みんなアイドル!
「……えっ!?」
急に凛ちゃんが立ち止まる。それで、私も気がついた。あのサイドテールの女のコ、どこかで見たような……。揺れる髪に合わせるように、鮮やかな赤のトップスがどこか目を引く。白いスカートは短めで、全体的に活発な印象を受ける服装だ。
そして、相手のほうも目が合ったことにバッチリ気づく。けど、視線を逸らしたりすることなく、むしろこっちに急接近!?
「あっ、もしかしてバレちゃった? サインいる?」
にっこり笑いながらガッツリアピール。けれど、私の中にフラッシュバックした光景は――
「あっ、あの、トンビにブラ持っていかれた人!」
「そーじゃないでしょ!」
思わず声に出してしまった私に、サイドテールの人はすかさずツッコむ。……って、凛ちゃんには何のことかわからないよね。そう思って説明しようと思ったら……凛ちゃんが釘付けになっているのはその後ろにいるふたり組の女性のほうで。
「あっ、あの……『銭湯むすめ』の“けむみさん”と“ながゆさん”ですよね!?」
ん? ……『銭湯むすめ』って……? 私が首をかしげる横で、凛ちゃんは目を輝かせている。どうやらこのふたり、凛ちゃんの“推し”らしい。
「そっちかい!」
サイドテールの女のコが再びツッコんだので、凛ちゃんもようやくその存在に気づいたようだけど――
「え、えーと……」
凛ちゃんもサイドテールさんのことは知らないみたい。私たちのぽかんとした反応に、サイドテールさんはぷくっと頬を膨らませる。
「ふーんだ、ふーんだ。あとでサイン欲しいって言ってもあげないんだからねー!」
そう言い残して、彼女はそそくさと去っていった。その後ろ姿に、私は小さく会釈で誤魔化す。……あとで調べてみようかな。あの人、誰だったんだろう……? ふとそんなことを思いながら、凛ちゃんの興奮冷めやらぬ横顔を眺めていた。
「え、えと、『せんとーく』……いつも観てます!」
「わぁー、ありがとー。嬉しいのー♪」
と、にこやかに応えてくれるのは、ミディアムヘアで柔らかい印象のふわっとしたお姉さん。ライトブルーのノースリーブに白いロングスカートという涼しげな装いだ。胸元にはシンプルなネックレスが揺れていて、親しみやすい笑顔をさらに引き立てている。
そして、凛ちゃんとふたりで急に両腕を広げると……ぎゅーって! まるで外国人のような挨拶抱擁! しかも、ほっぺとほっぺグリグリで――これがファンたちの挨拶なのかなー……と思いながら傍観していると、もうひとりのボブカットの眼鏡をかけている女の人は……ジトッとした目でふたりを見ながら、さり気なく距離を置いている。さっき、凛ちゃんはふたりの名前を呼んでいたので、こちらの女性もアイドルなんだろうな。……アイドルで眼鏡って珍しいかも。落ち着いた色合いのカジュアルなシャツと黒のスリムパンツを着ている。その控えめな服装がどことなく対照的だ。
けど……同じグループのアイドルってことは……?
