第四話 決壊 ③
向かった先で彼女が目にしたのは広い川の大半を占め、浮島を彷彿とさせる陸地と、その中心で杖を握り絞めるセシィの姿。トゥリオの言う通り、多数の蛙の魔物に囲まれ、安全な状態とは言えない。
「飛び込むのは危ないですね。あの子が動ければ良いのですが……」
「どう言う事だ?」
「癖……と言いますか……ここぞと言う時、一人で動けない事がよくあるんです」
彼女のその言葉通り、正に今セシィは魔物に囲まれ立ち尽くしていた。
当然その様な状態の人間となれば、大抵の魔物は侵入者へと襲い掛かる。無論、グレーナも例外では無い。
愛らしい見た目をしている魔物だが、口から吐き出す粘性の高い液体は身体へ浴びると動く事が困難な程に絡みつく特性を持っている。更に彼らは、そうして動きを封じた相手へ闇の魔術を使い止めを刺すと言った狡猾な性格の持ち主。
「トゥリオさん、目くらましをします。飛び込んでセシィを助けられますか?」
「問題ないが、セシィへの合図はどうする?目くらましを浴びたら、タダじゃ済まないだろう?」
「大丈夫です。“何かあった時”周囲のマナを揺らして合図を送る事にしています。それで気づいてくれるはずです」
「分かった。お前さんの魔術発動と同時に飛び込む……タイミングは任せた!」
フランはトゥリオ頷き返すと、顔先に杖を構え神経を研ぎ澄ませる。それからほんの数秒――
セシィの周りに、目を凝らせばやっと見える位の小さな光の粒が舞い始める。
彼女は直ぐに気付いた様だった。目前の相手に悟らぬ様に、瞳だけを動かし周囲を見渡す。
そして、フランとセシィの視線が重なる。
「――瞬明、視界ヲ制セヨ!」
セシィを中心に強力な光が閃く。
直後、抜き身の剣を構えたトゥリオが勢い良く駆け出す。
軟質だが高い弾力性の皮膚、それを保護する油を苦も無く容易く斬り裂く。一匹、二匹と次々に切り伏せ、瞬く間に制圧。
トゥリオがセシィを抱え、その場から離脱しようとしたその時だった。
「トゥリオさんそっちじゃありません!」
川の“上流”へと向かう彼に必死で呼び掛ける。
立ち止まった事で、胸を撫で下ろしたのも束の間。またもあらぬ方向へと歩き出す。
(なるほど……しかしこの距離からの解除は……)
思考を巡らすフランの目に、草むらの揺らぎが映る。
須臾の間も無かった。
杖先から放たれた矢尻を思わせる氷の塊は、寸分の狂い無くグレーナの鼻先を捉え身体を貫く。
「……トゥリオさん、セシィ、その場から動かないで下さい。直ぐに向かいます」
二人の元へ辿り着いた彼女は、二人へ掛けられた“魔術”を解き、目の前に手をかざす。
「見えますか?」
「うん!」
「あぁ大丈夫だ。しかし驚いた……身を隠して視界を奪って来るとはな」
「狡悪な魔物ですからね。二人とも他に怪我などはありませんか?」
フランの問い掛けに二人が笑顔で無事を伝えると、彼女は大きな溜息と共に膝から地面へと崩れ落ちる。突然の出来事に、カッと目を見開く二人だが……。
「大丈夫です……緊張が解けたみたいで」
「弟子思いの良い師匠だな。立てるか?……おぶってやろうか?」
「……それならセシィを」
フランの言葉でトゥリオの背中に飛びつくセシィ。そうして、まるで疲れなど感じさせる事無くセシィを背負いあげたトゥリオと共に、ガエタンの待つ小屋へと向け歩き出した――
これまでの苦労を労っているかの様に、帰路を辿る時間はとても穏やかだった。
往路に掛けた半分程の時間で到着した小屋。ドアを叩けば、バタバタと足音が響いた後に勢い良く扉が開かれる。
「良かった。無事じゃったか!」
「オウ!しっかり解決してきたぜ!」
報告を終えた一行、天気も回復しベレッジャ雨林へ向け再出発には絶好のタイミングだが、ガエタンから食事の誘い……それもこの地の伝統料理。
一仕事、いや二仕事を終えた三人に断る理由は無かった。
「腕によりをかけて作ってやるわい!それと孫たちのお下がりじゃが、着替えが置いてある。好きにしてくれて構わんぞい」
ガエタンの計らいに存分に甘える三人。
汚れた身体は清潔に、綺麗な服へ袖を通し、椅子へ掛ければ腹の虫が喚く。漂う香ばしさ、油の跳ねる音や、鍋の煮える音が空腹をさらに刺激する。
「――完成じゃ!」
三人の目の前に並ぶのは食べ切れない程に山盛りの料理。
食材、作った者への感謝の言葉と共に、口の中へと放り込む。
溢れ出す肉汁、様々な香辛料の香り、少しばかり感じるクセが病みつきになる不思議な味。料理へ伸びる手が止まらなくなる。
食事の最中、三人の口から放たれる言葉は「美味しい」そして「おかわり」
あっという間に、並んだ料理を食べ尽くす。
「ふぅー、食った食った」
「不思議な味ですが、これはクセになりますね」
「うん!おじいちゃん美味しかったよ!」
大満足といった三人へ向けるガエタンの表情もまた“満足”と、満面の笑みを浮かべている。
そして食欲が満たされた三人へ次に降りかかるのは睡魔。デザート代わりに語られるガエタンの冒険譚はまるで、子守歌の様に三人を心地の良い眠りへと誘う。
◇◇◇◇◇◇
奇妙な鳥の声が響き、太陽が三人の瞼を照らす。
「――んん……」
「おはようさん。出発にはもってこいの朝じゃな」
眠気眼を擦りながら大きな欠伸を一つ。ぼやけるフランの視界には丁寧に畳まれた三人の服。
それから間もなく、二人が目を覚まし、出発の準備へと取り掛かる。
そんな三人を見つめるガエタンの視線はどこか寂しげだった。
「――忘れ物ありませんか?」
「うん!」
「じゃあ行くか!」
真っ青に澄み渡る雨過天晴。一帯では稀なのか、ガエタンも驚く程だ。
「では、ガエタンさん、短い間でしたがありがとうございました」
「気にする事は無い、ワシの方こそありがとう。久しぶりに楽しかったぞい。これはワシからのお礼じゃ」
ガエタンが三人へ手渡すのは、些か変わった形の“傘”。三本としっかり人数分が用意されていた。
「これは?」
「レグミストに行くんじゃろう?少し心許ないかも知れんがのう。無いよりはマシじゃろうて」
よく見ると渡された傘には、びっしりと鱗が敷き詰められている。
「耐溶の竜の鱗傘じゃ」
耐溶の竜、ベレッジャ雨林、毒雨の降り注ぐ地域に生息する竜。故にその鱗は、強力な耐毒性を持つ。
「こんな物……良いんですか?」
「かまわん、かまわん。代わりと言っては何じゃが、無事に旅を終えて土産話でも聞かせておくれ」
「ありがとうございます!きっとまた、会いに来ますね!」
「おじいちゃん、また絶対会いに来るからね!」
「じゃ、行くとするか!」