ふたりの再会と隠された本音
東京からリニアに乗り込み、サクサクと流れていく景色を横目に私、鈴木桜は薄桃色のカーディガンに白いブラウス、ひざ上のプリーツスカートというお気に入りの服装で、スマホを手に握りしめている。画面には、地味~な教室で歌って踊る憧れの如月舞先輩の姿。この映像を観ていると、『可愛い後輩の成長のためだから』と無表情でグリグリと頬を擦り寄せながら撮影に応じてくれたあの日の記憶がよみがえる。その貴重な瞬間を映像に収めたものが、いまここで再生されているわけで、もはやこの一席だけは舞先輩による私のためのプライベートシアター!
背景は古い部室だけれど、私には見えるよ。まばゆいばかりのスポットライトが。ああもう、やっぱり舞先輩は最高だ! 静かな車内で気づかれないようにイヤホンから流れるメロディに耳を傾け、心の中では叫びたい気持ちを抑えている。普段はぼんやりとした表情で何を考えているのかわからない先輩が、踊り始めるとまるで別人みたいに輝き始める。まさにアイドルとしてのオーラが全開だ。このスカートのふわっとした動き、リズムに乗った繊細な指先……プロとしての魅力に溢れている。
けど……リニアの座席でこれを見続けるにはいささか気が引ける。だから、私の中で決めたルールがあった。一番が終わったら、さっとスライドして次にいくのが鉄則! ……だって、本来舞先輩の舞台は撮影が許されるようなものではないし、公の場でこれを見ていると周りの目が気になってしまうのもあるし。
というわけで――次に表示されたのは、どこかの学園祭での映像だ。よく知らない女子高生が、小さめのビキニで歌って踊っている。舞先輩が遠い目標だとしたら、こっちは私にとっての教科書みたいなもの。何度も観て練習してきたから、まさに私の基礎になっている。だからか、曲に合わせてフンフンと鼻歌が出てしまい、ついには肩や腕まで控えめに動かし始めてしまう。こんな風にノリノリでリズムに合わせるのは日常茶飯事。他の人のことなんて気にしない! ……と言いたいところだけど――
ガタッという音とともに隣の席が揺れた。ちらりと横を見ると……あぁ、名古屋で乗ってきた人かなぁ。見ず知らずの人の横でビキニ女子の動画を見続けるわけにもいかないので……私はさらに画面をスライド。今度の曲は古竹未兎ちゃんだから恥ずかしいことは何もない。ちょっと昔の……『裸になりたい』のライブ映像! タイトルだけ見るとなんだか刺激的だけど、これはあくまで『自由になりたい』という意味の曲なのだ。
このライブ、未兎ちゃんは黒いへそ出しレザードレスに身を包んでいて、衣装的には至ってシンプル。でもその歌声とパフォーマンスは、どこまでも情熱的で力強い! 画面の向こうからも、未兎ちゃんの『事務所の都合で縛られてたまるか』みたいな気持ちがビシビシ伝わってくる。
芸能界には色んな“しがらみ”や“決まり事”があるらしいけど、それに縛られているからこそ生まれる作品もあるはずで……そう思うと、この『裸になりたい』っていう曲も、そんな逆境があったからこそ出てきた未兎ちゃんの本音なのかもしれないなぁ。
という一曲が終わったところで、私は動画の再生を止めて窓の外に目を向ける。遠ざかる街並みと、かすかに光るビル群――流れる風景に、私はスマホを握りしめていた手が少し汗ばむのを感じる。ここまで来たんだもの、絶対意味のある旅にしなくちゃ――変わっていく景色を眺めながら、私はどこか異国にいるような感覚を呼び起こしていた。
目を閉じると――何度も観た舞先輩のステージが思い浮かぶ。普段は無表情な先輩だけど、舞台に立ったときの笑顔は輝いていて――それに私は何度も励まされてきた。この旅にどんな結果が待っているのか、それはまだわからない。それでも、今日に向けて重ねてきたたくさんの思いたちが、私を支えてくれるような気がしていた。
