先への一歩とバス旅行
お昼すぎからは、いつものように美咲ちゃん、凛ちゃんとロビーで寛いでいる。優菜ちゃんとの一幕は――話したかったけれど、私から話すのは違うなー、と思って我慢している。でも、話しづらいようなら私から話そうかな、とも思っていた。
けど、優菜ちゃんにそんな心配はいらなかったみたい。だって――
「わぁっ、優菜……」
伯父さんと一緒に帰ってきた優菜ちゃんはツインテールのままで――ようやく、ふたりの前にもかつての親友が戻ってきた、って感じ。そりゃ、凛ちゃんだって歓喜の声を上げるわ。伯父さんもどこか嬉しそう。やっぱり、自分の娘だもんね。気にしてたんだなぁ。
「ゆっくりしていってねー」と美咲ちゃんたちに軽く挨拶すると、伯父さんは旅館の厨房のほうへ入っていった。そして、優菜ちゃんは……ちょっと申し訳なさそうに、けれども逃げることなく私たちのいるロビーへ。けど、私はもちろん、美咲ちゃんたちも、優菜ちゃんが何を言いたいか、どんなことを話したいのか――とっくにとうに察していた。
だから。
「……ごめんっ! 部活の話、いまさらだけど……つきあってもらえないかなぁっ!」
そう言って手を合わせる優菜ちゃんからは必死さがにじみ出ている。けれど、私たちはみんなニコニコ。
「ったくー、ずいぶん待たされちゃったわ。湯上がり美人の色っぽさ、見せてやるっての!」
「こっちはもう、準備できてるよ」
あぁ、このふたり、頼もしすぎる! なんだろう、この絶対的信頼感。星見野南高校ストリップ部(仮)、本当にこのメンバーで良かったって心から思えるよ。
そんなふたりに向けて、優菜ちゃんは今度は私に視線を向ける。
「それに、さくっちにも酷いことゆっちゃって、ごめんね」
「ん?」
あれ? 何か言われたっけ?
「裸になって許されるのは子供だけだ、って」
「あー……」
うん、あった、あったよ。あれは優菜ちゃん、かなり感情的になってたよね。けれど、優菜ちゃんの思いは……私に対するお詫びだけではないみたい。
「朝方、あの女が、そのー……踊ってたとき、私ね、つい、見入っちゃって」
“あの女”っていうのは、間違いなく燎さんのことだ。どうやら、声をかけるちょっと前からこっそり覗いていたらしい。
「私だって、そりゃー……動画とかでは色んなの見てきたし、裸自体も、大浴場で普通に接してたし」
「うん」
「でもね、ああして歌って踊って、その中で裸になっていくの……生で見たの初めてで」
そう、ずっと後ろ向きだった優菜ちゃんを前向きにしてくれたのは、自責の念だけじゃない。ストリップの素晴らしさを再認識できたから――
「だからこそ思ったよ。人前で裸になるのが許されるのが子供だけだったら、大人の裸は“認めさせるもの”なんだ、って」
その言葉は――なんだろう、このズシンと胸に響く感じ。それはまさに、燎さんが見せたパフォーマンスそのものといえる。
「おおっ、優菜、なんかいま強いこと言った!」
「うん、芸術だもんね!」
凛ちゃんはすかさず拍手喝采! 美咲ちゃんも一緒にふわりと微笑む。そう、ストリップはただ脱ぐだけじゃない。そこには表現があって、技術があって、観客を魅了する力が必要なんだ。過程や演出、そのすべてに意味がある。一つひとつの動き、視線、歌声──すべてが作品なんだ。そんな重みを感じさせる言葉を紡ぎ出した優菜ちゃんはさすがだと思うし、その言葉を引き出した燎さんもやっぱり只者じゃない。
そこからは優菜ちゃんの部屋に場を移して……それはもう、文化祭の準備のように盛り上がった。全国大会には四種目あって、その花形である『総合』は、やっぱり優菜ちゃんで決まりでしょ! スポットライトを浴びながら歌って踊って、そして脱ぐ――まさに、ストリップ・アイドルの舞台だ。それこそ、優菜ちゃんの実力に相応しい、ということで満場一致。
一方、美咲ちゃんは――
「あたし……『衣装』に興味ある……」
『衣装』とは、その名の通り、衣装のすごさで競う種目。ただし、あくまでストリップなので、脱いでいく過程こそが最も重要なんだけど。美咲ちゃんの銅像の羽衣、可愛かったもんね。裸と小道具の組み合わせ、みたいのを表現したいのかもしれない。
「私はやっぱ、『即興』かなー」
『即興』は、予告なく本番で流れる楽曲に合わせてその場で踊るというもの。動画のトークもほぼ出たとこ勝負だし、そういうのが得意なのかもしれない。が――
「でも、課題曲がお風呂にちなんだのだったら、『課題』譲ってねー」
これには、みんなちょっと笑ってしまった。お風呂の曲って……。ちなみに、『課題』は大会前から楽曲が発表されるので、それに合わせて事前にガッツリ練習を積んでおける種目だ。たぶん、これが私の出場種目になるんだろう。
気が付けば、外はすっかり夜になっていて、窓の外には優しい月の明かりが揺れている。美咲ちゃんと凛ちゃんは「じゃあ、またね!」と帰って行った。優菜ちゃんの部屋で、私たちは絨毯に寝転んで天井を見つめながら――思い出したように呟く。
「そ、そろそろお父さんたちにも話しておかなきゃだよね」
「うん、もうすぐ夕飯だろうし」
私はしっかりと頷いた。自分が言い出したことだけど、優菜ちゃんには心配なんてしていない。きっと、ちゃんと伝えられる。
ということで、私たちは台所のある一階へと下りて行こうとしていたのだけど――
「あれ? なんか賑やか……」
私もしばらくこの旅館のお世話になっていたので、この状況はなんとなくわかる。どうやら、ロビーのほうで飲み会が始まっているようだ。
「チャンス! 普通の夕飯より、お酒入ってるほうが伝えやすいかも」
「優菜ちゃん……」
そういうところ、悪知恵働くなぁ。けど……その表情は硬い。やっぱり緊張するよね。だからこれは、悪知恵というより、優菜ちゃんなりにできる限りの最善なのだと思う。
私たちは、一歩一歩確かめるような足取りで下へと向かっていた。古い木造の旅館だから、歩くたびにギシッ、ギシッと小さな音が響く。まるで硬くなった私たちをからかうみたいに。けれど、その先から聞こえてくる声は穏やかで、まさに話しやすい雰囲気だ。タイミングはいましかない――そんな後押しさえ感じられる。
優菜ちゃんも同じ気持ちなのだろう。グッと拳を握りしめ、いままさに一階フロアに踏み込もうとしたそのとき――
「――うちのバカ娘が二年ぶりに帰ってきたと思ったら、いきなりストリップを……」
「ほう、あの燎ちゃんが……いや、ある意味“らしい”とも言えますか」
――な、な、なんの話!? 優菜ちゃんも、私と同じく足を止めている。だって……どうやら、燎さんのお父さんらしいから。そして、会話の相手は伯父さん――つまり、優菜ちゃんのお父さん。まさかのお父さん会談だよ!
