかけていないカギをかけると逆にあやしまれると思い、カギはかけなかった。
火曜日 夕方
「タク! 帰っちゅうかえ?」
そういいながら玄関を開けた母親のサトミの手には、タクが予想したとおり塾のパンフレットが握られていた。
「キタホン町の塾はけっこう良さそうやったで。シマオくんといっしょやったら安心やろ?」
リビングに入ったサトミは、そこにいたタクに念を押すように話しかける。
「え? う~ん」
タクはあいまいな返事しかしなかった。塾に行くことに乗り気でないためだ。
「ねえ、お母さん。今日、シマオがいいよったけど、シマオのお兄さんもおんなじ塾に行きゆうみたいながで」
「ああ、そうなが? シオマくんのお兄さんって高校生やろ? だったら行きゆうかもしれんね。シマオくんのお母さんは、なんちゃいいやせんかったけど。それがどうしたで?」
「シマオのお兄さん、高校生になってから塾に行きはじめたがやろ?」
「それはよう知らんわ。でもそれがどうしたで?」
タクの母親は、なぜシマオの兄の話をタクが出してきたのかわからない。
「シマオのお兄さんみたいに、塾に行くがは高校生になってからでもえいがやないろうか」
「ああ、そういうことかね。でもタク、あんた五年生になっても幼稚なことばっかりしゆろ? クラスのほかの男の子は、みんなもっと〝お兄さん〟やないかえ? 塾に行ったら自覚ができるろ? あんたももうちょっと〝お兄さん〟にならないかんで」
どうして塾に行くと自覚ができるのか、そもそもなんの自覚なのか、タクにはわからなかったが、母親のサトミのなかでは、タクが塾に行くのは確定しているようだった。
シマオの兄のようにタクも高校生になり、まだ塾に行っているとすると、いったいあと何年塾に行かなければならないのか。タクは気が遠くなりそうだった。
火曜日 夜
タクが布団に入ったあと、この日もまた両親の話し声がリビングから聞こえてきた。
「中学受験は必要ないがやない?」
父親のジュンイチがいう。
中学受験まで視野に入れているというサトミの話を聞いた、タクの父親のジュンイチの反応だった。
「もし行けそうやったらっていいゆうろ! 絶対受験せないかんってことじゃないわね。ただ、今日説明聞きに行ったら、やっぱり学習塾やき、生徒さんは受験を目指してます、みたいなこといわれたきね」
「まあ、タクが塾に行ってからの話や」
塾の話が出て、眠りそうになっていたタクはいちど目を覚ましそうになった。しかし、塾の話は終わり、今度は両親が別の話をはじめたので、タクは再び眠りにおちていく感覚になる。
「そういえばジュンちゃん。ナンゴクスーパーの裏の大きな家があるろう? あそこの旦那さんが行方不明になっちゅうって、今日、町内放送で流れよったで」
サトミは夫のことを〝ジュンちゃん〟と呼ぶ。また、ナンゴクスーパーとは近所にある地元密着のチェーンスーパーマーケットのことだ。
「え! あそこ旦那さんがおったがか? 一回も見たことないで」
「昔、ヤマギワ小学校の近くを、夫婦ふたりで歩きゆうがを見たことあるろがね。忘れたがかえ。旦那さんは、しばらく入院しちょったみたいながよ。おとといの夕方にいったん家に帰ってきて、今日の朝、おらんなったみたいなが」
「おうたことあったかにゃあ? で、見つかったがか?」
「どうやろ。見つかったって放送はなかったで」
振り込め詐欺の注意喚起や、たずね人の情報が、町内放送のスピーカーで流されることをタクも知っていたが、小学生のタクにはあまり関係がない話だった。
水曜日 朝
タクは昨日に続き、この日もいつもより二十分以上はやく家を出て学校に向かった。ポケットのなかには、昨日拾った例の箱が入っている。もしまたじいさんがいたら、わたすつもりだった。
タクの足は無意識にはやくなる。例のおじいさんがいるかもしれないという期待があったからだ。おじいさんが地底人に関係しているかもしれないという種類の期待だった。
その一方で、例の箱がおじいさんのものだった場合、かえさなくてはいけないという使命感はなかった。
タクは自分のまわりのおとなにはない〝魅力〟を、おじいさんに感じていた。
ひょうひょうとしていて、わからないことはわからないというところや、本人は真剣かもしれないが、ふざけているように見えるところも、タクの両親や学校の先生にはいないキャラクターだ。
いちどしか会ってないため、タクの一方的な思い込みかもしれない。しかし、おじいさんは、ここを行けばお前は最短でゴールにたどりつける人生だ、とかいって〝将来の道〟を示したりはしないだろう。
おじいさんはおとななのに、タクは子供と話しているような感覚もあった。たとえば、この前の地球内部の話の授業のときとか、サエキ先生がたまに〝子供目線〟におりてくるが、それとは決定的に違う。
なにより、タクが見つけた例の穴に入り込んでいた。普通のおとなだったら、あんなところに入りはしない。
やがてタクは例の穴の前に来た。しかし例のおじいさんはいない。穴のなかに入ってみる。おじいさんと会ったあとで、誰かが入り込んだ形跡はなさそうだった。
タクは残念そうに裏山をおり、そして学校に向かった。
水曜日 朝のホームルーム前
「おい、シマオ! 今日はあのじいさんおらんかったで」
「そうながか。それよりタク、お前、あの塾行くがか?」
シマオに聞かれて、タクは首をかしげた。はっきりいって塾には行きたくないが、行くことになるだろう。そんな思いから出た仕草だったが、それがシマオに伝わったかどうか。
「塾でも同じクラスやったらえいににゃあ」
口ぶりから、シマオは、塾に行くことをそこまでプレッシャーに感じてなさそうだった。
「夕方5時から7時までやろ? 放課後ぜんぜん遊べんなる。塾とか誰が考えたがやろうか」
シマオは話を続けていたが、タクはどうしたらもういちど、例のおじいさんに会えるかを考えていた。
そうこうしているうちに、サエキ先生が教室に入ってきて、朝のホームルームがはじまる。タクとシマオは塾の話をやめた。
水曜日 一時間目のあとの休み時間
「そういえば、あの銀色の箱どうした?」
一時間目の授業が終わるやいなや、シマオがタクにたずねる。
「じいさんにおうたら確かめてみようと思うたき、箱はポケットに入れていったがやけど」
「でもじいさんおらんかったがやろ」
「おらんかった。だから箱はいまポケットにあるわ。それより、放課後また穴に行ってみん?」
「えいで。今日ははよう帰って来いっていわれてないき」
「そういえば、シマオのお兄さんって英語読めるろ?」
「英語? どうやろ? 学校と塾で勉強しゆうと思うけど。でもそれがどうしたで?」
シマオは、なぜタクがそんなことを聞くのかわからない。
「箱の底の英語、シマオのお兄さんやったらわかるかもしれんと思うたがよ」
「ああ、そうやな。オレらよりは何年もなごう英語勉強しゆうきねえ。そら、わかるかもしれん」
「箱になんて書いちゅうかがわかったら、地底人と関係があるかないかわかるろ?」
タクは昨日眠る前に思っていたことをシマオに話す。
「たしかにそうやわ。今日、お兄ちゃんたぶん家におるで。テスト期間で学校から帰るのがはやいっていいよったき。オレらが帰る時間に家におるかもしれん。ちょっと聞いてみようか?」
「テストきかん?」
高校生や大学生の兄や姉がいない、ひとりっ子のタクには、はじめて聞く言葉だった。
「学校の授業がのうて、テストだけの一週間があるがよ。テストだけやき、だいたい午前中で学校は終わるき、帰ってくるがもはやいが。お兄ちゃんの高校だけやのうて、ほかの高校もそうやと思うで」
「そんな一週間があるがか。学校、午前中だけやったら遊ぶ時間いっぱいあるにゃあ」
タクが、うらやましそうにいった。
「いや、〝テスト期間〟やき、学校から帰ったら、普通は次の日のテストの勉強するがよ。勉強せんがもおるかもしれんけど」
「そうながやな。勉強でいそがしかったら、いろいろ聞けるろうか?」
「ちょっとくらいやったら大丈夫やと思うで」
「英語だけやなくて、タクがおうたじいさんのこととかも話してみん?」
タクは思う。両親や先生よりは、年齢が近いシマオの兄なら、いろいろ話が聞けるかもしれない。
「お兄ちゃんは、最近あんまり親と話さんき、じいさんのこととかいろいろ話してもお母さんにいうことないろ」
シマオがいうには、おじいさんのことや箱のことを話したとしても、シマオの両親に〝漏れる〟心配はないという。
「でも、シマオのお兄さん、塾行って勉強するがやない? 〝テストきかん〟ながやろ?」
「そうかもしれんけど、もし家におったら聞いてみようで」
水曜日 放課後
タクとシマオは、教室から出るとすぐに裏山に向かった。天気が良く心地いい午後だったが、穴に向かう途中の広場には誰もいない。ときおり吹く風が、木々をゆらす音が響いているだけだ。
そしてふたりは例の穴にたどりつく。しかし、おじいさんはいなかった。
「ああ、やっぱりおらんわ」
タクが落胆しながら、シマオを見る。
「じいさんおらんき、オレの家に行こうで」
そしてふたりはシマオの家に向かった。目的は、例の箱にきざまれていた英語を、シマオの兄に解読してもらうためだ。
シマオの家は、とても古いがちょっとした庭のある二階建ての一軒家だ。
タクの自宅はマンションで、ぜんぶの部屋がおなじフロアのため、タクの部屋とリビングはふすま一枚があるだけ。だから昨日の夜みたいに、眠る前にいつも両親の話が聞こえてくる。
シマオの家のような一軒家なら、そんなこともないと思い、タクはちょくちょくうらやましくなる。
ふたりがシマオの家の近くに来たとき、庭の門をあけてシマオの兄がちょうど出てきたところだった。
「あ、お兄ちゃん! どこ行くがで?」
「どこって塾に行くがよ。これから夜まで塾で勉強や。テスト期間中やきにゃあ」
「お兄ちゃんにちょっと聞きたいことがあったがやけど」
塾に向かうシマオの兄を、タクとシマオのふたりは追いかけながら歩いた。
「なんな?」
「このまえ、タクが裏山でヘンなじいさんとおうたがやけど、地底人と関係があるかもしれんがよ。どう思う?」
シマオは、箱の英語の解読よりもさきに、地底人の話をはじめた。歩きながらだから箱を見てもらうのは難しいと思ったのかもしれなかった。
「地底人って、おまえらあ、まだそんなこといいゆうがかえ」
「地底人と関係ないかもしれんけど、すごいヘンながよ。にゃあ、タク?」
シマオの兄は、弟の話にまったく興味がなさそうだったが、話をふられたタクがこれまでのことを短く話す。
「そのじいさんは、どこから来たかわからんっていうし、どこに行くかもわからんって。それから、悪いやつらに捕まっちょって逃げ出してきたみたいなこともいいよったがです。それから…」
