第十三話 思い出の地 ③
「行ってらっしゃい。気を付けて頑張るのよ」
「はい!」
何時になく清々しい朝。フランは声援を背に外へ駆け出し向かった先は村の外。弾む息を整え、懐から短剣を取り出し、斬り付ける。
掌から滴る鮮血が地面へ零れる。
「これなら一周くらいは」
フランは村の外周に沿って歩き始める。
そうこれこそが彼女が選んだ第二の手であり最終手段。
(人を食えば、人しか食わなくなる。だったら“ソレ”を使って誘き出せばいいだけですね)
鋭い痛み、命の雫がポタリと落ちるたび感じる土からの手招きに耐えながら只管歩き続ける。しかし、精神を蝕むのはそれだけでは無い。誘い出そうとしているこの瞬間にも標的が現れる可能性が連れてくる恐怖、そして多くの血を失った身体が起こす不調。
(あと少し……不味いですね、少々めまいが……)
浮遊感に襲われ視界が揺らぐ中、それでも歩き続け、やっと外側を一周。だが彼女はその足を止める事無く村の中心に鎮座する大岩へ。
「これで良し」
岩の足下へ一際大きな血だまりを作り、ようやく傷の手当てヘ移る。
「さて後は待つだけですね」
包帯に赤い染みを作りながらフランは大岩へと這い上がり、いつもと変わらぬ深呼吸を一つ。魔力が僅かな光を放ちながら彼女の周りへ、間もなく村全体を囲い込む。
没頭、無我夢中、今の彼女に似合うのはそんな言葉だろう。草木の揺れや小虫の移動、僅かな魔力の揺らぎすら見逃さない集中の極致。
しかしそんな領域へ無邪気に飛び込む少女が一人。
「お姉ちゃん?獲物きた?」
フランは呆然としていた。
集中が途切れてしまったせいでもあるが、何よりもセシリアが姿を現した事、現した場所に驚愕していた。
「セシリアさん、大人でも苦労して登る所ですよ?どうやって……」
「うーんとね……よいしょってかんじかな?」
セシリアの答えにフランの口は塞がらなくなる。この数日間で活発な子だと分かってはいたが、家の屋根ほどの高さを顔色一つ変えず、息の一つも弾ませずに登って来てしまったのだから。きっと親が見たら称賛の声、もしくはこれ以上と無い不安な視線を送るのだろうが、ここは今――
「セシリアさん、ここは危ないのでお家に帰りましょうか」
「えぇーでもぉー」
「だってじゃありませ――」
フランの表情が固まり、魔力が揺らぐ。否、魔力の揺れを感じとり彼女の表情が硬直する。
「絶対にこの岩から降りないで下さい」
張り詰めた空気、抑揚の失せた声色がセシリアを岩の上へと拘束した所で、フランは地面へと降り、再び極致へ立ち戻る。殺気が緊張が奔る村にフランの呼吸だけが響く。
そして遂にソレは姿を現した。鋭い爪で砂埃を巻き上げながらとる泰然とした足取りは、確実にフランとの距離を詰めている。だが、今にも襲い掛からんとする荒々しさは感じられない。
「先手必勝ですね。光柱乱立シ、天ヲ貫ケ!」
地面に生じた光は、オルマローへ反応する隙すらも与える事無く貫く。それはあっけなく、手応えすらも疑ってしまう程に。
それでも目の前を阻んでいた大きな身体は、既に力無く地へと沈んでいる。かの光景を目に、やっと感触を得る事が出来たフランの手、身体から緊張が解けていく。
「お姉ちゃんやったね!」
「はい!……ですがまだ、止めを刺す必要があるかも知れませんので降りて来てはいけませんよ?」
セシリアの元気な返事を聞き、オルマローの身体へ近づいたフランは真っ先に鼻先へ手を伸ばす。
(呼吸は止まってますね)
続いてフランは太い血管に近いとされる喉元へ手を移動――ふと、閉じた瞼が目に飛び込んだ。同時に背中を虫が這いまわる様な感覚を覚えた彼女は振り返るが――
「お姉ちゃん危ない!」
セシリアの声は届いている、目の前の景色も脳へしっかりと伝達されている。しかし目前に迫る鋭爪から逃れる術は皆無。それどころかフランを睨み付ける“隻眼”は対処の方法を案ずる事さえも許してはくれない。唯一つ出来る事があるとするのならば、迫る現実から目を背ける事ぐらいだろう。
(まさか二匹目とは……)
とうとうフランの瞳は戦慄し、閉ざされた。
直後、地面が揺れ、砂煙が立ち込める。程なくして晴れたその場所には一つの影が立ち、一つの巨体が這い藻掻く。
(生き……てる?)
縫い付けられたかの瞼をこじ開けたフランの前では、隻眼のオルマローが息を荒げながらのたうつ。そんな状況への理解が追い付かない彼女だったが、オルマローが喘ぎとも取れる咆哮を上げたその瞬間に悟った。
今際の際ながらもフランを仕留めんと、吼え、剛腕を伸ばした時、上方から無数の流星が降り注いだのだった。
そう、空では無く上方――大岩の上から。




