悪役令嬢たちの『黙示録』~俗欲まみれの背徳シスター、まっくら懺悔バーで返り討ち~
「先の『赤札』につき、断罪が完了したことを、ここにご報告いたします」
蝋燭の灯りがひとつあるだけの小さな部屋。
円卓を囲み集うのは、信じていた恋人や婚約者に騙され、脅され、裏切られ……世間から『悪役令嬢』のレッテルを貼られた淑女たち。
――そう。
ここはターゲットを滅びへと誘う断罪組織……悪役令嬢たちの『黙示録』。
合言葉は、『やられる前に、即断罪』。
その結束力は、血よりも固い――。
「それでは、執行をお手伝いいただいた『支援者』にお話を伺いましょう」
進行役の言葉を受けて、一人の女性が立ち上がる。
「俗欲にまみれたこのわたくしが、断罪をお手伝いするなどと……まったくもって烏滸がましい限りですが、社会貢献の一端を担うつもりで務めさせていただきました」
誰がどこにいるかも分からない暗がりの中、クスクスとさざめくような笑いが起こる。
「それではこれより、此度の支援者であるわたくし、マチルダが、コトの顛末を皆様にお話しいたします……」
***
(第一工程:シスター・マチルダの話)
「わたくしの住まう修道院は『サルタナ教会』に併設されており、敷地内に孤児院もございます。先日夫を亡くされた織物工場のクレア様には、孤児たちが大変お世話になっておりました」
原因不明の出火により織物工場の半分が焼失し、貸金業者からお金を借りたのは、夫が亡くなる数ヶ月前のこと。
ところが葬儀を終え、悲しみに暮れるクレアのもとへ、一通の『督促状』が届いたのである。
「借金の返済は完了したはずなのに……『督促状』には、手持ちの資産すべてを売り払っても返せないほどの額が記されていました」
支払期日は、なんと十日後。
契約した当初は、そんな法外な利率ではなかったはずなのに。
「契約時に借用証書を綴るため、貸金業者の秘書に手渡し……目を離したほんの数分の間に、法外な利率が記載された別のものに差し変えられてしまったのです」
もはや講じる手段もなく、なぜあのとき確認を怠ったのかと……。
工場を諦めて出稼ぎに出ようと説得していれば、夫が過労で亡くなることもなく、こんな事態には陥らなかったのではないかと……後悔ばかりがつのるクレア。
そして彼女は、サルタナ教会の『告解室』を訪れたのである――。
***
(第二工程:『札色選定会議』)
「不審火による火災の被害者ばかりを狙い、法外な高金利で貸し付ける貸金業者がいる、という噂を聞いたことはございますか?」
蝋燭がひとつ灯る暗闇で、五人の幹部たちが物々しく円卓を囲み座している。
「その取り立ては大層厳しく、男女問わず、さらには幼い子供までも劣悪な環境に売り飛ばすのだとか。先日、我が修道院が保護した孤児たちの中にも、本件の被害者が数名見受けられました」
怒気を孕んだ声で一人がそう補足すると、剣呑な空気が室内を満たした。
「相次ぐ不審火は、貸金業者の手の者により故意に放たれたもの。そして借用証書の一部を差し替えたのも、その貸金業者によるものです」
客を待つのではなく、すぐにまとまった金が要り様になる客を作るほうが、手っ取り早い。
そう考えたのだろう。
「借主がその条件に合意したかのように装い、借用証書を偽造する悪質な手口。なお、クレア様の一件もこれに該当することを確認済です」
すべては貸金業者のマッチポンプ。
だが賄賂が横行し、訴えてもすぐに握りつぶされてしまうため、泣き寝入りするしか方法がないのだ。
「……それでは本件につき、断罪の是非を伺います。お手元の木札から、該当するものをお選びください」
それぞれの手元には、左から順に白、青、黄、赤……手に収まる大きさの、四枚の木札が並べられている。
白札は『無罪』。
青札は『警告』。
そして黄札は『社会的制裁』。
動く者はおらず、いずれの札も『否』となった。
「最後の赤札は『社会的かつ物理的な制裁』……今回は被害者が多数に上るため、『門を開くべき』とお考えの方は赤札を裏返してください」
五人のうち四人が動き、赤札を裏返して箱に入れた。
四つの札が裏返されていることを確認し、最後に進行役が赤札を箱に入れる。
断罪候補案件における、『札色選定会議』。
極めて民主主義に近いこの会議により、五人の幹部たちは断罪の是非を問うのだ。