「わ、私もこー……したほうが……いいんですかね……?」
「やめて」
おずおずと尋ねる私にピシャリと鞭を打つような瞬殺否定。さすがにここまで濃密に抱き合うのは大変そうだけど、軽くなら……という譲歩すら根底から突っ返されてしまった。
「もー、“なゆちゃん”ー、ファンは大事にしないとー」
「私たちのこと知ってるのはそっちのコだけでしょ」
ものすごい塩対応なんだけど……不思議とキツい感じがしない。まあ、凛ちゃんと違って、実際私はこのふたりのことを知らないのは挙動からして明らかだし。サイドテールの人みたいに露骨にションボリされると申し訳なくなるけど、こうしてさっぱりしてもらえると、一周回って救われた気分。いやー、すいません、ってノリで見逃してもらえそうな。
そんな感じで、私たちがじゃれ合っていると――
「私も、帰る」
ふたりの陰から現れたのは――『南国アイス』というハデハデなロゴがあしらわれたTシャツ――を着た、女のコ。地元の人でもここまで焼けてるのは珍しい、と思えるような褐色肌で――服は派手なのに、着ている人が地味だとこんなにも存在感なくなるんだなぁ、と新たな発見。
舞先輩のように無表情なんだけど、ぼーっとしている感じではない。むしろ、まるで人形のような。マネキンに、その派手なシャツだけかぶせたような。もちろん、ちゃんと人で、生きてるんだけど。足も生えてるし、ちゃんと動いてるし。けど、着ているのがそれ一枚なので……もしそのシャツが真っ白い無地で、裾ももっと長かったら、本当に幽霊みたいに見えたかも。そのくらい存在感が希薄で、見ているほうが不安になってくる。
この場に自分は不要、と言わんばかりの淡白さで――もしかして、スタッフさんかな? あとの営業はアイドルたちに任せる、ってことなんだろう。
状況をよくわかってなさげな私に、凛ちゃんが興奮気味に解説する。
「この人たちは『銭湯むすめ』って三人組で――」
「三人!?」
私は思わず、さっきの南国アイスのコのほうを振り向く。うん、背中のプリントもハデハデだなぁ。
「“にごちゃん”は東京でお仕事中なのー」
「“にごり”ね。知らない人の前なんだからちゃんと正しく呼びなさい」
ふわふわのお姉さんのほうがふわふわしてるので、眼鏡さんのほうがきちんとしてるみたい。小耳に挟んだ感じでふたりの名前はわかるけれど、きちんと自己紹介してくれる。
「私は『ながゆ』。そっちの色々ユルそうなのが『けむみ』。で、東京で仕事中の『にごり』の三人で、全国の銭湯情報の動画を配信させてもらってるわ」
そうなんだー……と思ったら……なんで凛ちゃんどころかけむみさんまで「えっ」て顔してるの!?
「せんとーくって、お風呂で世間話するチャンネルじゃ……」
「むしろ、みんなでイチャイチャする企画なのー!」
どうやら、いろんな楽しみ方があるらしい。けど、ながゆさんの見解が一番公式っぽい気がする。
「今回はオフで来たつもりだったんだけどね」
ながゆさんはふぅ、とため息。凛ちゃんはまだ後ろからけむみさんに抱っこされていて……ちょっと困ってる雰囲気。さすがに、いつまでこうなんだろう、って顔してる。
「ここのお風呂で撮影許可が下りたから、せっかくなので撮影してたのー」
「ファンのコにセクハラしないで」
けむみさんの手つきが怪しかったので、ながゆさんが即座に凛ちゃんの身柄を救出。けむみさんは名残惜しそうだけど、凛ちゃんは助かったー、って感じでホッとしてる。
「こ、ここの温泉は地元でも結構評判良くて……」
息を整えながら、凛ちゃんが教えてくれた。この旅館って、素泊まりどころか、入浴だけってのもあるもんね。
「そういえば、なんで温泉じゃなくて銭湯なんですか?」
素朴な疑問のつもりだったんだけど。
「温泉に限定しないほうが仕事の幅が広いからよ」
身も蓋もない理由だったー!?
「――それに、温泉って特定地域で固まるし、観光地として手垢付きすぎてるってのもあるし。そういう意味でも、銭湯のほうが幅が広いのよ。貸し切りもしやすいし」
なるほどー……。ながゆさん、結構深いこと考えてた。けど、けむみさんは相変わらず。
「おねーちゃんは、みんなでイチャイチャできればどこでもいいのー♪」
おねーちゃん……? どうやら、けむみさんが一番年上らしい。で、三姉妹って設定なのかな? そして、お風呂でトークすることを『イチャイチャ』と表現するのだろう。……一体、配信ではどんな会話をしているのやら。少なくとも、殺伐とした内容ではなさそうで、そこだけは安心かな。
「それで、ここのお風呂はどうでした?」
あとで配信を観ればいいことだけど。
「普通」
ええええええええ!? ながゆさん、それはないんじゃない!?
「それでいいんだよー。お湯質は色々あるらしいけど若者が気にすることじゃないし、別段最新のサウナとかが搭載されてるわけでもないし」
凛ちゃん、海望旅館のお風呂をギリディスり!? いや、まあ、実際、露天風呂にすればいいのにー、って思うことはあるけど!