さて、しばらくスィーっと行ってから乗り継ぎ駅で降りると、リニアのスピード感から一気に落ちる特急、そしてさらにはのろのろ運行する各駅へと。あ、いや、のろのろといっても人の目には追いきれないほど速いんだけどね。けど、車内の雰囲気が何というか……リニアや急行の近未来的な空気感とは違い、地元ローカルな各駅停車の列車内にはどこか素朴で懐かしい匂いが漂う。なんだか、ここまでくると絶妙なタイムトラベル感だわ。未来から過去に戻っていくみたいな。
窓を開け放ったまま走る車両からは、微かに潮風が感じられる。到着時刻を再確認したところで、私はスマホの画面をそっと閉じ、車窓に目を向けた。
「この景色、久しぶりだな……」
ポツポツと点在する平屋の家々。畑を耕す人の姿。小さなバス停に集まる学生たち。東京では見かけない風景が次々と流れ、昔の記憶が鮮やかに蘇ってくる。あの川の音、花火の匂い、真っ暗な田んぼ道を歩いたあの日――すべてがつながっているような気がして、胸が少しだけ切なくなった。
次の停車駅のアナウンスが流れると、緊張と期待がじわりと高まる。乗り換えの旅の疲れがどっと押し寄せてくる一方で、心の奥では不思議な充実感が芽生えていた。服のシワをさり気なく整え、忘れ物がないかバッグの中を確認。
「もうすぐ……」
私は自分にそう言い聞かせ、席を立つ準備を。車両が小さく揺れるたびに、目に映る景色が変わっていく。それにつれて、私の心も少しずつ旅先に染まっていくようだ。
そして、辿り着く。目的の駅――星見野に。
電車から降りてホームに降り立っただけで――あー……相変わらず“のどか”だなー……なんてほっこりする。新宿から自分の町に帰ったときでさえ、空が広ーい、なんて思うものだけど、さすがに山が見えるほどじゃないから。
駅にはエスカレーターなんてなく、階段を上り下りして駅舎のほうへ。そこをくぐり抜けると、駅前にはロータリーが広がっていた。日差しがじりじりと肌に触れ、真夏の空気が全身を包む。アスファルトが白く光り、その照り返しに思わず目を細めた。荷物の少ない肩を軽く揺らしながら、駅前の静けさに耳を澄ませる。
人の気配はほとんどない。バス停のベンチには座って大丈夫なのか不安になるようなヒビが入っていて、風に揺れる古びた時刻表が小さな音を立てている。ロータリーの向こうには低い建物が並び、くすんだ外壁が目に入る。商店街の入り口らしきアーケードも見えるが、人通りはない。静かに潮の香りが漂い、遠くから鳥のさえずりが聞こえるだけ。
「変わらないな……」
小さく呟き、私はカーディガンの袖を整える。この場所に来るのは久しぶりだけど、景色そのものはあまりにも馴染み深い。どこかで記憶が重なり、遠い夏の日を思い出させるようだ。
駅舎の時計を見上げると……あれ? まだこんな時間? スマホを取り出そうとバッグの中を探ってみる。そこにはタオルやらペットボトルやら……ある意味、都会と変わらない。ふと郷愁を感じてしまい、それを振り切るように私は時刻を確認。あー……あの時計、ちょっと遅れてるんだなぁ。そんな大雑把なところに、この町の大らかさを感じる。
「ふう……」
大きく息をつき、私は再びロータリーへ目を向けた。耳に届く水の音がかすかに響いている。リズムよく繰り返されるその音は、駅前に漂う静けさを際立たせているようだ。
「そういえば……」
さっきから違和感があったんだけど……? 私の足は、自然とロータリー中央のほうへ。歩き出す靴の下から砂利の音が小さく響く。何かに誘われるように歩みを進め、その前に立ったとき――目の前の異変に気づいた。
「この噴水、新しくなってる!」
うん、そうだ。確かに昔から噴水はあったけど、古ぼけた雰囲気で、その中央に飾ってあったのは、えーと、えーと……? 歴史を感じさせる石像だったはず。ああ、そういえば、前に来たとき、近々取り壊すって言ってたっけ。噴水を取り壊して、改めて噴水を作り直したってことかー……どんだけ噴水大好きなの!
