第二十話 身体を蝕む快楽 ⑦
噛み締めていた唇からはいつの間にか血が滲んでいた。
考えて、望んで非情に徹していたのでは無いが為に、言葉一つを返すたび締め付けられる感覚ヘ陥る胸を摩りながら幾度目かの質問を――
「フラン、お前が傷つく事に意味はあるのか?大勢を救う為にお前が心を擦り減らす必要はあるのか?」
「トゥリオさん……でもきっと何か理由がある筈なんです」
「だろうな。だがそれを、こうまでしてお前が知ろうとする理由がある様には思えねぇんだ」
「言う通りです。理由なんかありません……ただ予感がするんです。全てを知っておいた方が良いって」
根拠のない行動原理に、フラン自身が浮かべた微笑に釣られ、トゥリオは安心した様子で一言「そうか」と返し、サンツィオと共に到着した衛兵の元へセシィと一緒に駆けて行った。
「では、質問を続けさせて貰いましょう」
男は、デモンテはフランの足にしがみつき懇願していた。聡明の様で、控えめに言えど美形な顔面を歪めながら必死に。
それでも彼はフランの質問には一切答えようとはしなかった。
「……分かりました」
呟き、フランはデモンテが伸ばす掌へ彼の求めるソレを握らせる。
胸に抱き寄せながら、ボロボロの身体を起こした彼はフランの足下で屈みこみ、一つ二つと口を開き始めた。
自身がフランと同じ【禁解】の格を持つ魔術師と共に楽園を目指していた事。その禁解を持つ魔術師が自身の大切な人、恋人であった事。
恋人が全を知り、絶望し心を壊してしまった事。
「なら何故こんな所で、他人の人生を未来を奪っているのですか!今、アナタすべき事はその人に寄り添う事でしょう!」
「……寄り添えるのなら、な」
デモンテは絞り出す様に呟き、震える手で懐から取り出した小さな包みをフランへと渡した。
中を見てみろ、の言葉に従い恐る恐る包みを開けたフランの目に飛び込んだのは、象牙色の欠片。
「二人で決めた旅路だった。頭の何処かに最悪を描いていたのも事実だ。それでも俺はアイツと一緒に歩みたかった」
大粒の涙が幾つも地面を濡らしている。
「最後まで、最後まで。支えてやりたかった、せめて心穏やかでいて欲しかったんだ……だから俺はコレを……」
「多幸感と幻覚作用……まさかアナタは大切な人にコレを?」
「眠れない、食えない、口もきけない。コレはそんなアイツに安らぎを与えてくれた……そう思ってた」
何処へ、誰へ向ける怒りの形相か、デモンテの表情は憎悪に満ちていた。
「薬学、植物学の知識を持っていながら目の前の幸福に目が眩んでしまった。悪夢を見せる事も知らずに」
「幻覚作用ですか?」
「あぁ……あの時何を見たんだろうな。怖かっただろう、恐ろしかっただろう。でなければ自分からなん……て」
泣き崩れた彼は何度も謝った。それは彼女へなのか、それとも――
「ですが知っていながら、アナタはその薬を一帯にばらまいた。偽りの幸せを見て、衰弱し死に逝くさまはアナタも見た筈なのに!」
「…………どうでもよくなったんだよ。愛する人と目的を果たせず、愛する人を救えずにいて――」
「それでも!遺志を継ぐ事は出来た筈です!アナタを愛した人は、アナタのこんな姿を望んでいたのですか!」
「分かってたんだよ!アイツが望まない事も、アイツが居れば止められていた事も!それでも俺は……俺は仲間が欲しかった」
「仲間、ですか?」
「研究に打ち込み、魔術に打ち込み、気づけば共に過ごせるのはアイツしかいなかった。だから悪事でもなんでも良かったんだよ」
ただ何かを分かち合える存在が欲しかった。デモンテは呟き、腰に下げていた短剣を自身の喉に突き立てる。
ありがとう、そう残し突き立てた刃に力を込め、自ら絶とうとする彼の手は氷に覆われていた。
「この期に及んでまだ逃げる気ですか?」
大きく息を吸ったフランの表情には怒りと、悔しさが溢れていた。
「許しません!アナタに自らの終わりを決める権利はありません!あるのは、どう償うかを選ぶ権利だけです。立って下さい!」
「イヤだ。立ちたくない、選びたくない……」
「生きたくない、ですか?」
「そうだ。生きる価値もない、出来る事も無い。何かをする気力も無い」
「それは大間違いですよ。アナタは知らしめるんです。楽園への道程が如何に過酷で残酷なモノか」
「だが、そうすれば魔術は廃れ、人とこの世界は、理は――」
「アナタも知っているのですね。それならば尚の事。私の手を取り立ち上がって下さい」
「アンタは……何者だよ。一体アンタに何が分かるってんだよ!」
「分かります!どれほど苦しかったか、どれほど辛かったか!」