「それで、ストリップ・アイドルを目指すから認めろ! とか一方的に言ってくるわけですよ」
「ストリップ・アイドルとは……? 普通のアイドルじゃダメだったんでしょうかね」
あわわわ……もう、どうしよう!? 顔を見合わせる私と優菜ちゃん。どっちも真っ青!
「素っ裸で、ものすごいドヤ顔で、私たちは何も言えず……けど、あんな自信に満ちた顔を見せてくれたのは久々で……つい『大人が決めたことだ。好きにおやり』と」
その言葉を聞いた瞬間、優菜ちゃんの手が私の腕をギュッと掴む。燎さん……お父さんと向き合ってたんだ……。私としては……やっぱり嬉しい。けれど――
「もし、お宅の娘さんがそのようなことを言い出したらどうします?」
そんな燎さんのお父さんの言葉に、伯父さんは――
「うーん……うちは無理ですね」
その答えに……優菜ちゃんはショックでグラリと傾く。そんな優菜ちゃんを、私は慌てて隣から支える。
「何しろ客商売ですから。娘がストリップなど始めた、と広まっては、変な客がやって来かねませんし」
「なるほど……お仕事柄、となると致し方ないところもありますな」
客商売だから仕方ない。そう、仕方ないんだ。頭ではわかってる。だけど、心がついていかない。
伯父さんたちには気づかれないよう、ふたりでふらふらと二階の部屋に戻ると……優菜ちゃんはぽすんと布団に突っ伏す。
「どうしよう……まさか……こんなことって……」
くぐもったその声は、まるでガラス細工の鈴のように震えていた。私だって、正直、心臓がバクバクしてる。だって、あの会話……燎さんのお父さんと優菜ちゃんのお父さんが、あんなに仲良くお酒を酌み交わす仲ってだけでも驚きなのに、燎さんもちゃんと私との約束を守っていて――
「あー……いやいや、これは何かの間違いだよ。うん、きっと」
何とか励ましたいけれど、さすがに言葉が思いつかない。
「……けど、お父さん、ハッキリ言ったよね……ダメだ、って」
「き、きっと何かあるよ! 例えば、その……お酒飲んでたし、うん、酔っ払ってたんだよ!」
そうだ、お酒のせいだ。きっとそう――そう思いたい。でも、優菜ちゃんは起き上がることもできず、枕を抱えてうずくまってる。『ストリップは商売柄ダメ』――その言葉が、優菜ちゃんを突き刺したのは間違いない。燎さんのお父さんが娘である燎さんから説得されたように、優菜ちゃんはお父さんに説得されてしまったのだ。自分は、旅館を継ぐ者だから――その自覚をもって。
私はスマホを取り出し、何か――そう、何か助けになる言葉を見つけようと画面を開く。美咲ちゃんや凛ちゃんから元気出るようなメッセージが届いてないかな……でも、そんな都合よく来てるはずもなく。
けど、ひとつだけ通知があった。
『Hellcat666』
えっ……誰? 誰? 私、こんな人知らないんだけど!? でも、気になってつい開いてしまった。すると、そこには――
『お疲れちゃーんwww 無事プリンパパ説得成功w 無理無理って言ってたやつどこー?( ・ω・)ノシ 鈴木桜様一名、北高ストリップ部にご案内でーす♪ 南高の皆さん、言い訳はよ( ´∀`)』
う、うわぁ……こんなの、優菜ちゃんには絶対見せられない……って――!?
「さくっち……それ……」
何でこんなときに限って起き上がってるの!?
「あ、あ、あのね……これは――」
『プリン』ってのが誰だかよくわからない。けれど、この状況だから、何を指していて、何を言いたいのかはわかる。まさかの追い打ちに、優菜ちゃんは再び倒れ込んだ。そして、枕を抱きしめたまま、小刻みに震えている。
「私……ホント、バカだ……変なとこで意地張って、手遅れになってから動き出して……」
「優菜ちゃんっ!」
「終わりだ……もう、終わりだよ……リンリンたちにも何て謝ったら……」
私は思わず優菜ちゃんの肩を掴んで起こすと、ぐっと顔を近づける。
「まだ終わってないよ! こんなの、まだまだ途中だよ!」
だって、まだ伯父さんに打ち明けてすらいないんだもの!