直後、シマオの兄は足をとめてふたりのほうを振りむいた。
「もしほんまに地底人やったら、おまえらあが見つける前に、政府とか国の機関とかがもう見つけちゅう。ただの酔っ払いやろ」
「でも、朝やったがです」
「ヒラメ市場行ったら、朝から飲みゆう。朝から飲んで、ちょっと散歩しよったがやないが? それより、酔うちょったら、なにするかわからんき。小学生ひとりやったら危ないで」
シマオの兄は、そういってシマオのほうを見た。
「いや、オレやなくてタクが、じいさんと話したがよ」
ヒラメ市場とは、コウチ市中心部の商店街にある観光スポットで、名物のカツオのタタキを販売するお店をはじめ、各種の飲食店が軒を連ねるフードコート形式の商業施設のこと。観光客はもちろん地元民も多く訪れていて、いつもたくさんの人でいっぱいの人気スポットで、お酒を飲むお客さんで昼間からにぎやかな場所でもあった。
「タクでもシマオでも危ないのはおんなじや。乱暴されんかっただけよかったわ。じゃあ、もうオレ行くきにゃあ」
シマオの兄は、そういうとふたたび向きをかえて足ばやに立ち去った。タクとシマオのふたりは、もう追いかけなかった。
「酔っ払いじゃなかったけどにゃあ。酒の臭いせんかったも」
タクがシマオのほうを向いていう。
「兄ちゃんは、テストのことで頭いっぱいや。この前、成績が下がったいうて親に怒られよったも。ぜんぜん頼りにならんわ」
「話さんほうがよかったかにゃあ。この箱も見てもらおうと思うちょったに」
タクはそういうと、例の箱をポケットから取り出した。
「タク、オレにその箱、わたしちょってくれ。今日の夜、兄ちゃんに聞いちょくよ。家に帰ったあとやったら、さすがにちょっとは時間があるろう?」
「そうや、それがえいかもしれん」
そういうと、タクは例の箱をシマオにわたした。
「でも、タク? 地底人って英語しゃべるがやろうか?」
シマオのもっともな疑問だった。
「わからん。でももしその字が〝地底語〟やったら、だれに聞いてもわからんで」
水曜日 夕方
「ねえ、お母さん! ニシ高って勉強できる?」
家に帰るやいなや、タクはリビングにいた母親のサトミに聞いた。
「ニシ高? そうやねえ。まあむつかしいがやないろうか。でも、なんでそんなこときくがで?」
「今日、シマオのお兄さんとおうたき。シマオのお兄さん、ニシ高やろ」
「シマオのお兄さんが勉強できたら、タクとどう関係があるで?」
シマオの兄が勉強ができて、いろいろ知っていたら、例の箱の文字を〝解読〟できるかもしれないとタクは思う。
しかし、そのことを母親にはいわなかった。母親にあれこれつっ込まれて、箱のことを話してしまいそうになるかもしれないからだ。
シマオの兄が文字を解読してくれる期待があってついつい気持ちが高まり、そんな話をあえて母親にしてしまったタクだった。
水曜日 夜
タクが布団に入ったあと、またリビングから両親の話し声が聞こえてくる。
昨日の夜、話題にしていた行方不明の人のことだった。行方不明になった人も、例のじいさんとおなじく、地底人らしき悪い連中に連れ去られてしまったのかもしれない。そんなことを思っていたため、タクはなかなか眠くならない。
映画やドラマだと話がドラマチックに展開するが、現実はそうではなく、だれもが知らないところで怖いことが静かに進行しているかもしれなかった。
「昨日、ナンゴクスーパーの裏の家の旦那さんがおらんなったっていうたろ? 夕方見つかったらしいで」
母親のサトミの話し声が、タクの耳にかすかにきこえてくる。
「ああ、そうながか。そりゃ良かったねや。でも、どこ行っちょたがやろう?」
父親のジュンイチが、それにこたえる声もきこえた。
「本人は、あのへんずうっと歩きよったっていいゆうみたいで。今日、スーパーでイリエさんとおうて、そういいよった。だれかに聞いたがやないろうか。それで、そのあとは、しばらく中央病院の待合におって。いつまでもおるきだれやろういうて、声かけて行方不明の旦那さんやってわかったゆうていいよったで」
イリエさんというのは、タクの母親と同年代の古い友達のことだ。また中央病院とは、地域でいちばん大きな総合病院だ。
「行方不明やなくて、散歩しよったがやないかえ」
「そんなわけないろう。一日家にかえってないがやき。それで体調が悪うなって、また入院するがやと」
母親のサトミは、かなり熱心に夫に話していたが、父親のジュンイチは、行方不明の人の話題には、あまり興味がなさそうだった。
タクはやっと眠りそうになっていたが、母親の声が少し大きかったことと恐怖のため、また目がさえてきた。
だれかをつかまえて、いろいろ調べて病院で解放する。病院なら、知らない人がたくさんいてもたしかに目立たない。タクは、地底人がほんとうにいるとは思わなかったが、悪い連中が動きまわっているような気がして怖くなっていた。
「その旦那さんは、そのまま中央病院に入院するがか?」
父親のジュンイチが、興味ないながら妻に話を合わせるかたちできいた。
「どういいよったろう。ちょっとボケが入ちゅうき、中央病院やなくて、カガミ川のところにあるろう、専門の病院が。そこみたいやで。もともとそこに入院しちょったがやと」
「ああ、あるにゃあ。そんな病院が。オレらもボケたら、最後はそこに入るがやろうか」
「なにいいゆうぞね! あんた、ボケるほど頭つこうてないろうがね」
「頭、つこうてないき、はようからボケるかもしれんろ」
「あんたは大丈夫よ。私、知らんかったけど、あの旦那さん、もうだいぶ昔、ヤマギワ小学校で教頭やったみたいなが。頭、使いすぎてボケたがやないろうか」
「教頭やったがか。もしかしたら、タクも授業受けちょったかもしれんねや」
「なにいいゆう。何十年もまえのことながで」
両親の話はさらに続きそうだったが、タクは眠りに入っていった。
木曜日 朝
タクは、人間のかたちをしたまっ黒のものに追いかけられている。身体と不釣り合いなほど異様に大きな目は黄色く光っていた。
人間のかたちをしたまっ黒なものはひとつではなく複数。するどいツメでタクを襲うとしている。しかし、逃げようとしてもうまく走れない。タクの背中に、ツメが突き刺さると思った瞬間目が覚めた。
悪夢から解放されてほっとしたが、恐怖はまだ続いている。時計をみると朝の6時半。二度寝できそうになかったタクは布団から起き上がり、自分の部屋から出てキッチンに入っていた。
キッチンでは母親のサトミがタクの朝食の準備をしていた。
「おはよう。お父さんは?」
「タク、今日ははやいやいか。お父さんさっき出かけたで」
父親のジュンイチは、コウチ市内のハルノという場所にある工場で働いている。車で通勤していて、自宅マンションから少し距離があるため、出かけるのはいつもはやい。この日はとくにはやかったようだった。
「お父さんになんか用事かえ?」
「いやべつに。いつも7時ごろ出かけると思うちょったき」
「今日からしばらくは、朝はよう行って仕事するがやって」
タクが見た悪夢とは正反対の、平和でいつもどおりの朝が進行していた。
タクはこの日も、学校に行くまえに例の穴を確かめてみようと思っていた。悪夢を見たからかもしれないが、なにやら予感がするし、寄り道をする時間があるくらい、結果的に早起きもしている。
タクは朝食をすませたあと、すぐにマンションを出る。
マンションを出るとき、母親から学校にはやく行く理由を聞かれる。タクはあいまいな返事をした。
「はよう行って、またサッカーするがかね?」
母親がまた聞いてくる。タクが例の穴に行くといえばやめろというに決まっている。母親にとっては、また靴を汚されるというのもある。
「うん、そうや」
結局タクは、友達とサッカーをすることにしてマンションを出た。
裏山に入り、広場をぬけて、例の穴に向かういつものルート。しばらく雨が降っていないが、昨日と同様に、穴に向かう小道のうえに重なり合った草木が湿っている。
もしも草木が重なり合っておらず土がむき出しになっていたら、だれかが足をふみいれたとき、土のうえに確実にあとが残るだろう。ただし、湿った草木のうえにも、足でふんだあとが残るかもしれない。そんなことを思いつつ、タクは足元の草木をていねいに観察しながら先に進んだ。
下ばかり見ていたタクが顔をあげた直後、穴がある方向に人影があった。こちらに背中を向けている。タクは驚いて立ち止まる。
人影との距離は約十メートル。立ち止まったタクは人影を観察する。例のじいさんのように見えた。
するとそのとき、人影がふりかえった。特徴的な色つきのメガネをかけている。
「やっぱりあのじいさんだ」
タクは思いながら、さらに近づいた。
「また、あの穴に行きよったがですか?」
タクは、道で知り合いにあったみたいな自然な感じで話しかける。
「え~と、だれやったかねや? え~、あ! そこの小学校の生徒やったな。このまえおうた。たしか…」
最初に会ったときと同じく、おじいさんはのどの奥からしぼり出すような声をしていた。
「イシカワ・タクです。それよりおじいさん、おぼえてくれちょったねえ」
「おじいさんって、ワシは名前があるがで!」
「ショウヘイさんながでしょう?」
「ショウヘイ? そうや、そうやったと思う。まあなんでもえいわ。今日は、とりあえずそうしちょこう」
タクは、ふたたびじいさんと会ってちょっと嬉しくなっていた。
じいさんは、この日は普通の革靴をはいていた。かなり汚れてはいたが、左右別々のものではなさそうだ。ところが着ているのは、グレーの色をしたジャージの上下。ぱっと見は散歩か、ランニングのようにみえるが革靴をはいている。左右別々の靴よりはましだが、やはりアンバランスだ。
「おじいさん、今日は散歩しよったがです?」
「そうやったかねや? まあ、いつも寝ゆうきねえ。たまに気分がえいときはこうして外に出るがよ」
「そうながですか。いつも家で寝ゆうがです?」
「家やったろうか。なんか白い部屋のなかのときもあったねや。まあ、いろいろや。人生いろいろや」
じいさんは、そういって豪快に笑った。笑い声は元気そうだったが、足元はおぼつかない感じに見える。
シマオの兄は、おじいさんは酔っ払いにちがいないといった。たしかに、酒に酔っていて足元がおぼつかないようにも見えるが、最初に会ったときと同じく、おじいさんから酒のにおいはしなかった。
「ここまで歩いてきたがですか?」
タクは、おじいさんと例の穴のほうに歩いていった。
おじいさんの自宅が近くにあったとしても、ここまで来るにはそれなりの傾斜の遊歩道をのぼらなくてはならない。前に会ったときもそうだったが、タクは、おじいさんがここまでよくのぼってこれたと思いたずねてみた。
「歩いてきたと思うで。もう車は運転できんし、自転車も持ってないき」