けど……うん、やっぱり新しくなっただけにピカピカで綺麗だ。水がキラキラと噴き上がって、中央には銅像が立っている。しかも裸の女性の彫像だなんてビックリ! 銅像の下には『風と海への祈り 二一〇一』と銘が刻まれている。まさに今年に入って建てられたばかりっぽい。
彼女の姿は堂々たるもので、背筋をぴんと伸ばし、長い髪をふわりと後ろにたなびかせた姿勢がそこはかとなく優雅。羽衣みたいな布が舞っている感じも、風に吹かれているみたいでどことなくミステリアスでロマンティック。きっと、この彫像は誰かが定期的に磨いているんだろうなぁ。だってピカピカで、眩しいくらいだもの。でも、裸の銅像を丁寧に磨く人って、どんな気持ちなんだろう? プロとして仕事だからと言っても、なんか不思議だよね。それに、この彫像のモデルになった女性、自分の分身がこんな風に人前に堂々と裸で立ってるのって、どんな気分なんだろう……? とか勝手に色々想像しちゃう。
少し離れた向こうのほうにはコンビニっぽい小さな建物もある。こっちも前回まではなかったものだ。けど、店内が暗いから……ああ、やっぱり。近づいて見ると中は空っぽで『貸店舗』の張り紙が。駅前で良さげな立地とはいえ、この辺って車社会っぽいし、なかなか難しかったのかもね。噴水の煌びやかさに対して、少し寂しげな印象を受けて、ちょっと物悲しい。
さてさて、先方には到着予定時刻も伝えてあるから、お迎えが来るのもそろそろかな……? 私はキョロキョロしながらも、ワクワク感が止まらない。もしかしたら、迎えに来るのは優菜ちゃんかも!? なんて期待がふくらむ。
従姉妹の優菜ちゃん――海藤優菜ちゃんは私と同じ高校二年生。活発で一緒に川遊びなんかもしょっちゅうした仲だ。“中学を卒業して成人”したら、免許を取るって意気込んでたし、もしかしてもう自家用車でブイブイさせてるのかも……?
そして、どんな車で登場するかもドキドキものだ。昔から使ってる見慣れたので来るのか、それとも優菜ちゃんらしく内装をカラフルでキュートにデコレーションしてたりして!? あぁ、想像するだけで楽しみが止まらない!
そんな妄想を抱きつつ待っていると……ピッと控えめにクラクションが鳴った。そっちに振り向くと、見たこともない綺麗な車が私の前に停まっている。これってまさか……優菜ちゃん、ホントに新車を買っちゃったとか!? そんな期待に胸を弾ませて車体に近づいてみると、運転席から顔を覗かせたのは……伯父さんだった。
ちょっぴり残念だったけれど、それでもきちんと挨拶しなきゃ。
「こんにちは、よろしくお願いします!」
伯父さんの車に乗り込むと、車内はきっちり清掃されていて、程よくおじさんの香りがする感じ。優菜ちゃんの趣味とは違って、実用性重視って感じのシンプルな内装だけど、クッションもふかふかで居心地は良さそう。ダッシュボードには招き猫のキーホルダーがぶら下がっていて……優菜ちゃんが付けたのかな? ここだけちょっと可愛らしい。
車内の雰囲気にちょっぴり緊張しつつ、先ずは『高校はどう?』とかそんな当たり障りない会話を……していたと思ったら!
「桜ちゃん、高校で彼氏とか作んないの?」
いきなりの直球質問が飛んできた!
「伯父さん、うち、女子高だし……」
私は苦笑いしながら答える。ここから変な方向に進まないよう、ここは話題を変えとこっと。
「そういえば、今日は優菜ちゃんが来るのかなー、とか思ってたんですけど……」
優菜ちゃんから『免許取ったー!』って連絡は去年のうちにもらってたしね。けど、私の何気ない呟きで、伯父さんは寂しそうな雰囲気を滲ませる。
「実は……最近、全然運転しなくてね」
その声色からも、もしかして優菜ちゃんに何かあったのかな? と勘ぐってしまう私。でも、わざわざ理由を聞くのも悪いし、ここは様子を見つつ、あとで自分なりにさり気なく探ってみようかな。
車は切り立った崖沿いの道を走り、窓の外には青く広がる海がどこまでも見える。水平線と夏の空が交わるその風景は、まるで絵葉書のようで、つい見とれてしまう。潮風がかすかに感じられるようで、ワクワクする気持ちが増していく。そして、そんな景色の彼方に見えてきたのは、優菜ちゃんの実家『海望旅館』――その名の通り、海が望める絶好のロケーションだ。
旅館からつながる崖の上には、明らかに宿泊客らしき四人の男女が立っているのが見える。
「うわぁ……また挑戦者が……」
呆気にとられて、私は思わずつぶやいてしまった。あの高さは……少なく見積もっても十メートルはありそう! いやいやいや、あんな崖から飛び込むなんて、どう見ても普通じゃないでしょ! これは……いわゆる“命知らず”な宿泊客たちが集まってるのかも?
