カミキリムシ
「なんか俺、ハゲてね?」
朝起きて、洗顔する際に、鏡の前でふと思った。額の広さ。生え際が以前より後退しているような。そして何より両サイド。なんか産毛みたいな髪質で弱々しすぎる。
いや、しかし、髪が薄くなるには早すぎるって。・・・気のせいか。気のせいだ。そうだ、気のせいだ。
・・・と、いいつつも、俺の足は薬局に向かっていた。
「育毛・・・効果的・・・育毛・・・。なんでこんなに高いんだろう。」
『ドン!』
「あ、すいません。ちょっと探し物に夢中になっていて。」
「いえ、すいません。こちらもよそ見していたもので。」
ぶつかったのは、オレンジ色のワンピースを着た、美しい女性だった。
「何を探しているのですか?」
「・・・いや・・・その。」
女性は、僕の目を見てにこりと笑った。
「言って・・・欲しいなあ。」
笑顔の可愛さに、俺の心は打ち抜かれた。
「髪が薄くなっていることが気になっていて、育毛剤を探しているんです!」
まるで操り人形かのように、口が言うことを聞かなかった。
「あら。それだけの事?だったら、これを飼ってちょうだい。」
女性は手のひらを差し出すが、何も見えない。
「何も見えないんですけども。」
「まあね。ノミよりも小さい生き物なのよ。・・・これを頭の上に乗せて欲しいの。世話をしなくても大丈夫。普段通りの生活をしていれば、あなたの望み通りになるわ。」
「でも、見えない生き物をどうやって乗せれば?」
「だったら、私が乗せてあげる!」
女性が、俺の頭の上を、ポンっと叩いた。
「これで大丈夫。数日で効果が出ると思うから、一週間後に、またここで会いましょう!」
「あ、ありがとございます。えっと・・・お姉さん。」
「おほほほほ。お姉さんって!そうよね、言ってなかったわよね。私の名前は・・・目堂里美。」
「分かりました!ありがとうございます!目堂さん!」
手を振って別れる。去っていく、目堂さんからは金木犀の良い香りが漂ってきた。
―――――
「いや、なんか前よりもハゲてね?」
一週間後。鏡の前で呟く。
前よりも髪のボリュームが無くなっているような気がした。
「まあ、気のせいか。」
今日は目堂さんに会う日である。
綺麗で美しい女性なだけあって、服装もしっかりして、人生初めての香水を付けてから、例の場所に向かう。
「ごめんなさい!私、渡す生き物間違えちゃったの!」
既に、目堂さんは店内にいて、俺と目が合った瞬間謝ってきた。
「え、そうなんですか!」
「そう。あなたが飼っているのは『髪切り虫』で、これは若い人の髪の毛を食べて生きる虫で・・・。こっちが本物。これを頭の中で飼ってほしいの。」
目堂さんは、右手で俺の髪の毛を一回撫でてから、左手でポンと頭の上を叩いた。
「これで大丈夫!髪切り虫は回収して、合っている方を乗せたから!それじゃあ、また、一週間後!」
「あ、あの!!!」
俺は、去ろうとする目堂さんを呼び止めた。
「お時間ありましたら、この後、一緒にお茶しませんか?」
正直、髪のことなんかどうでもよかった。
あれから一週間。この女性のことが頭から離れなかった。
年上より年下派である。しかし、自分より年上であろうこの女性に恋してしまったのかもしれない。
自分が、分からない。
目堂さんはニコッと笑った。
「いいわよ。」
宙にも舞うような心持ちで、俺は目堂さんと歩いていく。
『コツッ』
「おっと!」
緊張からか、店内で一度躓いてしまった。
「大丈夫?」
「ええ。なんか、すいません。」
恥ずかしさのあまり、顔が熱くなる。
『ガコッ』
「うわっ!」
何かに滑ってしまったかのように、今度は尻もちをついて転んでしまった。
目堂さんは手を差し出して、俺を起してくれた。
「またすいません。なんか体が言うこと聞かなくて・・・。」
「あ!もしかして!」
『ツルッ・・・ドーン!』
今度は頭から転んでしまった。
意識が、遠のいていく・・・。
―――――
金木犀の香りがして、目が覚めた。
俺が寝ていたのは、病院の一室だった。
手足は思うように動かない。しびれる感じ。長期的なリハビリが必要なのかもしれないと咄嗟に思った。
「ごめんなさいね、私のせいで。」
なんとか動く首で横に顔を向けると、目堂さんがいた。
「あなたに渡したの、『転倒虫』だったわ!また間違えちゃった!・・・てへ!」
舌をちょこっとだけ出して笑う目堂さんは、今まで会った誰よりも可愛かった。
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