第三十四話 心配事 ①
「うん上々だ。文句の付け所一つ無い逸品だな」
合流したディーナへ耐魔布を渡すと彼女は満足気に作業部屋へと向かった。裂割塊石へ刻む際に纏う防護服の作成は移動中に済ませてしまうそうだ。
「さて、今回は少しばかり長旅だ。お前さん達は到着までゆっくり羽を伸ばすと良いさ」
現在地、エノカルド砂漠上空から第一の目的地であるフリジェーレ山までは約三日程、長らく装備のメンテナンスに手を付けられていなかったトゥリオはここぞと個室へ飛んで行った。
「ねぇねぇオジサン?魔術の練習できるトコってある?」
「ウーム……艇内じゃなけりゃドコでもやんな。甲板に穴を開けてくれるなよ?」
「はぁい!」
杖と短剣を持ち出し船首へとセシィはスキップして行った。
(さて、私も装備の手入れと……それから……!)
「ロメオさん、ファベロをお借りしてもよろしいですか?」
「オウ構わねぇよ。後で操舵室に来ると良いぜ」
「では後ほどに」
居室へと戻ったフランはサラサラと何やら書き留め、満足の行った所でファベロの足へ括り、大空へと羽ばたかせた。
到着までの残り時間はもう自由そのものだ。一日目の夜は前祝の宴をとことん楽しんだ。酔って横暴の限りを尽くしたロメオとトゥリオの介抱さえなければ、それはそれは楽しい宴会だっただろう。
二日目は朝から久しぶりにセシィと基礎訓練に始まり、模擬戦を数回交えた。昼過ぎには暇を持て余したトゥリオが加わり、より本格的な実戦訓練となった。
空路の最中、思いもよらず多忙となったフランは三日目の今日、夕暮れ時になってやっと腰を落ち着けていた、のだが――
「師匠!オジサンが呼んでるよ!」
早く早くと手を引かれたのは操舵室真上の見晴台。広がる景色は一面の銀世界、飛空艇はもうフレッツァ領上空を飛んでいたみたいだ。
「ロメオさんどうされましたか?」
「おっ、じゃあ先ずはコイツだな」
折りたたまれた一枚の便箋、スクルトへ送った先の手紙の返信だ。
記した現状に対する返答と祝言、裂割塊石を据える際には皇帝と共に立ち会う旨が綴られていた。
「ロメオさん……皇帝が同席するそうですよ」
「ほう、ソイツぁ腕が鳴るな。一層気合が入るってモンだぜ」
極寒の空、逞しい両腕に力こぶを作り気合を顕にして見せる。望んでも頼んでもいないのに筋肉を魅せるポーズのオマケが幾つか付いた。
「オジサン風邪ひいちゃうよ?」
「風邪なんかに負ける程ヤワじゃあねぇ!なんてったって鍛え方が違うからな!」
その場で腕立て伏せを始めた所で、溜息だけを置いて二人が去ろうとすると、息を切らした船員が一人見晴台ヘ。
「会長!ヌシが顔を出している様です」
「ほうヤツか」
「ヌシってもしかして……ギアド氷河湖の?」
「あぁそうよ。水蛇の魔物の超大型個体、ギアド氷河湖のヌシだ」
村を一つ飲み込み、放つ魔術は湖を倍へ広げたと言う逸話を持つ魔物。覗かせた目にこの飛空艇が映ればきっとひとたまりも無いだろう。
「まぁしかし、目的地には到着だ。出発する頃には底でお寝んねだな。さぁお前達、作業に取り掛かれ!」
気付くと飛空艇はフリジェーレ山山頂にて停空飛翔、直下にて魔留石が輝いていた。
長年の経験から成る手際の良さだろうか、艇体の三四割程の大きさはあろうかと言う大岩を難なく縄で括っていく。
僅か一時間も要さない早業。息付く間もなく第二の、最後の目的地へと向け舵を切った。
「ちと、緊張するな」
「皇帝同席の件、ですか?」
「いいや、ヌシの方だ。嬢ちゃん達念の為だ、船尾で見張ってくれるか?」
「任せて!どんな攻撃でも弾き返しちゃうんだから!」
行きしなにトゥリオを捕まえ三人は飛空艇の最後方へ。
現在地はネヴィグィラの真上。身動きの一つ一つが緊張として三人の、乗り込む全員の身体へ染み渡る。
全身の硬直が解かれるまでの間は数えるのに苦では無い時間だったにも関わらず、永遠の様に錯覚させていた。
「フゥ、どうやら機嫌を損ねずに通過出来たらしいな」
「いやぁ良かった良かった。それにしても、飛空艇って便利だねぇ。山がもうあんなに遠くに」
「ホントだよ。誰かが文明の力にもう少し頼ってくれれば旅が楽に進んだのによぉ」
「よく言いますよ。少し前まで旅の終わりを惜しんでたくせに」
「……言ってくれるな」
また少し赤くなったトゥリオをこれ幸いとからかい倒す。
一通り弄り尽くした後、そろそろ身体を冷やしてはと共に帰室を促すが、彼は手すりにしがみついたままだった。
「トゥリオさん戻りましょう?ほら、謝りますから……」
堪忍袋の緒が切れてしまったのか一言も発しない上に、振り向こうともしない。
「ねぇリオ兄、ごめんってば――」
「二人とも来てくれ」
いつもとは違う声色だ。怒り心頭では無い、どこか差し迫る雰囲気が漏れている。
ただならぬ様子に急ぎ、地上を凝視する彼の元へ向かうも、視線の先には人影ひとつ無い真っ白な湖面が広がるばかり。ネヴィグィラも一行の存在に飽きてしまったのか尾ヒレ背ビレの一部たりとも見当たらない。
「特におかしなモノは見当たりませんが……」
「あぁ、スマン。俺の勘違いかもしれない」
「もうっリオ兄ったら!脅かさないでよ――」
異変――殺気を真っ先に気取ったのはフランだった。身を乗り出す二人の後ろ襟を掴み、力いっぱい後方へと放り投げる。