気候変動対策と経済成長
時々、勘違いをしている人がいるので、一応、最初に断っておきます。地球温暖化というと、単に地球の温度が上がるだけが問題だと思っている人がいるようですが、実際はそれだけじゃありません。地球の大気組成が変わる事で起こる、大幅な気候変動の全てが問題なんです。だから、ここではタイトルを気候変動としてみました(誤解を避ける為に、こう表現してある場合も多いみたいですし)。
今回は、よく誤解されている(と僕が思っている)この辺りの話題を中心につらつらと語ってみたいと思います。
じゃ、ちょっと説明を。まずは地球の熱移動のお話から。
熱の移動は、対流、伝導、放射の三種類で行われます。この内、対流が地球規模の熱移動で一番重要な現象になります。対流ってのは、全体を平均化しようとして、温かい水や空気が冷たい場所に流れ、反対に冷たい空気や水が温かい場所に流れる事で起こる現象ですね。お風呂のお湯でも起こりますが、これが地球規模でも起こるのです。地球全体の温度を平均化しようとして。
赤道で温められた大気や海水が、冷たい極地(北極、南極)を目指して移動する。大気や海水は極地で冷やされ、熱を放出、今度は逆に赤道を目指して移動します。これが、”風”や”海流”の正体です(厳密に言えば、これだけじゃありませんが)。日本を基準に説明すると、赤道から北極へ空気が移動すれば、南風になります。言うまでもなく、夏に吹く風です。反対に、北極から赤道に空気が移動すれば、北風になります。冬に吹く風ですね。
さて。この対流は、時間が経つと安定しあるパターンに落ち着きます。日本に吹く季節風は、そのパターンの現れの一つです。しかし、ここに何かしら大きなインパクトがあれば、このパターンは必然的に乱れます。例えば、二酸化炭素やメタンガスが大量に大気に流れて、大気の組成が大幅に変更されるだとか。
こうなると、もう何が起こるのか分かりません。全体を見れば温暖化するのは簡単に予想できますが、局所的には却って気温が下がるかもしれないし変わらないかもしれない。夏に北から風が吹き、冬に南から風が吹く、なんて可能性もあるのです(というか、実際にありましたね)。また、降水量だって予想ができません。豪雨になるかもしれないし、日照りになるかもしれない。当然、農業を行うのは極めて難しくなります。これが、まだ一定の変化なら対応が可能ですが、今年は寒くても来年は暑くなるかもしれないって感じで気候変動の予測は不可能なので、それもままならない(カオス理論によって、こういう場合の予測が不可能である事は証明されていたりします)。場合によっては、餓死者が出るレベルに達する可能性すらあります。
因みに、砂漠地帯が広がって、今まで雨が降っていた地域に雨が降らなくなる、なんて予想をしている人もいます。こうなると、例え安定したパターンになっても、生活は困難になります。また、海流が変化する可能性もあります(その影響で、氷河期が来るなんて説もありますが、どうなのでしょうかね?)。海流は液体な分、大気よりも変動し難いですが、その分変動されるとその影響力は大きくなります。
もちろん、それほど大した事態にはならないのかもしれません(と、こう書いてしまうと、既に気候変動によってかなりの死者が出ているので不謹慎になります。実はもう大変な事態になっているのですね)。特に、日本は海に守られていますし緯度的にも恵まれているので、他の国に比べれば比較的気候は安定する可能性はあります。しかし、それは飽くまで楽観的な見通しに過ぎません(もちろん、日本だけの問題でもありませんしね)。ならなかったらラッキーくらいに思っておいた方がいい。つまり、危険の大きさを考えるのなら、気候変動を防ぐ為に何らかの対策を講じておいた方が良い、という話です。ならなかったら、ただそれだけですが、もしなったらとんでもない規模の災害が起こるのだから、当たり前ですね。
