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第二十三話 三つ巴 ④

 玄関の先、明りを灯せば目の前に広がるのは小綺麗な空間。柑橘系の爽やかな香りが漂っている。

 整然を乱すようで一瞬踏み止まるが、疲労に耐えきれなくなったフランはソファへ崩れる。


 柔すぎず、それでもって硬すぎず。極上の座り心地、否寝心地は瞬間的にフランを夢の世界へと連行した。


 ◇◇◇◇◇◇


 次にフランが瞼を開いたのは、窓から旭光(きょっこう)が射し込む少し前の頃。襲って来た空腹と、全身の不快感に思わず溜息が零れる。

 風呂、着替え選択、食事と冴えない頭に色々と浮かぶが、先ずはカラカラの喉を潤すべく台所へ。


 不躾は承知で戸棚からコップを取り出し、水栓に手を伸ばすと一枚の置手紙が。

 内容はタオルや洗濯道具の在り処、食料の保管場所など。最後の一文には、労いの一言も。


 フランは、酒瓶を抱え眠りこけるテオへ振り返り、礼を囁き浴場へと向かう。

 決して豪華では無いが、窮屈感は無く大人が余裕をもって足を伸ばせるサイズの浴槽も備え付けられている。


(……コレでよし。温まるまでに……)


 浴槽に水を張り、湯沸かし用にアレンジされた発動刻印へ魔力を注げば、底が僅かに揺れ始める。

 短いとは言え、一人で暮らしていた時の名残か時間を無駄にすまいと、そのまま服を脱ぎ、桶へ放り水を注ぐ。


 頑固に染み付いた泥汚れやらを丁寧に擦り落とし、しっかりと絞り、パンッと一振り。裏口から顔を覗かせ、ほんの少し躊躇いつつも早朝ゆえの人目少なさを理由に、肌着姿のまま物干し場へ。

 素早く事を済ませ浴場へ戻り、チョンと指先で触れると丁度良い具合に湯が沸いている。


 肌着をカゴに脱ぎ捨て、丁寧に身体を洗い流し、湯船に飛び込む。

 湯加減は文句の付けようが無い絶妙な温度。併せて小窓から吹き込む晨風(しんぷう)が、体温の上昇を緩やかにさせてくれる。


「――はぁ、極楽とはまさにコレですねぇ……」


 極上の空間に一人声を響かせ十数分、鼓動の増加と火照りを合図に浴場を脱し、居間へ戻ると一つの気配が。


「……あ、師匠おはよぉ」


 眠気眼を擦りながら浮腫顔のセシィがコップ片手にフラフラと彷徨っている。頼りない足元から察するにまだ半分夢の中なのだろう。

 

「おはようございます。お水なら向こうですよ」


 水栓を指差すも、真逆に立つフランの方へセシィはよたよたと。何やらうわ言を呟きながら、そのままフランへと《もた》凭れる。

 温もり、小さな鼓動、そして奮闘の香りがふわりと舞う。


「……セシィ、お風呂入りましょうか」


 返事は無い。しかし拒否を聞き入れるつもりも無かったフランは、グイッと担ぎ上げ再び浴場へ。衣服を全て剥ぎ取られながらも夢と現の往来を続ける彼女へとどめの一撃と、勢い良く手桶一杯の微温湯(ぬるまゆ)を浴びせる。

 意識をしっかり現へ縛り付けられた様だ。


「おはようございます。後は一人で出来ますね?」


「はぁい」


 少々心配の残る返事を受け、フランは居間へ、台所へ。

 置手紙に記してあった戸棚を探り、印付きの瓶詰を取り出す。塩漬けの肉をすぐ食べられる様、塩抜きしておいてくれたみたいだ。


 そんな気遣いにまた感謝しながら、鍋に瓶の中身を空ける。肉は当然だが、塩抜きの為に満たされた水もだ。旨味が染み出した立派なスープの素を捨ててしまう等もってのほかだ。

 一滴残らず瓶の中身を注げば、次は弱火じっくり煮込んでゆく。かまどは便利な物で、薪ではなく魔術で火を焚く方式だ。更に微量の魔力操作で火力調整が可能な最新版とくれば、簡単な調理など手間を殆ど掛けずにあっという間に完成してしまう。


「お!朝飯か?」


 匂いに釣られ、大欠伸を見せながら台所にやって来たのはトゥリオ、と彼を支えにしているテオ。二人とも腹をぐぅぐぅと鳴かせている。


「おはようございます。セシィがお風呂あがったら皆で朝食にしましょうか」


 と言った矢先、無防備な下着姿のセシィが浴場から姿を現した。


「……セシィ、お前恥じらいは無ぇのか?」


 テオとトゥリオの二人はなるべく視界に入れまいと顔を逸らしているが、彼女自身は特段気にする素振りも見せず、堂々と荷物を漁り着替えを済ましてしまう。


「だって、師匠がお洋服用意しておいてくれないんだもん……」


 セシィのぼやきで確かに、と過りながらも「はいはい」と聞き流しパタパタと忙しなく駆け回りフランは朝食の準備、平行して出発の支度を進めていく。

 洗濯物を取り込み、昨晩散らかした装備品諸々を手際良くまとめ、食事の用意まで済ます頃にはセシィとトゥリオも身支度を終えていた。後はテオの着席を待つのみ。


「待たせたね。それじゃあ頂こうか」


 声を合わせ、手を合わせ各々が器へ手を伸ばし、舌鼓が響いた。


「うん、美味しいよ。毎朝お願いしたいくらいだね」


「馬鹿言うな、少しばかり先を急ぐ旅なんだ……まぁ、また何時か機会があれば顔を出してやらん事も無いけどな」


 何気ない一言。悲喜を行き来するテオの表情は二人の仲を啓している様だった。

 だからこそ、別れの寂しさが甚だしいのだろう。和やかな朝食を終えた時、トゥリオとテオは何処か憂色(ゆうしょく)に染まっている様だった。


「よぉし、出発準備完了だね!二人も大丈夫?」


 フランとトゥリオ、二人合わせて返すが、一方の声色には幾分か影が降りていた。


「身体、労われよ」


 いの一番に片言(へんげん)隻語(せきご)の別れを交わし、歩き出してしまう背を少女二人が呼び止める事は無かった。


「ハハッ、トゥリオらしいね。じゃあ君達も安全に」


 打って変わってフランとセシィは慇懃(いんぎん)に礼を述べ、トゥリオを追う。

 スタスタと背後を気に留める素振り一つ見せず、関所を目指す彼に届き、覗き込んだ顔は晴れ澄み渡っていた。


「良かったんですよ?あと数日くらい留まってても」


「そうそう!まだまだ色々話足りなかったでしょ?」


「良いんだよ。お互い色々あったんだ。色々、とな」


「だったら尚の事、じゃないですか」


「いいや違うね。俺もアイツも戦場以外の生き場所を……いや――」


 死に場所を見つけたんだ。にこやかに、清々しく、そう放った。


「戦場以外、の……そうですか。色々あったんですね」


「あぁそうだ。色々だ」


「だから、色々ってなぁに?」


「良いんだよ!ホラッもう湿っぽい話はナシだ!越境だ越境、目指すはフリジェーレ山だぜ!」

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