「諦めたらそこで本当に終わっちゃうんだよ!? だからさ、もう少しだけ頑張ろう!」
「……けど、どうやって……」
相変わらずの気持ち先行で、全然考えが追いついてない私。
「や、やっぱり、ストリップは素晴らしいものだって理解してもらうしか……」
「仮にいいものだとしても、仕事上ダメだって言われてるわけで……」
「けど、こうして寝込んでても一歩も進めないよ! 先ずは、ストリップを知ってもらおう! そこからだよ!」
私の声に、優菜ちゃんが少しだけ顔を上げる。その瞳には、まだ小さな希望が残っている――そう、信じたい。
「優菜ちゃんのダンスはすっごく良かったよ。伯父さんにも、きっと伝わる! だから――」
私の懇親の説得に、優菜ちゃんは――
「……うぅ……結局、あの女と同じ手段ってのが気が進まないけど……」
いまはそんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!
「そうやって腐ってたって何も良くならないんだから! 私と一緒に行こう!」
私は優菜ちゃんの手を取って、ギュッと握る。そして再びロビーに向かって歩き出した。けれど、私の腕にも伝わってくる――これは無理だ。ストリップの良し悪しなんて関係ない。ストリップ自体がダメなんだ。けれど、それでも――私たちは踊るしかないんだから――
私たちは決意を固めて伯父さんたちのいるロビーへと飛び込もうとしていた。けれど――
「――海藤さん、ちょっと過保護すぎませんか?」
思いの外キレッキレの口調に、私たちの足はまたしても止まる。これは、伯父さんでも、燎さんのお父さんでもなく、女性の声――それも、聞き覚えのある――そう、それは――
「そうは言われましても……中村先生」
私たちは息を呑み、階段の影からそーっと覗き込む。そこには、伯父さんと燎さんのお父さんと酒を酌み交わしている中村先生の姿が。社会人たちの会話に、学生の私たちではなかなか踏み込めそうにない。
「しかし、客商売ということもありまして……」
伯父さんの声色は明らかに困っている。だからこそ、先生も強気だ。
「危険な崖っぷちを売りにするよりは、よっぽど安全だと思いますけどね」
先生の言葉が突き刺さる。うん、グサッといった。伯父さんの顔が「うっ……」ってなってるの、想像できるもの。やっぱり先生、言葉の凶器の使い手だわ……!
「それを言われると痛いのですが……」
伯父さん、苦しそう。客商売は信用第一って言うし。お客様に何か言われたら、きっと大ダメージなんだろう。
けれども、中村先生が追撃の手を緩めることはない。
「競技ストリップは、女性のみで健全に行われているものです」
健全。そう、健全。先生、ここは絶対に譲らないで! 私は心の中で拍手を送る。
「む、むぅ……」
伯父さんはうなるばかり。でも、それ以上反論できないのがわかる。それは――心当たりがあるから。
「最近、優菜さんの表情が暗かったとは思いませんか?」
――その言葉に、場が一瞬静まった。私はこっそり優菜ちゃんの顔色を窺うと――“暗かった?”って言いたげなんですけどー。それでも、伯父さんの心は揺らされている。
「それは……柄にもなく、突然勉強を始めたりして……。いや、褒められたことではあるんですが」
ううっ、やっぱり伯父さんとしても複雑な気持ちだったんだなぁ……
「優菜さん、お父さんの許可が得られそうにない、と悩んで……それで、先ずは安心させようと」
中村先生は優菜ちゃんの気持ちを、代弁するみたいにまっすぐ言った。“そうなの?”と再び優菜ちゃんの顔色を窺うと……うん、だよね。だって、さっきのさっきまで、ダメって言われるなんて微塵も思ってなかったもん。
けれど。
「それでアイツ、あんな似合わんことを……」
伯父さんはすっかり先生の言葉を信じ切っている。順序が逆だったってことで……私は納得しよう。もし、優菜ちゃんが伯父さんの意向を先に知っていたら……いや、それこそ燎さんと同じ手段に訴えたかもしれないけど。
先生からの説得に、伯父さんはかなり肯定的に傾きかけてる! もう一押し! ってところで……!
「全国の体育系の高校でも着実に広まっております。が、まだ始まったばかりのいまがチャンスなんですよ。ここでいいところまで食い込めれば、この旅館にも箔が付くというもの!」
「い、いや、こういう形で箔付けられても……」
ほらもう! 先生、ここぞというところで押すとこ間違える! 伯父さんの声、明らかに気が抜けてるし!
けれど、次の瞬間。
「“あんとき”の苦しみを、自分の娘にも押し付けるつもりなん?“タク”」
その声の調子はどこか柔らかい。けれど、ずっしりと重みが乗っていた。場の空気が変わったのが伝わってくる。私の心臓が、トクン、と音を立てた。
「……あぁ、そうやな」
伯父さんの低い声が、ロビーにじんわりと響く。
「『自己責任社会』を築いたもんとして、娘の『自己責任』くらい、父親の俺が支えてやらんと」
伯父さんの声が、静かに、でもしっかりと届く。大人の本音って、こんな風に言葉になるんだ。
「ん、任せとき。なーに、私やって変なことせーへんっての!」
先生の口調も、ようやく明るくなった。ああ、なんだろう、この空気。安心感というか、静かな信頼が流れてるみたい。――やっぱりこのふたり、昔馴染なんだ。そういう雰囲気が、会話の端々に滲んでる。
優菜ちゃんもホッとしていて――けれど、どこか複雑そうな色も滲ませている。伯父さんと中村先生のこれまで見なかった一面を見た、って感じで。けど……これで、ようやく前に進めるかな? 私は、伯父さんたちの会話が終わった後も、しばらくその場の空気に飲み込まれたままだった。なんというか……オトナの世界を見せつけられた、って感じがする。
でも、きっとこれで――
優菜ちゃんの未来に、少しだけ、光が差し込んだ気がした。
その後もしばらく伯父さん、燎さんのお父さん、そして、中村先生の三人で飲んでいたみたいなので、私たちは二階で静かにしていた。というか、言葉がなかった。なんか……変な感動みたいのがあって。日付変わる前に解散したみたいだから、その後で私は磯巾着の間に戻ったけれど。夕飯を食べてなかったことに朝になって気付いたくらい、私の胸はいっぱいになっていた。
そして、翌日改めて伯父さんの許可をもらい――ついに――!