結論から考えコスト分析した上で適切な行動を決断するというのは、思考テクニックの一つで、基本的なものです。対策するのは無駄だ止めろ、と訴えている学者がいたりしますがどうしてなのか僕には分かりません。こういう考え方を知らないのか、或いは知っていて、なお、何らかの理由で知らない振りをしているのか。
さて。では、その為の具体的な方法を考えてみましょうか。
気候変動の主な要因には、メタンガスや二酸化炭素が上げられます。これらの気体の、大気中の量を減らせば良いのですね。しかし、メタンガスはエネルギーとしての利用が可能である点を考慮するのなら(利用する事ができず、大量放出してしまう心配もありますが)、一番の問題は二酸化炭素です(メタンガスをエネルギー利用すると、二酸化炭素が出るのです)。そして、その方法には二つの方向性があります。炭素を何からの手段で固定するか、排出量を減らすかの二つですね。
このうち、炭素の固定からまずは見ていきましょうか。
炭素の固定と聞いて、まず思い出すのは森でしょう。森ができれば、そこに存在する炭素分の二酸化炭素を減らせます。森には二酸化炭素吸収力がない、なんて馬鹿な事を主張している知識人がいるのには驚きですが、間違いなく森は二酸化炭素を吸収します。もっとも、無限に吸収できる訳ではありません。森が成長し切ってしまえば、吸収量と排出量は釣り合います(吸収力がない、と主張している人は恐らくこの点を勘違いしています)。つまり、バケツのようなものです。既に満杯のバケツに更に水を入れれば、入れた分だけこぼれますが、それでもバケツの中に水は存在しています。10リットル入りのバケツならば、10リットル水が入っています。もしも、まだ水を入れたいのならば、バケツを大きくするしかありません。森と二酸化炭素にも全く同じ関係が成り立ちます。更に二酸化炭素を吸収させたいのなら、森を大きくするしかないのです。同じ大きさのままでは、同じ量の炭素しか保持できません。当たり前の話ですが。
この話を踏まえた上で、更に踏み込んで考えてみましょう。
炭素を何らかの形で使用できさえすれば二酸化炭素を吸収できる、という事をこの事実は意味しています。ならば、炭素を使った建造物や製品を増やせば、人間社会に炭素を固定でき、二酸化炭素をその分減らせるという事になるはずです。例えば、既に成長し切った木を切って、木造建築物を建てたとします。そして、木を切った後には苗木を植え、森の新陳代謝を促します。すると、人間社会と森にそれぞれ炭素を固定した事になり、ただ森を存在させるよりも多くの二酸化炭素を固定できます。もっとも、それにかかるエネルギー消費に伴う二酸化炭素排出量を考えれば、排出量の方が多くなりますが(自然エネルギーを利用できれば、この限りではありません)。
もちろん、木材以外にも炭素の固定方法はあります。炭素は原子の中で、もっとも応用範囲が広いのです。ダイヤモンドが炭素でできているのはよく知られた事実でしょう。化学で共有結合というものを習ったと思いますが、炭素にはこの共有結合の為の腕が4本もあり、それが多種多様なパターンでの結合を可能にし様々に変化できるのです。ナノテクノロジーで、中心的に使われているのも炭素です。炭素を利用した素材を開発し、それを大量に使用すれば人間社会に炭素をより多く固定できます。
では、それらの試みで固定できる量ですが……、二酸化炭素を減らすのに必要な固定量は何億トン単位なのに対し、今現在の炭素利用量は100万トン単位なので(日本での数字です)、実はごくわずかです。これを、どれくらい増やせるのかは分かりません。それでも、やらないよりは良いですが、決定的な効果は望めないと思ってください。例え炭素を利用した素材を多く開発したとしても、その製造過程で二酸化炭素を多く排出すれば意味がないって話もありますし。
これを踏まえると、かなりの規模(もしかしたら、熱帯雨林規模)の森林を増やせなければ、今の気候変動問題は解決できないと思っておいた方が良さそうです。化石燃料に含まれる炭素を、それくらい人間は排出しているのですね。森の存在意義は二酸化炭素の吸収だけではないので、それでも保持と拡大は重要だと思いますが。
