第四話 決壊 ①
パゴット領東部――
〈ミポーレ湿原〉
「リオ兄、師匠、結構雨が強くなってきたけどどうする?」
「そうですね、そろそろ雨具だけでは心許ないですね。川の流れもかなり早くなってますね」
大粒の雨が絶え間なく降り注ぎ、流れる川が轟音で唸る。小さな支流は既に許容量を超え溢れてしまい、足元の状況も控えめに言って最悪な状況が続いている。
「フラン、一旦引き返すか?風も強くなってきたみたいだ」
「そうしたい所ですが、来た道に沿っていた川が既に氾濫していて……」
三人の状況はまさに八方塞がり。幸いにも一行の現在地は比較的、幅の広い流れ沿いに位置する高台である為、直ぐに濁流の餌食となる事は無いが、この先雨が強まれば事態は確実に悪い方へ転がってしまう。
そんな現状を好転させるかの様に、一人の人物がフラン達を呼ぶ。
「――今なにか聞こえませんでした?呼び声?の様な物が」
「うん、少し聞こえたかも」
一斉に耳を澄ませるも、激しい流れが発する雑音と、地面を叩く雨粒が欲する音を掻き消してしまう。
「――い……おーい……の三人」
フランの耳が確かに声を捉える。辺りに響く騒音を跳ね除け、しっかりと三人を呼ぶ声が。
目を凝らし、辺りを見渡す彼女が捉えるのは揺れる木々、大岩を飲み込む急流……そして人影。
フランが大きく両手を振り、自身の存在を伝えると再び声が響く。雑音に阻まれながらも届いた声は「上流」と「安全」の二言。判断に迷う言葉だが、このままではジリ貧だと考え彼女は二人へ一先ず上流へ向かう提案をする。
「そうだな、あの誰かとも合流できるかも知れない……が、二人は大丈夫か?」
「大丈夫だよ!だてに鍛えて無いからね!」
得意げに鼻息を立てるセシィに続けて、フランも「心配は要らない」と力強く答える。
そうして三人は、慎重に高台を下り地面と平行の高さへと迫る流れを辿り川上を目指す。
幸運な事にフランの判断は正しかった。上流へと向かうにつれ少しずつ流れは穏やかになってゆき、未だ激しい流れだが対岸へ渡るのは容易そうな程度だ。
そこから更に暫く上流へ進むと、先程フラン達を呼んでいた声の主が姿を現す。
「おぉ、無事に来れたか。もう少し上ると、まだ生きている橋があるから、そこから対岸に渡って来るんじゃ」
「オウ、ありがとな!アンタはどこへ?」
「この先にワシの小屋があるから、そこで待っておる。橋を渡ればすぐに見つかるはずじゃ。待っておるぞ」
雨具のフードで顔は余り見えないが、優し気で頼もしいその言葉を元に三人は再び、川を辿り始める。再出発して程無く、フラン達はフードの人物が言っていた橋へと到着する。橋を渡った先には言う通り小屋が一軒、フランが扉を叩くと、真っ白で立派な髭を蓄えた老人が出迎える。
老人はニッコリと優しい笑みを浮かべながら三人を招き入れ、タオルを手渡しフランのお礼を背に部屋の奥へと向かう。そしてフラン達が向かう頃にはテーブルの上に湯気の立つコップが三つ。
「大変じゃったろう?まぁ座ってお茶でも」
「では、お言葉に甘えて――」
透き通った赤茶色、口に含めば仄かな甘みと、鼻から抜ける爽快な果実の香り。喉を通れば雨に打たれ冷えた体の隅々へと染みわたり、飲み干す頃には、心の芯まで温まっていた。
「ごちそうさま、おじいちゃん!」
「はっはっは、おかわりいるかのう?して、お嬢さんがた、何故あんな所におったんじゃ?」
「レグミストを目指していまして……その途中で大雨に」
「そうかレグミストか。と言う事はその恰好と言い、お嬢さん魔術師かの?」
老人の何気ない一言でフランはハッとする。助けて貰った恩人に、自己紹介すらしていなかった事に些か汗顔しつつ挨拶と、再度深々と礼をすると、それに釣られた二人もフランを真似る。
「そんな畏まらんでも構わんよ。魔術師のお客さんなんて十数年ぶりじゃな。まぁ普通のお客さんも久しいがのう」
「あの……お爺さんは昔からここに?」
「がっはっはっは、ワシとした事が名前を教えて貰ってこっちが忘れるとは!ワシはガエタン。この地に子供の頃から住んでおる」
互いの自己紹介をきっかけに三人とガエタンが段々と打ち解け始めた頃、降り続いていた豪雨が勢いを弱め始める。そこで、今の内にと出発の準備へと掛かろうとした一行をガエタンが引き留める。
どうやら今年は稀に見る程、雨量が多いらしくこの様に雨が弱まった時に招く油断がこの地に慣れない者にとって最も危険であるとの事であった。それに加え外の様子を見た彼いわく、一帯の排水を担う主流がどこかで堰き止められてしまっているらしい。辺りの洪水もその為だそうだ。
「恐らくじゃが、側壁が壊れてしまったのじゃろう。その瓦礫が主流を塞いでしまっておる」
そんな状況故にフラン達はここから暫く動けない様だった。急を要する旅では無い、天気落ち着くまでガエタンも泊めてくれるらしいが“決壊”と言う大きな問題は解決しない……そうこうしている内にまた雨足が強くなり始めていた。
「しばらく休憩ですね」
「しょうがないね」
どうにも抗えない自然の驚異を前に、すっかり親しくなった四人は窓を叩く雨粒の音に負けない位の賑やかな会話を繰り広げていた。
齢八十と言うガエタンの人生譚はどれも、三人にとって興味深い物ばかりだった。
竜と精霊の喧嘩、湿原を襲った二か月間の長雪、マナが夜空に描いた七色のカーテン。どれもこれも彼女たちが目にも耳にもした事の無い話ばかりだった。そして、大本命と言わんばかり鼻を高々にガエタンが語り始めようとしたその時――