「……でも、これってあいつらに並んだだけなんだよねー……」
優菜ちゃんは例によって夕方前まで塾があったので、その後のこと。私たち――美咲ちゃんや凛ちゃんも交えて、二階で改めて作戦会議。
「ま、まぁ……向こうが頼んでくるなら一緒にやってもいいけど?」
状況を鑑みて、優菜ちゃんが言葉をしぼり出す。でも、その表情は明らかに『しょうがないなぁ……』って感じ。これは、ツンデレじゃない。ただの、不承不承だ。けれど、もしこれが先着順だったら、むしろ燎さんの方が早かったわけで……
「じゃあ、次は顧問を先に見つけたほうが勝ち、ってどう?」
凛ちゃんがキラリと悪戯っぽい目をして言うと、優菜ちゃんが即座に顔を引きつらせる。
「さ、さすがにそれは……」
やっぱり優菜ちゃんはこういうところ、すごく真面目だ。
美咲ちゃんが、私の目をじっと見つめる。
「あたしは、桜ちゃんとやりたいな」
美咲ちゃんのその言葉に、胸がきゅっとなる。
「私も……!」
「なら、答え出てるじゃん」
凛ちゃんはそう言って笑うけど……私の感情は、まだ答えを出せていない。
燎さんのストリップは、本当にすごかった。ステージを思わせるほどの圧倒的な存在感、観客を引き込むオーラ、そして、脱ぐことに対する迷いのなさ。あの姿は、ただの度胸とか、勇気とか、そういう言葉じゃ片付けられない。あれは、燎さん自身が持つ人格だ。
だから――私は気づいてしまった。優菜ちゃんや美咲ちゃんと同じくらい、燎さんとも一緒にステージに立ちたい、と。
けれど、それと同じくらい――燎さんたちを裏切りたくないという気持ちもある。
私がこのままどちらかのチームを選んだら、それはもう、どちらかを切り捨てることになるんじゃないか。
そう思ったら――私は動けなくなってしまった。
「……もう少し考えさせて」
それは、どちらかを選ぶか、というより――どうすれば、みんなが納得して、そして、みんなが幸せに踊れるのか――
その願いは、果たして叶うのだろうか――
***
私が優菜ちゃんと一緒にハシモトゼミナールへ通ったのは、結局二回だけ。最初の授業でトラブった一回目と、燎さんたちに呼び出された二回目。なので、それ以降は――優菜ちゃんがいない間は練習時間! 磯巾着の間でひとりストリップ。結局、やることはやらなきゃだし……優菜ちゃんや燎さんだって、きっと私よりずっと長い間そうしてきたのだと思う。私も頑張らなきゃ!
とはいえ、部屋に大きな鏡とかはないので、スマホで撮りながらのセルフチェック。大浴場の脱衣所とか使えればいいんだけど、さすがにねー……
そんなことを思いながらスマホを手に取ると――んん? メッセージが来てる……?
「紗季かな?」
画面を確認すると……え、なんか違う!?
『表へ出ろ』
――えぇぇえええ!! なにごと!? けれど、その差出人が『Hellcat666』なので……あー……燎さん……じゃなくて、澄香ちゃんのほうか。言葉遣いは不穏だけど、元々ネットではそんなキャラっぽいし。
だとしたら、普通に呼び出されてるだけかな。ということで、さっと身支度して……私は言われたとおりに表へ出た。玄関から。すると――
「おはようございますぅ」
と爽やかに挨拶してくれるのは綾ちゃん。私を呼び出した澄香ちゃんは相変わらずスマホを見ながら無言。そして。
「よっ、あたしらにも接待ぐらいさせや」
今日はブラを着けている燎さん。やっぱり制服のブラウスだ。それに引き換え、綾ちゃんと澄香ちゃんは普通に私服。事情を知っているだけに燎さんの苦労が伝わってくる。
綾ちゃんは上品なノースリーブのワンピース。淡いラベンダーカラーが彼女の清楚な雰囲気にぴったりで、ウエストにはアクセントに細いリボンのベルトが。足元はストラップ付きのサンダルで、歩くたびに軽やかな音を立てている。
一方、澄香ちゃんは……いかにも無頓着って感じのスタイル。ちょっと色褪せたゆったりめの半袖のクロップド丈パーカーを肩から羽織っていて、中には何かのキャラクターTシャツがちらり。下はシンプルな黒のハーフパンツ。丈は膝上くらいで、『家からそのまま出てきた?』みたいなラフさ。足元はボロボロになったスニーカー。完全に履き潰しているのに、新しいものに買い替える気はさらさらない感じ。スマホを片手に無言で画面をタップしているその姿は、完全に『リアルには興味ありません』とでも言いたげだ。
「桜さんが南側に入れ込んどるんはわかりますけど……今日はわたくしたちが星見野を案内いたしますわ」
言って、綾ちゃんが差し出すのは……バスの一日乗車券!? なんか、今日は丸々星見野観光って雰囲気だー! それを肯定するように、澄香ちゃんは静かに顔を上げて――コクンと頷く。
