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第十話 崩落事故 ③

「幾つか聞かせて下さい。先ずはアナタの名は?」


「……エッドレ」


「ではエッドレさん、その徽章は【正方】ですが、アナタの物ですか?」


 フランから視線を逸らしエッドレは小さく頷く。同時にフランの口からは溜息が零れた。


「最後に……ここで死を選ぶか、生きて罪を償うか、どちらを選びますか?腕を元に戻す事は出来ませんが、命位なら助けられるでしょう」


 間髪一切入れずにエッドレは答えた。

 “死にたくない”と。


 それならばとフランは頷き返しつつ、続ける。術躁格を偽った事に対する罪、挙句に無辜の命を奪った罪の重さを。

 それでも彼は生を求めた。


 罪を受け入れ、その生を以て償うと言うのならば――


「分かりました、凌ぎの命乞いで無い事を信じます。停滞シ保テ、(グラ・)壊腐ヲ止セヨ(スタツィオ)


 朱の滴る断面を覆うは清水の水鞠。

 細胞の破壊や老化を防ぎ、傷や病状の悪化を防ぐ魔術だが、根本を癒す事は不可能。加えて効果も一時的な為、所謂応急処置に過ぎない。


 だがこの状況の中、エッドレが単身でここを逃れ、治療を受ける事もまた不可能。


「セシィ、彼を外まで連れて行けますか?」


「大丈夫、でも師匠は……?」


「コレを、芋虫の魔物(レンテルーコ)を倒してから合流します……あと、彼にこれを持たせて下さい」


 自身の持つ徽章を差し出されたセシィは一瞬した様子を見せるが、直ぐに師の思いを汲み取ると、解かれた錠前を型どった【禁解】の徽章をエッドレに握らせ、出口へ足を向ける。


「師匠、外で待ってるよ」


「彼の事、頼みますよ」


 魔物と見合いの状態、フランがセシィとエッドレの姿を消し去る。

 暗闇に深紅の眼を光らせ、見えない背中を見送る。


「さてと、一人で大物との戦闘は久しぶりですね」


 無数の蠢く牙、闇をものともせずにしっかりと目の前の侵入者を睨み付ける眼球。フランの杖先に灯った光が開戦の合図となる。

 弾性のある巨躯が放つは、強烈な体当たり。明かり無しでは一寸先の景色すら危うい状況の中、フランが切った手札は回避。


(この勢いじゃ魔術の壁も薄氷同然ですね)


 見事に躱した彼女へ迫る第二撃。巨体を捩じり再び向けられた底気味のわるい口腔から、闇の塊が発散される。

 視界に捉える事の出来ない恐怖を押し込み、僅かなマナの揺らぎを感じ取り、避け、防ぎ、一気に距離を詰める。


「侵入者はこちらかもしれませんが――弾ケ、(ポル・)飛翔、上天ヘ赴ケ(ラーレ・チェッロ)


 衝撃波が躰を吹き飛ばす。叩き付けられ、裂けた体表からしなやか強靭な筋肉が顕れ、粘性の体液が溢れ出す。

 痛みと、侵入者への怒りだろう。けたたましい咆哮を上げたレンテルーコは、またもフランへの突進を――


(……しまった)


 身動ぎ一つすれば巻き込まれる程の距離を通り過ぎる姿を横目に、フランの中で僅かな焦りが生じる。

 理由はただ一つ、魔物の向かった先だ。


 姿を現した際に出来た壁の穴へと入り込んだレンテルーコは、勢いを緩める事無く隧道(ずいどう)を進み続ける。すかさず後を追うフランだが、その存在など気に留める様子も見せず、魔物は上方へ傾斜が付いた道を只管に這い進む。

 先が見えない曲がりくねった通路の先、待っていたのは開けた空間だった。


「これは……この怒りも尤もですね」


 目の前に広がる空間にはレンテルーコの幼体と思われる亡骸と、無残に割り散らかされた殻の破片。

 

「魔術協会か、鉱山の管理者……駆除か、素材が目的って所でしょうね」


 魔物の目、そしてフランの目には、広がる光景が只ひたすらに惨たらしく映っていた。

 けれど彼女の心情が魔物に伝わる事は無い。それ故に、魔物の目に映る彼女の姿は惨状を作った元凶である“人間”としか捉える事は出来ない。


 どれだけフランが心を苦しめようとも、伝わらないからこそ今出来る事は二つ。


「私がここでアナタに命を差し出すか、人間の理不尽を貫くか」


 葛藤、頭の中に言葉がよぎる。

『魔術、その全ては個の為に非ず。全を尊び全を導く為の術である』


 全とは?個とは?

 思考に押しつぶされそうな彼女に無情にも、いや当然ながら蠢く牙が襲い掛かる。


(考えてる時間はありませんね……それにここが住処と言う事は……)


 彼女が焦りを覚えていた理由、それは一人と一匹が相対するこの場所にあった。

 レンテルーコが巣作りを行う際、通常時であれば各々が好みの環境を探し多種多様で個性的な住処を築くのだが、繁殖期に入った途端にそれ等は一変する。


 全ての個体が例外なく一様に、似通ったある場所へと移り始めるのだ。産卵、孵化、育成に適し、有事の際は容易に逃亡を図る事が可能な場所へと。

 即ち、今、極限の緊張がはしるこの空間は――


「地表から、城壁一枚分と言った所でしょうか?暴れ始めたら通気性抜群の住処に早変わりですね」


 悠然と呟く彼女だが、深紅の瞳はしっかりと、突き刺す様に眼前の相手を捉えている。


(仕留め損ねれば多くの被害が……ですが、元を正せば……)


 芽生えた違和感、嫌でも巡る思考をやっとの事で抑え込み、攻めの姿勢を持ち直す。


「全を尊び全を導く。私の判断はこれに反する事となるかもしれません……ですが確信と成り得ない今、選ぶのは最善の策。それが人間の理不尽だとしても!」

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