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第十話 崩落事故 ④

 狂飈(きょうひょう)、荒れ狂う白波の如くマナが、魔力が揺蕩い、やがてフランの元へ集う。


「せめて一思いに――雪華着氷ニテ凍テツケ(ネフィオ・ジェレメ)


 絶対零度、決して溶ける事の無い万年氷が飲み込む。


「――鋭光ヨ穿テサルラート・ヴェローチェ


 一筋の光が貫く。


「――輝々鏡壁(ドレッキオ・)万物ヲ反射セン(リフレット)


 巨躯を取り囲むは幾多輝く光の壁。反射するは閃光、その身体を絶え間なく穿ち続ける。


「――(とど)め。弾ケ、(ポル・)飛翔、上天ヘ赴ケ(ラーレ・チェッロ)


 弾ける氷塊は星散(せいさん)の如く、儚く美しく。


「……戻りましょうか」


 一人行く彼女の足取りはどこか重々しく、解決の末に生まれる安堵や歓喜は微塵たりとも無かった。


 ◇◇◇◇◇◇


 永遠かに思えた暗闇の先、見えた光と幾つかの人影。


「ししょー!大丈夫?怪我は無い?魔物は?」


 妥当と言える物々しさが漂う中、斯様な空気を吹き飛ばしてしまいそうな明るい声が響き渡る。

 無邪気な笑顔を見せフランへ飛びつく声の主、衣服や髪は乱れ、顔は埃に塗れている。


「私は大丈夫ですが……セシィ、その恰好は?」


「えへへ」


「フラン、心配は無用だ。千切っては投げの大活躍だったぜ!」


 剣を担ぎながら現れたトゥリオ。セシィと同じく些か身なりが荒れて、頬には赤黒い跡が残っているが――


「何があったんですか?怪我はしてないようですが……」


「そりゃあ、もうな?」


「うんうん。もうバタバタのゴチャゴチャ」


 疲労のせいか、語彙力が皆無となってしまった二人。

 どうやら、坑道へ入った際目の前にした別れ道、その片割れから生存者がやって来たらしい。それだけならよかったものの、生き残った者は図らずも、大量の壊触(ロット・レデレ)を引き連れて来てしまった結果、外が大混乱に陥ったとの事だった。


「まぁ、幸いこっちで死んだ奴は居ない。セシィの活躍と旦那のお陰だな。飛空艇で怪我人もまとめて運ばれたから大丈夫だろう」


「セシィ、素晴らしいです。よく頑張りましたね」


 照れくさそうながらも誇らしげなセシィは、赤くなった顔を隠す様に、まだやる事があるからと衛兵達の方へと駆けて行く。そしてそれと入れ替わる様に一人の老婦人がフランの元へ。


「若き秀才さん【禁解】も落ちたモノですね……同じ格位を持つ者同士、恥ずかしさを覚えるのではないですか?」


 凛々しい立ち襟の黒いジャケットと細身のパンツに身を包んだ短髪の女性が放つ、少し低めで落ち着きのある声。その姿を見るなり、フランは顔を引き攣らせていた。


「え、えぇそうですね……恥ずかしい限りです」


「これを期に試験を厳しくしてみるのも良さそうですね……それはそうと、フランチェスカさんアナタ“徽章”は何処に?」


「……戦闘の最中に紛失してしまったみたいですね」


「あら、それは大変ですね」


 微笑みながらフランへ向ける隻眼は優し気でありながら、全てを見透かしているかの様に鋭く冷たい。


「では、これに名前と生年月日を書き込んで頂ければ再交付の手続きを致しましょう」


 手渡された簡単な書類、手の震えを悟られぬようサッと書き終え、婦人へ返すと同時に一人の衛兵が。


「スクルト会長、内部の探索、調査を開始します」


 会長、そう呼ばれた婦人は幾つか衛兵と言葉を交わし、フランへと向き直り、また微笑みかける。


「大きな傷のある徽章……彼等に伝えておきましたよ。見つかると良いですね」


 フランの表情は引き攣り続けるばかりだ。


「ではフランチェスカさん……お人好しも程々に」


 去り行く背中を見つめるフランの表情は尚も凝り固まったまま。


(魔術協会会長ダフネ・スクルト……コレは全部バレてますね……)


 徽章の紛失に対する咎めは無いが、貸与などによる格位の詐称は重罪。行った者は即時拘束されるが、今回は何かの思惑故か、それとも唯の恩情か、下された不問と言う判断に思わずフランは安堵の息を漏らす。

 だがそれでも彼女の心に掛かった霧は未だ、晴れずにいた。


「――おいフラン、どうした浮かない顔して」


「格位を誤魔化そうとしたのがバレてたみたいで……」


「そっちじゃねぇよ。出て来た時からずっと、顔色が悪いっつうか……」


 僅かに残っていた表情の陰りにトゥリオは気づいていた。そして彼は看破していた。


「中で何かあったんだろ?」


「……全を尊び全を導く。魔術は個の為に非ず」


「は?」


「魔術師、先人達の教えです。私はコレに背いてしまったかも知れません」


「だからどうしたんだ?教えであって掟では無いだろ?」


 激励の意味を込めたのだろう。彼が続けざまに放った言葉でフランは少々顔をしかめていた。

 迫られた選択には柔軟だが、掟や教えにはとことんな位に石頭だ、そんな言葉に。


「ですが……」


 悲しく、寂しく、夕空へ向ける瞳には遠き憧れの残像を映し、ぽつりと放つ。それは師から弟子の胸へと深く刻み込まれた言葉。


「研鑽の果てとは魔術の読解に在り。魔術の読解とは全を知る事に在り。即ち賢者とは教えの果てに在り……だから……」


「で、フランお前は何に背いたんだ?お前は何を全とし、何を個としたんだ?」


 幾許か悩んだ末にフランは返した。確証が無い、と。

 トゥリオはその答えを聞くなり笑い始める。彼女の沈んだ気分を最高潮まで一気に引き上げる様に高らかで晴れやかに響かせる。


 一頻(ひとしき)り笑い終えたトゥリオは目尻に浮かんだ数滴の涙を拭い、フランの瞳を真っすぐ見つめる。


「だったら悩んでる暇なんて無いだろ?確証が無いんだったら、それを得る為に次へと進む。違うか?」


「……」


「ったく、魔術師ってぇのは全員こうなのか?お前は今回“人として”正しい事をしたんだからそれで良いじゃねぇか」


 魔術師の掟や教えなんて知らない、最良の判断を下し、最善を尽くした彼女行いを只々、肯定する彼のそんな言葉がフランの顔に笑顔を取り戻す。


「フフッ……トゥリオさんは一生、一流の魔術師にはなれませんね」


「目指すつもりなんて毛頭無いから安心しな!」


 澱んだ空気が晴れ渡る頃、作業を終えたセシィが二人へ合流する。

 怪我人の治療、戦闘の処理、魔術師の連行、やっと全てが片付いたそうだ。


「ししょー疲れたよぉ!」


「お疲れ様です。たくさん食べてゆっくり休むとしましょうか」


「そうだな。丁度怪我人で、この居留置も空いてるしな!」


「最低ですね、不謹慎って言葉知ってますか?」


「さぁな。俺の知ってる辞書には“不”って言葉載ってなかったからな」


 冷ややかな視線を一身に受けるトゥリオ。逃れる様に、歓迎の手招きをしている作業員達の元へ走り去って行く。

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