では、他に何か方法がないのかと言えば、実はあります。
海底にはメタンガスがあります。メタンガスは資源ですから、そこからエネルギーを得られます。その得たエネルギーの一部で、二酸化炭素をメタンガスの代わりに海底に送ってやるのです。深海の高圧力低温下では、二酸化炭素は水分子と結合して二酸化炭素ハイドレートとして固定されるので、大気中への排出量を減らせます。
ただし、この方法はコストや技術上の問題、またエネルギー資源消費を早めてしまうといった問題点があるので、やはりそれほど期待できないかもしれません。
では、次に排出量の削減の観点から考えてみましょう。
排出量を削減するのに、まず思い付くのは自然エネルギーの利用でしょう。太陽光、風力、水力等ですね。今回は、この内、風力と太陽光に注目してみます。
風力発電は、自然エネルギーの中では採算性が高いと言われています。しかし、その反面、安定して適した風が吹く地域でなければ活用が難しいといった問題点があります。風力発電はヨーロッパで発達しましたが、ヨーロッパは気候的に風力利用に適しているのです。実は風力発電は強風に弱いので、台風の通り道である日本にはあまり適していません。強風で破損したケースなんかも既にあります。もちろん、それでも利用可能性はかなり高いです。もっとも、僕が参考した本は、少し古いので今はもう解決されているかもしれませんが。
次に太陽光発電、つまり太陽電池を説明します。
太陽電池は採算性で見れば、風力発電に劣りますが、エネルギー効率ならば見逃せません。例えば、植物の光合成の太陽光利用効率は1%なのに対し、太陽電池では高価な物で40%、安い物でも10%から20%と桁違いに高いのです。光合成を利用するバイオエタノールの場合、収穫に使われるエネルギーを引かなくてはなりませんし、化学エネルギーに変換する過程でエネルギーが失われるので、恐ろしく効率が悪いと言わざるを得ません(生ゴミを利用する場合は、また事情が違ってきますが)。土地の狭い日本で行うのなら、太陽電池を利用した方が得です。太陽電池は、風力発電と違って、日光が当たるのなら凡そ全ての場所で利用が可能でもあります。つまり、規模を大きくし易いのです。
また太陽電池は再利用効率が高い点も見逃せません。太陽電池の本体は半導体です。半導体というのは、電気を通したり通さなかったりする物質で、鉱石のようなものだとイメージしてください。鉱石ですから、かなりの年月壊れないのです。という事は、作れば作るほど量が増え、再生産のコストが減るのです。これは、資源のない日本に資源を創造させているようなものです。更に、太陽電池の原料は、無尽蔵に存在します。風力と違って、日本の太陽電池の技術力は、世界でもトップクラスという点も経済的には重要になってきます。
以上の理由から、僕は自然エネルギーの利用は、太陽電池を中心に推し進め、同時に風力や小規模水力発電の利用を行っていくべきではないか、と考えています。
因みに、太陽電池をゴビ砂漠の半分の面積に敷き詰めれば、世界中のエネルギーを賄う事が可能らしいです。ただし、それでも、蓄電できなくては供給できないという問題がありますし、それに、日本の場合は面積が小さいので全部を賄い切れないでしょうが(海洋を利用できれば、その限りではありません)。
次に、エネルギーの節約による二酸化炭素排出量削減の説明をします。
エネルギーを節約できれば、当然、二酸化炭素排出量を減らせます。もちろん、人間が贅沢をしなければそれで節約できるのですが、それでは芸がないので、もう少し深く考えてみましょう。
まずは省エネ技術から。
有名な省エネ技術にヒートポンプというものがあります。これは、熱を発生させるのではなくて、熱を移動させる事で、暖房や冷房を行おうというものです。外気温が10度で部屋の中の気温が10度だったとします。ヒートポンプを利用して部屋を3度暖めたいと思ったなら、外から温度を3度奪って、部屋の中に移動させます。外気温が7度になり、部屋の中の気温は13度になります(便宜上、体積の差を無視しています)。これと逆の事をやれば冷房も可能です。
