第十一話 途絶えた連絡 ③
草むらへと消えて行ったトゥリオを待つこと数分。用を足すだけにしては時間が掛かりすぎている事に痺れを切らし、二人の呼び声が響く。
「スマンもう少しだ。今、良い所なんだ!」
「なんですか良い所って。匂いで釣られた魔物に尻を嚙まれても知りません……よ……」
「ん、おい!どうした?」
ガサガサと草むらが揺れる。トゥリオが隠れている場所では無い。
「師匠、五匹……いや七匹」
「はい、やるしかありません」
揺れる草木に二人が杖を構える。
やがて葉を掻き分け、鋭い瞳孔が、漆黒の毛並みが姿を見せる。背中の毛を逆立てながら、ソロリソロリと二人へ距離を縮め。
飛び掛かる。
「トゥリオさん!ルーフェローです、サッサと済ませて下さい!」
フランの怒号に返って来たのは気の抜けた情けない声だった。
肝心な時に、と愚痴を吐く暇も無く、二人は多数を相手取る戦闘へ。
数だけを考えれば圧倒的に不利な状況だが、迫る攻撃は微塵の統率も無く、てんでバラバラ。培ってきた実戦経験を以てすれば、防御も回避も自由自在だ。
「セシィ、攻撃に注意しながら一匹ずつ倒しましょう」
「りょーかいだよっ!」
元気な返事と共に、豪快な飛び込みを見せたセシィ。群れの中に飛び込む愚策かに思える行動だが、フランは悠々と静謐に杖を向ける。
「いっくよー!」
掛け声の後、演舞の如く軽やかな体捌きで、拳と蹴りが放たれる。鈍い打撃音と共に、集団の外へ放り出された一匹は無論、成す術無くフランの劫火によって炭と化す。
(蹴りであそこまで飛ぶなんて……やはり体術は一級品ですね)
「ししょう!次行くよ!」
「いつでもどうぞ――灼キ穿テ」
ここまで一瞬の出来事。残るは二匹だが、問題はここからだ。
群れを成していれば統率が執れずバラバラな動きをするが、数が少なければ互いを邪魔する事が無い。だからこそ一個体の能力が遺憾なく発揮されてしまう。
二人が再度、気を引き締め直した直後。フランとセシィには目もくれず草むらへ、悪臭漂うその場所へ走り出す。
「トゥリオさん、そっち行きましたよ」
「ち、ちょっと待ってくれ!まだ済んでないんだ!」
やっぱりソロソロ置いて行こうかと、そんな思いがよぎったフランだが、溜息を一つ零し声を上げる。
「二人とも目を瞑って下さい」
導き出した妙案の下、杖を天へ掲げ、言葉を放てば、一面が眩い光に覆われる。
しかし魔物の足は止まらないどころか、残る一匹も悪臭の元へ走り出す。
(狙い通りですね)
つい頬を緩ませながらも、続け様に放つ一手は寸分の狂い無く正確に。
「鋭突氷冠、降リ注ゲ」
無数に注ぐ氷の礫、一つとして的を外すこと無く標的を射抜き、辺りに静寂と平穏が……訪れる事は無かった。
どこから姿を現したか、漆黒が一つ、力の抜けきった二人の背中へ忍び寄る。一歩、二歩、既に凶爪が届く距離。
背後へ飛び掛かるべく身を屈めたその時、草むらから鈍い銀色を携えた赤い影が翔ける。飛び出した影は瞬く間も無く、銀色を朱に染め、フランとセシィへ振り返る。
「油断するなよ?ここは戦場だ」
「は?どの口が言ってるんですか?……それと――」
凍り付いてしまいそうな程に冷たい視線を向け、凍えてしまいそうな程に冷たい声を響かせていると、どこからか声が届く。内容は分からないが、声のする方向には一人の青年の姿。一先ず無事と安全を知らせる為に、手を振り返すと、彼は三人の元へ駆け寄って来た。
どうやら彼は、この先の集落に住む者の様だ。激しい物音が気になり様子を伺いに来たと言う。
「先の集落は無事なんですか?」
「はい、この下に幾つかある集落から逃げて来た人達も全員無事ですよ!」
三人が求めていた言葉。その場の全員が喜びを隠しきれなくなる。
だが、歓喜の最中、青年の笑顔がみるみるうちに青ざめて行く。トゥリオの残念な格好に気付いたからでは無い、寧ろそれよりも深刻な状況がすぐそこに迫っていた。
「オイ、さっきからどうしたって言う……んだ」
青年の視線を追って振り向いたトゥリオは、目にも止まらぬ速度で剣を抜く。刃の向く先は、漆黒の巨躯。
「フラン、コレを少し大きいって言うのか?」
「……人によってはそう捉えるかもしれないですね……それよりトゥリオさん」