デモンテを愛した彼女が抱えた痛み、絶望、苦しみの全てが手に取るように、己の物であるかのように、全身を駆け巡ったフランが吐き出す心の叫び。
「じ、じゃぁ……アンタは……」
「そうです……」
全を知り、理を知り、楽園への道を踏破し――
「私は賢者の願いを継いだ者。さぁ、この手を取って下さい」
フランが差し出した掌を掴む彼の手は力強かった。
「先ずは罪を償わないとな」
決意の一言を聞いたフランは、デモンテを衛兵の元へ。
僅かな抵抗を見せる事無く連行される彼の背に向け、フランが放つ。
「アナタが危険を説いた所で、飽くなき探求心を抑える事なんて出来ませんよ。ですが、何も知らずに全を知る者はきっと生まれないでしょう」
澄んだ瞳から零れる一粒の涙を返事代わりに、段々と遠くへ揺られて行く彼を見つめるフランの肩を、セシィが叩き、夜闇に輝く銀髪をトゥリオが撫でる。
「師匠、おつかれさま!」
「予感、は当たったか?全てを聞いて何か得られたか?」
「そうですねぇ……少し、旅路を急ぐ理由が出来たかも知れませんね」
「急ぐ理由?」
「そうとなれば善は急げ!解決した事だし次の目的地だね!えぇと、次は……」
重々しい雰囲気は一瞬にしてセシィの声が消し去ってしまった。
無論、そんな事など気にもしていないセシィは、楽しみをそのまま形にしたかの様に、地図を広げ目的地への道程を指で辿っていた。
「まったく、セシィには何時も助けられるな」
「えぇ、旅に斯様な仲間は必須ですよ、えぇ」
いつとはなしに背後で微笑んでいたサンツィオが割り込みながら、三人へ集団の連行が全て完了した事を伝え、遂に解決を喜び合うかに見えたが、既にフランとトゥリオも目的地への道程に興味が向いていた。
「少しくらい一緒に喜びましょうよ、えぇ」
混ぜてくれとばかりに、地図へ食い付く三人の間に身体を捻じ込み始める。
「せめて行き先くらい教えてくれても……おや?」
サンツィオが何やら怪しく頬を緩ませる。
不気味な気配を放っていた彼に気付いた三人が尋ねる。
「よくぞ聞いてくれました、えぇ。そんなアナタ方に質問です!」
質問を質問で返された事に加え、嫌に陽気な態度が不信感を抱かせたのだろう。鋭く、冷え切った視線がサンツィオに集まるも、彼は懲りずにもう一度尋ねた。
「術躁格です。アナタ方……トゥリオさんは旅隊の前衛として問題は無いでしょうから、肝心なのはお二人の位ですよ、えぇ」
「師匠は【禁解】でセシィは【正方】だけど、それがどうかしたの?」
わざとらしく額に手を当て、空を仰ぎ見ている彼への不信感は頂点に達し、苛立ちへと変貌していた。
「フラン、コイツやっぱりムカつくな。放って置いて行くとするか?」
「そうですね。ではサンツィオさん今回はありがとうございました」
「ちょーっと待って下さい、えぇ。正方と仰いましたね――」
呆れに呆れた三人の背に衝撃の一言が投げつけられる。
「越境出来ない、ですか?」
訝し気に聞き直したフランへ返すサンツィオの表情は、どうにも嘘を吐いている様には見えない。
情勢故の越境制限によりセシィの持つ術躁格では、隣領への移動が困難だと言う事実に偽りは無い様だ。
「三領境から越えられないとなると、北か西の海岸にある関所からになりますね」
「でもすごい遠回りになっちゃうよ?西の海岸でも三、四日くらいだよねぇ?」
「ふっふっふ、お困りの様ですねぇ、えぇ」
「いや、大丈夫だ。遠慮しておくぜ」
“何か”を察したトゥリオは彼が言い切る間にきっぱりと断ったが、めげる事無く出した提案を耳に、ひらりと掌を返す。
「よし、そういう事は早く言うんだ。二人ともさっさと行くぞ!」
「レンディールでの昇格試験を受ける為に移動を全て飛空艇で……確かにこれ以上と無い良い案ですが……」
「うーん、あやしいね」
「そんな事言わずにぃ。ワタクシからのお礼も込めて、ですから。そんなに警戒しないで下さいよ、えぇ」
お礼。商人特有の口上か本心なのか……。
しかしながら消し切れない懐疑心といつまでも相談していてはそれこそ、時間を無駄にしてしまう。
悩みぬいた末に答えを出せなかったフランとセシィは、何かあろうとそれもまた一興と、彼を迎えに来ていた車へと乗り込む。
「ワタクシってそんなに信用ありませんかねぇ?」
「無いだろ。だって顔に胡散臭いって書いてあるだろ?」
「一番乗り気の人が、よく言えたモノですね!」
「でもでも、セシィは信用してるよ……うん……たぶん、きっと」
「本当にヒドイお方達ですね、えぇ」