この方法は、エネルギー消費量が少ないので、二酸化炭素排出量削減効果があります。既に、かなり普及し始めている技術です。エコキュートとか、聞いた事がありませんか? 「空気の熱で湯を沸かそう」とかいうキャッチフレーズでCMが流れたりしていますが、そのエコキュートはこの原理を応用していたりします。因みに、日本の火力発電所は大変にエネルギー効率が良いのですが、それにもこの原理が応用されているらしいです。
この方法は、温度が安定している空間があれば利用し易いのですが、それには地下室が適しています。その為、極寒地帯などでは地下室利用が有効であると考えられています。日本は、元からヒートポンプに適した気候らしいのでメリットがどこまであるのか分かりませんが(だから、日本でこの技術は発達したと言われています)。
もう一つの省エネの代表例は、燃料電池があるでしょう。
燃料電池というのは、水素と酸素が結合する際に出るエネルギーを電気エネルギーとして利用しようというものです。電池って名前がついてますが、発電機ですね。水素さえあれば、排出するのは水だけなので、極めてクリーンです。しかし、その肝心の水素は天然にはほとんど存在しません。更に、電気エネルギーで水素を生産して、燃料電池で利用、という流れは非常に効率が悪いのです。ただし、水素ではなくてもメタンガスなどでも代替が可能なので利用価値はありそうですが、その場合は、二酸化炭素を排出してしまいます。しかし、発電の際に発生する熱を利用できれば、エネルギー利用効率は優秀です。燃料電池は小規模でも利用可能なのでビル等に設置し、発生する熱を同時に冷暖房等に利用する方法が主流です。
これも、既に利用が開始されています。エネファームとかですね。
ただ、この燃料電池にはその効果を疑問視する声も上がっています。元々、土地が広すぎて、配電の過程で大幅に電力が奪われるアメリカで注目された技術で、土地の狭い日本には適していないというのです。僕は何冊か、燃料電池に関する本を読みましたが、少なくともマスコミで喧伝されている程の効果はないと思っておいた方が良さそう、という結論に至りました。飽くまで、僕の判断ですが。
技術関連から、省エネを見てきましたが、エネルギーを節約する方法は技術ばかりとは限りません。社会制度や、情報技術を応用したシステム革命でも省エネを実現できます。
インターネットを利用した情報技術で、流通体制を簡略化すれば、流通過程で発生するエネルギーを節約できます。また小売業の役割に、消費者の需要を生産者に伝えるというものがありますが、複雑な流通体制の所為で、需要が正しく伝わらず、結果的に無駄な生産を行ってしまうという現象があるそうです。簡略化できれば、この無駄を減らせます。また、予約販売を基本とする体制を作り上げられれば、更に需要予測は正確になり、無駄を省けます。
無駄な生産物は、無駄な流通コストと廃棄コストを発生させます。なくせれば、かなりの社会負担軽減にもなるでしょう。
実は、インターネットの登場で、既にこの現象は起きています。しかし、まだ改善の余地はかなりあると思って間違いありません。国が積極的に推し進めれば、実現は比較的楽なのではないか、とも考えられます。
大気中の二酸化炭素を減らす視点からばかり考えてきましたが、気候変動を覚悟した上で安定した食料生産を行うという意味では、野菜工場という手段も存在します。室内で、環境をコントロールできるので、気候変動の影響を受けないのですね。立体的に空間を利用できるので、面積を効率良く使えるというメリットもありますし、ビル等でも可能な為、都内でも生産でき販売までの流通を省略することができます。コマツナやホウレンソウ、サニーレタスといった葉物などには適しています。
さて。これらの事を、充分に行えば、恐らくはかなりの二酸化炭素削減が達成できるはずです。増加は抑えられないかもしれませんが、緩やかにする事は可能です。では、もしこれらの対策を行った場合の経済への影響はどうなのでしょう?
