第二十九話 二度目の相対 ⑤
「反省?」
「そうだ。仲間が死のうと、友が死のうと家族が死のうと最善の策を取れる様に。冷血の名に恥じない様に、な」
「言ってくれるな。確かに今の俺では冷血にはそぐわないな」
「でもでも、セシィは今の領主様の方が好きだなぁ」
真っ直ぐなセシィの言葉に照れ笑いを見せ、執務室の扉を開く。
静かで寂しげな一室が――待っている筈だった。
臙脂色の生地に黒い刺繍が入ったロングコートに身を包む女性が、サラリと伸びる馬の尻尾の様な茶髪を揺らし振り向いた。嘲るかの様な紺色の瞳で四人を見渡し、高笑いをしだす。
「デボラ・パゴット、己が領地をほったらかして何の用だ。今は卿に構っている暇は無いぞ」
「そうかそうか、なぜ魔術師に下ったかを領民へ説くのに忙しいか」
「オイ、お前さんよぉ――」
放っておけと一言、トゥリオを制止したフレッツァはドカッと机に腰掛ける女性を気にせず書類に幾つか書き出す。
「ほう。裂割塊石の譲渡、か。友人の仇討が為に魔術師共と取引したのは本当らしいな」
続けて女は尋ねる。以前にした話を覚えているか?と。
書類の作成を終え、フランへそれを渡すと、目もくれずにいた女へ答えた。
「何時の話だ?五年前か、十年か?悪いが興味の無い事を覚えて置く程、脳ミソに余裕が無いモノでな」
「ならその鳥頭をほじくり返して思い出させてやろうか?」
彼女が語り出したのは領主としての在り方。
強く気高く聡く。確固たる信念を持つ者こそが、皇帝より賜りし領地を治めるに値するであろう。
三年前の語らいから自身の考えは何一つ変わらずにいる、と強く訴える女に返したフレッツァの口調はまた冷たくなっていた。
「斯様に下らない話など今の今まで奥底に埋もれていたな。で、それがどうした?」
「……同時にこんな事も話したな」
在るべき姿を失った者に一坪程も治める権利は無いと吐き捨てると、女は剣の柄に手を掛けた。
「させねぇよ」
風よりも、音よりも速かった。トゥリオが抜いた剣の切っ先は、女が掴む柄を鞘へ固く封じる。
「別にコイツの事が好きな訳じゃねぇがな。最善を尽くし、多くを救った奴への侮辱は聞き捨てならねぇ」
「ほう?よく言ったモノだ。条件を持ち掛けた張本人の台詞とは思えんな」
トゥリオの眉が上下にひくつく。剣を握る手にも力が籠る。
「やめておけ。そんな小娘を切った所で、刃の錆にもならん。それにもうすぐ――」
ガチャりとドアノブが回る。開いた扉の先には堂々たる老爺と、従う兵士。
「こうまで事が予想通りに進むと、ワシの余生にもう楽しみは望めんかもしれないのう」
老爺は立派に蓄えた髭を撫でながらつまらなそうに放つと女を、パゴットを睥睨する。
「南部辺境の隠居老人が何の用だ?兵まで引連れ、竜でも退治しに来たか?」
「隠居とは、コレまた憧れる響きだのう。お前さんの様な血の気が多い娘さんが、少しでも落ち着いてくれれば退陣も見えて来るんじゃが……」
「質問にも答えられんほどに耄碌したか?目的は何だ」
「一つはお前さんが言った通り、悪しき竜の退治。もう一つは小娘のお守り、だな」
プッと吹き出した四人にパゴットの鋭い眼光が突き刺さる。
「ほれ、勇ましく睨みを利かせとらんで付いて来い。剣士の君も、剣を納めてくれんかのう?」
言われるがままにトゥリオは刃を納めるが、パゴットは掴んだ剣を離す素振りも、一歩動く身振りも無い。それどころか、自由になったのを良い事にサッと刃を抜き、フレッツァの項へ突き付けた。
「弱者が君臨するなど看過出来ないな。例え、皇帝より賜った地を赤で染める事になろうとも、な」
空間を偽りの無い殺気で満たしたパゴットをグリマーニが笑い飛ばす。豪快に、気持ち良く、コレでもかと。
一頻り笑った後に、放ったグリマーニの言葉が帯びる凄みは飛び回る羽虫すらも震え上がらせた。
「小娘如きがこの地を血に染める?その選択のどこが聡く、どこに強さがある?一体何の信念がある?」
慈悲深き神様を思わせる穏やかな老人像は今や見る影も無く、対する女史は宛ら獅子を前にした野うさぎ。奥歯が小刻みに触れ合い、音を立てている。
