第八話 凄腕の加工師 ①
年季の入った床板を進むたびに舞い上がる埃、曇ったガラスから差し込む朝日がその姿を際立たせる。
「けほっ……トゥリオさん、起きて下さい。そろそろ出発しますよ」
「大丈夫だ、もう起きてる……少し待っててくれ」
「珍しいねリオ兄が起きてるなんて……あ、セシィもか」
「そうですね、今日は雪でも降るんじゃないですか?」
「まぁ埃ぽっくって眠れなかったんだけどね」
セシィは重たそうな瞼を擦りながら欠伸を何度か、そのまま埃でも吸い込んだのかクシュンと豪快なくしゃみを連発。その度に床が軋み、壁が揺れ塵が舞う。
そうここは、都市に多くある宿の中でも屈指の“ボロ宿”だ。
「ぁあー、ねみぃ……準備完了だ、行くとするか」
宿屋の主人の元へ向かうと昨日同様、余裕の表情で出迎えてくれる。こんなにも空気の悪い建物の中で目を腫らすことなく、鼻をすする事無く、素知らぬ表情で。
しかし三人にそんな事を気にする余裕は無く、会話もままならない位にくしゃみを放ちながらなんとか会計を済ませ、脱出に成功する。
「はー、空気が美味い!しっかし何だって、あんな所を取ったんだ?」
「仕方無かったんですよ……宿は、あそこしか空いてなかったんです」
「宿以外なら橋の下とか、公園のガゼボ、廃屋台とかならあったよ」
「全部外じゃねぇか。でもまぁそっちの方がマシだったかもしれないな」
そうこう文句を言っている内にフラン達は都市一番の商業区〈ラデツィオ区〉を目の前にしていた。
あちらへこちらへと多くの人々が行き交う中を掻き分け、三人は喧騒を後に、一本の脇道へと踏み入れる。
「確か……こっちだ」
商業区の賑わいが嘘かの様に静かで少し不気味さを醸し出す薄暗い路地裏。暫く進むと幾つかの人影が現れる。
彼らの頭上には歴史を感じさせる下げ看板には〈サンチェス工房〉と記されている。
「師匠!あそこだよ。今日も賑わってるね」
「大人数で行くと邪魔になってしまいそうですね……一先ず、どれくらい待ちそうか聞いて来ますね」
フランは一人、工房の中へと向かう。中も多くの人でごった返していて、受付と思しき青年も手が離せないと言った状況だ。
(空いてからじゃないとダメそうですね……)
フランは二人の元へ戻り状況を説明、退屈ながらもポツンと置かれたベンチで時間を潰す事にした。
初めのうちこそ会話が弾んでいたが、昨日の眠れなかった夜、背の高い建物の隙間から零れる柔らかな日差しが眠気を誘いだす。心地の良い微睡み、辺りの声も届かなくなる頃、フランの身体が誰かに揺さぶられる。
「――……した……」
霞んだ視界に映るのは頭にバンダナを巻いた青年。
「お待たせしました。さっき中に来てましたよね?」
「受付の……わざわざすみません」
「いえいえ、さぁ中へどうぞ。お連れの方もご一緒に」
案内されるままに暖簾を潜れば、大杖や小杖など術具の数々が丁寧に陳列されている。そのどれもが最高級の素材、最高級の加工が施された、まさに最高級品。
(これは賑わう訳ですね)
そんな至高の一品達に見惚れていたのはフランだけでは無かった。セシィにトゥリオ、魔術を扱う者であればきっと誰もが目を奪われてしまうだろう。
「お客さん?」
「余りにも出来が良くて、つい……」
「嬉しい限りですね。では、ご用件は?」
フランは気を取り直し早速、石板を取り出し事情を説明する。
さすがは繁盛店、一目見るなりそれが発動刻印である事を断定してしまった。
しかしそれがどの様な魔術なのかは主人に聞かなければ分からないらしい。
「今ちょっと忙しいかも知れないけど、聞いてみようか」
そう言うと青年は機械音の鳴り響く作業場へと向かった。交わされた幾つかの言葉が聞こえた後に青年が顔を見せ、三人を手招く。
“凄腕の加工師”斯の呼び名を持つ人物に大きな期待を確かに抱えながら、作業場へと足を踏み入れた三人は、その姿に驚愕する。
「姉さん、この人達が石板の持ち主だよ」
作りかけの杖を片手にセミロングの髪を揺らしながら、フラン達へと振り返る深青の瞳を持つ女性。
「オウ、アタシがここのオーナーで加工師のディーナだ!」
「初めましてフランチェスカです。こっちの赤髪がトゥリオさんで、こっちが弟子のセシリアです」
「よろしくな!」
「よろしくね!」
互いの自己紹介を終えると早速、石板についての議論が始まった。
だが、度々尋ねて来る依頼者たちの対応で、思う様に議論は進まない。
「ああ、これじゃあ埒が明かないな。フランチェスカ、ちょいと手伝ってくれないか?」
「手伝いですか?私達に出来る事なら大歓迎ですよ」
横で何か言いたげな表情を浮かべるトゥリオの口をセシィが塞ぐ。構わず続けて、と笑みを浮かべたセシィに不思議そうな視線を向け、苦笑いを見せ、ディーナは本題を切り出す。
手伝い、と言っても製作加工では無く、簡単な素材調達であった。それも市場で手に入る物ばかり。
「そんな事で良いんですか?」
「アタシもプブリオも中々、ここを離れられないからね。簡単だがかなり重要な仕事だよ。引き受けてくれるかい?」
「もちろんです!」
フランが快諾するとディーナは必要な素材を書き止め、手渡す。記されていたのは魔術師からしてみれば、ごく一般的な材料だが、少々厄介なモノが一つ――
「あぁそうだ、多分ラデツィオでも手に入るとは思うが、一回で済ませるんだったら〈レグロマーケット〉まで足を延ばした方が良いぞ」
「分かりました。では行ってきますね!」
未だにもみ合っている二人の手を引き、フランは都市の西部に位置するレグロマーケットを目指し、工房を飛び出す。