環境問題対策の経済への影響に対して、全く正反対の二つの意見を耳にします。
・環境問題対策は、経済を悪化させる。
・環境問題対策は、経済を成長させる。
一体、どちらが本当なのでしょうか? 実は、どちらも正しいのです。つまり、やり方によっては経済を悪化させもするし、好転させもするのです。もちろん、好転させた方が良いのは言うまでもありません。
では、これからその方法を説明します。
と、その前に、経済の話をしなければ、理解ができないと思うので経済の話からしましょう。
経済を好転させると言うのは、GDPを増加させる事を意味します。GDPとは国内総生産のことで、これは生産活動(サービスも含めます)による付加価値の合計です。簡単に例を出して説明しましょう。
国民全てが、農業で米を生産していたとします。1億円分生産していれば、GDPは1億円です。ただし、もし仮に、肥料や燃料を海外から輸入していたとしたら、その一億円からその分のお金を引かなくてはなりません。
また、ここで稼いだお金は、全て使われる訳ではありません。何割かは貯金されるはずです。貯金されると、その分のお金は使われない事になります。すると、困った事態になります。米を作ってもその貯金分は売れなくなってしまうのですね。これは、つまりは不景気です。売れない分の失業者が発生する事になります。ですが、ここでその貯金を何かしらの投資に回し、その結果として新たな産業が興るのであれば、お金の使い道が増え、そこに新たな雇用が発生し、問題は解消します。もちろん、GDPは増加しています。
高度経済成長期の日本では、この流れがスムーズに起こっていました。しかし、時代が流れて物が溢れ始めると、新たな産業はなかなかに誕生し難くなります。すると、貯金が投資に回らなくなります。経済成長は鈍り、失業者が現れ始めます。
では、この状態を国はどうやって解決したのでしょうか? なんと、この余った貯金を国が借りて使い、経済発展を維持しようとしたのです。ところが、国にはお金を使う以外の意図があまりありませんでした。新たな産業を興そうとも思っていないし、採算性もあまり考えなかったのです。結果的に、ただの巨大な釣堀になってしまった港や、客の来ない空港や、何十年経っても工事が終わらないダムや、客の入らない遊園地や、使用されない道路なんかが乱立したのです。もちろん、これでは短期的な効果はあっても、長続きはしません。しかしそれが分かっても、国はそれをやめませんでした。そこから利益を得ている官僚や政治家や企業が圧力をかけて、それを存続させたのです。民主主義では、国民に権利が与えられていて、こういう悪政を止める責任があるのですが、国民の多くはこれを放置し続けました。結果的に、国家破産が懸念される程の、膨大な額の借金が積み上がってしまったのです。
更に、国が国民の貯金を借りて使い続ければ、当然、民間はそのお金を借りられなくなります。すると、技術的には新たな産業が興せたとしても、日本ではそれが起こりません。民間に資金が回らないからですね。しかし、民間にお金を効率良く回した海外では、新たな産業が起こっています。iPadや、iPhone、またはGoogleなど。主にアメリカですが。ただアメリカにはアメリカの問題があります。家電や車などの製造業の衰退や、極端な所得格差(この所得格差の大部分は、金融経済によるもので、実力主義とは別物と捉えるべきです)、そして投資動向で大きく状況が変化する不安定な経済。決して、称えるべきものではないですが、しかし、それでも見習うべき点があるのは事実です。また、企業に資金を回し続けている中国や韓国の発展も目覚ましいものがあります。ただ、ここにも散々指摘されている通りの問題点がありますが。ただし、新たな産業が興っていますが、その代わりに、別の産業が衰退しています。例えば、インターネットの普及により、音楽CDの販売量は減りました。また、今後電子書籍が増えれば、間違いなく出版業界を圧迫します。電子書籍は、本よりも安価ですから、その分でも失業者を多く出す事態を引き起こしかねません。
さて。経済を成長させる為には、通貨の循環量をどうやって多くするかといった点にあります。それが、この話の骨子です。つまり、環境問題対策で経済を発展させるには、通貨の循環量を多くするような方法を執れば良いのです。例えば、同じ環境問題対策でも、生産量を減らせば二酸化炭素を減らしますが経済を後退させます。しかし、太陽電池を生産すれば、生産した分、経済は発展するのです。ただし、その生産する分のコストを企業負担にしてしまうような事をすると、生産物の価格に上乗せされ、成長を妨害する恐れがあります。特に、国外企業との競争には、圧倒的に不利になるでしょう(日本は資源のない国なので、ある程度の国際競争力は維持しなければならないのです)。この点から、環境問題対策は、最終的な消費者の支出にするべきだ、という結論が見えてきます。