「……修道院で結んだ御縁もございますし、今回はわたくしが適任かしら?」
幹部のうち一人が指輪を外し、箱の中へと投げ入れる。
カランと音を立てて転がり、蝋燭の下で浮かび上がる指輪の紋章は『白百合』。
進行役はそっと箱の蓋を閉め、真鍮で造られた釣り鐘状のスナッファーを手に取った。
「それでは、裁定します。本件は『赤札』……すべての札が裏返されたため、門を開けさせていただきます。執行者は、クレア様。支援者は『白百合』とします」
「「「「異存なし」」」」
揺らめく蝋燭の炎にスナッファーを被せると、ボッと残り火を瞬かせ、沈黙とともに帳が下りる。
暗闇の中、名乗りをあげた支援者と進行役の二名を残し、幹部たちは順に退室していく。
今宵も全会一致のうちに『札色選定会議』は幕を閉じた。
続けて進行役が呼び鈴を鳴らすと、どこからともなく侍女が現れ、手持ちランタンの灯を頼りに最奥の部屋へと誘われる。
斯くて裁定は下された――ここからは、『謀議』の時間。
さぁ、不義者たちよ。
その顔を苦悶に歪ませ、後悔のうちに滅びのときを迎えるのだ。
***
(第三工程:断罪劇)
王都の中央広場を右に曲がり、少し傾斜のある小道を抜けると、飲食店が建ち並ぶ繁華街が賑わいをみせる。
そのうちの一軒……円型のオーク無垢材をくりぬき、百合をかたどった看板が下がる黒塗りの建物は、一階が定食屋になっている。
そして二階はバーなのだが、深夜限定な上に不定期営業。
さらに建物の裏口から続く階段を上る必要があり、知る人ぞ知る隠れたお店となっている。
「おい、出てこい!! 逃げられるとでも思ったか!?」
本日は久しぶりの営業日。
重厚感のあるバーの扉を開け放ち、ドカドカと鼻息荒く入って来たのは、件の貸金業者と、護衛を兼ねた取り巻きの男たちである。
「まぁ、騒がしい。ここがどこか分かっての狼藉ですか?」
「なんだと!? 御託はいいからさっさと女を……え? シスター!?」
大声で怒鳴りながら息巻いていた男たちは、手燭を携えてカウンターの奥から姿を現した女性に目を丸くし、その動きを止めた。
深夜限定、不定期営業の仄暗いバーに、なぜかシスター。
予期せぬ組み合わせに先程の勢いは見る影もなく、目を泳がせながら男たちは狼狽える。
「……ときに癒し、ときに与え、いつも貴方のそばにいる」
「えっ!? いや、その……え、突然なに!?」
「決して裏切らず、されど自由に。……咎人に苛まれた心へ、ひっそりと寄り添うのだ」
「ちょ、待ッ、なんの話……!?」
マイペースに口上を述べて満足したのか、シスターがゆっくりと口端を持ち上げた。
「ようこそおいでくださいました。ここは咎人の代理人が集う、『まっくら懺悔バー』。当店をご利用のお客様に守っていただくことは唯一つ。嘘偽りを述べてはならない、ということだけ」
「ま、まっくら懺悔バー!?」
耳慣れぬバーの名前に驚愕し、男たちは我知らず復唱してしまう。
蠱惑的な微笑みを浮かべ、強烈な色気を放つシスターを前に皆押し黙り、囚われたようにその場で釘付けになった。
「それでは皆様。こちらにお掛けになり、各々受付用紙にお名前をご記入ください。……はい、御協力ありがとうございます」
テーブルに座るよう促され、わずかな灯りをたよりに目を凝らす。
逆らう気力を根こそぎ奪われ、各々言われるがまま受付を済ませると、男たちの手元に冷たい水が配られた。
「まずは一息ついて、少し気持ちを落ち着かせてください。飲み終わりましたら、わたくしがご用件を伺います」
色気たっぷりに流し目を送られ、声を発するどころか、目を逸らすことすらできなくなってしまった男たち。
微笑みのうちに促され、借りてきた猫のように縮こまりながらチビチビと水を飲んだ。
気まずい沈黙が続く中、貸金業者の男は意を決したようにゴクリを息を呑み、手元のグラスを一気に呷りシスターへと向き直る。
「シスター、ここに『クレア』という若い女がいるはずだ。大人しく引き渡してほしい」
「クレア、でございますか? どこのクレア様かは存じませんが、シルバーグレイの髪色の女性であれば、明日が出勤日です」
本日は督促状に示した支払期日。
亡き夫に代わり織物工場主となったクレアは、見張りの目をかいくぐり、突然行方をくらましてしまった。
