第十六話 楽園への道程、果ての再会 ④
「失礼しました。私は見定者、リディア・カミーザと申します。貴方様は……?」
「トゥリオだ。二人の世話……をしてる者だ」
セシィとフランに疑惑の瞳を向けられながら手短にトゥリオが自己紹介と、これまでの経緯を伝え終えると、リディアは綻んでいた表情を引き締める。
「頼もしい仲間と過酷ながらも愉快な旅路……尚更ここで足を止めてしまう訳にはいきませんね」
リディアは二人を放し、真っ赤に染まった瞼を拭ってあげ――問う。
研鑽の果てに得た筈の答え。
全とは何か。
「――全、それ即ち全ての生」
フランの返答には一瞬の迷いも躊躇いも無かった。
だからこそリディアが次の問いを投げるのに間を空ける事は無かった。
「それを知った上で、アナタは己の在り方をなんと心得ますか?」
再び、迷う事無く答える。
不変である、と。
「と、言いますと?」
「そうですね……強いて言うのなら、命を食らい命を紡ぐ。それが理なのだから」
堰が決壊した様にリディアの瞳から涙が溢れ出す。
「よく頑張りました……本当によく……答えに辿り着いたアナタなら先に待つ事実から目を背ける事も無いでしょう」
視界の自由を無くす程に崩れた表情でリディアはフランを力一杯に抱きしめる。絶えず送り続ける称賛が言葉の形を失おうとも。
苦難、葛藤の末に辿り着いたこの地、この時間。永遠であれ、そう願いながらも未だ目的は達成されていない事実が、フランをリディアを動かす。
「リディアさん……師匠は……」
「はい。今か今かと待っていますよ……参りましょうか」
手を引かれるフラン。続く二人の頭上を舞う金煌の竜。
かの竜はやがて地に降り立ち四人を楽園へと誘い、再び限りの無い蒼空へと飛び立つ。
背を見送り、踏み入れた楽園の中央。大理石の東屋に立つ一人の人物へリディアが呼び掛ける。
「【賢者】パレンバーグ様、研鑽の果てに試練を越えし者を連れて参りました」
背格好に、優し気な糸目に見覚えはあったフランだが、取り去ったフードの中から放たれる光によって彼女は懐疑の念を抱えた。
疑惑は再会を喜び合うよりも先にフランの口を動かす――
瞬間、察知したセシィ、トゥリオ……リディアまでもが制止に急ぐが、叶わず放たれる。
「師匠……髪の毛が……どうしてそんな姿に……」
手遅れ。その事実が走った三人の膝を折り、禿頭の人物がフランへ言う。
「フラン、一言目にそれは無いんじゃないかなぁ……」
「ですが……そうだ、良い物がありますよ!」
フランは禿頭の人物へ、いつの日か貰った小瓶を差し出す。
丁寧に中身が分かるように貼付されたラベルの文字が、その者の膝をも折った。
「フラン……師匠は……自分は限界だ……せめて、何故去ったのかを先に聞いて……欲しかった……」
膝を、掌を地に張り付け、雫で土の色を濃く染め始めた時、トゥリオの声が響いた。
「のった俺が言うのも何だが、そろそろ終わりにしねぇか?キリがねぇぞこの茶番」
幕間の終了を告げる鐘が響いたかの様に一同が仕切り直し、フランの口が開く。
「師匠、何故私の元から去ってしまったのですか?」
真剣、心の底から尋ねるフラン。
神妙な面持ちを真似る事など出来る筈も無い。されど目には涙を溜めながらパレンバーグはフランを抱き寄せる。
「寂しい思いをさせたね」
積りに積もった思い、掛けたい言葉……全てをねじ伏せる様に唇を噛み締めパレンバーグは只、フランの手を引いた。
「その目で見た方がきっと分かりやすいだろう」
東屋の裏へ数十歩、収束結合せずとも光を放つマナが激流となり溢れ続ける場所。傍らには整然と並んだ祈り手を組む石人。
「ここは根源。この大陸全てのマナが生まれる地」
「……この石像たちは……」
「これが、これこそがココに自分が来た理由。フランを一人にした理由だよ――」
パレンバーグの言葉は、石像の真実はリディアを除いた者を困惑、驚愕させた。