なんかこう……この有無を言わさない感じは接待とは程遠いんだけど……それでも私は、やっぱりどこかワクワクしていた。
あと一〇分遅かったら、旅館の中に乗り込んでたわー、とバス停で車を待ちながら、そんな物騒なことを言う燎さん。どうやら今日の澄香ちゃんが見ていたのはアイドルのSNSではなく、バスの運行状況だったらしい。一時間に一本あるかないか、という貴重なその一本に私たちは乗り込んだ。
バスの中は少しカビっぽい匂いが混ざったような、でもどこか懐かしい空気が漂っている。座席はくたびれたモケット生地で、色あせた青とオレンジのストライプ柄。座席の背もたれには、これまた色あせた『ご乗車ありがとうございます』のプレート。天井には小さな扇風機が取り付けられていて、まだまだ現役。……きっと『管理社会時代』からずっと使われてるんだろうなぁ。
私たちはそんな車両の窓際の席に並んで座った。バスが動き出すと、ギシギシと車体が揺れ、エンジンの音が低く響く。窓ガラスは少し曇っていて、指でなぞったら線が残りそう。でも、その向こうには、星見野の山が青々と広がり、日差しが葉っぱに反射してキラキラと輝いていた。
道の脇には古びた民家や小さな田んぼがぽつりぽつりと並んでいる。軒先には干し草や、野菜を天日干ししている風景もちらほら。道端には紫陽花が咲いていて、季節の終わりを告げるように少し色褪せ始めている。時折、道沿いに咲く黄色い花が風に揺れ、バスが通り過ぎるたびにその姿が小さくなっていく。
「燎さん、どこに行くんですか?」
私は後ろの席から前の席に尋ねる。
「星見野に来たなら、やっぱ『山本食堂』の『タレカツ丼』は外せないやろ!」
「タレカツ丼……?」
その言葉に、後ろの席の綾ちゃんが静かに微笑む。
「甘辛タレに漬けたチキンをカツにして、さらにタレに潜らせた……コッテリの極みですわ」
「す、すごそう……!」
「ヤツらが海なら、我々は山」
私の感嘆に、澄香ちゃんが淡々と続ける。珍しくスマホを閉じて、窓から外を見つめていた。緑の山々にじっと目を向けている姿は、意外と真剣。手元を見ていないのは、車酔いするからかも。
「海の幸と山の幸、両方揃っとるところが星見野の魅力ですわ」
綾ちゃんがなんかめちゃくちゃバスガイドっぽいこと言ってる!
バスはゆっくりとカーブを曲がり、木漏れ日が窓を通して私たちに降り注ぐ。なんだろう、この感じ――まるで、時間がゆっくりと流れているみたい。でも、車両は確実に目的地に向かって走っている。
そして、揺られること二十分――降りた先にあったのは、少し色褪せた赤い暖簾に白い毛筆体で『山本食堂』と書かれた小さな定食屋さんだった。木製の引き戸は少し軋みそうな雰囲気で、ガラス部分には古い広告ステッカーが貼られている。店先には手書きの『本日の日替わり定食』の看板が立っていて、黒板にはチョークで描かれたカツ丼の絵と『秘伝のタレ』と書かれた文字が光って見える。
お店の軒先には鉢植えの植物や、少し枯れかけたお花が並んでいて、どれも地元の人たちに大切にされているのが伝わってくる。入り口の横には古めかしいベンチが置かれていて、錆びた一斗缶が灰皿代わりに使われているのが何とも趣深い。
カランカラン――引き戸を開けると、小さなベルが鳴った。
店内に足を踏み入れると、どこか懐かしい香りが鼻をくすぐる。醤油、揚げ物、出汁の香り……どれもお腹を空かせるには十分すぎる威力だ。木の床は少しキシキシと音を立て、木製のテーブルはところどころ傷がついているけれど、それがまた味わい深い。椅子もまた古そうだけど、小さなクッションが乗せられていて、細やかな気遣いが感じられる。
壁には手書きのメニューがズラリと貼られていて、『タレカツ丼』『親子丼』『日替わり定食』といった定番メニューが目に飛び込んでくる。さらに、壁際には地元のイベントのポスターや、常連さんたちと思われる集合写真が飾られていて、なんだか見ているだけで楽しい気持ちになる。
カウンター席の向こうには厨房があり、おばちゃんがのんびりとシンクに向かっていた。まだまだ開店直後の時間帯だし、お昼の忙しさに向けて算段を立てているのかもしれない。
「よぅ、燎ちゃん! 今日も“ダブル”かい?」
おばちゃんからの問いかけに、燎さんは自信たっぷりに頷く。
「もちろん! あ、こっちのコは普通のな」
「えっ、ダブルって何……?」
私の想像通りだと、なんかすごいものが出てきそうな気がするんだけど……! 一方、綾ちゃんは普通に山菜うどん定食。澄香ちゃんは親子丼定食。どちらも美味しそうではあるんだけど――テーブル席のほうで和気あいあいと待っていた私たちの声を掻き分けて到着したお盆に乗っているのは……!
