第十七話 あの時わたしは ①
二一五七年――災禍、マナの吐出に飲まれた深い森の中、一人の少女が彷徨う。
宛もなく、伴う者も無く。
希望も無く。
赤黒い歯牙が――
腐肉を纏う鉤爪が――
瞬きの度に少女へ躙る様に一歩、一歩と距離を詰める。閉じては近づき、また閉じては近づき。
幾度かの繰り返しを経て、少女は自らの末を悟り膝を屈し、天を仰ぐ。
濃藍を映す瞳――外れた視線は、彼女を取り囲み、運命を決した物達への合図となる。
一踏み、二踏み――荒ぶる吐息が少女の銀髪を揺らした時。
光が満ちた。
水壁が阻み、灼熱が躍った。
焼けた血肉の臭気が、砂煙が立ち込める。
掻き分け、一人茫然自失と屈する少女へ壮年の男が手を伸べる。
「無事かい?」
男の声は柔らかく、見つめる瞳は優しく、それでいて哀しく。
「他に誰か無事な人は居るかい?父さんや母さんは?」
少女の沈黙が男への達意となり、少女の示した景色が男の胸に――怪しく淡く、蒼白く夜空を照らす数多の光柱が男の胸に深い悔恨を刻みつける。
「すまない……すまない……自分達が、自分がもっと早くに到着していれば……」
男の温もり、伝った涙の感触が少女に生を実感させる。
いっそうの熱を感じようと少女の腕が男の首へ回った時、凛々しくも深い哀れみを帯びた女声が響いた。
「その子は?」
「生存者だよ……生きてる……生きているよ」
凛々しい声の主は顔を歪め、唇を強く噛み締めていた。男と同様、胸に刻み込まれた悔恨の痛みを耐えるように。
「そうですか……そう……ですか。なら行きましょうか……パレンバーグ、翼獣を――」
女の呼び掛けで、男もといパレンバーグが震えた唇を鳴らすと、翼の音が二つ――地上へ降り立ち、三人の前に背を差し出す。
少女を乗せ、一足先に跨ったパレンバーグは未だ惨状をその目に焼き付け続ける女へ呼びかける。
「スクルト……ここ一帯には焼却の判断が下っている……時間は無い」
舌打ちを一つ、翼獣に跨り飛び立つと同時に地上は、劫火の灼熱により埋め尽くされる。
こうしてまた、幾度目か――
一つの森が失われた。
かつて太古の術師が用いた“地脈”と言う名の流路から溢れ出した大量の壊魔粒子により正気を失った動物、魔物――果ては人間達の限りない破壊に終止符を打つために――
◇◇◇◇◇◇
二一五九年。
ラゴフェード大陸南部、グリマーニ領〈城塞都市グランオリバ〉
――叩き金が扉を打ち鳴らした。
「フラン、迎えてくれるかい?」
フランはコクリと頷き、玄関へ。
扉を開けば、そこには貴婦人が一人。深々と頭を下げ、フランは彼女を宅内へ迎え入れる。
「パレンバーグに、大切で急を要する話がありましてね。リビングに居ますか?」
首を縦に振ったフランは、急を要するの言葉通り、足早に廊下を進んでいく婦人の背を追う。
パレンバーグと婦人、二人が相対した時、些かに張り詰めていた空気が少し和らいだ。
「やぁスクルト、久しぶりだね」
「えぇ、息災でしたか?」
幾つかの何気ない会話、再びヒリついた空気が漂い始める。物々しい雰囲気は、フランの足を床に張り付け、緊張感の理由を否応なしに彼女へ理解させた。
偽りの無い事実に手を震わせる事しか出来ない彼女へ、既に覚悟が決まっているパレンバーグへ、スクルトは去り際に放つ。
「直ぐにでも動かなければ、被害は大きくなるばかりですよ」
「分かっているよ。既に答えも出てる」
パレンバーグの返答に、安堵と憂いの混じる瞳を向けスクルトは玄関の外へと消えて行く。
幾許か、身体の自由を取り戻したフランは、パレンバーグへ問い掛ける。
事実と分かっていながらも、この世にそんな残酷が本当に在り得るのか……人と人とが争い、殺し合う現状が存在するのかを。
「本当だよ。衛兵団と反魔術思想、長らく睨み合いが続いていたが遂に火蓋が切られたんだ」
魔術を忌み嫌う過激な思想と衛兵達、現状は悲惨そのものであり、収める事は困難と、魔術協会への協力要請が飛び込んできたそうだ。
「じ、じゃあ師匠も戦場へ行くのですか?」
「そうだね、自分も……そう自分も、だ」
パレンバーグの口調はフランを困惑させたが、二に放たれた言葉でその意味を知る。
「私も……ですか?」
「そう、他でも無い君を、フランチェスカを戦場へ連れて行く」
「……そんな私なんかが行った所で――」
「戦力として求めてはいないよ。あくまで望むのはフランの成長だよ」
彼の瞳は、彼の言葉はフランを納得させるには十分だった。成長、それはフランが今一番に求める物であるが故。
「そう言う事でしたら……」
「出発は明日だよ……準備をしておいてくれるかい」
戦場と現状が想像させる恐怖、されど目の前に控える成長の二文字は、フランの身体を無意識に明日への支度へ取り掛からせるも、その夜に瞳を閉じる事を許可しなかった。




