在不在
在不在が生死に直結すると認識するものがいるとしよう。
太陽が沈めば、太陽が死んだと大騒ぎする。月が昇れば、月が誕生したのだと大騒ぎする。神が岩山に御隠れになり、そして河のほとりで御生まれになる。今生の別れを嘆き惜しみ、今際の淵で儀式を執り行い、再誕の奇跡に咽び泣く。
それらを前にして、前近代的だとか、原始的な文化だとか、蔑みに染まった偏見を撒き散らし、ありもしないことをさも当然かのようにぺらぺらと捲し立てる。
知能は万能だから、想像力は無限だから。不可能を可能にし、今や神の座にも手が届きそうだ。我らは日々進化している。留まることを知らない進化の最前線にいる。底無しの知能と想像力を武器に、来るもの来るもの薙ぎ倒してきた。高尚なる我らにもはや敵などいない。あちら側かこちら側かでしか考えられない、目に見えるものでしか判断できない憐れな未開人とは違うのだ。
賢く分別に満ち溢れた我らは、喜々としてそれらをバカにし腐ってかかるに違いないが、我々はそれらと何が違うのだ?
何が違うのだ?