「ほいっ、普通のがこっちのコで、ダブルが燎ちゃんな」
こ、これは……思っていた以上……! お昼ごはん食べる前で本当に良かった……! どんぶりの上のカツは、一枚は一枚でも極厚一枚。その迫力だけでも圧巻なのに、ダブルとなると、それが二枚って……! キラキラとタレの照りが輝き、甘辛い香りが食欲を刺激する。
一口食べてみると……わぉ、美味しい! 鶏肉もとってもジューシーだし、タレがご飯とよく合う! カツの下には千切りキャベツがわーっと敷いてあるので、時折それを挟んでお口の中をリフレッシュ。
「おばちゃん、キャベツおかわりな!」
そんな追加注文をしながら、燎さんはモリモリ平らげていく。が、そこに澄香ちゃんが冷静な一言。
「プリン、それ一杯で二〇〇〇カロリーやで」
「ぶふっ!!!」
うっかりお茶を吹き出しそうになる私。二〇〇〇カロリーって、一日分の摂取カロリーに迫る勢いじゃない!? けど……この美味しさには抗えない……!
「安心しぃ、他のモン食わなきゃ適量や」
そ、それもあまり健康的な食生活ではなさそうな……
他のお客さんもいないから、おばちゃんも楽しそうに声をかけてくる。
「そーいや燎ちゃん、ついにアイドルになるんやて?」
あー……田舎って、そういう噂話、早いのかも。
「フッ、ただのアイドルちゃうで。アイドルはアイドルでも、ストリップ・アイドルや!」
こういうところで、堂々と宣言できちゃう燎さんってやっぱりすごい。これに、おばちゃんも驚くことなく。
「なんやすごいんやなー。がんばりぃ」
驚いてないのは認めてくれてるというよりよくわかってない、って感じだけど……
そんなこんなで、食べ終わった後も楽しい時間は過ぎていく。というか……お腹いっぱいで、すぐには動けないー!
さて、さっき降りたバス停から、私たちは再度乗り直す。バスに揺られて、私たちは山道を進んでいた。窓から見える景色はどんどん緑に包まれていって、街の音とも無縁な感じ。こういう場所、やっぱりいいよね!
そして、今度は……んんん? 特に何もないところで私たちは降りた。バス停の名前も住所というか地名みたいで、何があるのかよくわからない。
「わたくしたちは山をご紹介するということで。地元の人もあまり立ち寄らん、いわゆる秘境ですわ」
綾ちゃんが前方を指差しながら、凛とした表情で案内役を務める。
「アイドルは体力やろ! 山歩きが嫌とは言うまいな?」
燎さんは笑顔で、私の反応を待っている。
「うん、私、そういうのも大好きだよ!」
こないだも、塾の帰りに山道を徒歩で下ったばかりだし、これくらいはへっちゃらだ。
入ってみると、道は意外と整備されていて、心配していたほど険しくはない。いや、燎さんがあんなふうに煽るから、もっとこう……崖をよじ登るくらいの気合が必要かと思ってたけど、全然そんなことなかった。
けど、この山道の先には、何となく、綺麗な景色が広がっているような気がする。というか、なんともいえない既視感が。それもそのはず。
「わぁ、『荒行の滝』……」
視界が開けると、そこにはまるで自然のステージみたいな光景が広がっていた。細い川が山を削り取るように流れていて、その両側は切り立った崖になっている。水は透き通るほどに澄んでいて、陽光がキラキラと反射していた。
あぁ、そうだ――私はようやく思い出す。ずっと懐かしいなぁって感じてたのは、ここだったんだ。最後に来たのは二年前だけど、それより前も、優菜ちゃんたちと毎年のように来てたもの。違うルートから来てたから、着くまで思い出せなかったよ。
「荒行って……面白いこと言うじゃねぇか」
燎さんが笑いながら滝のほうを見つめる。
「お見せしたかったんはこの先ですが……」
綾ちゃんが少し申し訳なさそうに言う。
「ま、その様子やと、行ったこともあんやろ」
燎さんが笑っているけど、綾ちゃんはなんだかちょっとバツが悪そう。
「リサーチ不足やな」
「そういうこともありますわ……」
澄香ちゃんの容赦ない指摘に、綾ちゃんは苦笑い。けど……今年は来れないのかな、って思ってたから、ちょっと嬉しい。
そんな私の顔を見て、燎さんが提案。
「なら、せっかくやきん、ひと泳ぎしてくか?」
燎さんが、滝壺を見ながらニヤリと笑う。え、泳ぐ? いやいや、さすがに――
「そうしたいのは山々だけど、水着持ってきてないし……」
けれども、燎さんはニヤッと悪戯っぽく口角を上げる。
「……あたしら、ストリップ・アイドルやで?」
ああ……何となくそうなりそう、って予感はどこかにあった。そもそもこの滝、荷物になるから、って水着とか持たずに来てたし……今日も、もし一緒なのが優菜ちゃんたちなら、とか思っちゃったもん。それに、綾ちゃんが言うように、ここは秘境も同然。私たちが川遊びしてたとき、他の人が通りがかったことなんて一度もないし。
だから。
だけど。
「私たち、ストリップ・アイドルだから」
その言葉に、すでにブラウスを脱ぎかけていた燎さんの手が止まる。
「アイドル」
真っ先に反応したのは、意外なことに澄香ちゃん。小さな声だけど、その響きは澄んでいて、私の言葉をしっかりと受け止めてくれていた。
ここは崖の上で、木もなくてちょっと開けてる。私たちが優菜ちゃんたちと来たときは、いつもここで服を脱いでいた。四人で。だから――“踊れるスペース”くらいはある。そう、ただ脱ぐだけじゃダメなんだよ。私たちは、ただの脱ぎっぷり自慢じゃなくて、アイドルとして踊り、歌い、魅せることが大事だから――!