「親父の代じゃあ考えられなかったんだろうけどなぁ」
伯父さんが口癖のように言うのも納得。小学校の社会の授業で習ったとおり、二十一世紀中盤にはいろんな規制があって、こんな飛び込みなんて間違いなく禁止されていたはず。でも、時代が変わって自己責任社会となったいまでは、『危険です』って注意看板一枚出しとけば、あとは自己責任ってことになっているらしい。だから、こういうスリル求める人たちも遠慮なくやってくるんだとか。ちなみに、伯父さんの代で事故が起きたことはないとのこと。
「ま、そんなに命知らずが大勢押し寄せるわけじゃないけどな」
やれやれって調子で伯父さんは言う。けど、そのひとりの勇姿を見届けるために一団でやってきてくれるわけで。おかげで旅館は今日も繁盛しているらしい。つまり、崖の上の女子四人も、そんな御一行様ということ。
「今日泊まってるのも、“女のコ五人組”でな」
伯父さんはそう説明してくれたけど……ん? んんん……? 女のコ“だけ”のグループ……? 確かに、立ち尽くしている三人は女子モノのカラフルな水着みたいだけど、勢いをつけて海に向かっていったあの人は……?
「いま飛び込んだ人、裸だったような……?」
「ナニィ!?」
「伯父さん、前! 前!」
あまりにも危ういハンドル捌きに、私はすかさずツッコミ全開! こっちはもう心臓バクバクだよ! てか、もう飛び込んだ後だってば。いまさら覗いたところでとっくに海の中でしょーよ。
しかし……どーでもいいことのはずなのに、さっきの光景が何故だか頭から離れない。髪は短かったし、全身こんがり焼けていたから、何となくの印象で男の人かと思ったんだけど……
「……泊まってたの、本当に女のコ五人組だったんです?」
「おぅよ、明日からはまた別の団体さんも二組来るけどな。今日は桜ちゃんも来るし、女子率一〇〇%だなー、なんて母さんとも話してたんだよ」
これは、伯父さんの勘違いってこともなさそう。あの崖は旅館の建物内を通って行くしかないから、宿泊せずに飛び込みにだけ来る人ってのもいないはずだし。男の人なら、テンション上がってパンツまで脱いじゃったのかな? みたいな可能性も考えられるけど、女のコが……?
そのとき、私の脳裏にあの駅前の彫像が思い浮かぶ。真っ直ぐ太陽に向かって身を投げ出す、あの堂々たる姿。気持ちよさそうだなー、なんて思うと気持ちがフワフワしてくる!
そんな私に構うことなく、ふたり目の飛び込みが始まった。今度は……ビキニだしサイドテールだし、間違いなく女のコ。走り方がダバダバしていて、この時点ですでにちょっと面白い。けれど、足場を蹴って、中空に身を投げだした瞬間――私は信じられないものを見た!
「いまっ、飛び込もうとしたところで、トンビがあのコのブラ持ってっちゃった!?」
ウソみたいなホントの話! どんな食べ物と勘違いしたのか……ともかく、黒っぽくて大きな鳥が、しゅーっと女のコの後ろから急降下して、赤い生地をすいーって……!
それを目撃した私自身さえまだ信じられないのに、伯父さんは疑うことを知らない。
「ナニィ!?」
またしても無謀な脇見運転が炸裂!
「伯父さん! 前! 前!」
だから、いまから探しても遅いんだってば!
そんな叫び声を上げながらも、私たちはどうにか無事に海望旅館へと辿り着いたのでした。
車が停まり、外に降りると――そこには古いながらも威厳が漂う風貌の建物。どこか時代を感じさせる木造の二階建てで、白い壁に瓦屋根が青空に映えて、まるで海と一体になっているみたい。入り口にかけられた木製看板も年季が入っていて、磨き上げられた木目が旅館の歴史を物語っている。
建物のすぐ隣には大きな松の木が立っていて、潮風に揺れる姿がなんとも美しい。塩気を帯びた風が、涼しげな音を立てながら松葉を揺らすたびに、ここが優菜ちゃんの家なんだなー、と改めて懐かしい気持ちにさせてくれる。
到着して早速中へと入ると、まさに和風旅館の風格。木の香りが漂っていて、ちょっと優しい板の感触が足の裏に心地いい。建物のあちこちに少しずつ増改築を重ねた所為か、ちょっとした迷路みたいな構造になっていて、いつ来てもワクワクする。さすがに地図が必要なほど広くはないけれど、だからこそ丁度いい。
廊下は細くてちょっと暗めで、ところどころに古い提灯が下がっている。ほのかな光が雰囲気を盛り上げてくれるんだけど、それがなんだかドキドキする。客室は大小あわせて六部屋あるそうで、私が通されたのはその一番奥である『磯巾着の間』だ。けどこの部屋に辿り着くには、一度二階に上がってからまた一階に降りるという、ちょっとしたアトラクションをクリアしなきゃならないのがちょっと大変。だからこそ、長らく泊めてもらえるのだけれど。
その部屋に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、昔ながらの和の雰囲気が漂うこぢんまりとした空間。壁には優雅な波の絵が描かれた屏風が立てかけられ、海を感じさせる趣がある。天井には竹製の灯りが吊るされ、柔らかな光が部屋全体に広がって、落ち着いた雰囲気を演出している。
畳の香りがほんのり漂い、床の間には海岸で拾われたような貝殻や部屋の由来にもなっている磯巾着のオブジェが飾られていて、まるで海辺にいるような気分になれる。窓を開けると、微かに潮風が吹き込んできて、涼しさが心地よい。
滞在中の服とかそういうのはダンボールに入って部屋に先着していた。私は手荷物を置くと、畳の上にゴロリと倒れ込む。い草のふかふかの感触が気持ちよくて、旅の疲れが一気に溶けていくみたい。『やっと着いたー!』って気分で、最高のリラックスタイム! でも、何かが足りない……例年なら優菜ちゃんが勢いよく飛び込んできてくれるはずなのに、今年は静かすぎる。なんだか、様子が変だぞ?