「せんとーくは、お風呂で『あー……』って感じの会話をセクシーに繰り広げるところがウリなんだよ! 日常の中のあんまり外に出てこないリラックスタイムとゆーか!」
凛ちゃんの力説は私にも何となく通じるものがある。一緒にお風呂って、なんか距離縮まる気がするしね。そういう方向のトーク動画なのだろう。アイドルがお風呂でキャッキャしてるって、それだけで楽しそうだもん。
と思いきや。
「今日はけむみに襲われてそれどころじゃなかっただけ」
なんか、必要以上に距離縮まってるー!? そう聞くと大変そうだったんだけど、これに凛ちゃんは大はしゃぎ。
「あははっ、それでこそ“お湯むす”っ」
あ、愛称は『銭むす』じゃないんだ。……確かに、それだと意味変わっちゃうしね。
「でも、ちゃんと楽しい話はできたのー♪」
「必要な分は話さないと閲覧数回らないから」
ながゆさんはどこまでもビジネスライクだけど……それが、けむみさんとある意味相性がいいのかも。ここににごりさんが加わるとどうなるのか……会ってみたいなぁ、どんな人なんだろう、にごりさん。
「けど――」
お、お、お……? ここで、ながゆさんが、何やら邪悪な笑みを……?
「――けむみの生贄になってくれる人がいれば、もう少しお湯を楽しめたんだけど?」
生贄って! けど、さっきの様子だと……う、うーん……けむみさんの相手するのは大変そう。
そして……もしや、この流れは――!
「あ、私、先に戻ってるねー」
「桜!?」
ごめーん! だって私、お湯むすさんのこと、よく知らないし! けむみさんはぼふっと凛ちゃんを捕獲すると――
「それじゃー、積もる話をするのー。お風呂でー」
「あ、あはは……」
そんな感じで、二度目の大浴場に連れていかれてしまった凛ちゃん。そこで、どんなファンサービスが待っているのか……まあ、ながゆさんがいれば、一線を越えることはないんだろうけど。
さてさて、そういうことで、私はさり気なく戦線離脱させてもらった。そして、ちょうど旅館の玄関口を通りがかったとき、私は伯父さんにばったり遭遇。
「おっ、桜ちゃん、ちょうどいいところに!」
妙に慌てた様子で、伯父さんは周囲をキョロキョロと見回す。そして、こっそりと私に何かの布を差し出した。
「これ、表の木に引っかかってたんだけど……誰のか分かるかい?」
手にしているのは――赤と白のストライプのブラジャー!?
「……え、これ……」
頭の中に浮かぶのは、さっきのサイドテールの女のコ。きっと彼女のものだろう。
「オジサンが聞いて回るわけにもいかないし、大々的に貼り出すのもなぁ……」
伯父さんも、それなりにデリカシーは持っているらしい。
「わかりました。ちょっと訊いてみます」
私はそのブラを受け取って振り返ると、さっきの日焼けした女のコが部屋に入っていくのが見えた。関係者っぽいから、ひとまず彼女に渡しておけば良いだろう、と私は小走りでそこへ向かっていく。
辿り着いたのは……おぉ……『本鮪の間』だ。旅館でもわりと大きめの部屋で、有名人の撮影チームが泊まっているのかな、なんて期待させる堂々たる雰囲気。
ドキドキしながら、扉の前でノック。「失礼します!」と声をかけて、ゆっくり扉を開ける。
するとそこは――本鮪の名前にふさわしく、とっても広い。六人か八人か、そのくらい寝泊まりできそう。部屋全体には和風旅館らしい落ち着いた雰囲気が漂っているけれど、随所に魚モチーフが散りばめられている。マグロを慕って泳いでいるその様は、まさに魚の王様って感じ。中央には大きなローテーブルが鎮座し、その天板には鮮やかな青海波模様が描かれていた。そして、壁には掛け軸の代わりに、漁師の網を思わせる豪快なデザインの装飾が飾られている。
窓際には、波模様のカーテンが日の光を少し柔らかく通していて、全体的に心地よい海の風景を感じさせる。けれどその白波っぽさは、どことなく『本鮪』という名前のインパクトに負けないような力強さもある。
室内自体は何度か見たことはあったけど、そういえば誰かが泊まっているところにお邪魔するのは初めてかも。本鮪のお客さんを前にしていると思うと、ちょっと緊張。
「あのー……こちらのブラなんですけどー……」
中にはふたりのお客さん。当然、サイドテールさんと日焼けさん……と思いきや……あれ? サイドテールさんはいるけれど、もうひとりは――
「……あっ、あなたは……!」
私は手に持ったブラを差し出したまま、頭の中が真っ白に! だって、その場にいたのは確かに見覚えのある――
「おおおっ、キミはあたしのこと知ってて――」
例のサイドテールの女のコが両手を広げて迎えてくれたけど、私が驚愕しているのは部屋中央のローテーブルに座っている別の女のコのほう!