相変わらずのひょうひょうとした答えだ。
「でも、おじいさん、よくここに来るがです?」
「ここか。そうやねえ。そうかもしれん」
「このまえにおうたときは、どうやって帰ったがですか?」
「あんまりおぼえてないけどねや。歩いて帰ったがやないろうか」
「でも、ここに来る道はおぼえちゅうがです?」
前に会ったとき、おじいさんは、どうやってきたかわからないという話をしていたが、この日は2回目。じいさんの足は、無意識に裏山に向くのだろうか。
「今日は途中の道で、ああ、ここはまえに来たことあるねやいうて思い出したがやけど、昔もよう来たことがあったで。そんときは大勢やった」
「おおぜい?」
「そうや。おまんみたいな子供らあといっしょに来てねや。たいへんやったけど楽しかったで」
「おじいさん、子供や孫がいっぱいおるがですか?」
ふたりはやっと穴に着き、おじいさんはなんのためらいもなく、湿った草木のうえに腰をおろした。
「子供とか孫はおるけど、いまはもうおらん。みんな県外や。子供とここに来たこともあったと思うわ」
おじいさんの子供や孫ではない〝子供らあ〟とは誰のことだろうか。タクは、このじいさんのことをもっと知りたくなっていた。
「近所の子供らあと、よくいっしょに来たがですか?」
「おまんは、質問ばっかりやな。あんまりようおぼえてないわ。いっつも、ああせえこうせえ、これはやったらいかんっていわれるき。今日はヘンな気分や」
おじいさんは、また大きな声で笑った。それにつられてタクも笑った。
タクはこの裏山に、風景を描くとか身近な草花に触れるとか、そういう課外授業で何度か来たことを思い出した。
そのときは、担任の先生とクラスの子供たち大勢で裏山を〝占拠〟する。普段はだれも人がいない裏山が、そのときだけにぎやかになる。
「ああ、そうや!」
そういってタクは、ポケットに手を入れたが、例の箱はない。昨日シマオにわたしてしまったからだ。
「ちょっと今日は持ってないがですけど、このくらいの大きさの銀色の箱、おじいさんのものやないがです? この穴に落ちちょったき」
タクは大きさとかたちを指で描いた。
「箱? 見てみんとわからんわ。最近はいっつも、ものをようなくすきね。もしかしたらここで落としたもんかもしれん」
おじいさんは、箱についてあれこれたずねてこない。タクは、もし箱がじいさんの持ち物だったとしても、そこまで大切なものではないのかもしれないと思った。
「この歳になったら、必要なものとかあんまりないき」
心のなかをのぞいたかのような、じいさんの話にタクはドキッとする。
「おじいさん、地底人って知っちゅう?」
ばかにされるか、相手にしてもらえないため、おとなには警戒して地底人の話はほとんどしていないタクだったが、このときは自然とそんな質問が口から出た。
おじいさんは首をかしげて、しばらく考えこんでいた。色つきのメガネの奥に見えた目が閉じられていたため、そのまま眠ってしまったのではないかと思った。
「地底人? 地底に人がおるがかえ?」
「そうみたいながです。ひとりじゃなくていっぱいおって、それで地上に出てきて人間を襲うときもあるらしいがです」
「おまんは、ええと、タクやったかな? タクは、その地底人を見たことあるがか?」
「いやないです。映画の地底人は写真だけみたことあるがですけど」
そのあとも、おじいさんは目を閉じたまま首をかしげていて、もの思いにふける仕草にみえる。
「ワシャ、もうあと何年生きれるかどうかわからん。いろいろやりたかったこととかあったと思うけど、それも忘れてしもうたわ」
タクは続きを待ったが、おじいさんは無言のままだ。地底人について、どう反応していいものか思案しているようにも見える。タクが地底人の話をあきらめ、別の話をしようと思い口を開けようとしたとき、おじいさんがつぶやいた。
「そいでねや、宇宙人とか地底人でもえいわ。それから海底に住みゆう連中でもえいかもしれんけど、そういう人間に死ぬまでにおうてみたいねや」
直前の話が、地底人につながった。
「おじいさんは、地底人とか宇宙人とか、おると思うがです?」
「わからん。でももしおったら、ワシはムリやけど、タクが死ぬまでには会えるかもしれんわねえ」
「クラスのみんなは、そんなもんおるわけないろが、おまえアホかいうていわれるき」
「はっはっは。そうながか。まあ、でもいろんなことに興味を持つのは悪いことやないと思うで」
「来月やと思うけど、ボク、塾に行くがです。親がゆうには、塾に行ったら放課後この裏山に来ることも少のうなるき、地底人とかわけのわからんこと、いわんようになるろういうて」
タクは、しばらく湿った草木におおわれた地面を見ながら話していたが、ここでおじいさんのほうを見ると、おじいさんもタクのほうを見ていた。
「おとなは日常でいっぱいいっぱいやきねや。地底人の話とかしてるヒマないがよ」
「にちじょう?」
「そうや。仕事とか家事とかやな。だけど、タク、おまんといっしょに地底人をさがす先生とかお父さん、イヤやろ?」
「う~ん、どうやろう、おもしろいかもしれません」
「はっはっは! タクはなかなかおもろい子やな」
おじいさんは、また大きな声を出して笑った。
「それよりおまん、学校はえいがかよ?」
「もうそろそろ、行かんといかん」
おじいさんの隣に座っていたタクが立ち上がると、おじいさんも立ち上がった。
「おじいさん、歩いて帰れるがです?」
ふらふらしているようにも見えるおじいさんを心配して、タクが声をかけた。
「年寄り扱いするなや。ここまで歩いて来たような気がするき。帰りも気がついたら家に帰っちゅうがやないろうか」
そういって、おじいさんはまた笑う。おじいさんの、冗談か本気かわからない言葉を聞いたあとで、タクは穴から出て裏山をおりた。
木曜日 朝のホームルーム前
「シマオ! さっき、じいさんにおうたで」
始業ぎりぎりに教室に飛び込んだタクは、さっそくシマオを見つけて話しかける。
「え? ホンマか。で、どうやった?」
「どうやったって?」
「いや、地底人と関係あったがか?」
「ああ、それかえ。地底人と関係ないみたいや。けっこう話したけど、地底人に死ぬまでに会えたらえいにゃあいうていいよった」
「なんや、じゃあ普通のじいさんか?」
「たぶんそうやな」
「でも、悪いやつらに捕まっちょったがやろ?」
「そうやけど、あんまりおぼえてないみたいながよ。それより、あの箱のことやけど?」
シマオがポケットに入れていた例の箱を取り出して、タクにわたす。
「これかえしちょくわ。底の英語のこと、兄ちゃんに聞いたがやけど。〝ジッポー〟と〝メイド・イン・ユー・エス・エー〟しかわからんかったわ」
「どういう意味なが?」
「〝ジッポー〟っていう名前のライターや。それで、つくったところがアメリカという意味みたいや」
「そうながか。じゃあ、このフタ開けて、火つけるがやな」
タクは、見つけたときと同じように、フタを開けようとしたが、タクの力ではどうしても開けることができなかった。
「フタ開かんき使えんろ? お兄ちゃんやったら開けれるかもしれんけど、とられたらいややき、箱の英語を紙に書いて見せたがよ」
タクは、ふたたびライターのフタを開けようとしたが、ほかのクラスメイトに見つかったらめんどくさいことになると思ったため、そのあとすぐにポケットにおし込んだ。
木曜日 昼休み
「学校が終わったらまた、あの穴に行ってみん? シマオはまだあのじいさんに一回もおうてないろ」
タクは、放課後もおじいさんがまだいるとは思ってなかったが、もしもいたら嬉しいという気持ちがあって、シマオに声をかけた。
「地底人と関係なかったら、じいさんに興味ないわ。まあ、でもちょっと行ってみようかにゃあ。ヘンなじいさんみたいやし」
タクは、そのあと今朝のおじいさんとの会話をシマオに再現した。しぼり出すような声も再現して、いっしょに大笑いする。
そのあと、ふたりのところにサワ・チカが近づいてきた。
「イシカワくん、あんた、朝学校に来るまえにいっつもどこに行きゆうがで?」
少しキツめの口調だったが、サワは男子にはもともと、そんな感じで話しかけてくる。タクは、サワがなんでそんなことを聞いてくるのかわからない。
「まっすぐ学校に行かんと裏山のほうに入っていくが、何回も見たきよ」
サワの家は、交差点をはさんで裏山の南側にあるため、裏山に入る道と、それと交差する学校に続く道の両方が見わたせる。交差点に向かって登校している途中にタクを見たのだろう。
サワは、サエキ先生が担任になってからというもの、朝はやく登校して黒板や先生の机を掃除したりしている。そのため、いつもより朝はやく家から出たタクを見かける可能性は高かった。
「どこって、裏山に寄っただけや」
「なにしに寄ったがで?」
タクは、なぜこうもサワがつっかかってくるのか、見当がつかない。
「なにしにって、ただ寄っただけや」
「寄り道は禁止されちゅうろ。とくにあの交差点は、車が多いき危ないゆうて、タクマ先生もいいよったろ」
タクは、サワが、大好きなサエキ先生の代理のつもりで注意しているとわかった。サエキ先生のいうことを聞かない生徒にガマンがならないのだ。
「寄り道やなくて、散歩や。学校に行くまえの運動で散歩しよったが。それなら文句ないろ?」
「よけいダメやろ。遠まわりして学校行きよったら、もし事故とかあったら、どこで事故におうたかわからん。それに、タクマ先生の責任になるかもしれんろ?」
タクは、反論するのがめんどくさくなってきたが、このまま言い負かされるのは腹が立つ。
「裏山にちょっと入ったぐらいで事故なんかないわ。サワさんも行ったことあるろ? 公園になっちゅうし危のうない山や」
「だれかにさらわれるとかあるかもしれんろ?」
「裏山はいつ行ってもだれもおらんで。だれにさらわれるがで?」
たしかに裏山は、いつも人がいない。しかし、サワはとんでもないことを言い出した。
「あんたがいっつもいいゆう、地底人にさらわれたらどうするがで?」
「地底人なんておるわけない……」
「あら? おらんがかえ。イシカワくん、いつもいいゆうことと違うやんか」
タクはもうそれ以上なにも言い返さなかった。その姿を見て満足したのか、サワはタクのところから離れていった。
「なんな、あれ!」
シマオがタクを見ていう。
「あいつ、サエキ先生にいうかもしれんにゃあ」
「ならタク? もう裏山に入らんゆうてサワにいえば、サエキ先生にはいわんかもしれんで。頼みに行こうか?」
「それがえいかもしれんけど、ライターかえすまでは行こうと思うちょったきにゃあ」
タクはポケットのなかでライターを握りしめながらいった。
「また裏山に行くがか? なんで今朝おうたときに、家がどこか聞かんかった? 裏山の近所ながやろ?」
