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第二十六話 吹雪が去るまで ③

「ラニくーん――」


 すかさずフランはセシィの口を押え、唇に人差し指を当てる。


「しー。見ててください」


 案山子を前に全ての集中力を杖へ注ぎ込むラニエリの姿を見てフランは確信を得ていた。

 “今日で”必ず修めると。


 フランとセシィの手は無意識の間に、祈るように結ばれていた。

 彼は気づいているのか否か一層集中力を高め――遂に唱えた。


冥刃、遠邈ヲ打チ払エフェルラーマ・リマーギオ!」


 時を空けずに漆黒のマナが収束、結合し半月状の刃を形成。杖を一振りすれば闇の刃は風を切り裂き、一直線に案山子の胸へ。

 みすぼらしかった姿は、より無残な姿へと変貌を遂げる。


「よしっ」


 拳を小さく振り下ろした少年は、やっと二人の存在に気付いた様だ。


「お見事でしたよラニエリさん」


「うんうん、狙いもバッチリだったね!」


 差し出したセシィの平手をパシッと叩き、照れくさそうに頬を染めた少年をフランは追撃の様に持て(はや)す。


「分かった、分かったから勘弁してくれよ」


「もー、ラニ君ったら照れちゃってぇ」


 やめろやめろと拒んでいるが満更でもなさそうだ。

 顔いっぱいに漲る笑顔が物語っている。つい最近までは絶対に見せなかっただろう笑顔が。


「でフラン、コレで課題は終わりだよな?」


「そうですね。基礎に加えて中級程度の防御と攻撃、まだまだ覚える事は山ほどですが充分でしょう」


「じゃあって事はさ……」


 物欲しげな瞳を隠せずにいる少年にフランは木彫りの飾りを贈る。

 灯る松明と短剣を模った徽章【正方】の魔術師を表す徽章だ。


 両手で受け取ったラニエリは何よりも大事そうに胸へ抱えると、涙腺を緩ませながら二人へ数え切れない感謝の言葉を返した。


「これで、これでやっとアイツ等を俺一人で……」


「そうだね【正方】と言えど協会に所属してれば、あの子達を養うくらいどうってこと無いね!」


「うん……うん」


「ホラ涙拭いて下さい。厳しい様ですがまだスタート地点へ立ったに過ぎないんですから。さぁ鼻も拭って」


 溢れ続ける感情をどうにか引っ込ませ、激しい動きで乱れた身なりを整えいざ特訓再開とした時、積雪を吹き飛ばさんとする茶化し声が一帯に渡る。


「そうだそうだ!男なら泣くんじゃねぇ!恥ずかしいだろうが!男が泣いて良いのは生まれた時と便所に間に合わなかった時だけだ!」


「便所に間に合わなくて泣いてる方が恥ずかしいじゃねぇかよ!アンタみたいな大人なら尚更だぜ」


「いやいや、便所が間に合わないなんて事そう無いだろ?滅多な事で泣くんじぇねぇって事だ」


「もっと違う比喩があるんじゃないですか?本当に下品ですね」


「リオ兄に二つ名をあげるなら【下品】か【下劣】だね。ちんけなけんしとかもアリ?」


 容赦の無い袋叩きだが、気にしている様子は全く無い上に、ウキウキいそいそと準備運動を始めている。


「なんだ?アンタも参加するのか?」


「オウよ。お前さんが泣きべそかかなくていい様に強くしてやらねぇとな」


 ニカッと笑みを見せ剣を引き抜いたトゥリオは、予告無しにラニエリへ飛び込む。

 完全なる不意打ちだが、ラニエリは一切の焦りを見せずゆっくりと構え、放つ。


輝々鏡壁(ドレッキオ・)万物ヲ反射セン(リフレット)


 宙に発現した光の障壁はトゥリオの全体重が乗った一撃を軽々と弾き返す。

 

「中々やるじゃねぇかボウズ。じゃあ、こんなのはどうだ?」


 一歩退き、俊足で踏み込み――惑わすよう機敏に左右へ軌道を変えながら接近。ラニエリに構える暇を与えず間合いへと入り込む。

 接近に気付けていないラニエリは為す術無く、鏡の様な刃の餌食に。


(はえ)ぇ……」


「さっきのも、今のも本気だ。何故、不意打ちに対応出来て正面からの攻撃に対処出来なかったか分かるか?」


 切っ先を突き付けたまま問い掛けるトゥリオにラニエリは一言、分からないと。

 スッと剣を下ろしたトゥリオは、フッと表情を緩ませ少年の頭へポンと手を置く。


「殺気ってヤツだ。命を獲りに行く気迫がお前さんの身体を固めちまったんだ」


「殺気?どうしたらソレに気を取られず戦えるんだ?」


「そうだなぁ……」


 暫し悩んだ様子で剣を納めたトゥリオは答えを放った――光の速さにも引けを取らぬ居合切りと共に。


「慣れ、だな!今度も本気で行くぜ?」


 剣と魔術の打ち合いが展開される。両者本気の命の獲り合いを彷彿とさせる激しく、凄まじい迫力の打ち合いだ。

 どちらとも“一本”を譲るつもりは無さそうだが、無尽蔵の体力にトゥリオが押され始める。


 素早く華麗で、演舞と見紛う剣技にも少しの鈍りが見え始める。

 しかし“本気”の一言を放った以上、ラニエリが詠唱を緩める事は無く、遂にその時が訪れる。


纏イ傀儡ト(マニ・ボーラ・)化セ(ディフィカ)