「学園祭でビキニで踊ってた人!」
「って、またそっちかーいっ!」
私が叫んだその瞬間、サイドテールさんはバッタリと畳の上に倒れ込む。ごめんなさいっ! だって、そこで涙目になって教本らしき分厚い本に向かっているあの人は……私がずっとお世話になっていて、それこそ私のダンスの教本になっている人なんだもの。机の上にはタブレットが置かれているけど、それだけじゃ足りないらしく、紙の本と併用しているみたい。旅館の浴衣は寛ぎを感じさせるも、どことなく真面目そうな雰囲気も漂っている。ステージの上とはまた違った印象だ。
そして、いまさらながらちょっとした疑問に突き当たる。
「あれ? もうひとり部屋に入っていったはずじゃ……?」
さっき追いかけてきた日焼けの女のコを思い出す。あのコは?
「蘭ちゃんならもう遊びに行きましたよ」
勉強中の彼女が淡々と教えてくれた。縁側のほうを指差すのでそちらを見ると、窓が大きく開け放たれていて、床には『南国アイス』の派手なTシャツがでろんと脱ぎ捨てられている。
あ、あのコ……ここからどこに行ったの? 一応、外に出れば海へ下りられなくはないけど、道なんてないし――大丈夫なのかな?
心配でちょっとそわそわしていると、不貞腐れたサイドテールさんが部屋の隅で背を向けてゴロゴロしている。な、なーんか……気不味い……
仕方がないので、さっさとこのブラ渡して退散しておこう。勉強の邪魔をするのも良くないし。
「こちらなんですけど……」
さっき伯父さんから預かった例の赤と白のストライプのブラジャーを軽く見せてみる。その瞬間、勉強中の彼女が「あっ」と気づいたみたい。気分転換にちょうどいい、みたいに『んーっ』と身体を伸ばすように立ち上がり、こちらへ寄ってきてくれた。
「これ、あの人のブラだと思うんですけど……」
「多分そうですね。ありがとうございます」
小声でこそこそとやり取りして、とりあえず無事に引き渡し完了!
けれども……うわぁ……マジで本物だぁ……。ずっと画面越しに見てきたもんだから、まるで画面から出てきたみたいだよ。さっぱりとしながらもふわっとボリュームのあるショートの髪に凹凸のしっかりしたスタイル――解像度が悪くて表情はよく見えなかったけど、このしっとりとした瞳――そして、そこから生み出されるアイドル・オーラ、ってやつ? それが紛れもなく彼女本人だと示している。
せっかくの縁だし……ここは、勇気を振り絞って一言だけ!
「私、実は……ダンスをやっていまして――」
さすがに、ストリップ、って言えるほどの勇気はないけど。
「練習し始めた頃……あっ、いまもまだ練習し始めたばかりなんですけど……その際に、学園祭の動画を参考にさせていただきまして……!」
本当にそう。あの動画には、私がダンスを始めた頃からたくさんお世話になってきた。歌や踊りがめちゃくちゃ上手いわけじゃない。でも、その全体の雰囲気! 不思議と観る人を引き込む力があるんだよね。
そんなことを思い出していると、彼女はちょっと照れたように目をそらして、ぽつりと。
「あれはまだデビュー前で……恥ずかしいなぁ」
ということは――
「もうデビューしてるんですね!? 芸名とかあるんですか!?」
まるで自分のことのようにドキドキしてくる。うん、動画の音質はそんなに良くなかったけど、結構うまいなー、って思ってたもん。その人がプロになって、しかもこんな形でお話できるなんて……本当に夢みたいだ。
「えーと、Lunaru、って芸名で活動してたんだけど……」
Lunaruさん! 覚えた! すぐにでもチェックしないと! ……って、あれ? 過去形? 一瞬、胸がズキッとしたけど、彼女はその理由をすぐに教えてくれた。
「あっ、こないだの模試が悪すぎて、強化合宿に出されちゃったんですよ~……」
なーんだ、そんなことか。でも学生だって知って、ますます親近感が湧く。なんだか、一緒にテスト勉強とかしたらすぐに仲良くなれそう!