そして、これを行うには失業者が存在する事が前提になります。何故なら、失業者とは余っている労働力だからです。労働力がなければ、生産活動など行えるはずがありません。だから、今の失業者が多くいる時代は、環境問題対策を進めるチャンスだとも表現できます。具体的には、この様な方法が考えられます(僕が通貨循環モデルを説明する際に、以前にも使っているものですが)。
太陽電池設置に関する料金の支払いを、公共料金として法律で義務付けます。
初めの一回は、その料金は通貨を発行して賄い、二回目以降は料金を取ります。
低所得者には負担が大きくなるので、免除するべきでしょう。
仮に、1人年に一万円払うとすると、約1兆円、通貨の循環が生まれます。
これは、GDPが1兆円増える事を意味します。
個人の支出が増えますが、その分収入も増えるので大きな問題にはなりません。
1人の平均年収を、500万円にすると、これで20万人分の雇用を創出できます。
非常に大雑把な計算での説明ですが、この場合は、環境問題対策で経済が成長しています。
ここでは国外を無視していますが、支払われた通貨の一部は、海外に流れてしまう点は注意してください。例え、国内で雇用を生み出す企業限定にしたとしても、原材料を購入する必要から、どうしてもそれは避けられません。ただし、今(2010年6月現在)は致命的な問題点にはならないでしょう。経済が萎縮していた分が回復する波及効果もありますし、それに国外から入ってくる利益はまだ大きくプラスです。また、長期的視点に立てば、太陽電池はエネルギー自給率を上げるので、原材料費を差し引いても、国内利益の向上に繋がります。
また、「初めの一回は、その料金は通貨を発行して賄い、二回目以降は料金を取ります」という点に注目してください。今までの経済の常識では、こんな事をやれば通貨価値が下落し、物価が上昇すると考えます。しかし、ここではそれは起こりません(もっとも、経済が萎縮していた分が回復する、健康な物価上昇ならば起こります)。何故なら、新たに発生する通貨循環量だけ通貨を発行するからです。通貨需要量の増加と通貨供給量の増加を同時に行うので、通貨価値は変わらないのです。もっとも、労働力が余っていなければこの方法は使えませんが。
さらに、ここで注目すべきなのは、「個人の支出が増えますが、その分収入も増える」という点です。”収入も増える”とは、企業の側から観るのなら、人件費の上昇を意味します。これは、国際競争力の低下を意味します。商品の単価が上がるからですね。つまり、これは経済発展を阻害します。さて、この問題をどう解決しましょう?(無理矢理に人件費を低く抑える方法もありますが、その場合、内需が下がります。外需主導でいくのなら、良いかもしれませんが、それはつまりは格差社会です。少なくとも僕は反対です)
方向性は、大きく三つ。
一つ目は、円安を目指す。
円安を実現できれば、輸出に有利になり、人件費が多少上がっても問題になりません。
二つ目は、生産効率を上昇させる。
一人分の人件費が上がっても、その分、生産効率を上昇させれば問題になりません(ただし、これは新たな失業者を生みます。例で出した方法を実施すれば吸収できますが)。生産効率を上昇させる余地は、企業の努力の範囲では限界に近いかもしれませんが、社会がバックアップすればまだ可能です。前述しましたが、インターネットなどのIT技術を駆使して、生産流通体制を簡略化すれば、生産効率は上昇します。
三つ目は、コストダウン。
これも前述しましたが、同じ様にIT技術を活かし、予約を中心にすればより正確な需要が把握でき、無駄な生産活動を抑え、在庫を抱えるコスト、また廃棄に関わるコストを減らせるので、企業を支援できます。また、この方法で生産量を減らせば、その分の二酸化炭素排出量を減らせます。ただ、この方法はコストダウンした分、生産量が減ります。つまり、GDPが減ります。ゴミなんて誰も欲しがらないので、減っても構わないGDPですが、やはり失業者を生みますし、税収も減ります(ただし、廃棄に関わる税支出は減ります)。減らした分、何かしらで新たに生産活動を行うべきかもしれません(ワークシェアリングという手段もありますが)。二酸化炭素を減らす類の生産活動にするのなら、当たり前ですが、更に二酸化炭素を減らせます。
また、上記で開発した太陽電池を国内工場(農業、漁業などを行うエネルギー源にもするべきかも)などに当ててやれば、やはりコストダウンになります。しかし、公共物を民間に使用する点で批判を招く恐れがありますが。普通に考えれば、国の施設に設置し、財政状態を軽減すべきかもしれません(ただし、充分に太陽電池が普及した状態ならば、この限りにあらずですが)。
