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相変わらずと言えば、相変わらず。
無感覚のまま、機械的に足を動かし続ける。
陽はすっかり昇り、山間に入った道を、下り、上り。
亀のような、というのも烏滸がましいほどの速度で。
脇から跳び出すものに、ほとんど本能だけで辛味の粉をぶつける。
山奥で接近してきた狼魔獣も、アヒイのお見舞いでそのまま逃げ去っていった。まあ、それほど空腹ではなかったのかもしれない。
一度脇の空き地に焚火をつけ、立ったまま焼いた肉で食事をしたが。
「ゲエエエエーー」
歩き出そうとしたところで、すべて嘔吐してしまった。
疲労しきった身体が、ついに食べ物も受け付けなくなったらしい。
しかしそれももう構わず、歩みを再開することにする。
足の感覚は、ほとんどない。
それでも不思議なことに、前進にだけは動き続ける。
とにかくただ、前に進む。
陽は中天に達し、下り始めた。
山間の道も、長い下り坂になった。
前のめりに躓かないよう気をつけて、慎重に足を運ぶ。ここで躓き膝をついたら、二度と身体を持ち上げられないかもしれない。
ぎこちない所作で、歩みを続ける。
山道の終わりは見えない。人里に近づく気配も窺えない。
終点まであどれだけか見当もつかないのだが、もう何か予兆ぐらいあってもいいんじゃないか、と恨み言を呑み込んでしまう。
歩き始めて、もうすぐ丸二日。目指す町が見えてきてもいいのではないか、と思うのだ。
まちがいのないところで自分の歩みが遅すぎるため、予想を遥かに超えた時間がかかっているということなのだろうが。
道は少し、水平に戻ったか。
周囲の木々の高さも減ってきたかもしれない。
そのうち人里が見えるのではないか、と自分を励ます。
脚の力は、変わらずよく分からない。いつ何処で動かなくなっても不思議ない、という感覚だ。
とにかく動くうちに、できる限り進む。
そう、決意し直していると。
右方向から、獣の気配があった。
キイイイイイーーー
と、甲高い声まで聞こえてくる。
見ると、それほど大きくない影が二つ、森の中から草むらに、もの凄い速さで駆け寄ってきている。
オリアーヌとさほど変わらない背丈の黒っぽい毛むくじゃら、二本足の走行だ。毛に囲まれて露出した顔面だけが、目立って赤い。開いた口から、短い牙が覗く。
小鬼猿という魔獣ではないか、と本の記述を思い出す。ご丁寧に「肉食、人肉を好む」と明記されていたのが強い印象だ。
すぐ向き直ったのだが、想像を超える速度で二匹はすぐ近くまで達していた。
後退りながら、アヒイが間に合わず先頭の一匹を杖で殴りつけた。続けて能力を使う。
ギヒイイイーー
何とかうまく攻撃が入って、その一匹は首から血を噴き出して倒れ込む。
少し遅れていた一匹に、アヒイをお見舞いする。
ギヒイイイーー
そいつも、悲鳴を上げて倒れ込む。その背後にかなり離れて、さらに数匹の疾走が見えてきた。
キイイイイイーーー
キイイイイイーーー
キイイイイイーーー
と、山中に雄叫びが響き渡る勢いになってきた。
本には「群れをなして獲物を襲う」ともあったはずだ。一匹ずつなら兵士一人で対敵できるが、十匹以上など群れを作ると厄介になる、と。
群れが集まる前に。
今近くでのた打つ一匹の口に、毒茸を放り込む。
後方から駆けてくる数匹にも、射程距離に達し次第片っ端から毒茸を食らわせた。幸いこちらに到着の前に効き目が広がるようで、次々と泡を吹いて倒れ込んでいる。
しかし、さらに後方から何匹もの疾走が見えていた。合計十匹では済まないかもしれない。
こんな小さな娘一人を餌に狙って、そんな数で寄ってきてどうするの、と叱りつけたくなるほどだ。
次々と、毒茸を食らわせる。すべて例外なく、走りながら前向きに倒れていく。
やや後退しながら『調味料転移』を続けていると、足がふらついて尻餅をついてしまった。
それでも休むわけにいかず、地面に座り込んで毒茸のお見舞いを続ける。
続けても続けても、まだ後続がいるようだ。
「まだ、いるの?」
袋の中の毒茸がなくなり、痺れ茸に切り替えた。
これでも足りなくなったらどうしよう、と頭に不安が過った。
茸を食らわし、食らわし、食らわし――。
バタバタと、魔獣は倒れ続ける。
その数三十は超えただろうか。
やがて、森からの出現はなくなった。
最後の一匹が倒れ伏し、オリアーヌは大きく息をついた。
「終わった――」
それでも油断なく、周囲の気配は探り続ける。
他の接近は、ないようだ。
一安心。
しかしまだ、切実な問題があった。
尻餅をついた脚に、力が戻らない。もうここから離れるのは無理かもしれない。
さらに、もう一点。
草むらに倒れた夥しい魔獣のうち、最後の十匹程度は痺れ茸の犠牲者だ。時間が経てば、また動き出す。
このままここにいては、その復活を待つだけということになってしまう。
毒茸は尽きている。痺れ茸も残り少ない。いつまで目を開けていられるかも分からない。その復活した魔獣に対処できる保証はない。
「立ち上がら、なきゃ」
気ばかり焦っても、もう脚は言うことを聞いてくれそうにない。
しかも疲労と眠気はとっくに極に達して、今にも意識が飛んでいきそうだ。
「……これまで、かな」
さんざん無理矢理自分を鼓舞して進んできたが、ついに限界かもしれない。
このまま動けずにいると、復活した魔獣、あるいは別に近づいてくる魔獣に、食われる末路しか残っていそうにない。
こら動け、と脚を叩いても、返事はない。
傍らに倒れていた杖を拾うのが、精一杯。それで支えて身体を立てようとしても、頼みの脚に力が戻らない。
とにかくも、しばらく時間を置くより仕方なさそうだ。
しかし、これまで二日間のあれこれと思い比べても、状況は悲観的に思える。
しばらく休めたとして、脚に力が戻るという体感がまったく得られないのだ。
やはり、限界と思うしかないかもしれない。
ははは、と乾いた笑いが口をついた。
「ここまで、頑張ってきたのに――」
ついに、限界か。
だとしても、自分の身体、特に左脚に、文句を言う気にもなれない。
むしろここまで、想像を超えて頑張ってくれた、という実感だ。
「頑張ったよね、お前」
万感を込めて、左膝を撫でていた。
楽な場所を探して移動、ということさえできず。街道の真ん中に座り込んで。
人に見られたら気が触れたと思われるかもしれないが、ただくすくすと笑いが止まらない。
次第次第に、意識が遠のく感覚が染みてくる。