近隣住民へ聞き込みをおこない、このバーで働き始めたという情報を得たのだが、本日は無駄足に終わってしまったようだ。
「明日!? クソッ、では一体今どこに……!! まぁいい、それでは明日また来る。逃げたら地獄を見ることになると伝えておいてくれ」
明日確実にいると分かればもう用はない。
男たちが逃げるように店を後にすると、重厚感のある扉が鈍くかすれた音色を奏でながら、ゆっくりと閉じていく。
「……またの、お越しを」
憂いを帯びて怪しく揺らめくのは、闇夜に溶け込みそうな黒水晶の瞳――。
ガチャリ、と硬質な響きが空気を震わせ、静寂とともに世界は二つに分かたれた。
***
「今日こそは、女を出してもらうぞ!」
昨夜に引き続いて乱暴に扉を開き、店に入るなり声を荒げる貸金業者と取り巻きの男たち。
「おいクレア、いるんだろう!? 金を払うか、大人しくついてくるか、二つに一つだ!!」
仄暗い店内を見廻すと、またしてもカウンターの奥から、手燭を携えたシスターが姿を現した。
「……ときに癒し、ときに与え、いつも貴方の」
「また!? それは昨日聞いたからもういい!」
「では皆様。こちらにお掛けになり」
「それも聞いたばかりだ! 受付か!? 受付なのか!? ほら名前を書いてやったからもういいだろう! 早くクレアを出せ!!」
出された水をがぶ飲みし、シスターの言葉を都度遮るようにして、一連のやり取りを倍速で終えた貸金業者の前に、一人の女性が現れた。
「バルド様、御無沙汰しております」
「クレア!! 今日こそは逃がさねえぞ!?」
「御心配なく。ご提示いただいた借金全額、今この場でお返しいたします」
「……え?」
クレアはそう告げるなり、胸に抱いていた重そうな包みを、貸金業者バルドの前にドサリと置いた。
「あの程度の元本が数ヶ月で十倍近くに跳ね上がるなんて……驚きの商売ですね」
結わえた包みを解くと、そこには綺麗に揃えられた紙幣の束、束、束――。
「最初にご提示いただいた条件であれば、返す必要すらなかったお金ですが……うちの織物工場に火をつけ、借用証書を差し替えて偽造したのは、貴方たちですね?」
クレアが憎しみに目を濁らせると、バルドは愉快でたまらないとでも言いたげに、喉を鳴らして笑い出した。
「俺たちが火をつけた証拠でもあるのか? 証書の中身だって、確認する機会を与えたはずだ。嬉々として署名し、礼を述べた愚か者に言われる筋合いはない」
突き放すように言い放ち、バルドは機嫌良く札束を数え始めた。
「どこから金が出てきたのかは知らんが、まぁいい。払うものを払えば何も言うつもりはない、返済完了だ」
「そうですか、それは良かったです。……ときにバルド様、教会にございます『告解室』をご存知ですか?」
「突然なんだ? 知らんわけがないだろう」
『告解室』とは、自らの罪や過ちを告白し、悔い改め、神に赦しを得るための部屋。
神の代理人となれるのは司祭のみ、またいかなる告解であってもその内容を口外することは許されない。
「では、『告解』と『懺悔』の違いはご存知ですか?」
「……同じではないのか?」
「我が国で言う『告解』とは、形式に則った極めて儀式的なもの。且つ、対象は信徒のみです。一方、『懺悔』はすべての者が対象となり、場所・人問わず……どこで誰にどのような形で罪を告白しても構いません」
突然話題を変え、質問に転じたクレアを訝しみ、バルドは目を眇めた。
「平然と悪事に手を染め、私利私欲を肥やし続ける貴方たちのような咎人は、悔い改めるどころか……自らの罪を告白することすら、決してしないのでしょうね」
「なんだ、説教か? くだらん話を聞いている暇はない」
金が手に入った以上、長居は無用。
話を続けるクレアを無視し、バルドは金を手持ちカバンに詰め始めた。
「己の罪を顧みることすらしない咎人を、神が赦したもうはずがない。そうは思いませんか?」
女盛りの二十代にもかかわらず、最愛の夫を亡くし疲れ切ったクレアの顔は生気を失い、目の下は深く窪んでいる。
クレアは何かをこらえるようにグッと頬に力を籠め、それからゆっくりと目を瞬かせた。
「更生の余地すらない咎人……神に届かぬその罪を白日の下に晒すには、どうすべきだと思いますか?」
「くだらんな、騙される方が愚かなのだ」