今までの経済の常識では、コストはイコール悪でした。それは労働力が足らない状況下においては、真実です。資源の問題を無視するのなら、コスト=労働力だからです。できるだけ、コストを節約する方が、生産性が上がります。しかし、労働力余剰の状況下ではこの限りではありません。環境問題対策の為の自然エネルギーはコストがかかりますが、そのコストはそのまま雇用を生みます。そして、雇用は消費を生み、そこに新たな通貨の循環が生まれ、経済発展に繋がります。もちろん、国外に目を向ければ、前述した通りにコストを削減しなければならない面も出てきますが。
つまり、環境問題対策による経済発展は充分に可能なのです。また、財政赤字が酷い昨今、経済発展により借金を返さなくてはならないのは目に見えています。つまり、環境問題対策を抜きにしてもこれは必要なのです。
経済成長による人件費の増加、それによる国際競争力の低下は、実は僕はそれほど恐れてはいません。短期的には、問題になるでしょうが、日本でこの方法が成功すれば、他の国もそれに習い、同じ様に人件費が増加するだろうと考えるからです。しかし、ここで別の問題が起こります。各国が経済成長すれば、当然ながら、資源が枯渇します。生物資源も、エネルギー資源も、その他、鉱物などの資源も。すると、資源の奪い合いが起こり、価格が高騰…… もっと、酷くなれば戦争に発展する可能性すらあります(今のまま進んでも、その事態はやがてやって来るでしょうが)。
これを防ぐ為には、生物資源においては、養殖・農業技術の発展。エネルギー資源においては、太陽電池などの持続可能エネルギーの発展。鉱物などの資源は、リサイクル技術の発展。などがどうしても必要になってきます。その方が、コスト面から観ても、安価に上がる時代がやってくる可能性が大きいのです。そして、それを考えるのなら、まずはエネルギーから、というのが僕の考えです。
今という時代は、全てを高エネルギーに頼っています(そもそも、産業革命以後の人間社会の急速な発展は、化石エネルギーの利用から始まりました)。農業ですら、高いエネルギーを利用し、生産を行っているのです。だから、もしエネルギーがなくなれば、間違いなく飢餓が起こります。そしてそれは、現実に起こり得ります。石油採掘は、どんどん深くなっています。つまり、間違いなく石油の埋蔵量は減っているのです。もちろん、採掘の深さが深くなればなるほど危険は増し、事故も増えるでしょう(実際、大事故が起きています)。すると、ますますエネルギー市場は不安定になります。エネルギー危機は確実に近付いています。そして、それは人類の危機でもあります。前述しましたが、もしエネルギーが枯渇すれば、その奪い合い、つまり戦争がほぼ確実に起こります。しかし、逆に言えば、エネルギーさえあれば、その危機を回避できるという事でもあります。他の生物資源や鉱物などは、エネルギーさえあれば何とかできるだけの技術力を、既に人類は備えているからです。
日本で考えましょうか。飽食の時代の嬉しい誤算として、日本の下水道にリンが大量に存在するという事実があります。窒素・リン酸・カリといって、リンは肥料の三大栄養素の一つなのです(DNAの原料ですね)。このリンを、日本は長い間、輸入に頼ってきました。ところが、このリンはやがて大量には輸入できなくなる、と言われています。しかし、日本の下水にはこれがあるのです。だから、それを再利用さえできれば、枯渇の問題をクリアできるのです。ただし、もちろんそれには、技術と労働力とエネルギーが必要になります。そして、この中で一番不足が問題になるのはエネルギーです。他にも同様の事がいえる資源がたくさんあります。
前述しましたが、太陽電池の原料は無尽蔵に存在するので、枯渇の心配はありません(半導体以外の部分で、多少の問題はありますが)。また、蓄積性があるのも説明した通りです。更に、太陽光が当たる場所ならばどこでも利用が可能なので、太陽電池を充分に作れさえすれば”エネルギーの奪い合い”という構図を避けられます。日本には、全てを太陽電池でカバーできるほどの面積が存在しませんが、海上を利用できれば有望です(これは、風力発電に関しても同じ事が言えます)。海上を利用する際の土台に、炭素を含んだ物質を用いるのなら、ある程度は炭素固定にも貢献できます。
因みに、もしもこれを実現できるのなら、国際競争力の低下はあまり問題になりません。国内で、ある程度の資源が確保できるからですね。
今は、人間社会内部での問題、紛争や経済問題などに労力注ぐ余裕のない時代です。その他の危機が、迫っている。それを考えるのなら、どうしても環境問題解決と経済問題解決を同時に行わなければなりません。そして、その為の方法は存在するのです。後は、人間が動きさえすれば、時代の流れを良い方向に持っていける。そして、それが実現できるかどうかは、もちろん、個人にかかっています。