「あぁ、分かってる。待ってはくれないみたいだぜ!」
「……あの」
セリフだけを耳にすれば恰好が付くのだが、今の彼が晒す姿は非常に残念で可哀そうな身なりだ。幾度かフランも伝えようと試みてはいるものの、良いのか悪いのかタイミングが合わず、告げる事が出来ないがトゥリオの言葉通り待ってくれないだろう。
現に、こうしている間にも大きな口を開き――咆哮を轟かせる。
耳を劈くうなりを上げるソレは、幾分前に相手をしたルーフェローの三倍はあろうかと言う程の巨体。手足は家屋の主柱の様に太く、牙や爪は剣の様に鋭く長い。
それ等全てを駆使し、一切の容赦なく四人へと襲い掛かる。
「セシィ!分かってますね?」
二人は互いの瞳を見合い、杖を掲げる。
「「輝々鏡壁・万物ヲ反射セン!」」
二重に構えた防御壁だが、剛撃を前に歪み、軋む。
「長くは持ちません。なるべく遠くへ逃げてください!それと、トゥリオさんは汚い尻を早く仕舞って下さい!」
「汚くねぇわ!」
少々顔を赤く染めながら尻をしまった彼は、防御の隙間から颯爽と飛び出す。勢いのまま巨体へ飛び掛かり、軽快に尾を足を踏みつけながら、狙うは後ろ首。
「リオ兄避けて!」
切迫した声が辺りに緊張を走らせるが、当の彼が見せるのは余裕の表情。迫る爪をヒラリと躱し、華麗に斬り付け、怒涛の連撃を繰り出す。
背中、腹、首、最後に放った一撃は片目を奪う。
視界の変化によって混乱へと陥るルーフェローを前に、勝機を見出した三人。覚えた安堵が一瞬の隙を生んでしまう。
「――あぶねぇ!」
フラン、セシィの前で剛撃を受け止めるトゥリオ。その重さに身体は震え、足は地面に食い込み――
「剣がもたねぇな……」
「トゥリオさん、合図で頭を下げてください!」
「おうよ!」
ピシッと刃に亀裂が入ると共にフランの合図がこだまする。同時に二本の杖から放たれるは強烈な閃光。間を空ける事無くフランがセシィへと叫ぶ。
「うん!いっくよー!」
愛らしい声とは真逆の真剣で“本気”の目。輝く短剣を掲げ刃を握り締める。
「我は汝の力を欲する者。希望の象徴である光の精霊よ、我は求める。斬り裂き抜き穿つを。欲する力は邪悪を打ち倒す為。われの願いに応じるならば星数程の光矢を降らせ」
短剣が放つ光は次第に、眩く目が回る様な金色へ。
「煌々突通、流星」
煌く一筋の流れ星――
やがて二つ三つと――
貫くは目前の標的。無数の輝きに打たれたソレは光と共に空へと散り去る。
「――ふぅ……精霊さんありがとね!さて、師匠、リオ兄、討伐完了だよ!」
数秒前までの鋭い眼差しは無く、いつも通りの無邪気な瞳で喜ぶセシィに二人は言葉を発せずにいた。
豹変ぶりや、術の無慈悲さに言葉を失ったのではない……只々、美しかったその光景の余韻から、そして成長の喜びから抜け出せずにいた。
それから暫く、余韻が心の隅々まで染み渡った頃に三人は、先程顔を合わせた住人と共に中腹の集落へと向かった。そこではトゥリオの見立て通り、多くの住人と衛兵団の一小隊が待っていた。
不幸中の幸い、と喜べる状況では無いが、大半の者が動ける状態にあった為、一行は足を止める事無く、住人達を引き連れティメント村へと踵を返した。
往路の苦労もあり、村までの道程は平穏そのものだったが、三人の膝からは笑いが絶えない。到着するなり、その場でへたり込んでしまった。
「お三方……それに皆も!無事で何よりです」
飛び交う感謝の言葉。つい「それより水と食事を」と出してしまいそうになりながらも、必要な者には治療を、衛兵団には報告を済ませる頃には日付が変わってしまっていた。
勿論そんな激務には相応の報酬が支払われた。
上等な宿、腹に収まりきらない程の食事。そして何よりフランが待ち望んでいた物もそれに含まれていた。
「じゃあ次は火山に行くの?」
「そうですね、直接魔留石には関係ないみたいですが、それを探してる人物が向かったとあれば、行かない選択肢はありませんね」
「まぁ構わないが、その“竜が怒ってる”ってのは何なんだ?」
「行けば分かりますよ。きっと」
過酷の後に手に入れた情報。フランの頭は既に次の目的地で一杯だが、もはや体は言う事を聞いてくれない。勿論二人もそれは変わらない。
逸る気持ちを満腹の幸せで押し殺し、三人は眠りへと落ちる。




