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第二十九話 二度目の相対 ④

 セシィの持つ短剣から血が滴ると同時、ゴウゴウと燃え盛る火柱が忽然と姿を消した。前触れも無く、竜の姿もろともだ。

 辺りに視線が泳ぐ三人の目に映るのは僅かに残る火煙と焼け跡――舞い散る鱗と天より急降下する黒を帯びた赤色の飛来物。


 一直線、他には一切見向きもせずにフランへと突っ込んで行く。


「師匠!」


「――セシィ、詠唱を続けて下さい。これ位受け止めて見せます」


 腰を落とし、どっしりと構え、フランはキッと竜を睨み付ける。


纏イテ(レーテ・)牢固タル殻ト成レ(スト・トゥーラ)


 集う魔力はフランの身体を包み込み、瞬く間に強固な外殻を形成。わざとらしい余裕の笑顔を顔面に張り付け、迫る竜を迎え撃つ。

 襲って来たのは削れど鋭利さを未だ残す二本の爪。生身の人間が正面切って受けて良い攻撃では無い。受け止めているのが杖と言うのであれば尚更だ。


「理性を失おうとも竜……“今この場”で誰が最大の脅威になるかは理解している様ですね。ですが――」


 美しい歌を思わせる精霊との対話が始まっていた。


「叡智と繁栄。祖と清純。無限と可能性。決意と希望。信念と決意。命の円環(えき)せし五大の精霊――」


 ある限りの力を込められた杖が悲鳴を上げる。潰さんとする怒り、押し返さんとする確かな意思が反発し合う。


「其の力を以て理崩す汚濁(おじょく)を払え」


 巨体の全力を凌ごうとフランの全身が軋む。


(たい)熱以て滅せよ、清明(せいめい)の泡沫以て浄化せよ。されど限無(げんな)の関頭以て可能性を示せ、変化を(もたら)す暁光以て行先を照らせ」


 大地踏み締める足が沈んで行く。少しずつ、少しずつ。それでも決して放棄へ舵を切る事はしない。

 血肉を捧げ語らうセシィの為に、この身を支えようと(ひた)走るトゥリオの為に。


「尚も滅びを求めるならば、染まる事無き浄闇(じょうあん)以て祖へと()す」


 杖が限界を迎えた。迷いなく身に残る力全てを駆使して、目の前の狂爪(きょうそう)を把持。足首までが地中へと姿を隠す。


(あらため)は破綻し、再び向いた刃は我が喉笛に。ならば我は五大に乞う、故に我は五大に唱える」


 制止を振り切った一方の爪がフランの眉上を浅く斬り裂く。自由を勝ち取った朱色の爪先は、容赦なく再度襲い掛かり、脇腹への刺突――直撃の間際、トゥリオが割って入る。

 だが、より早く駆けるべく鎧を脱ぎ捨てた彼は文字通りの生身。幾多の血管浮き上がる強靭な肉体と言えど、振り直した爪が先端でも当たれば致命傷。


 必要なのは死への覚悟?仲間を如何なる状況でも守り切る勇気?――答えは逆転の一手だ。

 通りすがりに拾い上げていたフランの杖の片割れで竜へと狙い定め、トゥリオは悪い笑みを顔一杯に広げた。


「俺のとっておきだぜ。鋭光ヨ穿テサルラート・ヴェローチェ!」


 細く頼り無い一筋の光線は、鼻先から後頭部へと抜けて行き、竜の身体が大きく仰け反る。


「お前等がよく使ってるからな……見よう見まねで覚えたんだぜ」


「上出来です。セシィの詠唱が終わるまで、後は私が」


 折れた杖先を握っていたトゥリオの手を差し戻し、フランは血の滴る顔面を不敵に歪めて見せた。


「甘く見ないで下さい!杖くらい無くても、最高出力でぶっ放してやりますよォ!」


 両手を前に構え、雄叫びかの如くフランは唱えた。


光柱立シ、天ヲ貫ケ(エルーチ・レストロ)!」


 大地より空へと伸びた無数の光の柱は竜の動きを完封。精霊との対話は佳境へ突入する。


「応ずるなら、血潮と魂、脈打つ肉を糧としその身を奮え――唯、理を(せい)する為術(せんすべ)


 小さな、辛うじて肉眼に映る程の黒い星が現れた。呼吸を一つ置く毎に大きく、黒く、暗く。やがては闇より暗く、漆黒より黒い暗黒の星は竜の身体と、足を付けていた地の一部を飲み込んでいった。深い深い大穴を残し。

 直後、三人は揃って大きな溜息を吐き、その場で大の字に寝転んだ。


 何の騒がしさも無く、残り火の燃える音だけが鳴る都市の中、力尽きたフラン達の元へ重なった足音が近づく。

 フランとセシィにはラヴィーニアが、トゥリオにはフレッツァが手を差し伸べている。


「ご苦労様です。私達の街を守って下さり、ありがとうございます」


 先の約束通り、フランとセシィ、ラヴィーニアが再開を喜び合う一方で、険悪な雰囲気が一部に立ち込めていた。


「助けは要らねぇよ……さっさと例のモン寄こしな」


「…………いつまで……冷たいフリをしている?」


 一瞬フレッツァを睨み付けるが、トゥリオは直ぐに顔を綻ばせた。


「……あぁ……もうやめるよ。悪かったなこんな方法しか思いつかなかったんでな」


 フレッツァの手に掴まり、立ち上がった彼が口にしたのは謝罪だった。深く頭を垂れ、瞳に涙を浮かべながら震えた声で何度も何度も。


「全ては忌々しき竜が原因……お前達を責めるつもりは無い。お前が謝る道理もな」


 静かに言うとフレッツァは、一人歩き出した。向かう先は言わずもがな。


「約束は双方が果たしてこそだ。付いて来い。ラヴィーニア、この場の処理は任せた」


「承知しました、ではお二人も」


「はい。ではまた後ほど」


 タタタとトゥリオへ駆け寄る二人にラヴィーニアが祝言を呟く。


「領主殿、揃ったぜ」


 砦、執務室へ戻る道中、ジョエルとの思い出を一つ彼は語り出した。最初で最後になった喧嘩の思い出だ。

 まだこの北の地に戦火が広がっていた時の話。彼とジョエルはとある岐路にて意見が分かれた。


 一つの村……故郷を犠牲にして千人万人の民を救うか、故郷を守り領土に死体の山を築くか。

 ジョエルは多くの命を救うべきだと、彼はフレッツァは自分達を育てた故郷を守るべきだと。一夜に及ぶ言い合いは故郷の村が陥落すると言う形で決着が着いてしまったそうだ。


「元々、大勢力の攻撃に耐えられる地形でも無ければ、多くの兵が控えていた訳でも無かった。寧ろ下手に兵を割けば領土の中枢部が手薄になってしまう現状だった」


「その時と、今回を重ねたか?」


「否定は出来ないな。奴には時として命を天秤に掛けるべき瞬間がある事を教わっていた筈なのに……即決できなかったとはな」


「なら反省すべきだな。後悔じゃなくて反省をな」

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