「――救いの是非を、問うには?」
自分の罪を棚に上げ、小馬鹿にしたように鼻で笑うバルドの目の端で、取り巻きの一人が突如体勢をくずし、床に膝を突いた。
「シスターは仰いました。その罪をよく知る者を『代理人』に立て、懺悔を……咎人に代わってその罪を告白してもらうのだ、と。赦しではなく、しかるべき罪禍を負うべきだと――」
そこまで告げて、クレアは言葉を切った。
屈強な男たちが背後から音もなく近付き、先程の取り巻き同様に、招かれざる訪問者たちを次々に拘束していく。
「今回の咎人はバルド様とその関係者たち。なお、その罪をよく知り、バルド様に代わって懺悔した『代理人』は私、クレアです」
訪問者たちは抵抗する暇もなく膝を突き、あっという間に押さえ込まれてしまった。
薄暗い店内だとしても、近付いてくる気配にさえ気付かないとは……一体何者だと首を傾け、振り返ろうとしたバルドの首筋に、ひやりとした鋭利な刃先が当てられる。
「……ッ!?」
「お前の声は耳障りだ」
よく通る低い声が腹に響き、バルドはそろそろと恐れのうちに目を上向けた。
目深くフードをかぶっているため、ハッキリとした顔かたちは確認できない。
頬に切られたような深い傷跡があることくらいしか分からなかった。
だがたまに漏れる冷たい眼光……突き付けるナイフが単なる脅しでないことを、多くの犯罪に手を染めてきたバルドはすぐに理解した。
「ま、待て、少しだけ話がしたい。お前はいくらで雇われた!? 倍の金を出してやるから助けてくれ」
明日の早朝は事務所に行く予定が入っている。
バルドが出勤しなければ、異変を察知した秘書から仲間へ連絡がいくはずだ。
そうなればしめたもの……足取りを辿ってすぐさまこのバーに捜索の手が及ぶだろう。
だからそれまでは何としてでも、生き延びなくてはならないのだ。
「金ならある。どうだ? 悪い話ではないだろう!?」
バルドが重ねて告げると、その様子をのんびりと見守っていたシスターが、突然何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「大変、忘れていたわ! そういえば皆様に、貸したお金を返していただかなくては!!」
傷の男をなだめるようにしてバルドの首元から刃先を退かせた後、シスターはどこからか数枚の紙を取り出した。
そのうちの一枚を手燭にかざし、浮かび上がるように照らされたソレは、バルド署名の……身覚えのない借用証書。
そこには、バルドの全財産を以てしても払えきれないほどの額が記されていた。
「なんだこれは!? こんな大金を借りた覚えはない!!」
「ですが間違いなくバルド様に書いていただきました」
「そんなバカな……俺がこんなものを書くはずが……ッ」
バルドは何度も署名を確認するが、どうみても自分の書いた文字である。
「ちなみに、お付きの方々の分もございます」
「はぁ!? だが金など借りていないし、署名もしていない! ……ま、まさか受付用紙か!?」
最近署名したものといえば、シスターに促されて書いた入店時の受付用紙くらいしか思い当たらない。
「借りてもいない金を返せなどと、シスターがこんな詐欺まがいのことをして、許されるとでも思っているのか!?」
「……借りてもいない金?」
感情が昂り、声高に叫んだバルドを挑発するようにシスターは微笑みを浮かべた。
「貴方たちはこのお店で、水を飲んだではないですか」
「――え?」
「昨夜も……そして、つい先程も」
一息ついて気持ちを落ち着かせろと言われ、差し出された一杯の水。
確かに飲んだが、水ごときがそんなに高いはずがない。
「席料と水代を払わずに食い逃げ? 飲み逃げ?? されてしまい、わたくしも困っているのですよ?」
「だからと言ってこんな金額になるわけが……」
「仰るとおり、昨夜の時点ではたいした額ではなかったのですが、一日経って利息が膨らみ、今ではこの金額です」
ふざけるなと怒鳴りつけたいが、間違いなく自分の署名。
しかもバルド自身がやってきた手口である。
「聞けば何やらクレア様にも借金があるとのこと。神に仕える身でこんなにお金があっても使い途に困ってしまいますので、これも何かの縁と、わたくしから少々ご支援をさせていただいたのですが……」
先程クレアが積んだ札束の出どころは、シスターだったらしい。