「おかげで、今度こそいい点数取れると思うんですが……この村での思い出、お勉強だけになっちゃいそうです」
そう言ってLunaruさんは恥ずかしそうに肩を竦めるも、ハッとなにかに気づいたように。
「あっ、他のメンバーは撮影できてますよ。まこさんなんて罰ゲーム……といいますか……」
ひぇー……あの崖のことかー……。度胸試しになるだけに、罰ゲームみたいな使われ方もするんだろうなー、ってのは想像に難くない。けど、女のコにここまでさせるのはさすがに酷じゃない?
それで……ふと思い出した。優菜ちゃんからたまに送られてくる動画に、あんな感じの人がよく出てた気がする。百皿中一皿しかない激辛わさび寿司を一発目で引き当てて企画を台無し(大爆笑)にしたり、水着の企画の度にブラがポロってポロリ要員とか呼ばれたり。
「まこさんって、もしかして、お笑い芸人の……?」
その瞬間、部屋の隅で不貞寝していたサイドテールさん――いや、まこさん――がむくっと起き上がった!
「違うっ! アイドル! ストリップ・アイドルですーーーっ!」
勢いよく立ち上がり、ズンズン私のほうへと寄ってくるまこさん。えっ、近い、近い! 私は思わず一歩後ずさる。いや、いや、ストリップ・アイドルってゆーのは、舞先輩みたいな人のことをいうんであって、撮影中の事故で“ひん剥かれる”ってのはストリップともアイドルともちょっと違うんじゃ……?
Lunaruさんが小さく苦笑しているのが見えて、思わず私も釣られてしまう。やっぱり、舞台に立つ人たちってのは何かと個性が強いんだなぁ。
それにしても、まこさん……勢いがすごい……。何というか、私には手に余るというか、荷が重いというか……ここは、適任者にパスしとこっかなー……?
「そっ、そういえば、ここの旅館の娘さんが、まこさんのファンみたいで……私、よく動画を彼女からシェアしてもらってたんですよー……」
それを聞くと……まこさんのテンションは一気に急上昇! 満面の笑みでカバンから取り出したのは……色紙……? わー……自分で用意してるんだー……。しかも、すっごくサイン凝ってるー……。だ、大丈夫だよね……? これでもし人違いだったら、まこさん今度は階段からガタガタガターってずり落ちそう。
ともあれ、まこさんの機嫌も直ったので、私はお暇することにした。
「それじゃあ失礼しますね~。これからも応援してます~」
これは、Lunaruさんへの声掛けだったのだけど、ビバッとまこさんも視線を送ってきたので……うん、まこさんのことも応援しなきゃね。どうか、これからも無事でありますように、と……
両極端なアイドルふたり組とのひとときを終え、私は元来た廊下を引き返していく。そして、旅館の玄関前のロビーに差し掛かったとき。
「あー、そこの人ー」
振り向くと、玄関前のロビーでビール片手にくつろぐひとりの女性が。……三十代中盤くらいかな? 長い髪を首の左側でまとめていて、上品な雰囲気が漂う。でも、その手に握られたジョッキが何とも豪快で……いや、酔っ払いじゃないよね?
「大将のお使いは済んだかな?」
その声は少し低めで、落ち着いている。
えっと、大将って……伯父さんのこと?