澄香ちゃんは、慣れた手つきでスマホを操作。それはいつもの仕草だけど――すぐに大音量で音楽が鳴り始める。ピコピコした感じのデジタルサウンド――あ、コレ、ちょっと前にネットで流行ってた曲じゃない? パーカーと組み合わさって、なんかストリートな雰囲気出てるかも。
「熱い友情、飛び出せ世界~♪」
おおお……っ!? 澄香ちゃんの声はこれまであんまり聴いてこなかっただけに、普通に歌ってるだけでもちょっと感動。それに、あんまりアクティブに動くところも見たことなかったので、こんなにキビキビ踊れるなんて……もう、澄香ちゃんの中に何か別人格が入ったかのよう。これはまさに、蘭ちゃんのようなオンオフ――それに、これまで燎さんとずっと練習してたんだろうな、って系譜みたいのも感じられる。けど、どことなく燎さんのような熱い思いというか、訴える力というか、そういうのが弱いのかも。似ているだけに、つい比較してしまう。燎さんの脱ぎっぷりが『どうだ! 文句あっか!?』って感じなら、澄香ちゃんのは、いつの間にか脱いでる感じ。元々着るものにもこだわりがなさそうだったけど、脱ぐことにもこだわりがなさそう。踊りとして完成されている感はあるけれど、裸としての存在感が薄いというか。いや、色気がないってわけじゃないけど。てか、胸だって私よりあるし。それなのに――うーん、不思議だ。
曲が終わり、裸になった澄香ちゃんに拍手を送る。ぽつんと立っている様子は、森の精霊みたいでちょっと可愛い。篠田さんの写真集を思い出すなぁ。
なんて見惚れていたけれど、燎さんはすぐに次の指示を出す。
「“お嬢”も、当然練習してきたんやろな?」
あ、燎さんって綾ちゃんのこと『お嬢』って呼ぶんだ。
「もっ、もももっ、もちろんですわ!」
普段は冷静沈着な綾ちゃんだけど、こういうときはちょっとアセアセするの、可愛いなぁ。顔を赤くしながらも、一歩前に出る。手にはスマホ。流れ始めたのは――曲名は知らないけれど、ゆったりとしたバイオリンの音。ああ、こういうの、綾ちゃんらしいよね。歌詞のない、透明感のある旋律が滝の水音や木々のざわめきと混ざり合って、まるでこの場所が物語のワンシーンみたい。
綾ちゃんはゆっくりとステップを踏み、腕を広げる。肌蹴て落ちていくワンピースが、何となく『これから水浴びをいたしますの』って優雅さを感じさせる。ぎこちなさは少しあるけど、それが逆に初々しさや一生懸命さを際立たせている。基礎はできているのに、緊張で指先がブレてる感じ。だから、脱ぐ動作もちょっともたつく。それはまさに、綾ちゃんらしからぬ『計算外』であり、けれど、それが結果的にただの『脱衣』ではなく『表現』になっている。
「綾ちゃん……すごい……」
思わず私は呟く。これが、綾ちゃんの想い――真剣さ、真摯さ、そして『届けたい』っていう強い意志。
そして――滝壺に広がる静寂――ふたりめの曲が終わった。地面に跪く綾ちゃんの姿は空から下りてきた天女みたい。その余韻に私は思わず息を呑む。
――すごい。言葉にならない気持ちが胸の中に溢れてくる。ストリップ・アイドルって、やっぱりただの脱ぐだけじゃない。そこには必然たる表現があるんだ……!
ふたりのパフォーマンス――いや、ストリップにすっかり魅了されてしまった私。心臓がバクバクしてる。私も……踊りたい……! すぐさま大好きな『My Gambit』――舞先輩の曲を流そうとしたけれど――
「おっと、リーダーは最後やで」
燎さんが片手をスッと上げて、私を制する。その笑顔は、まるで挑発するような、でも優しさも含んだもの。そして、代わりに燎さんのスマホから流れ始めたのは……この曲は、知らない。けど、曲調はリリちゃんの『Beyond after school』と似てるので……もしかしたら、この年代が好きなのかも。
イントロに合わせてリズムを刻みながら、燎さんが言う。
「前は止めちまったけど……今日は、最後まで見せてくれなっ」
そして、始まった。
「信じられない、この状況~♪」
曲は違っても燎さんの振り付けはブレない。重厚感――そして、疾走感。一番だけでも、パフォーマンスとして十分すぎるほど成立している。けど――そこに脱衣が加わると、さらに存在感が増すのが燎さんなんだ。その表情や仕草には迷いや恥じらいはまったくない。これが自分にできる最善手、という必然性が伝わってくる。
ああ、今日は下着、着けてるんだなぁ――燎さんの歌と踊りに魅せられながら、そんな余計なことを考えていた。
そして、私も踊る。さっきまでは舞先輩の曲に合わせるつもりだったけど――こないだ、途中までだったからね。今回はちゃんと最後までやりきりたい、という想いも湧いてきて――
「ボクの隣~、微笑みかける同級生~♪」
こっちはLunaruさんが動画の中で歌っていたもの。前回は道端だったからアレ以上は無理だったけど、いまは――裸の三人に囲まれて――だからこそ、遠慮なくすべてを伝えられる。これが、本当の私だよ、って――
あっという間にパフォーマンスは終わった。最後の音が消え、滝の音だけが私たちを包む。
「はぁ……はぁ……ふぅ」
息が切れてる。けど、顔からは喜びが消えない。やりきった――そんな感じがする。
「さすが、燎ちゃんが認めただけはありますわね」
綾ちゃんが嬉しそうに拍手をくれる。その目には、ちゃんと認めてくれた光が宿っていた。
澄香ちゃんは何も言わない。けれど。
『どうやら口だけマンではない模様(得心)』
私のスマホに、こんなメッセージが届いていた。これが、澄香ちゃんなりの褒め言葉なんだ、って感じられて、やっぱり嬉しい。
「えへへ……ありがとう……」
その瞬間、燎さんがグッと親指を立てる。その笑顔が、なんだか一番嬉しかった。
けど……そういえば、これはあくまで準備だったっけ。
「さぁ! イクでぇぇぇ!!」
燎さんが勢いよく滝壺に飛び込む。私たちも次々に後を追って――
冷たい! けど、すごく気持ちいい!