こんなに余るなんて困ったわ、とうそぶいている。
「そうそう、先程署名していただいた紙は、実は借用証書ではございません」
ピラピラと振る二枚目の紙には、どうやって調べ上げたのか、賄賂を渡し長年融通を利かせてくれた役人たちの名前。
加えて奴隷の売買先、脅迫に使った組織の名前等、事細かに記されていた。
「名前が分かったところで証拠などどこにもない。調べたのは褒めてやるが、無駄な努力だったな」
「それは残念です。せっかく書いていただいたのに……そうだわ! ちょうど欲しいと仰っていた方がいたので、その方にお譲りしようかしら」
「……一体誰に渡す気だ!?」
バルドは一瞬青褪めるが、上層部は賄賂で抱き込んであるし、そもそも証拠不十分で突き返されるのが関の山。
ざまあみろとでも言いたげなバルドの視線を受け、シスターは柔らかに微笑んだ。
「それではヒントを差し上げましょう。これは、司法取引の同意書です」
「……なんだと?」
「バルド様ったら、お耳が遠くなってしまったのかしら? もう一度お伝えしますね。……司法取引の、同意書だと言ったのですよ」
バルドのみならず、ともに取り押さえられていた取巻きの男たちも、ヒュッと息を呑む。
「要は、『仲間を売って減刑を求めた』という証拠書類のようなもの。連れ立ってお越しいただいた皆様も連署で認めてくださいましたので、本日をもって無事に書類が完成しました」
男たちは床に這いつくばりながら、シスターを呆然と眺めた。
好き勝手やっているように見えるならず者たちにも、実はひとつだけ破ってはならない掟がある。
それは、仲間を売ること――。
叩けば埃しか出ない裏社会の禁忌を破った者は、裏切りの烙印を押され、恐ろしい制裁を受けることになるのだ。
「なんの説明もなく名前を書かせて悪用するなど、シスターがそんなことをしていいと思っているのか!?」
「――あら、どうしてですか?」
シスターがきょとんと目を丸くすると、漏れ出た色気は鳴りを潜め、今度は少女のような可愛らしさが前面に押し出される。
「確認する機会は与えましたし……嬉々として署名した愚か者は、貴方たちです」
先程のセリフをなぞらえるように告げられ、絶句するバルドのもとへ、シスターが音もなく歩み寄った。
「どうしますか? 懺悔をされるなら、このわたくしが伺いますが」
「だれがお前なんかに!! お前にするくらいなら、後ろにいるこの男のほうがまだマシだ!」
「残念、ふられてしまったわ」
クスクスと密やかに笑いを漏らすシスターを、バルドはギリギリと睨みつけた。
「……では俺が聞いてやろうか? このシスターよりは、多少慈悲の心を持ち合わせているつもりだ」
「まぁ、失礼な! 先程まで刃物で脅していた貴方に言われたくはありません!!」
「どの口が言うか……リクエストも無いようなので、『告解』は無しだな」
バルドを押さえていた傷跡のある男はそう言い放つと、興味を失くしたのか、つまらなそうにひとつ息を吐く。
そのまま、五分ほど経った頃だろうか。
今にも飛び掛かりそうな形相で睨みつけるバルドを一瞥し、シスターは新たな訪問者たちをバーに迎え入れた。
「クソッ、離せ!! どこに連れて行く気だ!?」
新たな訪問者たちは、暴れるバルドたちに口枷をかませ、後ろ手に拘束する。
引きずるように階段を降り、裏口に横付けした馬車へと押し込んだ。
「クレア様はこの後どうされますか?」
「責任を持って、最期まで見届けるつもりです」
「そうですか……それでは、良い旅を」
後を追うようにクレアも続き、御者と並んで御者台に腰を掛けた。
皆が去り、先程までの喧騒が嘘のように静まり返る。
バーの中にはシスターのマチルダと、傷跡の男だけが残った。
「貴方は付いて行かないのですか?」
「あれだけ人がいれば充分だろう。それに『告解』も不要だから、無駄足になってしまった」
少し拗ねたようにポツリと漏らした男の言葉に、マチルダの口元が微かに綻んだ。
一つずつ、マチルダはともった灯りを消していく。
すべての灯りが消えてバーの中がまっくらになると、男は腕を伸ばして高窓のカーテンを開けた。
ステンドグラスの高窓から柔らかな月明りが差し込み、先程までの暗がりが嘘のように、店内を優しく照らし出す。
