第二十八話 交渉の材料 ③
目覚ましはモフモフ犬、もといジオカーラ号の遠吠え。日の出と同時に行動開始だ。
真っ先に紹介されたのは、城下一番の賑わいを誇る歓楽街。まだ早朝にも関わらずグラス、酒瓶片手に人々が活気を作り上げている。
「いつもこんなに賑やかなんですか?」
「この時期限定さ。農家は仕事を納め、漁夫達は丁度海から戻った頃でね」
極寒を耐え忍ぶため油コッテリの料理を度数高めの酒で流し込み、昼に向けての活力を蓄えるのが極北ならではの文化だと言う。
「さて、まだまだ行きたい所が沢山あるんだ。次はどこがいい?絶景?それとも我が領が誇る壁上砲台かな?」
三人は返事をする間も無く馬車へと詰め込まれた。
港を横目に市場を抜け向かった第二の目的地には正装姿の紳士淑女が休む間無く往来していた。
「金融街か?」
「その通り!そして僕の一番お気に入りの場所さ」
「どうして?ジョエルさんはお金が好きなの?」
「嫌いな人は中々居ないだろう?僕が好きな理由はアレ、さ」
ジョエルの目が向く大通りには忙しなくも朗らかな表情で行き交う人々の姿。
彼は言った。あの者達の見せる表情こそ、ココが好きな理由だと。
「ココはお金を、即ち都市や国、領土を動かす為の燃料を生む所だ。其処で働く彼らがあの顔をしている。何が言いたいか分かるかい?」
黙り込む三人に微笑み掛けジョエルは続ける。
行く人々が見せる表情は金融街の活気や状況を表していると考えているそうだ。
暗ければ芳しくなく、明るく柔らかければ好調。眺め続けやっと判明してからは、つい時間を忘れて見入ってしまう事も多いらしい。
「どうだい?邪な理由じゃなくてガッカリしたかい?」
「とんでもないですよ。きっとあの方達も幸せだと思いますよ。アナタの様な方に努力を見て頂けているのは」
「そうかい、ありがとう。なら僕は、こんな暇をくれるフレッツァに感謝しなくてはね」
「領主が多忙でアンタは暇で良いのか?」
「あぁ、僕の仕事はコレだからね。街を見て人を見て彼に伝える、それが僕の仕事さ。彼は多忙だからね。勿論補佐の業務もこなしているよ」
ジョエルはその後、時間まで少しばかりだが領主の話を聞かせてくれた。
どんな人物か、どんな功績を残したか。聞けば聞く程に、民を思う素晴らしい領主像が浮かんでくる内容ばかりだ。
冷血などデマではないか、そんな思いが三人の胸に湧き出していた。
「じゃあそろそろ行こうか」
ジョエルが見せた時計は長針と短針が文字盤を丁度左右に割っていた。
「リラックスだよ。きっと上手く行くさ」
北方砲塁、二度目の訪問。
一行には一度目よりも大きな緊張が押し寄せていた。謁見の場である領主の執務室が近づくにつれて息遣いまで荒くなってしまいそうだ。
扉を前にジョエルが足を止めた。振り返り、三人へ笑みを向け頷く。
「失礼します」
書類を広げ業務真っ最中の領主フレッツァが、狼の様な鋭い瞳で入り口を越えた三人を睨み付ける。
「掛けろ」
部屋中央に置かれた椅子へと着席を促される。
質素な椅子だ。加えて絨毯も、戸棚も仕事机でさえも無駄な装飾や煌びやかさは皆無だ。
「要件を」
短い一言から発せられる重圧に耐え深呼吸を一つ。フランは事の全てを伝える。
沈黙の時間が流れる。耐え難い沈黙の時間だ。
一言も発さず、時は流れフレッツァがゆっくりと腰を上げた。
「――それを対処するのが魔術を生業とするお前達の責務であろう?」
「ですが――」
「ですが?古くからこの地へ座し、人の心の拠り所となって来た宝珠を持ち出す理由でもあると言うのか?」
「多くの人々が犠牲になるかもしれません!すでに何人もの魔術師がその身を捧げているんです!」
フランは一歩たりとも引き下がらず領主へ食らい付く。
しかしフレッツァもそれは変わらず、両者の熱は徐々に上がって行き早くも一時間。
「ならば聞こう。お前は民を救うとほざくが、この地の者はどうでも良いと?」
「その様な事は考えはありません。コレは大陸全土を巻き込む問題です、多くの死が地を埋め尽くす可能性だって……どうかご理解を」
「何も分かって無いな。何一つだ。人には死より苦しく悲しい別れがある、と言う事を」
フランが黙り込む。セシィもトゥリオも。
「他に何か要件は?」
静寂を挟み、フランが首を横に振る。
「クレオン卿、三人を外へ」
返事以外は放たずにジョエルが三人を部屋の外へ連れ出す。
無音の廊下を無気力に歩き暫し、セシィがポツリと漏らす。
「簡単には……行かないよね……」
「そう、そうだね。一筋縄に行かない事は分かってたけど――」
ジョエルは今日の彼に何か思う事がある様だ。長年共にして来たジョエルだからこそ思う事が。
「何かこう……余裕がない様な」
多忙を割き漕ぎ付けた謁見故に余裕が無いのは理解できるが、それとは別物の“何か”が差し迫った様だったとジョエルは言う。
「何か心当たりはあるんですか?」
「そうだね……一つ思い当たる節が――」
――セシィの叫びが空気を切り裂いた。伏せて、と砦内を瞬時に駆け巡った。
思考よりも早くフランの身体は地面に伏せていた。
直後、轟音が耳を劈く。始まった大きな揺れは脳を直接揺らすかの様に激しい。段々と意識が薄れてしまう程だ。
明転を繰り返すフラン視界に空を飛ぶ巨大な影が映った。禍々しい飛翔体だ。だが強い揺れを受けた脳は正しく身体を動かしてはくれない。
今の彼女に出来るのは精々眼球を動かし状況を、仲間の安否を確認する事くらいだ。
セシィは?物陰に伏せ、魔力の防護壁に覆われている。トゥリオは?暴風吹き荒れる中、必死に声を上げ手繰り寄せている――