気になった私は、自分から優菜ちゃんに会いに行くことに。住居エリアは宿泊客が立ち入ることのない場所だけど、私は親族だから問題なし! 元来た道順でぐるりと玄関まで戻り、そこからさらに二階へ上がって……ついに優菜ちゃんの部屋の前に到着。引き戸を軽くノックして、呼びかける。
「優菜ちゃーん、遊びに来たよー!」
少しして、ドアがゆっくり開くと、出てきた優菜ちゃんは……あれ? 髪型が違う!? 元気いっぱいのツインテールがトレードマークだったはずなのに、今日はしっとりと下ろしていて、少し大人っぽい雰囲気が漂ってる。肩までゆるく流れる後ろ髪が自然なウェーブを描いて、暗い髪の中に光沢が柔らかく輝いている。丸く大きな目が印象的で、普段の明るさと違ってなんだか落ち着いた印象。ほんの少し照れたように顔を伏せる姿が、普段の彼女とまた違う魅力を感じさせて、ちょっとドキドキしちゃう。けれども、どうやら学校指定の体操着を部屋着にしているようで、胸のところに『県立星見野南高等学校』のロゴが入っている。こういうところ、ちょっと優菜ちゃんらしいな、と思いつつも、優菜ちゃんなら面白Tシャツとか仕込んでてもおかしくないのになー……ってのは、ちょっと期待しすぎだったかな。
優菜ちゃんは私の顔を見て、ようやく今日のことを思い出してくれたみたい。
「ごめーん、ちょっと下で待っててくれる? もう少しだから」
「何かしてたの?」
優菜ちゃんに尋ねると、返ってきた答えは――
「うん、夏休みの宿題」
「え……」
えええええええ!?
信じられない衝撃を胸に抱きながら、私は言われるがまま下階へ――旅館の台所へと向かった。といっても、旅館としての厨房ではなく、自宅の給湯室のようなところだけど。
古い木造の台所は、壁に吊るされた鍋やフライパンがピカピカに磨かれていて、実家のような懐かしい香りがする。棚の上には醤油や砂糖が並び、手作り感のある温かい空気が漂っている。
そこでは、伯母さんがポットに麦茶を注いでいた。厨房のほうは昼過ぎから仕込みや何やらで忙しいみたいだけど、こっちはあくまで家族用。ちょっとした休憩スペースのようなのどかさが感じられる。だけど、その姿はあくまで仕事の合間――そう思うと、私の眼差しにも尊敬がこもる。
「桜ちゃん、いらっしゃい」
私が戸口から現れると、伯母さんがにこやかにと声をかけてくれた。
「あら、優菜はどうしたの?」
案の定訊かれたものの、私だっていまだに信じられない。
「それが……宿題を……」
答えた途端、伯母さんの顔にも驚きと心配の色が見える。あの優菜ちゃんが真剣に宿題をしているなんて、やっぱり伯母さんもピンとこないみたい。
「喜ばしいことだとは思うのだけど……」
伯母さんがつぶやく。優菜ちゃんといえば、いつも『家業を継ぐから勉強なんて必要ない!』って言い張ってたし、それに対する伯父さんの『アホに継がせる家業はねェ!』という応酬は海藤家の食卓の名物みたいなものだったのに。
これは……何と声をかければ良いのやら。
「あ、私が持っていきます!」
麦茶の乗ったトレイを受け取り、再び優菜ちゃんの部屋まで階段を上がっていく。住居エリアの廊下を抜けて辿り着いた優菜ちゃんの部屋の前で、私はノックを――トレイを持ったままなので、コンコン、というより、手の甲ごとぶつけるようにゴンゴンと――けれど、中から「はーい」って返事はもらえた。