「たしか、最初におうたとき聞いたけど、じいさん自身でもわからんみたいながよ」
「そんなことあるがかえ? 自分の家やろ? なんかわけがあって家を知られとうないとか、そういうがやろうか?」
「じいさんがウソいいゆうようには思えんかったけどにゃあ。ほんまにわからんみたいに聞こえたで」
「そんなら、どうやって自分の家にかえるがで?」
シマオの疑問ももっともだった。
「それがわからんがよ」
「今度おうたら、あとをつけていったらどうなが? そのまま家にかえっていくかもしれんろ?」
「でも、じいさんとおうたがは朝だけやき、あとついていったら学校に遅れるで」
「それもそうやな。じゃあ、明日も行くがか?」
「とりあえず、またあうまでずっと裏山に行ってみようと思いゆう」
「そんなことしよったら、またサワに見つかって先生にいわれるで」
「うん、そうながやけど。それより、今日の放課後はどうする? シマオはやっぱり行くがやめちょくかえ?」
「行くに決まっちゅうろ。サエキ先生になんかいわれても、ジョギングやいうてごまかすわ」
木曜日 放課後
「サワのやつ、サエキ先生にはいわんかったみたいやな」
「まあ、時間の問題やろ」
タクとシマオは、サエキ先生から呼び出されなかったことに安堵しながら教室から出た。
向かう先はもちろん例の穴だ。ふたりはいつもの並木交差点にさしかかった。右に行くと裏山に入っていくことになる。
すると、目のまえからおとなの集団が歩いてきた。十人ほどの人数だ。全員が手に棒のようなものを持っていて、先頭を歩くおとなは拡声器をぶら下げている。さらに全員が、まだ明るいにもかかわらず、蛍光塗料が塗られたタスキを肩からかけている。
集団はタクとシマオのほうに向けてまっすぐ歩いてくる。タクとシマオは、すぐ右側に折れて裏山に入ろうとせず、その場で立ち止まり、集団が通りすぎていくのをやり過ごそうとしていた。
学校帰りに裏山に寄り道することを、だれかに見られるのを警戒していた。
「気をつけて帰りなさい!」
立ち止まっていたタクとシマオに、集団の先頭にいたおとなが声をかけた。どこかで見たことがあるおじさんのようだったが、タクは思い出せない。シマオも同様だった。
そのあと集団は、そのまままっすぐに進んでいき、ヤマギワ小学校のある方向に歩いて行った。タクとシマオが来た道とは逆の方向だ。
集団がタクとシマオから、百メートルほどはなれたころを見はからい、ふたりは裏山に入っていった。
「あれ、なにかねや?」
シマオがタクにきいた。
冬の夕方だと、暗くなったころに町内会の人達があつまり、火の用心をうったえて地域を歩くのだが、いまは冬ではないし、暗くなってもいない。
「わからんわ。なんかの安全パトロールやろうか」
タクとシマオは、広場を抜けて例の穴に近づいていく。しかし人がいる気配はなく、例のおじいさんはいなかった。
「もう何時間もたっちゅうき、たぶん家に帰ったがで」
「でもじいさんは自分の家わからんがやろ?」
タクはしばらく黙っていた。じいさんがどこに行ったのかわからないが、穴にいないことだけは事実だった。
「シマオ、オレにゃあ、不思議なことがあるがよ」
「なんで?」
あらためて真剣な口調になったタクの顔をシマオが見て、さきをうながした。
「あのじいさん、最初におうたときに、オレのことタクって呼んだがよ。最初に名前聞かれて名乗ったき。それで、わかれるときにはおぼえちょったに、自分の家とか、自分の名前とかもようわからんいうがは、どういうことやと思う?」
「そんなんオレに聞かれてもわからんで。なんかドラマとか映画であるろう? 一時的に記憶喪失になったみたいな。そんな感じやないが?」
「ドラマならそうやけど、ドラマじゃないき」
そういって、穴のなかに座り込もうとしたタクを、シマオがとめた。
「タク、じいさんもおらんし、今日はもう帰ろうや」
サワ・チカに告げ口される件も心配だったタクは、シマオにそういわれてこの日は裏山をおりることにした。
木曜日 夜
タクは、夜7時ごろ両親といっしょに夕食をすませ、リビングのソファにすわり、ゲーム機で遊んでいた。母親のサトミが夕食のあとかたずけをしながら、何度となく勉強しろといってきたが、タクは生返事をくりかえしている。
父親のジュンイチは、ただだまってテレビを見ていた。テレビではお笑い芸人とアイドルがクイズに挑戦する番組が放送されている。
「ピンポーン♪」
そのとき玄関チャイムが鳴った。夕食のあとにだれかがたずねてくることはめずらしく、タクは最初、宅配便だろうかと思った。
「はい! そうですか。ちょっと待ってください、いま開けます」
インタホン近くにいた母親が応対して玄関を開けた。
すると、そこには数名の人達の姿。タクがリビングから何気なくのぞいてみると、放課後に裏山の入口で会った集団の人達だった。
そのときは、先頭にいたおとなのことを、見たことあるのに思い出せなかったタクだが、玄関先に立っている姿を見て思い出した。町内会長さんだ。
町内会長さんはとても真剣でせっぱつまったように見えた。
「夜分失礼いたします。あらためまして、わたし、イチモンバシ地区の町内会長のイノです」
イチモンバシ地区とは、タクが住むマンションを含めた、このあたり一帯の地区のことだ。
タクとタクの両親は、町内会長がどんな用件で突然やって来たのか、はやく話を聞きたかったが、町内会長はとても丁寧に時間をかけてあいさつした。
町内会長と同行しているのは、やはりイチモンバシ地区町内会の人達だろう。
タクの自宅は賃貸マンションなので、イチモンバシ地区の町内会には入っていない。しかし、地域の運動会や小学生参加の年中行事がおこなわれるときには、町内会が中心となって行事を仕切るため、タクの両親は町内会の人達とはある程度面識があった。
「じつは、もうご存知かもしれませんけど、タケザキさんところのご主人が今朝から行方不明ながでして」
「タケザキさんって、あのナンゴクスーパーの裏のところの?」
母親のサトミが、また行方不明になったのかと思いながらたずねる。
「ああ、そうです。この前にもおらんなっちょったがですけど、またひとりで勝手におらんようになってしもうて。奥さんが血相変えて私のところにゆうてきたがです」
「それで、警察には?」
父親のジュンイチが、サトミの背後からたずねた。
「警察には、もういうちょりますけど、地域でもさがそういうて、今日の午後からさがしゆうがです」
「それで、うちになにか?」
行方不明になっている人を、警察と町内会でさがしているのはわかった。
しかしタクの両親は、なぜ町内会長たちがピンポイントで自分たちのところに来たのかがわからない。このあたりを一軒一軒聞いてまわっているのか。
「え~と、ですねえ。じつは前にもいちどタケザキさんはおらんなっちょって、そのときは中央病院のなかにおるところを保護されたがですが、本人がいうには裏山に散歩に行っちょったようでした。それで今日も、裏山と周辺をさがしたがですけど、見あたりませんでした」
タクが会ったときは、町内会の人達は裏山には入って行かなかったが、あの後、裏山に入って調べたのだろう。
「そこの裏山は、人がいることがめずらしいき、誰かおったらすぐわかりますきねえ」
町内会長の話を聞いた母親がいう。
「それでやね、お宅の息子さんのタクくんですかねえ? なんでも、最近裏山に何度も入っていきよったみたいで、もしかしたらなんか知っちゅうがやないかと思うて、こうしてうかがった次第ですわ」
このときはじめてタクの両親は、町内会長達が訪問してきた意図がわかった。そして互いに顔を見あわせる。
タクにまず聞いてから、その話を町内会長に伝えようか、それともタクを連れてきて話をさせようか。父親も母親もおなじことを考えていた。
そして両親がリビングのほうを振りかえると、タクがもうすでに両親のうしろに立っている。
タクは、町内会長の話をあらかた聞いていた。もちろん心あたりもある。
「タクがもし、裏山で誰かとおうちょったとしても、その行方不明のご主人かどうかわからんがやないがでしょうか? タクはそもそもそのご主人のこと知らんと思いますき」
母親が町内会長にそういうと、町内会の人達の背後から、かなり年配の和服の女性が顔を出した。
「ほんまに申し訳ありません。タケザキの家内です。ちょっと昔の写真ながですけど、息子さんに見てもらえんですろうか?」
そういって差し出した写真は、セピア色をしていてかなり年季が入っていた。ご主人らしき人物は停車している単車、いまでいうバイクにまたがっている。
そのすぐ前、タンクのところに5歳くらいの男の子の姿。日常を写した親子写真だ。ご主人の年齢は四十前後だろうか。かなり古い写真のうえに、劣化もはげしく、どんな外見なのかはっきりとわからない。
「このバイクにまたがっちゅう人がそうですか?」
母親が和服の女性に聞いた。
「そうながです。かなり古い写真やき、顔はわからんかもしれんけど、写真がないよりはましやろうと思うて、持ってきたがですけど」
「ちょっとタク、この人やけど、裏山におったかえ?」
母親は、受け取った写真をタクにわたす。
「どうやろ? おばさん、行方不明の人って、いま何歳くらいながですか?」
タクは和服の女性を〝おばさん〟と呼んだが、おばあさんに近い外見だった。
「今年で、九十やなかったろうか」
「そうながですか。今週の火曜日と、それから今日も、裏山でおじいさんにおうたことあります。この写真やとようわからんけど、ほかにおうた人おりませんから、行方不明のおじいさんじゃないかと思います」
「え! 今日おうた? ボク、それほんまか。今日のいつで?」
町内会長が身を乗り出した。
「あ、ちょっとここじゃなんやき、なかに入りますか?」
父親がそういって、全員をリビングに案内した。
町内会長ふくめ町内会の人達が4人。それに和服のおばあさん。ぜんぶで5人だった。
「ボク、それ今日の何時ごろで?」
町内会長はリビングの椅子に座るやいなや、あらためてタクにたずねた。
「学校がはじまる前やき、8時ごろやったと思います。火曜日もおなじくらいの時間でした」
「タケザキさん、どこに行くっていいよった?」
町内会長のあたまのなかでは、タクが会ったおじいさんが、もうすでに行方不明の人と同一人物になっていた。
「町内会長さん、タクがおうた人が行方不明の人と同じかどうかまだわからんがやないがです?」
タクの父親が横からいった。
「ああ、そうやった。タクくん? 火曜日と今朝おうたいうおじいさん、なにか特徴はなかったかね?」
特徴がありすぎて、どこから話そうかとタクは思うが、まずは服装の話からはじめた。