「ええ、まあ、はい」
と私は適当に返事をしてみる。……迷惑客? それとも常連さん? ちょっと迷いながらも、ここはロビーだし、目立つ場所だし、変なことにはならないだろうと判断。私は渋々女性のほうへ歩み寄った。
“さあさあ座って”とジェスチャーされて、促されるままに対面のソファに腰を下ろす。
「ビールでいいかい?」
「あ、いえ……お水で」
私だって成人してるし、お酒を飲める年齢ではあるのだけれど――知らない歳上の人と一緒に飲めるほどこういう席に慣れてるわけじゃないし。傍に水のポットがあったので、そっちから自分でグラスに注いで一口飲む。ふう、これで少し落ち着いた。
女性はジョッキを傾けながら、じっくりと私を見つめている。なんだろう、この圧……
「海藤さんと歳も近そうだけど、この辺の学生さんじゃあない……」
じっと私を見つめる視線に、少しだけ居心地の悪さを感じる。
「……ズバリ、あなたは――」
ゴクリ……と私が息を呑むこともない。そんな雰囲気の間は作ってるけど、結局ただの酔っ払いだし。
「――東京から撮影に来た人だね!?」
ああ、やっぱり。いきなり投げかけられた見当違いな推測に、私は即座に首を横に振る。
「いえ、この旅館に泊まりに来た、海藤優菜ちゃんの従姉妹です」
さっぱりと答えたけど……なんだろう、この人、ちょっと苦手かも。軽い冗談に見せかけて、相手を探るような言い方をするんだもん。
「あっちゃー、こっちは普通の宿泊客かー……って海藤さんの従姉妹!?」
額に手を当てて露骨に驚いてるけど、これ、たぶんさっき銭湯むすめのふたりやまこちゃんたちを学生呼ばわりして失礼したってことなんだろうなー。なんというか、どこまでも勘が鈍いとゆーか。
そんな私の訝しみを顧みず、お酒に頬を染めながらも彼女はスッと背筋を伸ばす。
「あ、申し遅れましたけど、ワタクシ、海藤さんの学校で英語を担当しております中村里奈と申しまして」
ぐえっ、優菜ちゃんの学校の先生!? まさかの展開に、内心で思わず舌を巻く。こんな酔っ払いっぽい人が先生なんて……いや、きっと優菜ちゃんも苦手にしてるんだろうな。
「で、単刀直入に聞くけれど……」
唐突に真面目な顔になった先生の視線が、ぐいっと私に向けられる。え、何? 何? 緊張する私に、中村先生が放った言葉は――
「都会で何が流行ってる?」
……はあ!?
「優菜ちゃんのことじゃなくて!?」
「まあ、海藤さんのことも心配だねぇ」
思わずツッコむ私をよそに、先生は優菜ちゃんのことをさらりと流す。いやいや、それならもっと最初から真剣に話しなさいよー!
「だってさー、せっかく先生が顧問になってあげるって言ったのに……」
え、先生いま、何て言いました?
「顧問というと……ストリップ部の!?」
さすが優菜ちゃん! 何だかんだで話を進めてたんだなー――と、ちょっとワクワクしてきたところなのに――
「そうそう。街では妙なもんが流行ってるみたいだねぇ、よく知らないけど」
中村先生のこの一言でシュンと消沈。なんというか……いろんなところが雑じゃない? 『よく知らないのに顧問引き受けたの!?』ってツッコみたいところだけど、ここはグっと飲み込んでおく。
確かに、優菜ちゃんが動いてたストリップ部の顧問を引き受けたのはこの先生みたい。でも、話を聞く限り、どうにも投げやりというか、無責任な印象を受ける。うーん、正直、あんまり好きになれないタイプかも。
「こんな何もない村に来てくれてありがとうねー。むしろ、村のみんなは東京のほうに行きたいかもだけど」
中村先生はカラカラ笑いながら、そんな自虐的なことを口にする。いやいやいや、村の魅力をアピールしようとしてるんじゃなかったの!?
けど、ここで先生の言葉が一転して、急に重くなる。
「けどね、そんなことじゃいかんと先生思うのよ」
そう言いながら、まるで自分の生徒に話しかけるような調子で言葉を続ける。いや、初対面なんだから、もうちょっと線引きしてほしいんですけど!
私は無難に相槌を打ちながら、先生の話を聞いている。
「何とかこの村にも都会らしさというか、都会から人を呼べるような催しとか、そういうのが必要じゃないかと思ってるわけ」
「はぁ……」
とりあえず聞き流しモードに入る私。でも、先生の心意気自体は立派だと思う。村を盛り上げたいって気持ちは伝わってくるしね。
「にも関わらずよ? よりにもよってオッサン連中がおっ建てたのが……学習塾だなんて!」
「う、うーん……?」
学校の先生が勉強を否定してるみたいで、ナンとも複雑というか正直というか。けど、実際に有名な学習塾が都市部のほうにはいくつかあるの知ってるけど……塾があるから人が集まるんじゃなくて、人が集まってる場所に後から作っただけじゃない? と、私も少し首を傾げる。
「学力を上げれば学生を誘致できる! ってゆーけどさー……勉強だけしに来た学生がこの村に根付くと思う? みんな街に出て行っちまうわ!」
ああ、確かにそれは一理あるかも。そういえば、Lunaruさんも強化合宿でこの村に来てたっけ。でも、ここでの思い出、受験勉強だけみたいだし……。村にもっと人を引き付ける魅力が必要なのかも。
「楽しくて、みんなが何度でも来たくなるような場所にしなきゃいけないと思うんだけど……」
ここで、先生はずいっとこちらに顔を近づける。
「ぶっちゃけ、ストリップってホントに流行ってるん? 男ばっか喜びそうなんだけど」
うっ! それは言い方が悪い! 先生、絶対勘違いしてる! ここははっきり言っておかなくちゃ。
「先生、海藤さんが立ち上げようとしているのは、競技ストリップのほうですよ!」
「競技?」
中村先生が首を傾げる。うん、やっぱり分かってなかったか。
「先生が想像しているのと違って男子禁制ですから、そういう環境を整えてもらえないと、選手も安心して大会に専念できませんよ」
私は頑張って説明する。だって、そこをきちんと理解してもらわないと、競技ストリップが何なのか誤解されたままになっちゃうし!