部屋の中に入ると、やっぱり優菜ちゃんはまだ机に向かっている。彼女が勉強している姿なんて、ある意味レアで神聖なものを目にしている気がして、心の中でこっそり感嘆が漏れそうだ。部屋はシンプルながらも整理整頓されていて、窓からは柔らかい日差しが差し込み、落ち着いた雰囲気。棚には旅館のパンフレットや宿の手帳なんかが並べられていて、海望旅館を継ぐ気満々な優菜ちゃんらしい一面が伺える。
「持ってけって言われたの? 私が下りるつもりだったのに」
私が座卓のほうにトレイを置いたところで、優菜ちゃんが振り返った。
「ううん、私がこっちで話したいな、って思って」
私が床に座ると、優菜ちゃんも、うーん、と背筋を伸ばす。
「よっし、今日の分終わりっ」
タブレットを閉じると席を立ち、私の前に座ってくれた。
「今年はもう宿題やってるんだね」
私が尋ねると優菜ちゃんは当然のように答える。
「夏休みの宿題は計画的に進めないと」
何があったの!? ――と、内心ツッコみたいけど、本来ツッコむところでもないので、私はグッと飲み込んだ。
「そのー……部活とか、やってないの?」
私はどうにか話題を変えてみる。去年の私は合唱部にいて、その練習で遊びに行けない、って話してたんだよね。そのとき優菜ちゃんは、結局いまある部活じゃ満足できないから、自分で部活を作ってみる、みたいな話をしていて。それで、今度会ったときはその話もできるかもねー、って。それも、楽しみのひとつだったのに、返ってきた答えは――
「もう高校生だし、大人だし、部活とかで遊んでる場合じゃないしね」
ええええええええ!?
その言葉を聞いた瞬間、まるで雷に打たれたようなショックが身体を駆け抜ける!
「新しい部活作るって言ってたのはどうしたの!?」
思わず問いただすと、優菜ちゃんは軽く肩をすくめて答える。
「一応、去年いっぱいは動いてたんだけどねー」
「すごいじゃん、どんな部活?」
私は当然興味津々! だけど。
「秘密ー」
優菜ちゃんはにっこり返す。まるで何かを隠しているみたい。
「えー、気になるー!」
私はしつこく食い下がってみるも、優菜ちゃんに話す気はなさそう。
「出来もしなかったことを話してもダサいだけだから」
素っ気なく誤魔化す。何だか、急に大人びたというか……これまでは未来に向けて色々思いを馳せていたのに、そういう熱意が急になくなってしまい、いまは少し距離を感じる。
ただ、こんな現実的な優菜ちゃんはあまりにも不自然すぎて、“そう装っているだけ”のような。でも、『何か隠してない?』とか問い詰めるわけにもいかず、私は言葉に詰まってしまう。
すると、今度は優菜ちゃんのほうから質問が。
「むしろさくっちは去年まで合唱やってたんでしょ? なんで辞めたの?」
これに、私はドキッとする。それこそ、私が一番話したかったことだから。
「それは……えーと、他に興味あることができて」
「ふーん」
優菜ちゃんは興味なさそうに小さく返す。けれども……その瞳の奥に宿る爛々とした好奇心までは隠しきれない。やっぱり、優菜ちゃんは優菜ちゃんのままだ、と私のほうまでドキドキしてくる。
「――けど、こうして遊びに来たってことは、部としてはまだ成立してないってわけだ」
去年は自分で部を作ろうとしていた優菜ちゃんだけに、こういうところの勘は冴えている。私がモジモジしていると、優菜ちゃんはニコっと笑った。その顔は、これまで通りに見えて、とても心強い。
「何なら、私がさくっちの部活を作るのに協力してあげようか?」
「いいの!?」
一瞬でテンションがMAXになってしまい、私は思わず叫んでしまった。
「ま、学校違うからできることは限られるけど」
優菜ちゃんがちょっと照れくさそうに言うのを見て、私の心は再びワクワクでいっぱい!