 一堂に収束した湿雪(しっせき)はこぶし大の塊へ。杖の一振りと共にトゥリオの顔へ吸い寄せられていく。

 鈍い打撃音の後、トゥリオは鼻血を数滴垂らしながら地面へと崩れる。


「わ、わりぃ……大丈夫か?」


 返事は無い――が、ピンと親指を立てている。大事には至っていない様だ。しかし続行は不可能だろう。


「えぇと……今日はコレで終わりにするか?」


 恐縮そうに言ったラニエリの言葉に合わせフランが腰を上げ、杖を拾い上げる。


「私とセシィ、まだ二人も居るじゃないですか。これからが本番ですよ」


 悪戯っぽく微笑んで見せるフランに少年は少々戦慄気味であった。

 無理もない。フランが放つ本番の一言は、刃折れ矢尽きようとも終わらぬ特訓の合図なのだ。


 例に漏れず今日も陽が落ちるまでの猛稽古だった。


「――っだぁー、もう無理だ。もう疲れた!」


「ではそろそろ夕食に行きましょうか」


 数時間ぶりに聞いた慈悲のある言葉で飛び起きたラニエリは、一目散に食堂へ。後を追って三人も席へ着けば、賑やかな食事の開始だ。

 振り返り、目標の話に花を咲かせているうちに、食堂を賑わせているのはフラン達だけとなっていた。


「女将さんの迷惑になってしまいますね。今日はコレくらいで」


 食器を片し、二人に一旦の別れを告げフランとセシィは自室へ。直後に睡眠はいけないと分かっていつつも、ベッドに腰を掛け微睡み数十分、ノックの音が響いた。


「入って良いですよ」


 訪問者はラニエリだった。よれたノートを二冊と分厚い辞典を抱え薄寂し気に立っている。


「どうしましたか?」


「明日だろ?出発。だから色々と聞いておこうと思って」


「そう言う事でしたら!」


 大歓迎、と書斎へ招き入れ、フランは袖を捲り上げる。

 時計に目を向ければ出発まで、あと十時間ほど。これまでのおさらいをするなら充分すぎる位だ。


「ではドコから始めますか?」


「うーん、そうだな――」


 基礎、基本の振り返り。応用方法、魔物毎の生態や対処法。昇格に必要な条件まで絶え間なく続いた勉強会は、眩い朝日の照射と共に終わりを迎える。


「もう大丈夫ですか?」


「オウ、バッチリだ。たぶん!」


 疲労で少し充血が見える目を細め、笑って返すラニエリへフランは最後に最も大事な言葉を授ける。

 世の理崩す事なかれ、故に禁術行使することなかれ。


「魔術師の掟です。時にアナタを導き、時にアナタへ困難を与えるかもしれません。ですが(しか)と胸に刻んでおく様に」


「分かったよ師匠」


「さぁ、お疲れでしょうから少し眠って下さい」


「見送るよ。二人に礼言ってないし」


「そんな疲れ顔じゃあ二人も心配してしまいます。お礼は代わりに言っておきますよ」


「そっか、じゃあ……」


 そっとブランケットを掛けた途端、コテンと机に突っ伏してしまった彼を抱え寝室へ。

 静かにベッドへ寝かせ、代わりに寝床の先住民を叩き起こす。


「ぅうーん、あと三時間……いや五時間」


 大きく溜息を吐き、布団をむしり取るとようやく覚醒した。

 

「おはよぉ。もう出発?」


「おはようございます。出発まであと一時間です!チャチャッと準備を!」


 着替え、荷物をまとめ、忘れ物の確認。問題は無さそうだ。

 もう一人の準備が整っていれば予定通り出発できるのだが……。


 少し心配を抱え、正面の広間へ向かうと談笑が聞こえて来る。荷物を抱えたトゥリオと、見送りに来たラヴィーニアだ。


「お、来たな」


「お待たせしました。ラヴィーニアさんも、わざわざありがとうございます」


「いえいえ、三人には沢山楽しませて貰いましたから。何せココは同世代が少ないですからね」


「大丈夫?寂しくない?」


「……嘘は言えないので、ね」


 微笑んで見せるとラヴィーニアは三人各々に包みを手渡す。ほんのり温かく、何やらおいしそうな香りが漂っている。


「道中の軽食にでも、と思って。簡単ですが」


「ありがと!じゃあそろそろ?」


 フラン達は顔を見合わせ頷き合う。


「では、長い間お世話になりました」


「はい!皆さんの道中に幸ある事を願っていますよ」


 実に約三週間ぶりに再会した旅路。三人は力強く雪を踏み締める

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