澄香ちゃんは控えめに水を手ですくって遊んでるし、綾ちゃんは「あらあら!」とか言いながら足元をバシャバシャしてる。そして、燎さんは勢いよく水を蹴り上げ、私に飛沫をかけてきた!
「ちょっ、燎さんズルい!!」
「はっはっは! これもアイドルの訓練やでー!」
キャーキャーと叫びながら、私たちは冷たい水に囲まれて、滝壺で笑い合う。誰も来ない秘境で、時間が止まったような――そんな、宝物みたいな瞬間だった。
山の川辺でひとしきり水遊びを楽しんだあと、私たちは大きな石の上に座って、少し息を整える。冷たい川の水が足首にまとわりついて、ひんやりと心地いい。夕日が少しずつ山の向こうへ沈み始めて、オレンジ色の光が水面にキラキラ反射している。
そんな、一日の終わりを感じさせる空気の中、燎さんが不意に口を開いた。
「ストリップで町おこしなんて、できるわけねぇわ」
どこかふざけてばかりだった燎さんが、どこか遠くを見るような目をしている。いままで見たことがない、真剣な表情だ。
「燎さん……?」
私は思わず息を呑んで、その横顔を見つめる。
「やから、これは星見野のためやなく、純粋にあたしが……あたしたちが、アイドルを目指してやっとるだけや。結果として町が良くなればええ、くらいのもんでな」
その言葉には、飾り気もごまかしも何もない。燎さんの瞳は真っ直ぐで、夕日に照らされて、まるで宝石みたいにキラキラ輝いている。
「けどな、鈴木。お前を人数合わせやなんて思ったことは一度もねぇ。あたしは、お前と一緒に踊りたいんよ」
胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚。いままで色んなことがあった。ぶつかったり、迷ったり、悩んだり……けれど、いま、この瞬間、燎さんのその言葉だけで、それらすべてが報われた気がした。
「私も……燎さんたちと一緒に踊れたら嬉しい」
私の言葉に、綾ちゃんと澄香ちゃんも温かい目を向けてくれている。私も、みんなの一員になれたのかな。
燎さんがにっと笑って、まるで夕日の中に溶けてしまいそうなほど眩しい笑顔を向ける。けれど……私には優菜ちゃんたちとの約束もある。どちらかを選ぶなんてできない。だって私は――どっちも大切だから。
「せやったら――」
燎さんの目には決意の火が灯っている。
「――やっぱ、直接対決しかねぇわな」
木々の隙間から見える夕日をじっと見つめながら、言葉を続ける。
「鈴木、さっきのバス停まで下りられるか?」
「うん。優菜ちゃんたちと何度も来てるから」
私はしっかりと頷く。バス停のほうはさておき、帰ることに不安はない。
「そっから乗って『弾ヶ関』で降りればあの旅館に戻れる」
多分、そんなに時間はかからないと思う。優菜ちゃんたちとは自転車で来れる距離だし。
燎さんの表情は少し寂しそうだ。けれど、引き返すことはない。
「鈴木、南高に伝えぇ。決戦は八月十五日や、ってな」
八月十五日――その日付が頭の中で何度も反響する。これは、燎さんたちからの正式な挑戦状。そして、それを受け取った私が、優菜ちゃんたちに届けなければならない。
ここまでは、ただの楽しい時間だった。でも、ここから先は――勝負なのだろう。
私は立ち上がり、崖の上の山道を見上げる。その遠い先で夕日が輝いているようだ。
「じゃ、また会おうね!」
燎さん、綾ちゃん、澄香ちゃん――裸の三人が手を振って見送ってくれる。その姿を後ろに、私は山道を下り始めた。服を着てから。
夕暮れのオレンジ色が窓ガラスに反射するバスの中、私はぼんやりと外を眺めていた。山の稜線が遠くにぼんやりと沈んでいくのを見ていると、燎さんの言葉が頭の中で何度もリフレインする。
決戦は八月十五日――……って、どうしよう。私、八月の頭には帰っちゃうんだけど。そこを過ぎると電車も混むから。それに、お盆の頃って町も忙しくなるし、旅館も混み合うし。はぁ……こういうところ、燎さんたちらしいなぁ。けれども、戦うのは優菜ちゃんたちだから――私にできるのは、この言葉を伝えることだけなのだろう。
そんなことを考えているうちに、バスは『弾ヶ関』の前に停まった。降りて、旅館まで戻ってくると、玄関では優菜ちゃんが待っていた。心配そうに眉を下げて、こっちに駆け寄ってくる。
「無事に帰ってこれて良かったぁ!」
その言葉に、私の胸はじんわりと温かくなった。こんなに心配してくれる友だちがいるって、本当に幸せなことだよね。
けど、忘れないうちに伝えておかなきゃ。
「ところでさ、燎さんに言われたんだけど……決戦は八月十五日だって」
靴を脱ぎなら、私はバツが悪くて苦笑い。肝心の日に私がいないのが、ちょっと申し訳なくて。
けれど――
「あ、あいつら……八月十五日って……」
優菜ちゃんの顔がみるみる赤く染まっていく。
「――あいつら、盆踊り大会でストリップやらかすつもりだよ!」