第二十三話 三つ巴 ③
気付けば辺りは純紅に染められていた。噪音は無く、息衝くのは天蓋に覆われていた者だけ。
「オイオイ……こりゃあ、まさか……」
気息奄々ながら、頭を擡げる様にトゥリオが周囲を見渡す。次いでフランに、衛兵に再び生気が戻る。
「なぁフラン……今のって魔術、だよな?」
「えぇ、無のマナを物質操作に応用した技術でしょうね。それがどうかしましたか?」
「……あぁ……いや、今はソレどころじゃないな。避難民の背後を守りつつ、一先ず関所まで後退だ」
喉から出掛かった何かを飲み込む様にトゥリオは退路へと向く。衛兵らと意見の相違も無い。
辛うじて生き残った十数名は、足取り重く関所へと歩み始めた。
流れる景色が嫌でも目に入る。
死肉を貪る野犬、温血の滴り、コチラを凝視する光亡き眼。少し気を抜けば、噎せ返り身が竦む様な光景を堪えながら歩き続けた。
そうして、漂う硝煙や鉄の香りが、ツンと鼻を突く薬品の匂いへと変わる頃、幾つかの音声が耳に届く。遠目には慌ただしく駆ける者の姿も幾つか。
「トゥリオさん、さっきの魔術……何か心当たりが?」
「ん?あぁまぁな。友人が使うんだ。ああやって昔も何度か助けられた」
思い馳せる様に遠くを見つめた彼の瞳が大きく開いた。次の瞬間、一目散に駆け出した彼が向かう先、関所の門端には隻脚の青年。
無意識に制止するも、呼び止める声が届いていない事を悟ったフランは、衛兵へ目礼し後を追う。
「どうしたんですか急に!――」
トゥリオの表情は旧懐と遭逢の喜びに満ちていた。
「トゥリオさん、その方は?」
偉業を成し遂げた傑物を吹聴するかの物言いだ。
彼が前述の友人だと、彼こそがあの戦況を切り抜けるに至った立役者だと。それはもう大層興奮している様子で。
「はぁ……えぇと……ではまずはお礼ですね」
フランが深々と頭を下げると、青年は柔らかな物腰と身振り手振りで謙遜している。
「ったく、そんなに卑下すんなよ。お前のお陰で助かったのは事実なんだからよ!」
「相変わらずだねトゥリオは……ホラ、お嬢さん頭を上げて」
顔を上げたフランはまた一つ驚愕した。
“あのような”魔術の使い手とは到底想像出来ない優し気な瞳をしているのだ。
外見が全てでは無いと自身に言い聞かせているが、処理の滞った彼女の脳は意識とは関係無しに口を動かしてしまった。
「あの魔術本当にアナタが?」
仕方無かった、そう放った時の青年は愁いを帯びていた。
必死に取り繕おうとするが、忽ち三人の間に重苦しい空気が立ち込めた――のも束の間。騒々しい足音が、コチラへ近づいてくる。
「――師匠!リオ兄!無事だったんだね!」
駆け寄って来たセシィから労いの言葉、そして叱責が飛んできた。
尤もな叱責が。
「たしかに喋ってる暇は無ぇな。じゃあな“テオ”また後で!」
「あぁ、隻脚じゃ僕は大して役に立てないからね。出来る限り多くを助けてやってくれよ?」
青年テオに別れを告げ、ご立腹なセシィを追って仮設診療所へ。
怪我人で溢れかえっていた。しかし、奈落の底を思わせる様な光景ではない。どこを見渡しても、苦悶に満ちた表情も見当たらない。
「二人がさぼってる間にセシィ頑張ったんだから!」
フンッと鼻を鳴らしセシィは二人に応急処置の道具一式を差し出すが、見るからに中身が簡素すぎる。
二人が幾つかの懸念を顕にしていると、もう一度得意気にセシィが鼻を鳴らす。
「重傷者、危ない人はもう手当が済んでるからね!でも、モタモタしちゃダメだよ!それじゃあ――」
セシィの号令で三人は散り散りに。各々が怪我人の処置にあたる。
擦り傷に浅い切り傷、打ち身などに迅速な処置を施して行く。
洗浄し拭い、縫い合わせ布を当て、度合いを尋ね適切な量の薬を投与。只管に繰り返す事五時間ほど、診療所に残っていたのは三人だけだった。
「ふぅ……任務完了だね」
やっと一息とした折にはもう夜の帳が降りていた。
民間人の姿は無く、衛兵の姿も数えられる程。そんな彼らも疲労のあまり、三人を気に掛ける余裕は無い様だ。一人を除いては。
「お疲れトゥリオ」
先程のテオと呼ばれていた青年だ。点々と油染みのあるエプロンを纏っている。
「だぁれ?」
「俺の友人だよ。あぶねぇ所で助けて貰ったんだ……が、何だその恰好は?」
炊事兵にでも異動したのか?とお道化た口調で尋ねると、返って来たのは肯定的な答えだった。
「お前が?冗談よせよ」
ケラケラと笑いながら茶化しているが、テオは本気の様で、物語るように「色々あった」と一言。
「そうか……そら三年も経ってれば、な」
「君も“色々”あったんだろ?」
テオの面持ちにも旧懐の思いが表れていた。だからこその提案だったのだろう。今日は家に泊まらないか?と。
「良いのか?って言いたい所だが、二人はどうだ?」
「セシィはいいよ!」
「私も大丈夫ですよ。ただ……」
フランがハッとし、キョロキョロとしだす。満遍なく辺りを見渡すが、とある物が見当たらない。
今の今まで、大事な物を一つ忘れていた様だ。
「セシィ?サンツィオさんと飛空艇は……?」
状況が状況だったが為に様々な答えが脳を埋め尽くす。
当然、最悪な返答、なんてものも……。
「――そうだそうだ!言い忘れてたよ!」
セシィの声色から察するに、悪い状態で無い事は確実だろう。
「絶対安静が必要な人たちが沢山居たみたいでね。皆を運ぶため、飛空艇で都市まで戻っちゃったんだよね」
ホッと胸を撫で下ろしたフランに合わせてトゥリオも大きく息を吐く。これで気兼ねなくテオの自宅で、寝床を拝借出来る、と三人は改めて彼に感謝を。
「じゃあ行こうか。と言っても師団の単寮だけどね」
微笑みながら彼が指す先には、煌々と灯りを放つ遠目に見ても大規模が伺える住宅群。テオを先頭に、フラン達はギシギシと軋み上げる身体に鞭を打ちながら歩き出す。
二十分ほど、凡そ半分くらい進んだ所でセシィに限界が訪れていた。数歩歩いてはしゃがみ、また数歩歩いては……。
見兼ねたトゥリオがその時だけは、まるで快調かの様にセシィをヒョイと担ぎ上げた。
「リオ兄大丈夫?おもくない?」
「任せとけ!衛兵時代の救護訓練に比べればチョロいもんだぜ」
親指を立てキラリとした笑顔でセシィに答える彼の横で、救護訓練と言う単語を耳に、浮かべている苦い表情が訓練の過酷さを物語っている様だ。
それがきっかけとなり、思い出話が弾み始める。
過酷だった事は勿論、愉快だった事や怪異じみた思い出など……気づけばテオが身を置く棟を前にしていた。
「さ、遠慮なく」