「ううんっ、そんなこと全然ないよ! あのねっ、全国大会は他の学校の生徒と組んでもいいって!」
いきなり前のめりになる私に、優菜ちゃんは苦笑い。
「いやいや、だから何をやりたいのよ?」
改めて訊かれて……ここで言わなきゃいつ言うの、って感じだ。だから、私は勇気を振り絞る!
「そ、その……ね? す、ストリップ……なんだけど……っ」
私のお願いに、優菜ちゃんが固まる。そりゃ、驚くよね。何しろ、一緒にストリップをやってほしいだなんて頼んでいるわけなのだから。
さてさて、二一〇一年現在、日本各地で『競技ストリップ』っていうのが密かなブームになっているのは紛れもない事実だったりする。もちろん、表立って持て囃されているわけではないけれど……まあ、一部で、じわじわと、みたいな感じで。
私たちの祖父母の時代は何につけても“締め付け”が厳しかったらしいけど、いまは『自己責任社会』が浸透して、義務教育を終えたらもう成人として認められる世の中。高校生でも大人の扱いだから、普通に水商売でバイトしてるコだって少なくない。お爺ちゃんたちは『これも時代の流れか』とか『信じられん!』とか、色々言ってるけどね。
で、この『自己責任社会』のおかげで、女性としての美を追求したり、自分を解放していこうっていう動きが盛り上がってきた。それが『競技ストリップ』として学校関係者の間でも注目されてきていて、ついに全国大会が開かれるまでに!
ただねー……『美を磨いていこう!』って集まる場だからって、男の人が入ってくると、どーしても雲行きが怪しくなるってゆーか。ということで、すべては女子限定。男子禁制のストリップとしてルールができたのだ。それならば、って感じで、私たちの学校でも『競技ストリップ部』っていう部活があったりする。
実は最初、自分の学校からエントリーするつもりだったんだけど、まー……いろいろあって、上手くいかなくて……それで、優菜ちゃんに頼ろうって思ってきたんだよね。今年やってきた本当の理由は、実はこれ!
出場するにはまず部活を立ち上げて、そこから四人のメンバーを選ばなきゃいけないんだけど……競技ストリップは流行ってきているとはいえ、その活動は大手を振ってできるわけじゃないし、部活としてやるには気が引けるコも多い。だから、大会参加は他校の生徒の助っ人もOKっていうルールがある。昔、高校野球で導入されたのと同じ仕組みらしいけど、ありがたい制度だよね。
「どうかな……?」
優菜ちゃんも部活を作りたいって言ってたし、まだできてない様子だし……それなら、きっと力になってくれる! ……って思ったんだけど……!
「あ、あのね……」
優菜ちゃんは神妙な表情で言葉を探しているみたい。こういうところも……うーん……いつもパパっと決断しては即行動に移す優菜ちゃんらしくない。
だからか、つい私のほうが意気込んでしまう。
「ほら、一緒に裸で海水浴した仲だし!」
優菜ちゃんは一瞬固まったようだったけど、
「それは小学生のときの話でしょ!」
次の瞬間には顔を真っ赤にさせていた。
「そういうのは子供だから許されることなの!」
ビシッと私を睨みつけるように言ってくる。やっぱり、らしくないな。こういうことでも、もっと軽いノリで笑い話として受け入れてくれるタイプだったのに。普段だって、お笑い動画とか観るのが趣味だし。
「そんなアホみたいなこと考えてないで、もっと真面目に生活しようよ!」
優菜ちゃんが真顔で言うので、なんだか私のほうが叱られている気分に。昔は、少し茶目っ気もあって、もっと自由な感じだったのに、どうしてこんなに変わっちゃったんだろう? と、少なからずしんみりしてしまう。実は、明日にはこっちの友達とも会う予定になっている。もし彼女らも優菜ちゃんと同じ調子だったらどうしよう……なんて心配もよぎるけど、久しぶりにみんなと会えるのはやっぱり楽しみのほうがいまは大きい。
結局、優菜ちゃんはあんまり自分の話をしようとはしなかった。私の高校生活のほうに関心を持ってはくれたれど――それでも、私の部活について協力してくれそうにはなかった。
さて。