「賢者の成れの果て……って」
祈りを捧げる石人達――それは賢者であった者であり、今はただ根源からの乱流を整える為だけに存在する整流器。
「コレ……いや彼の寿命が近づいている。フラン、セシリア、赤髪の剣士よ、意味が分かるかい?」
即答。しかしながらフランは答えに不正解を望んでいた。
「そう。誰かがこの役目を継がなければいけない……乱れたマナを……かつての悲劇を繰り返さない為に」
「――オイちょっと待てよ!自分の弟子に……賢者となったフランにそれをさせるつもりか!」
雲を穿ち、天を裂く様なトゥリオの怒声が渡り、今にも仕留めんとする闘気がパレンバーグ刺す。されど彼が見せる悠揚迫らぬ態度ながらも発せられる圧倒的な存在感と威圧感は、柄を握ったトゥリオの腕を微動する事さえ許さなかった。
「……自分がその様な事をすると思うかい?」
パレンバーグの言葉はトゥリオの怒りを収めるに、その場の全員へ自身の思いを知らしめるには十分すぎた。
「……故に……自分の知る全てをフランに、君達に授けようと思う」
穏やかで、柔らかで、達成感に満ちた悔い一つ無い表情でパレンバーグは語り始めた。
北方、白銀の地は〈フリジェーレ山〉に鎮座する、大きな魔留石――裂割塊石が秘める可能性、フランへ残した“整流”が刻まれし石板が成し得る、続く別れの断絶を。
「裂割塊石……花咲く様に割け、収集したマナを滔々と垂れ流すその断面に整流の刻印を刻む。それならば――」
「根源へ置く事で周囲のマナを吸い、整えられたマナとして再度排出される……と言う事ですね?」
皆を言わない内に事を解したフラン。続き、セシィとトゥリオの思考が追い付いたのを見図り、パレンバーグからの願いが託され……もう一つの決して揺るがぬ事実が明かされる。
「じ、じゃあ師匠は……」
「そうだね……整流器の可能性は君達だけでココへ運ばなければならない……何せ、今の整流器に残された時間は先の通り……」
「そんな……せっかく会えたのに……こんなのって」
「自分は自分の、君達は君達の、そうそれぞれが役目を果たす事で、乱流が齎す惨劇を逃れ、安寧を保てる」
「随分と簡単に……言うじゃねぇか……それが――」
「君達だからさ……でも、一つ心残りがあるんだ」
ポツリと呟いたパレンバーグへ視線が集まる。そんな注目ヘはにかみ、彼は最後の願いをフランへ打ち明ける。彼女の幸せを思うが故の我儘にも似た願いを。
「自分勝手……なんだろうけど。目的の達成は勿論大事だが……遊びや勉強、フランの思う事を大事にして欲しい」
フランは答えを返せずに……正真正銘、師匠から告げられた最後の願いには言葉にならない声しか返す事が出来なかった。
最後、その文言通り、返事を返せば別れの合図となるが故、誰もがフランの思いを痛感していたが、彼女の沈黙を一人は容認しなかった。
「誰かが願えば叶える。それがフランチェスカだろ?それに、お前は誓い答えた筈だ……今までと変わらない、不変だと!」
トゥリオの叫びはフランの背中を突き飛ばし、地面に張り付いた足を師から遠ざける。
「剣士の君、ありがとう。これからもフランを、弟子を頼むよ」
「あぁ、頼まれたぜ」
「孫弟子セシリア、これからも共に歩み、多くを目に刻むんだよ」
「うん!」
「リディア、三人を頼むよ」
「かしこまりました――では、行きましょうか」
賢者の瞳はそれぞれの追い風となり、長かった筈の楽園に至る道程を一瞬へと変えた。
「私は一旦ココで。皆様、どうか続く旅路の御武運を」
別れを告げ、下り始めて間も無くトゥリオはフランの頭を無造作に掻撫でる。
「泣いても良いんだぞ」
「……泣く必要がありませんので……決して永久の別れではありませんので」
「そうかい。じゃあサッサと下りて北方を目指すとするか!火山の怒れる竜とやらも気になるしな」
「珍しい、リオ兄がやる気マンマンだ……下山の途中で降られるかも……」