「あちゃー……なーんかおかしいと思ってたんだけど……そりゃーそーよねー……うん、うん。わかったわ」
先生は大きく頷いてくれた。少しホッとする私。
「うち、共学だし男子が何かと色めき立つだろうけど……ともかく、最大限の配慮はしておくわ。扉を施錠できるようにして、窓にはスモーク貼って……」
えっ、そこまで!? 意外と真面目じゃないですか、先生! なんだろう、このギャップ。
「なんか、街で流行ってるのは本当っぽいし、大会もあって……流行り始めたばっかなら新参校でもワンチャンあるかもだし……」
ブツブツ言いながらも先生のテンションはどんどん上がっていく。難ありな人だけど、この村のことを考えているのは本当みたいだなぁ。
と、そこに。
「あ、中村先生、こんにちは」
優菜ちゃんが通りがかる。その隣には、ホクホク顔のまこさん!
「あたしたち、一緒にお風呂入りに行くんだけど、桜ちゃんもどう!?」
まこさんが私の名前を知ってる!? どうやら、優菜ちゃんから聞いたらしい。私たちとは入りたがらないのに、まこさんとは一緒に入るんだなぁ……。そう思うと、私は少しだけ拗ねた気持ちになる。だけど、まこさんと一緒にいる優菜ちゃんの顔はすごく幸せそう。そうか、まこさんのこと、本当に好きなんだな。お笑いも好きだし、優菜ちゃんの本質って変わってないんだ、って思うとホッとする。
それに何より、いいタイミング!
「ということですので……先生、失礼します」
先生には悪いけど、話を区切るのにはちょうどいい。
「あっ、そっかー。それじゃ、また都会の話、聞かせてねー」
私は席を立つと、優菜ちゃんたちに同行する。『先生と何話してたの?』とか訊かれると思ったけど、その件には一切触れられなかった。ストリップ部のことだって察していて、それを避けたのかもしれない。そもそも、まこさんもいるしね。部外者の前でする話でもない。
ということで、「星見野って何か名物みたいなのある~?」みたいな無難な観光トークをしながら、私たちはお風呂へ。脱衣所で支度を済ませると、まこさんは張り切って浴場の扉を開けて一歩踏み込む。けど、その瞬間!
「ひゃわっ!?」
危ない! 誰かが転がしたままだったのか、足元に風呂桶が落ちてて、その縁を踏んじゃったまこさんが激しく尻餅! それだけでも十分ド派手な転び方だったのに、なぜかスコンと跳ね上がった風呂桶がまこさんの頭にヒュポッとハマる。
「う、うそでしょ……」
これまで、尊敬と緊張で固くなっていた優菜ちゃんもこれには笑いを堪えられない。
「ま、まこさん、大丈夫ですか!?」
その光景に、私はふと前日に見た“トンビにブラを持っていかれた姿”を思い出す。そして、きっとそういう星の下に生まれたんだなぁ、と妙に納得してしまった。狙ってやってるのかと思うくらいのドジっぷりだけど、これが素なんだろう。
ここまでは『あたし、有名人!』な顔して張り切っていたまこさんがションボリしていたので、優菜ちゃんがそっと桶を外す。これに、まこさんはちょっとため息。
「はぁ……こんなこともあるわなー。世の中ままならんもんよねぇ」
まこさんは頭をポリポリとかきながらそんなことをぼやく。けど……普通はこんなことないから! 変なところでどっしり座り込んでいるまこさんの雰囲気にどこかジジ臭さを感じて、私は思わず笑ってしまう。それでも、優菜ちゃんはまこさんに向ける視線がどこか切なげだ。
怪我の功名というか、そこから優菜ちゃんは楽しそうにまこさんと色々お話している。けれど……ステージとか、シングルとか……むむむ? なんか変な感じ。そしてそれは、まこさんも感じていた様子。
「……ははは、そうやってアイドルとして扱ってくれる気持ちは嬉しいんだけど……」
「す、すいません……」