「今朝の服装は、上下そろいのグレーのジャージ着てました。でも革靴をはいちょったき、アンバランスやなと思うたがです。それから火曜日は、左右の靴が別々で、それもヘンやなと思いました」
町内会長が、和服のおばあさんのほうに向く。いなくなったときの服装のことを視線でたずねている。
「朝方、ベッドで寝よったがはおぼえちょりますけど、それがジャージやったかどうか。いつも寝るときはパジャマですきに。外に出る前に着がえたがやないですろうか? 朝、8時に病院の人が来てくれたときには、もうおらんかったがです」
町内会長は、ふたたびタクに聞く。
「服装以外で気がついたことあったかね?」
タクはしばらく考えこむ。ひょうひょうとした感じと、違和感のある会話のことを話そうかどうか迷っていた。
「どんな話した? たとえば自分はどこのだれそれやとか、家はどこやとか、いいやあせんかったかね?」
しばらく返事がないタクに、町内会長がさらに質問を続ける。
「そうや! 名前は〝ショウヘイ〟いいよりました。それから、どこから来たかおぼえてないとか、これからどこに行くかわからんとか、ずっとそんな感じでした」
「奥さん? ご主人の名前、〝ショウヘイ〟ながです?」
町内会長が和服のおばあさんのほうを向いて聞いた。
「主人は〝カズヒコ〟です。〝ショウヘイ〟やないです」
残念そうな顔をして、和服のおばあさんが答えた。
「だけど、奥さん? 息子とか孫に、〝ショウヘイ〟いう名前はおりませんか?」
タクの父親が、機転をきかせた感じで、和服のおばあさんに問う。
「〝ショウヘイ〟いうのは、おりませんねえ。ただ、主人は昔から野球が好きでねえ。新聞やテレビを見ては、〝ショウヘイはすごい〟としょっちゅういいよりました」
しばらく思案しているように見えた町内会長が、ひらめいたとでもいうように声を出した。
「テレビや新聞で見たスター選手のことが頭のなかに強烈に残っちょって、それを自分の名前と思うたかもしれん」
「ちょっとボケてきよったですから、そうかもしれんです」
和服のおばあさんがタクを見ていう。同時に町内会長もタクを見てまた聞いた。
「タクくん、ほかになにか気がついたことはあったかね?」
「あのう」
そういってタクは父親と母親のほうをチラっと見た。
「どうしたがで? 気ついたことあったら、いうてみいや。ちいさいことでもえいき」
母親がタクをうながした。
「関係あるかどうかわかりませんけど、おじいさんとおうた穴に、ライターが落ちちょったがです」
タクは拾ったライターを隠していたことを後ろめたく思っていたため、反省している雰囲気をかもし出しながら話した。
「なんでそんなこと黙っちょったで!」
「まあまあ、お母さん、タクくんの話を聞きましょう」
町内会長がタクの話の続きを待った。
「いや、それだけです」
「それで、タク。ライターはいまどこにある?」
今度は父親がタクに聞いた。
タクは、そのあと自分の部屋にいちどもどり、机の引き出しに入れていたライターを持ってきた。それを受け取った町内会長が、和服のおばあさんにわたす。
「このライター、ご主人のものですろうか?」
「どうやろうか。でも、そうかもしれません。いまはたばこやめてますけど、たばこやめてからも、ライターは身につけちょったことが多かったですきに。愛着があったがやろうと思います」
和服のおばあさんは、わたされたライターをじっくりと見ながらいった。
タクは、おじいさんとの今朝のやりとりを思い出す。おじいさんは、ライターに愛着はないように見えたが、それはちょっとボケたがゆえのことかもしれないと、タクは思う。
「相当な年代物やき、フタが開かんようになっちょったがですけど、これもフタが開きませんき、主人のものやないろうか」
和服のおばあさんはそういうと、間違いないという表情でライターのフタが開かないのを確認していた。
「それより、タク。なんでいままで持っちょった?」
父親がきくが、問いつめるような感じではなく、単純に知りたいだけのようだった。
「こんど、おじいさんにおうたら、ライターのこと聞いてみて、もしおじいさんのもんやったら、返そうと思っちょった」
「こりゃあ、タケザキさんに間違いないがやないろうか」
町内会長の言葉に、和服のおばあさんほか同行した人達も大きくうなずいた。
「ライターのことはとりあえずえいとして、さっき、おじいさんと〝穴〟でおうたいうたろ? 〝穴〟ってなんかな?」
町内会長がタクに聞いた。
「裏山にある小さな穴のことです」
タクはこたえたが、町内会長はきょとんとした顔をしている。
「裏山の遊歩道をのぼっていったら広場があります。その広場から小道が出ちょって、そこをずっと行くと穴というか、小さい洞窟みたいなところがあるがです」
「今日の午後、裏山は調べたけど、そんなとこなかったで」
町内会長はそういって、ほかの町内会の人達に同意を求めた。
「広場からのびる小道がすごいわかりづらいき、普通のおとなの人やったら気がつかんと思います」
タクの言葉を受けて、町内会長と同行していたひとりが口を開いた。
「会長さん、あの広場は調べたけど、そこから道がのびちょったのははじめて聞きました。草木が茂っちょりましたから、わからんかったのもムリはないですわ」
「タク、二回とも、そこの〝穴〟で、おじいさんとおうたがか?」
今度は父親が聞いた。
「最初に見かけたときは、おじいさんは穴のなかにおって、二回目は穴に行こうとしちょったところやった」
「会長さん、どうしょう? もう一回見に行くかえ?」
さっき町内会長に話した人とは別のひとりが、町内会長に聞いた。
「まだ裏山におる可能性あるねや。ちょっと暗うなりはじめちゅうけど、もう一回さがしてみるかや?」
「お願いできますろうか?」
和服のおばあさんが、心配そうに町内会長を見ながらいった。
「タクくん、その〝穴〟に続く小道は、広場のどこからのびちゅうがやろ?」
「広場にいくつかベンチがあるがですけど、そのうちのひとつのベンチのわきから、小道に入るがです。その道をしばらく進んでいくと、〝穴〟が見えてきます」
町内会長の問いかけにタクが答える。
「あそこの広場は、たしかベンチは3つくらいしかなかったねや?」
町内会長の問いかけに、同行してきた人達がうなずいた。
「まあ、行ったらわかるろ。ちょっと行ってみようで」
町内会長は、そういうと、タクとタクの両親にあいさつして、家をあとにしようとした。
「あの、これから裏山に行くがです?」
タクが町内会長にきいた。
「そうや。はやいほうがえいろ」
「あの、ボク? もういっかい教えてくれんか? 〝穴〟に抜ける小道があるんは、広場のどのベンチやった?」
町内会長に同行してきたひとりがタクに聞く。
「遊歩道から広場に出て、そのすぐ近くにベンチがあるがですけど、その横に小さい道があります。遊歩道からいちばん近いベンチやったと思います」
「会長さん? いったらワシらもわかるろうか?」
同行してきたひとりが町内会長を見た。
「とりあえず行ってみようや。タクくん、どうもありがとうな」
町内会長が、そういってタクに笑顔をみせた。
「わかりにくいかもしれんき、ボクがいっしょに行ったほうがえいがやないろうか?」
「そうしてくれたら、すごいありがたいがやけど、もう外は暗いきね。話だけで充分や」
「でも、あのおじいさん、どこに行ったかわからんのも気になるし。ねえ、いっしょに行ってえいろ?」
タクは両親を見てたずねた。
「大丈夫か? タク。それやったら、お父さんもいっしょに行くで」
「お願いできますか? ほんまに助かります。ほんなら、消防団の連中とかにも声かけて、もう十人くらい集めてから行こうと思いますき、あと、二十分後にまた迎えにきますわ」
町内会長と和服のおばあさんたち5人は、いったん引き上げていった。
そして町内会長の話どおり、約二十分後に総勢三十人ほどの〝捜索隊〟が組まれ、タクとタクの父親とともに裏山に向かった。
捜索隊の手には、自宅から持参したであろう懐中電灯。そして肩には、蛍光塗料が塗られたタスキがかけられている。タクを先頭に捜索隊は裏山に向かった。タクと並んでタクの父親、その後ろには町内会長、さらにその後ろには、消防団含めた捜索隊が続いている。
和服のおばあさんは、自宅で待機しているらしかった。
やがて捜索隊は、遊歩道を抜けて広場に出た。そしてタクについていくかたちで、ベンチのわきから小道に入る。
「ああ、こんな道があったがか」
「これやったら、あの子供がおらんかったら、よう見つけんかったわ」
捜索隊のあちこちで、そんな言葉があがる。
そうこうしているうちに、先頭のタクが例の穴にさしかかった。タクは懐中電灯で穴を照らしてみる。穴の入口から奥のほうに光をあててみたが、なかにおじいさんはいない。
タクがおじいさんと会ったのは今朝。いまは夜8時を過ぎているので、かなり時間が経っている。おじいさんが穴にいないのは、当然かもしれなかった。
タクは、穴のまえでしばらく立っていた。先頭に近い町内会長ほか捜索隊の人たち以外は、まだ小道に入ったばかりか、もしくは広場にいると思われた。先頭のタクが穴の前で立ち止まっているため、彼らも足をとめている。
「穴から、またどっかに行ったがやね」
町内会長がひとりごとのようにつぶやく。
「そうや。お父さん、こっちにも道があるがよ。かなり狭いけど」
次の瞬間、タクが穴の左側の草木を指さした。
「おい、ちょっと待てタク。会長さん、けっこうせまそうやけど行ってみますか?」
タクの父親にいわれた町内会長は、捜索隊にもあとに続くよう指示した。
「この先のせまい道を行くと、裏山の北側に出るがよ」
タクは、だれにいうでもなく、草木をかきわけてせまい道を進んでいった。草木は、地面から約1メートルほどの高さで茂っている。
せまい道は、おとなが頭に思い浮かべる道とはまったく違っており、草木をかき分けてやっと先に進める道だった。
しかし、タクは左に曲がり右に曲がりしながら器用に進んでいく。目の前には草木が茂っていて、およそ道には見えなかったが、地面に目を向けると、そこだけは草木が少なく、たしかに道らしきものがあった。
しばらく進むと、道は下りになってきた。タクがいったように裏山を下りていっているようだった。道が下りになってから1、2分後、草木がかき分けられた場所に出た。三畳ほどの空間だった。
なぜ草木が茂ってなかったかといえば、大きな岩があったからだ。道が岩にぶちあたり、岩の先にまた続いている。そしてタクはその空間に来たとき驚きの声をあげた。
その岩に、例のおじいさんが座っていたからだ。こともなげに休憩しているように見える。おじいさんは、タクが持っていた懐中電灯に照らされて目を細める。いったい何事かという表情だった。