少し時間を置いて、グリマーニが目尻と口角に皺を寄せて二カリと笑った。
「ハッハッ、スマンのう。昔のクセが出てしまったわい」
総毛立つばかりのパゴットの襟首を引きつつ、ポリポリと頭を掻く翁には平時の温和が戻っていた。
「じゃあ行くとするかの。フレッツァよ、後ほど人を送ろう。ココは守りの肝心要、復興に尽力したまえ」
「言わずもがな。再興の暁には酒でも送ろう」
「老人の扱いを分かっておるのう。では良物を期待しておくとしよう。ではフランチェスカ、君も、君達も達者でな」
去って行く背中にフランの呼び声がぶつかる。
「どうしたのかね?」
「……現状を、と思いまして」
「現状、とな。まぁ色々と耳には入っておる」
喜劇に悲劇、心躍る冒険や葛藤。真贋定かでは無いが、風に乗ってどこからともなく止めどなく、一行の活躍は彼の集まって行くそうだ。
「人脈は広くてのう。思わぬネタバレを食らってしまいそうじゃ」
「ネタバレ?ですか?」
ゆっくり頷くとグリマーニは楽し気に続ける。
「予想通りに事が進む、先にこんな事を言ったが……君の、君達の行動は予想を遥かに超えていてな」
唯一の楽しみだと言う。
正直な気持ちを明かせば、今を知り今後の展望を聞きたい所、だそうだが――
「結末が見えてしまうんじゃないか、とな。だからこそ、君とのお話は少々リスクが高いんじゃ」
ただ会話を拒んでいるのではない。常軌を逸した結末を、それだけを求めているからこそ過程は重要ではない。これまでも、これからも。
「もし、ワシの為を思ってくれているのなら、旅の終わりに立ち会わせてくれんか?」
終始困惑顔だったフランは、フッと小さく笑いグリマーニへ一歩寄る。
「分かりました。幕を下ろす直前にでも、手紙を送りましょう。それまで息災で」
「ウム。涙、笑い、呆気、どんな結末であろうとワシは君の肩を抱くとしよう。ではソチラも息災でな」
大満足、と言った様子でグリマーニは部屋から去って行った。
本来の寂しさ漂う執務室、四つの大きな溜息と、椅子へ崩れ落ちる音が広がる。
「なぁ、アンタ……アイツと友達辞めた方が良いぜ。アンタの事踏み台にしか見てねぇ」
「安心しろ。元より友人と認めた覚えは無い」
「そうかい。話は変わるが、辺りに泊まれるとこはあるか?」
フレッツァは深く掛けていた腰を上げ、三人を眺める。無言のままに凝視し続けるもので、フラン達は固唾を飲んでいた。
「どうかしましたか?」
息苦しい沈黙を挟み、彼の口から出て来たのは意外な言葉だった。
「東端に宿を手配する。一番被害の少ない地域だから無事だろう。それと、仕立て屋を呼んでやる。一人や二人、暇を持て余している者が居るだろう」
千切れ、穴あき、ボロボロでみすぼらしい姿で疲労困憊の三人にはこれ以上と無い贈り物だ。
しかし何故かトゥリオはフレッツァを訝しんでいる。
「数時間前とはえらい変わり様だな。突っ返されると思ったが……なんかあったか?」
バサリと羽織ったコート揺らし振り返り、外を眺めながらフレッツァは細い声で答える。
「感謝と畏敬だ」
「なんて?声がちいせぇよ」
「助力への感謝!それと畏敬だ、何度も言わせるな」
「偶然ですね。ジョエルさんから似た様な事を言われましたよ」
「奴に?……まぁ良い。馬車を呼んでおくから外で待っていろ。ココも何時崩れるか知れたモノではないからな」
変わりなく背を向けるフレッツァに三人は、礼を告げ部屋を後に。最後、出ようとしたフランへ声が掛かる。
「ココより南西、ギアド氷河湖だ」
「はい?」
「その杖では先も捗らないだろう?ギアド氷河湖に腕の良い職人が居る。お前の手に馴染む杖もお手の物だろう」
「ありがとうございます!では、領主殿も息災で」
今度こそ、と振り返るともう一度彼女を引き留める。
「どうされましたか?」
「奴に……いつかジョエルに花でも手向けに来てくれるか?」
「当然です。全てにケリが着いたら、またココに戻りますよ。必ず」
「待っているぞ。旅路に幸を願いながら」
とびっきりの笑顔で返したフランは、二人の元へ駆ける。