どういうこと? と困惑していると、優菜ちゃんは「まこさん、ホントは正統派アイドルやりたいの!」と小声で教えてくれる。が、ここはお風呂だから。
「聞こえてるっての!」
こうしてすぐさまツッコミ入れてくるあたりも、すっかり芸人根性が染み付いてるというか。私は思わず笑ってしまって……けれども、それでまこさんも表情を柔らかくしてくれる。
「世の中、ままならんもんなのよ、ホントに」
思い通りにならないことばかりだけれど、まこさんはそう自分に言い聞かせて頑張ってきたのだろう。そんな達観した様子に、優菜ちゃんは小さく頷き、ぽつりと漏らす。
「すごいです……私にはそこまで頑張り続けられる自信、ないなぁ……レールを外れた生き方は、取り返しがつかないと思うし……」
その言葉に、まこさんは少しだけ考えるような仕草を見せて――けれど、しっかりと背中を押すように優菜ちゃんに語りかける。
「世の中には、取り戻せる失敗と、取り戻せない失敗があってね」
まこさんは静かに言葉を続ける。
「私が大きな失敗をしなかったのは、親友がしっかりしてくれてるから。あのコのおかげで、取り戻せない失敗だけはしないで済んでるんだよ」
「私にも……そういう親友がいればなぁ……」
優菜ちゃんは、少しだけ羨ましそうな目をして呟く。けれど、その言葉に私は何も言えなかった。『私がいるよ』と胸を張って言えたらよかったのだけど……それはなんだか違う気がしたから。だって私自身、守られる側の人間で、そのおかげで大怪我をしなかっただけ。そう思うと、ただ静かにふたりを見守ることしかできなかった。
***
そんな一幕はありつつも、私の海望旅館での日常は過ぎていく。Lunaruさんたち本鮪の間御一行もどうやら長期滞在しているみたいだけれど、偶然出会うようなことはなかった。
代わりに……ここって、中村先生だけでなく、近所のおじさんおばさんの憩いの場になっているようで、ロビーには入れ代わり立ち代わりいろんな人たちがやってくる。後で聞いた話では、美咲ちゃん凛ちゃんも普段はそう連日入り浸ってることもないみたいだけど、私が滞在中だからってことで、よく来てくれるみたい。それは嬉しいし、優菜ちゃんも楽しそうなのだけど……おかげで、昼間は全然勉強に集中できてないっぽい。ごめーん!
で、その結果、宿題をやるのは夜になってから……なんて聞くと勤勉に聞こえるけど、優菜ちゃんって、元々真面目な性格じゃないんだよね。もちろん、悪いことをするようなコじゃないし、守るべきことはちゃんと守るタイプ。でもさ、規則正しく早寝早起きとか、そういう生活はまるで向いてない。結局、昼前まで寝坊してるからね。やっぱり、無理して夜更かししてるんだろうなぁ。
そんな優菜ちゃんを見てると、どうにも胸がざわざわしてくる。なんか、私の知ってる優菜ちゃんとは違う気がして。でも、どうしたらその違和感の正体に辿り着けるんだろう?
そんなモヤモヤを抱えつつ、午前中は私も自分のことに集中してみることにした。それはもちろん、舞台の練習! 場所はここ、磯巾着の間。家具がすっきりしてる分、室内を広々と使えて最高! 気持ちよく踊りながら、動きのチェックをしてたら、少しだけ気持ちが晴れてくる気がする。
そして、お昼過ぎ――
ロビーを覗くと、美咲ちゃんと凛ちゃんが遊びに来ていた。
「優菜起きてる?」
「どーだろ? お昼ごはんのときはまだ寝てたみたいだけど」
そんな話をしていたら、ちょうど優菜ちゃんもやってきた。
「わっ、みんな早いねー」
「優菜が遅いんだよー」
なんて挨拶を交わしたところで、ふと優菜ちゃんが提案する。
「今日は久々に、私の部屋でアレ、やらない?」
「おっ、アレかー」
「そうだねー。今度桜ちゃん来たら一緒にやりたいねー、って話してたし」
むむむ? 三人で意気投合してるけど……何だろう?