色つきメガネはかけていなかった。メガネをかけていたら、暗くてなにも見えないためと思ったが、メガネがなくてもあたりはまっくらで、ほとんどなにも見えない。
「おい! 見つけたぞ!」
タクのすぐ後ろにいた町内会長が叫ぶ。
「タケザキさん! 大丈夫か?」
町内会長はそういって、おじいさんに近づいた。
「んあ? なんぞね? なんか用事かね?」
「みんなでさがしよったがよ! ちょっとシンゾウはおるか?」
町内会長にシンゾウと呼ばれた若者が、前に出てきた。
「タケザキさんを、ちょっくらおぶってくれんか? ええと、タクくん、岩のさきに行くがと、戻るがはどっちが近い?」
町内会長にいわれたシンゾウが、おじいさんをおんぶしようとしていた。
「岩のさきに行ったほうが裏山から出るには近いがですけど、山の北側に出るき、広場にもどったほうがえいかもしれません」
裏山の北側は田畑が広がっているだけで、学校や病院などは裏山の南側にあった。そのため、北側に出ても、けっきょく南側に来ることになる。
「そうか。それなら戻るわ。ああ、ヤマオカさん、救急車呼んでや。タケザキさんは、元気そうに見えるけど、病人やし救急車呼んだほうがえいろ。救急車は、並木交差点のところまで来てくれたらえいで」
町内会長は、すぐ近くにいたヤマオカという人に救急車を頼んだ。ヤマオカという人は、タクの家に同行していた人のひとりだった。
「おい、どういうことや。どこに連れて行くがぜよ?」
おとなしくおんぶされたものの、おじいさんは納得がいかない様子だ。ただ、そういっただけであとはだまり、やれやれという表情だった。
やがて、後部にいた捜索隊も、おじいさんが見つかったことを知り安堵したようだった。そして捜索隊の全員が裏山から下りて、並木交差点に集まる。
そこにはもう救急車が到着していた。また、連絡を受けたのだろう、和服のおばあさんもいた。
そしておじいさんはそのまま救急車に乗せられる。救急車のすぐそばにいたタクは、そのときおじいさんと目が合う。
「あら? おまんたしか、朝もおうた子供やないかねや。今日はどうしたで?」
「おじいさん、ライター、おばあさんにかえしちゅうきねえ」
タクは、やはり救急車のすぐ近くに立っていた和服のおばあさんを見ながらいった。
「ライター? なんのことや? おまん、それよりまっくらやに、小学生がこんな時間に外に出ちょったらいかんで。お母さんが心配しゆう。はよう帰り!」
いまの事態の原因は、もともとおじいさんだ。つまりこの日の〝主役〟であったにもかかわらず、そんなことまったく関係なさそうなおじいさんの態度が、タクはおかしくて仕方がなかった。
タクとタクの父親が自宅マンションに戻ったのは十時近くだった。
「おかえり。いま町内会長さんから電話があったで。無事見つかったみたいやね」
自宅で待機していた母親が、ふたりを玄関で出迎えながら声をかける。
「そうながか。それより、タクは大活躍やったで」
以前に怒られたときみたいに、タクの靴は乾いた泥にまみれていたが、母親はもちろんそれを怒りはしない。
タクはそれから、父親といっしょに風呂に入り、出たあとはすぐに布団で眠ってしまった。リビングでは両親がまだ話をしていたが、疲れていたタクはその声を聞くことなく、深い眠りに落ちていった。
金曜日 朝
ぐっすりと眠っていたタクは、母親に起こされて目が覚めた。
「タク、昨日はだいぶ疲れたかもしれんけど、もう8時や。学校に行く仕度せんと!」
タクは顔を洗ったあとで、母親にせかされ朝ごはんを食べはじめる。
「お父さん、もう行ったきね。昨日のこといろいろいいよったで。タクのおかげでおじいさんが見つかったいうて。それにしても、そのおじいさん、なんでそんなとこにおったがやろ?」
「ようわからんわ。でも、おじいさんが見つかったところから、もっと先に行ったら裏山から外に出るがよ。まえにいっかいおらんなったときも、おんなじルートで裏山から出て、それから中央病院に自分で行ったがやないかと思うで」
タクは、昨日、おじいさんが見つかったときに思っていたことを母親にいう。
「そうながかえ。それはえいとしても、もう今日から裏山に行く理由なくなったろ? そのおじいさんのこと、地底人と関係あるとか思うちょったがやろ?」
以前にタクが、地底人の話を持ち出したとき、母親は表情がくもっていたが、このときは意外にも穏やかな感じだった。とはいえ、幼稚な話と思っていることは間違いなさそうだ。
「そんなこと思うてないよ。ただ、地底人と関係あったらおもしろいと思うただけや」
そういったタクだったが、たしかにしばらくは裏山に寄り道することはなくなるかもしれない。
今回は結果オーライだったが、タクが裏山にひんぱんに寄り道していたことは事実で、さらに、そのことを学校にも知られてしまっているはずだ。父親や町内会長や消防団の人達は、昨日タクにすごく感謝していたが、担任のサエキ先生にはもしかしたら怒られてしまうかもしれない。
そしてタクは複雑な気持ちを抱えながら自宅マンションを出て、学校に向かった。
金曜日 朝のホームルーム前
「イシカワくん! キミ、なんでもっとはやく先生方にいわんかった?」
タクが教室に入るなり、問題児のミヤザキ・タカシが、教頭先生のマネをしながら嬉しそうに声をかけてきた。
「お前に関係ないろが」
タクはカバンをロッカーに入れながらいう。
「なんか、お前があのおじいさんを裏山に置き去りにしたいうてウワサになっちゅうぞ」
今日のミヤザキは、いつもよりかなり嬉しそうだ。ミヤザキの後ろにいたマツイ・トシノリも、ケタケタと笑っている。
「もしかして、おまえが、あのおじいさん土のなかに埋めて、地底人やいうてでっち上げようとしよったがやないがか? 悪いやつや」
調子にのったマツイは、ミヤザキよりも口が悪い。
タクは、無視を決めこんだ。事実ではない〝ウワサ〟も気になる。〝ウワサ〟を否定して、クラスのみんなに事実を伝える機会はあるだろうか。
金曜日 五時間目
朝のホームルームでも、そのあとの休み時間や昼休みでも、タクはサエキ先生から個別に呼ばれることはなかった。さらにいうと、昨日の出来事について話したのは、問題児達ふたりと、シマオぐらいだった。
昨日の今日だから、クラスメイトは知らないのか、それとも行方不明だったひとりの高齢者が見つかったことなど、小学生たちには興味のないことなのだろうか。
ミヤザキとマツイにしても、タクを怒らせるネタとして昨日の出来事を出してきているだけで、おじいさん発見自体には興味がなさそうな感じがしていた。
そんなことを思いながらタクは授業を受けていた。気が散っていることと、五時間目がタクの苦手な国語ということもあって内容が頭に入ってこない。
授業開始から二十分くらい過ぎたとき、教室のドアにノックの音がした。比較的大きな音だったため、クラス全員がドアを見る。
そしてドアがゆっくり開いたかと思うと、教頭先生が顔を出した。
教頭先生はいつも身なりをきちんとしている。暑い夏でも、つねにネクタイをしめているし、髪の毛も毎日同じかたちに整えられている。ただし、人相はけっこう悪くて、ぱっと見はインテリヤクザ風に見える。
教頭先生なのでクラスは受け持ってなく、生徒達と接する機会は多くない。そのためか、タクは教頭先生が怒ったところを見たことがなかったが、逆に笑っているところも見た記憶がなかった。
その教頭先生が、少しあわてた様子でドアから顔を出して、授業をしているサエキ先生を呼んでいる。授業中にもかかわらずサエキ先生を呼ぶこと自体が、緊急を要することなので、よけいにあわてているように見えた。
そして呼ばれたサエキ先生がドアに近づき、教頭先生となにやら言葉をかわしている。
教室内は次第にザワつきはじめていた。
サエキ先生は、ひととおり教頭先生との会話を終えると、うなずきながらクラスの生徒達のほうを向いた。このとき、生徒達全員がサエキ先生に注目していたため、ザワつきが瞬間的におさまった。
タクは、最初からだまってサエキ先生を見ていたが、心のなかはザワザワしていた。と、タクの目がサエキ先生の目と合う。
「ちょと、イシカワくん!」
サエキ先生が手招きをしながらタクに声をかけた。
「キタ!」
タクは思った。できたら、休み時間とか放課後にして欲しかったが、まさかクラスの全員が注目しているなかで呼び出されるとは。しかも、教頭先生はいつもどおり無表情ながら、かなりあわてている。
裏山に入ったことを怒られるだけなら、授業中に呼び出されるはずはない。緊急の事態だ。たとえば、おじいさんの容態が急変したのだろうか。しかし、それがタクを緊急に呼び出す理由だとは思えない。
タクはいろいろ考えたものの、緊急の理由は結局わからない。ただ、呼ばれたことの理由は裏山とおじいさんに関することに間違いない。
「あ、はい」
タクは小声で返事をしてサエキ先生のいるドアのほうに向かう。
五時間目は給食のあとの授業のため、ときどき眠くなるタクだったが、この日に限っては眠気は完全に吹き飛んでしまっていた。
教室から連れ出されたタクは、教頭先生とサエキ先生についていき、職員室に向かった。タクは、あとでシマオに聞いたが、サエキ先生がいなくなったのと入れかわりに、ヒラタ・サクラコという音楽の先生が1組に来て、サエキ先生の代わりに授業をしたとのことだった。
職員室に向かっているあいだ、タクが無言なのはもちろんだが、教頭先生とサエキ先生も互いに話をすることはなかった。
そして、教頭先生とサエキ先生のあとに続き職員室に入ったタクは、サエキ先生にうながされて、職員室のいちばん奥にある校長室に入っていった。
そしてそこには、校長先生とあの和服のおばあさんがいた。和服のおばあさんは、この日も、昨日と同じ柄の和服を着ていた。
「キミがイシカワ・タクくんか? まあ、そこに座りなさい」
校長先生は、対面式になっているソファに座るようタクにうながした。
緊張しながら座るタクの目の間には、和服のおばあさんが座った。タクの左隣には教頭先生が座り、担任のサエキ先生は、教頭先生の隣に立っている。
校長先生は、タクたちが校長室に入ってきたときにいちど立ち上がったが、そのあとはまた自分の机の椅子に座った。
「じつは、イシカワ・タクくん、このご婦人がキミに昨日のお礼がいいたいゆうて学校に来られてな。そうですな、タケザキさん」
先生たちに取り囲まれて怒られると思っていたタクは、急に身体から力がぬけていった。
「授業中やったに、無理いうてごめんなさい。ちょっと時間がのうて、このあとまたすぐ病院へもどらんといかんがやき。許してちょうだい」
和服のおばあさんは、タクにそういうと、本題に入っていった。
「主人が見つかったのは、ほんまにボクのおかげやわ。どうもありがとうねえ。主人もありがとうっていうちょってくれゆうていいよったきね」