その日の夕飯は、旅館の賄いと聞いていたけど、想像以上のご馳走が並んでいて思わずテンションが上がっちゃった! 広めの食卓に、色とりどりの小鉢がずらりと並べられていて、煮物、焼き魚、天ぷら、それに旬の野菜を使った和え物まで、どれもきれいに盛り付けられている。特にお造りの盛り合わせは、光り輝く新鮮なお刺身が一枚一枚美しく並んでいて、まるでお店で食べるような豪華さ。これが賄いって……じゃあ、お客さんが食べるのはどこまで豪華なの!? ってビックリしちゃう。厨房で丁寧に出汁を取って作ってくれたというお味噌汁も、具がたっぷりでほっとする味わいだ。
しかし、いつもなら食事中に必ず聞こえてくる『勉強しろ!』という伯父さんと優菜ちゃんの掛け合いがないのが少し不思議な感じ。食卓の端で大人しく食事をしている従姉妹を見ながら、私はしみじみと『変わるときは本当に変わるんだなぁ……』と実感していた。
夕飯を終えて、いつもなら優菜ちゃんと一緒に大浴場に向かうところだけど、今日は「先に入っといてー」と言われてしまった。少し残念な気持ちを抱えつつ、私はひとりで入ることに。廊下には柔らかい間接照明がともり、和風の落ち着いた空間が広がっている。天井には竹細工のランプが下がり、足元には畳が敷かれていて、歩くたびにふわりとした感触が心地よい。
脱衣所に入ると、木の棚が並び、籠が整然と置かれている。お客様用の籠にはふかふかのタオルがセットされていて、木の香りが漂う空間がいかにも旅館らしい。鏡の前には洗面台がずらりと並び、スキンケア用品も整えられている。こういう設備があることもあり、他の宿泊者たちが鏡の前で髪を整えたり、おしゃべりを楽しんでいる。
そして、いざ大浴場の扉を開けると、湯気がふわりと顔を包み込み、大きな湯船が視界に広がった。石造りの湯船の周りには庭園のような緑が見え、窓の外には夜風に揺れる竹林が影絵のように映っている。湯船に浸かってみると、心地よい温かさがじんわりと身体を包み込み、旅の疲れが溶けていくようだ。けれど、周囲から聞こえてくる楽しげな入湯客たちの声が、かえって少し居心地を悪くさせる。やっぱり、優菜ちゃんと一緒におしゃべりしながら湯船に浸かるのが一番だなぁと、少し寂しくなってしまった。
お湯から上がった後は……移動の疲れもあって、私はひとり磯巾着の間でまったり。この部屋はおひとり様用だし、奥まったところにあるので、基本的にお客さんが使うことはあまりない。もし使うことがあったら、私は優菜ちゃんの部屋に寝泊まりすることになるんだけど。
ふたりで過ごすのも楽しい。でも、ひとりでいるからこそ――こうして、舞先輩の動画をじっくり観ることができる。他の人には見せない、ってのが約束だったから。
「……はぁ……やっぱりすごい……」
いろんなダンスを巡り巡った末にストリップに行き着いた人だけに、その振り付けは本当に綺麗。さらさらと棚引く長い黒髪と白い肌が交わりあってとても素敵……
……ん? あれ? 長い黒髪、で気づいたけど、そういえば、シュシュ、どうしたっけ? お風呂前に外したのは間違いないけど……そこから先の記憶がない。多分、脱衣所のほうに忘れてきたんだろうな。他のお客さんの拾得物と混ざっても良くないし、いまのうちに回収しておこうっと。
そんなわけで、また二階に上がったり一階に下りたりして、大浴場の前に到着。すると――トントンと扉の向こうから小さな音が聞こえてくる。何の音かな? と、ちょっと不思議に思いながら扉を開けると……
「さくっち!?」
優菜ちゃんの驚いた声が響く。何故か慌てて長椅子の上に置いてあったスマホを手に取る優菜ちゃん。未兎ちゃんの曲が流れていたから、どうやら音楽を聴いていたみたい。しかもパンツ一枚で……
「優菜ちゃん、こんな時間にお風呂?」
私が尋ねると、優菜ちゃんは少し焦った様子で答える。
「う、うんっ、お客さんと鉢合わせするとあんまり良くないからねー」
そっかー。それでこんな時間に……だったら言ってくれれば良かったのに。私なら遅風呂でも構わないし。
「一緒に入っていい?」
二度風呂だけど。やっぱり、大浴場はみんなで入ったほうが楽しいもんね。
けど。
「さくっちー、ひとりでゆっくり入りたいから、この時間だっての察してよー」
断られてしまった。
「うーん、ごめんねー」
軽く謝って、私は本来の目的を。……うん、あった。洗面台にポツンと残されていたシュシュを回収すると、すぐにその場を後にする私。けど……優菜ちゃんだって、一緒のお風呂を楽しんでなかったはずはないのに。本当に、この一年で何があったんだろう……?