力が抜けたあとのタクは、感謝の言葉をいわれて嬉しい気持ちになっていた。
「なあ、イシカワくんや。昨日、キミがおうたおじいさんは、昔このヤマギワ小学校の教頭先生やったがでね。まあ、私らあも若いころタケザキ先生には、お世話になっちゅうがよ」
校長先生が、昔を懐かしむような表情でタクにいう。
例のおじいさんが、ヤマギワ小学校の先生方の〝大先輩〟でなければ、和服のおばあさんは、きっと次の休み時間かもしくは放課後まで待たされたはずだ。
タクが授業中に呼び出されたことは、ヤマギワ小学校の先生方が、おじいさんにそれだけ敬意をはらっていることのあらわれだった。
緊張が一気にほぐれたタクは冷静になり、そんな〝大人の事情〟に思いがおよんでいた。
とはいうものの、和服のおばあさんはとても親切でとても感じが良かったため、タクに、〝大人の事情〟への違和感はほとんどなかった。
「まあ、最近は多少ボケてきちょって、私との会話もほとんどおぼえてないがやけど、ずっと教師やったき、やっぱり子供が好きながかねえ、タクくんとの会話はおぼえちょてねえ」
和服のおばあさんが続けた。
「そうですかあ。それはそうと、おじいさんは良うなったがです?」
タクが、和服のおばあさんにたずねた。
「心配せんでも大丈夫やき。頭は少しボケちゅうけど、足腰は丈夫やし。まあ、最近はちょっと胃が悪うて入退院しよったがやけど、ほとんど検査入院のためやったきね」
「良かったです。いくら足腰丈夫でも、あのままやったら危なかったかもしれません」
タクはいう。最初にいちどいなくなったときは、昨日よりももっと長い時間裏山にいたと思われるため、昨日見つかってなくても、もしかしたら大丈夫だったかもしれない。
そんなことを思いつつも、タクがひと安心したことは本当だった。
「それから、あのライターも、見つけてくれてほんまにありがとうって伝えちょってくれいうていいよったが」
「それも、良かったです。でもあのライターの話をおじいさんにしたとき、そんなに愛着なさそうやったがですけど」
タクの言葉に、和服のおばあさんは首を振りながらこたえた。
「ときどき、わからんなるときがあるきね。そのときはおぼえてなかったがやないろうか」
和服のおばあさんが話を続けた。
「もうタバコは吸いやあせんきね。思い出を持っちゅうみたいなもんなが。仕事でうまくいかんことがあったときとか、あの裏山のベンチでタバコ吸うて気持ちを落ち着かせよったみたいながよ。でもいまやったら、公園全体が禁煙やき、そんなことできんけどねえ」
大げさにいうといろいろなドラマがあったのだろうとタクは思った。
「おじいさんは、いまどうしゆうがですか?」
「まあ、2、3日入院して検査よねえ。なんちゃあなかったら退院すると思うがやけど、そうなったら、またひとりで出ていくろう? それも心配よね。どこに行くかわからんきねえ」
「タケザキさん、広い家やき、なかなか難しいと思うけど、ひとりで出て行く危険があったら、なるべくご主人の近くにおらんといかんですわ」
校長先生が困ったという表情をして、和服のおばあさんにいった。
「ほんまに今回は申し訳ありませんでした。この子のおかげや。あ、でももしまたおらんなっても、行き先がひとつわかっちゅうがは心強いかもしれん」
校長先生が、さらに困ったという顔して腕組みをした。教頭先生の表情には相変わらず変化はない。
そして、和服のおばあさんは、全員にひととおり挨拶をして校長室をあとにする。
タクは、あらためて校長先生から感謝された。
「校長先生、イシカワくんと個別に話をしたいと思っていまして、それでいまの時間使っていない、音楽室を使わしてもらいたいのですが?」
突然、サエキ先生が校長先生に聞く。この件は、これで終わりだと思っていたタクは驚く。そしていわれるがまま、サエキ先生とともに音楽室へと向かった。
生徒も先生もだれもいない音楽室は閑散としていた。音楽の授業担当のヒラタ・サクラコ先生は、いまタクのクラスでサエキ先生の代わりに授業をしている。どのクラスも音楽の授業がないということで、サエキ先生は音楽室を選んだようだった。
タクの緊張はいちど完全にゆるんでいたが、校長室を出る直前にふたたび緊張がはじまっていた。なぜなら、おじいさん発見に役立ったのはさておき、寄り道の件でサエキ先生に怒られると思ったからだ。
校長室で怒られなかったのは、和服のおばあさんがいる手前、先生方がタクを怒ってしまっては、おばあさんに対して印象が良くないためだろう。タクは昨日の功労者なのだ。
おばあさんが立ち去ったあとで、怒って反省をうながすのも、やはり〝大人の事情〟なのだろうとタクは思う。
「え~と、授業が終わるまであと二十分くらいか。次の休み時間になるまで、しばらくここで待機してよう」
サエキ先生が、音楽室にある掛時計を見ながらいった。しかし、タクは意味がわからない。
「先生、あの?」
「どうした? 休み時間まで、先生となにか話でもするか?」
戸惑うタクの顔を見たサエキ先生が笑顔でいった。
「裏山に何回も寄り道したことで、怒られると思うちょりました」
「だから困ったような顔してたのか。寄り道はたしかに禁止されてるけど、今回は校長先生も問題にしないんじゃないかな。そんなこと気にしてたのか? 先生はいまイシカワくんから寄り道のことをいわれて、はじめてそういえばそうだなと思ったくらいだよ」
「ボクが何度も裏山に入っていくがを、クラスのサワさんが見ちょって、注意されたがです。サエキ先生にいいつけるいうていいよったき、先生はてっきり知っちゅうと思うちょりました」
サエキ先生は、サワ・チカならそうするかもなという顔をする。
「あの子は、正義感が強くて真面目だからなあ。イシカワくんを注意したのも、だまってられなかったんだろうなあ。でも、先生にはその話はしてないぞ」
「町内会の人達がうちに来たがは、ボクが何度も裏山に入りよったのをサワさんから聞いたからやったが。もしサワさんに見られてなかったら、うちは町内会に入ってないき、たぶん聞きに来んかったと思うわ。そしたら発見がもっと遅れちょったがやないろうか。そうやき、サワさんにもちょっとは感謝したほうがえいかなって、いまは思いゆうがです」
「ああ、そういうことやったか」
「それより先生、どうして休み時間を待ちゆうがです?」
タクは話題を変えた。
「授業の途中で出てきただろ。授業中に教室にかえるの気まずくないか?」
サエキ先生が、そんなことを思っているとはタクは意外だった。
「先生はいいとしても、イシカワくんは気まずいだろ? 休み時間にしれっともどるのがいいんじゃないかな。休み時間でも気まずいのは気まずいけど、授業中よりはまだましだろうと思ってな」
好青年でスポーツマンのサエキ先生に、そんなお調子者的なキャラクターがあるとは思ってもみなかったタクは、サエキ先生に対する反発心が少し柔らかくなるのを感じていた。
「そうですか。ボクはえいかもしれませんけど、サワさんとか〝正義感が強くて真面目〟な生徒らあに、授業中におらんなった説明を求められるがやないですか?」
「今日の授業終わりに、特別に時間をつくるつもりだ。あまり時間がとれないから、先生が一方的に説明する内容になると思うけど、クラスメイトのみんなになにか話しておきたいこととかあるか? もしあれば、先生が話しておくけど」
「ミヤザキクンとかがいいよったがですけど、ボクがおじいさんを裏山に置き去りにしたいうウワサがあるみたいながです。それは事実と違うことを話しておきたいです」
「え! そんな話があるのか。わかった。それについては先生のほうからクラスのみんなにきちんと話しておくから」
そのとき、四時間目の授業が終わるチャイムが鳴った。
金曜日 五時間目のあとの休み時間
休み時間になった5年1組の教室にタクはもどった。数分前、タクといっしょに音楽室から出たサエキ先生はいったん職員室にもどっていった。
「おい、タク! どうしたがで? 昨日のことで呼ばれたがやろ?」
すぐさまシマオが声をかけてきた。シマオにはきちんと説明しておきたかったが、クラスのほかの連中も、タクをみつけると好奇の視線を向けて集まってきたため、シマオだけに話をすることにはならなかった。
タクは、昨日の夜〝捜索隊〟といっしょに裏山に入り、行方不明のおじいさんを発見したことと、そのことで校長室に呼ばれて、おじいさんの奥さんから感謝されたことをおおまかに話した。
また、次の六時間目の授業のあと、サエキ先生から今回のことに関して、くわしい説明があることもつけ加えた。
金曜日 放課後前のホームルーム
事前にタクに約束したとおり、授業を中断した理由についての説明が、サエキ先生からあった。
タクにはすべて知っていることだったが、クラスのみんなははじめて聞くことで、サエキ先生の話に真剣に耳をかたむけていた。また、タクがおじいさんを裏山に置き去りにしたウワサについても話があり、事実とは違うという説明がなされた。
そこでわかったが、そんなウワサははじめからまったくなくて、ミヤザキとマツイがタクを困らせるためにでっち上げたようだった。それを否定されたことで、ミヤザキとマツイの問題児コンビは、さぞかし悔しい思いをしているかと思いきや、サエキ先生にウワサを取り上げられたことで、いちおう満足していたようだ。
問題児コンビは、タクに注目してちょっかいを出してくるわけではない。相手をとくに選ばずなにか〝ネタ〟があればイタズラをしてくる。ただし、相手の文房具を隠したり机のうえに落書きしたりと、いずれも幼稚なイタズラばかりだった。
地底人を調べに裏山に入っていくタクの無邪気さと、もしかしたら通じるものがあるのかもしれなかった。
サエキ先生の説明が終わり、ホームルームが終了した。タクは、サワ・チカが寄り道の件をサエキ先生に質問するのかと思ったがそれはなく、生徒達は帰り支度をはじめていた。
金曜日 放課後
タクとシマオはいつもどおりいっしょに教室を出ようとしていた。
「タク、さすがに今日はまっすぐ帰るろ?」
「けっこう大事になったきにゃあ。しばらく裏山には行かんわ」
そういったタクは、帰り道でシマオに、昨日と今日のことをこまかく説明しようと思っていた。
「あ、イシカワくん! ちょっと」
教室から出ようとしていたタクを、サエキ先生が呼び止めた。
「校長室でのことは、イシカワくんのお父さんとお母さんにも、先生からあらためて話しておくよ。クラスのみんなに話したから、そこから話があちこち広がって、また事実じゃないことが、お父さんとお母さんの耳に入ったらやっかいだからな」
「わかりました。それじゃあ先生、さようなら。また来週」
タクは挨拶して教室を出ようとする。
「あと、もうひとつ!」
サエキ先生はふたたびタクを呼び止めた。
「白状すると、オレなあ、もちろん地底人なんているわけないと思ってたんだ。タクも知ってると思うけど、ほとんどのおとなはみんなそう思ってる」
タクは、サエキ先生がなにをいおうとしているのかわからなかった。ただ、自身のことを〝オレ〟といい、タクのことをイシカワくんではなく〝タク〟と呼んだのは、これがはじめてだった。
ただし、〝オレ〟といったのはこのときだけで、あとはいつもどおり自分のことを〝先生〟といった。
「先生は、大学で地学が専門だったんだけど、地球とか天体のこととか勉強するんだ。空のうえにはなにがあるとか、海のなかとか土のなかはどうなってるとか、それこそ地底人がいるかもしれないとか、そんな純粋な〝動機〟がすべての根底にあるんだ」
このとき、サエキ先生はとても照れくさそうな顔をした。タクにははじめてみる先生の表情だった。
「いや、だからつまり、地底人がいるとかいないとかよりも、興味を持って進むことで可能性が広がるというか、『地底人はいないからもうさがすのやめます』じゃあ、たぶんいろいろなものを捨てちゃう気がしててなあ。もちろん、寄り道をすすめてるわけじゃないけどな。ちょっと説教くさかったかな」
「先生がいいゆうこと、ちょっとむつかしいけど、なんとなくわかった気がします」
タクは少し悩んだあとでそうとこたえると、あらためて挨拶をして教室をあとにした。
「おい、タク! サエキ先生って意外とえい先生かもしれんにゃあ」
シマオがポツリといった。
「イケメンで標準語の〝カッコしい〟やと思うちょったけど、それだけじゃなさそうやにゃあ」
タクもシマオと同じく、サエキ先生に好感を持ちはじめていた。好感を持てば、当然いろいろ知りたくなってくる。
「カノジョとかおるがやろうか?」
タクがシマオにいった。
「あのルックスやったら、そりゃおると思うで」
「こっちに来て知りおうた、コウチの人やろうか?」
タクがまたシマオにきいた。
「いや、たぶん東京におるで。いまは離れちゅうけど、そのうちコウチに呼び寄せるがやないろうか」
「なんでそう思うがで?」
「カノジョがコウチの人やったら、いまだに標準語で話しゆうがはちょっとヘンやろ」
シマオがドヤ顔をした。
「シマオ、おまえ、ほんまにそういうのはよう見ちゅうねや」
タクがいうとシマオが笑った。そしてタクも笑った。
やがてタクとシマオは、裏山の入口に続く道がある並木交差点にさしかかる。タクはここでシマオとわかれて、裏山には入らずに、そのまま自宅マンションへ向かった。
タクがマンションの近くに来たとき、向こうから知った顔の女の子が歩いてきた。地元のヤマギワ小学校には行かず、国立大の付属小学校に通っているヤマシロ・ココネだった。ご近所さんなので、ひんぱんに会ってもよさそうなものだが、同じ小学校に通っていないせいか、あまり出くわすことはない。
久しぶりだったこともあり、タクは驚いてしまう。タクの母親の話だと、付属小学校に通うようになってかなり〝お姉さん〟になっているとのことだったが、なるほど、落ち着いた美少女という感じに見えた。
「ああ、ひさしぶりやねえ」
すれ違うときに、平静をよそおって声をかけたタクだったが、内心はドキドキしていた。というのも、タクよりも身長が高くなっていて、ものすごい年上に見えたからだ。
「タクくん、いま学校から帰りゆうところ?」
「うん、そうなが。ココ…ヤマシロさんは?」
小学校低学年までは、お互いの家を行き来して遊んでいて、そのときタクは〝ココちゃん〟と呼んでいた。しかし、タクよりも背が高く、〝お姉さん〟になったココネをそう呼ぶには違和感があったし、久しぶりだったので遠慮があった。
「私? これから塾なが。そういえば、お母さんがいいよったけど、タクくんも同じ塾に行くがやろ?」
タクの母親とココネの母親はいまだに付き合いがあるため、タクの母親が話をしたのだろう。
「そうやけど。ヤマシロさんもキタホン町の塾なが?」
「うん、そう。4月から行きゆう」
塾の話はともかく、タクは気になっていたことをたずねる。
「すごい大きゅうなっちゅうね。びっくりや」
「そうなが。女の子は成長がはやいゆうて、お母さんがいいよった。タクくんも、すぐに大きゅうなるよ。それより、行方不明のおじいさん見つけた話、聞いたで。なんか、地底人? やと思うたら、おじいさんやったいうて。意味わからんかったけど、えいことしたがやろ?」
ココネはそういうと、タクに向けてニコっと笑った。
「裏山に地底人さがしに行きよったことがあって、それでたまたまおじいさんがおったがよ」
「裏山に地底人さがしに行く? ますます意味わからんなったわ。でも、タクくん、妖怪とか宇宙人とか好きやったもんねえ。そんなにおもしろいんやったら、こんど私も連れて行ってえや?」
すっかり〝お姉さん〟になったココネにバカにされるかと思っていたタクだったが、裏山に連れて行ってくれといわれて、どう返事していいかわからない。
「いや、裏山にはもうしばらく行かんと思うがよ。それに、たぶん来月から塾に行くと思うき」
「ああ、そうながか」
本気で残念そうなココネを見たタクは、さっきとは少し違う種類のドキドキに襲われる。
「でも、勉強で忙しいがやろ? 中学受けるろ?」
そして裏山とは関係ない中学受験のことをきいた。
「たぶん、受けると思う」
「ヤマシロさん、勉強できるがやろ?」
「どうやろ? ねえ、またまえみたいに遊びに行ってもえいろ?」
ココネからの予想外の質問だった。
「もちろんえいよ。またいっしょにゲームしようか」
タクのドキドキはさらに強くなる。
「そのまえに、来月から塾で会うねえ。おんなじクラスやったらえいのにねえ。ああ、もう行かんといかん。じゃまた。バイバイ!」
「うん、また今度!」
ひさしぶりにココネと話せたことで、タクは有頂天だった。タクはココネに、小学校低学年のときには感じたことがなかった感情を感じていた。
一方のココネは、外見はかなり〝お姉さん〟になっていたが、小学校低学年と変わらない雰囲気で、タクはそのことがいちばん嬉しかった。
金曜日 夜
この日、夕食をすませたタクと両親は、夕食の後かたづけも終えて、リビングでくつろいでいた。すると昨日と同じく夜8時ごろに、町内会長と例の和服のおばあさんがやって来た。昨日は慌ただしかったので、あらためてお礼に来たらしかった。
タクには学校でお礼をいったが、タクの両親にはまだだったということでたずねてきたようだ。
タクの両親は、町内会長と和服のおばあさんをすぐに招き入れたが、昨日とはうってかわり、和やかな雰囲気だった。
タクもリビングにいて、おとなたちの会話を聞いていた。
じつは、タクは今回の件で疑問がまだ残っていた。おじいさんが、悪い連中に捕まったとか、悪い連中から逃げているとかいう話をしていたが、あれはなにを指しているのか。
そのことが、どうしても気になっていたタクは、おとなの会話に割って入り、和服のおばあさんにたずねてみた。
町内会長と和服のおばあさんは、お礼をいいに来ただけで、タクの両親との話は、いうなれば〝社交辞令〟的なものだったから、タクも遠慮することなく会話に割って入ることができた。
「だれかに捕まっちゅうとか、追いかけられたとかは、たぶん病院の人らのことやないですろうか。〝白い部屋〟におったいう話は、病院のことですろう。病院の人らが〝捕まえた〟事実はもちろんないがですけど、本人にしてみたら、悪い人らに捕まったと思うたがやないかねえ。ボケたら〝被害妄想〟が出てくることがあるいうて、お医者さんにいわれちょったきねえ」
和服のおばあさんが、タクに丁寧に説明した。
「それを、タクが本気にして、タケザキさんが地底人から逃げてきたかもしれんと思うたわけか」
タクの父親が、タクを見ながら嬉しそうにいった。
「それとねえ、学校でタクくんにお礼をいうたあと、また病院にもどって、主人の病室におったがですけど、私がその話をしたら、なんや、タクくんにわたしてくれいうて、手紙を受け取っちゅうがよ」
そして和服のおばあさんは、持っていた手さげ袋から一通の封筒を取り出した。
「私らがここに来る少し前に書いたみたいで、なかは見るないうていわれちょって、封がされちゅうがよ。まあ、タクくん宛やから見るつもりもなかったけどねえ」
和服のおばあさんはそういうと、封筒をタクに手わたした。
「たぶん、今回のお礼が書かれちゅうと思うが。本人はいま入院中やきね、直接おうていえんろ」
そして、町内会長と和服のおばあさんは帰っていった。タクはそのあと、父親といっしょに風呂に入る、いつもどおりの日常だった。おとなしく自分の部屋で宿題をしたり、リビングに出てきてゲームをやったりした。
昨日の夜から今日にかけて、非日常のことがとてもいそがしくてあわただしかったため、いつもよりもはやく布団に入った。おそらく、すぐにぐっすり眠ってしまうだろう。ふすすまをへだてて聞こえてくる両親の話し声も、今日は聞かずに眠ってしまうかもしれない。
そう思いながら眠りそうになっていたとき、タクは和服のおばあさんからわたされた手紙のことを思い出した。きっと、杓子定規なお礼の言葉が、小学生にもわかりやすく書きつづられているのだろう。和服のおばあさんもそういっていた。
内容がわかっていたため、すぐに見たいという気持ちにはならず、机のひきだしのなかに入れておいた。しかし、内容がわかっているとはいえ、明日にのばすと、存在自体を忘れそうだ。
タクは、布団から起き上がり、部屋の明かりをつける。そして机のひきだしから封筒を取り出した。あらためて見ると、一般的なタテ型の白い封筒だ。タクに手紙を書くために買ったのだろう、真新しい。そして封筒には〝イシカワ・タクさま〟という文字。
さすがは昔、教頭先生というだけあって達筆というか、とても読みやすくてキレイな楷書だった。タクは慎重に封をハサミでカットする。なかには便箋が一枚入っていた。
便箋を取り出して広げたタクは、びっくりしたと同時に、おかしくて声を出して笑ってしまった。布団に入っていたと思っていた息子の笑い声が急に聞こえてきたため、タクの両親が驚いてふすまを開けたほどだ。
手紙には、これまたキレイな楷書でこう書かれていた。
『拝啓 今日、思い出したが、ワシはほんとうは地底人や。まさか小学生ごときに見破られるとは悔しくてならん。退院したら、かならずやタクのところに行って、力を見せつけるつもりや。それまで元気で学校にいくがよし。 裏山の地底人より』
さらにボケが進行したのか、それとも冗談のつもりかわからなかったが、手紙を読んだタクは、おじいさんが入院している病院へ、明日にでも見舞いに行こうと思っていた。