「……ねぇ、ベルトラン。一杯、付き合わない?」
マチルダが差し出したグラスには、とろみを帯びて透きとおる琥珀色の酒。
「マチルダ様、今宵はどのような罪を告白されるおつもりですか?」
「ん――、何にしようかしら」
頭を覆っていた布を外すと、白銀に輝く豊かな髪が空気をまとい、ふわりとマチルダの腰を覆う。
誘うように微笑むその美しい瞳に魅入られたように、ベルトランと呼ばれた男はマチルダに向かって手を伸ばした。
たわやかな髪を一房手に取ると、愛おしむように、そっと優しく口付ける。
向ける眼差しが熱を持ち、マチルダを優しく包み込んだ。
カラン、と音を立てて崩れ落ちた氷は滑り落ちるように沈み、心地よい響きは籠もった空気を一掃し、涼を届ける。
ひやりと湿り気を帯びた白く細い指先を傾けると、爽やかな柑橘の香りが鼻腔をつき、喉奥へとすり抜けていった
***
(第四工程:終幕)
「――こうして本懐を遂げましたこと、改めてご報告申し上げます。なお、クレア様は山頂の修道院にて、孤児たちのお世話をしてくださることになりました」
「「「「「新たなる同志に祝福を!」」」」」
パラパラと拍手が起こり、進行役が呼び鈴を鳴らす。
その音を合図にひとり、またひとりと幹部たちが退室していく。
後には進行役と今回の支援役、二人だけが残された。
「今回も鮮やかなお手並み、お見事です」
「ありがとうございます。『サルタナ教会』にあったご主人のお墓も近くに移しましたので、安心してお過ごしいただるはずです」
織物工場の機器も近くに運び込み、孤児たちの技術支援にも力を入れてくれると聞いている。
「それはなによりです。ところで、先日仰っていた問題は解決されたのですか?」
「勿論です。裏切り者が欲しかったところなので、ちょうど良かったです」
ここ一年で悪質な人身売買が横行し、取り締まった結果、身寄りのない子供たちの数が急激に増えていった。
いくらなんでもこれはおかしい……規制の強化に乗り出すが、賄賂が横行し、取り締まろうにもイタチごっこでキリが無い。
だが可能ならばこの機会に一掃したい。
様々な組織に諜報員を潜入させ、ついに完成したブラックリストを眺めてマチルダはひらめいた。
せっかくだから裏切り者を仕立て上げ、内部情報を漏らしたことにして派手に取り締まってやればいいのでは、と。
そんな時、日頃からお世話になっていたクレアの夫が亡くなり、そして程なくしてクレアが『告解室』を訪れた。
神の代理人となれるのは司祭のみ。
またいかなる告解であってもその内容を口外することは許されない。
このため、見過ごすことのできない告解については司祭の指示により、『告解室』に飾られた白百合をお持ち帰りいただく手筈となっている。
協力者たちは『告解室』を後にする信徒の手元を確認し、足止めし……。
そして連絡を受けたマチルダは偶然を装って情報を引き出し、必要に応じて『まっくら懺悔バー』へと誘うのだ。
「そういえば、山頂にある系列の修道院で、新たに孤児院を設けたのだとか」
「はい。『サルタナ教会』の孤児院は狭いので、大人数の受け入れができるものを作りました」
罪を犯して山頂の修道院に収容された者は、死ぬまで厳しい生活を余儀なくされる。
だがそれ以外のシスターは同志たち……信頼できる者ばかりなので、安心して子供たちを預けられるのだ。
「孤児が増えて色々と物入りになり困っていたのですが、臨時収入がありましたので、すでに売られた孤児を買い戻したり教育に充てたり、これからまた忙しくなります」
「ふふふ、何かお手伝いできることがありましたら、仰ってくださいね」
臨時収入にしては桁が多過ぎな気もするが、貸金業者からごっそり頂いたおかげで、しばらくは懐がホカホカである。
「それで、司祭の御様子はいかがでしたか?」
「いかがもなにも、今回もまた首を突っ込んできて……お節介にも程があります」
「いつまで経ってもマチルダ様のことが心配なのですね」
「一体わたくしを何歳だと……!! 好き放題するために高いお金を払って、都合のいいベルトランに司祭位を与えたのに、なにかと世話を焼こうとするので困っているのですよ? まるで忠犬だわ!!」
少女のようにむくれるマチルダに、進行役は思わず忍び笑いを漏らす。
「せっかく聖職売買で、昔馴染みの護衛騎士を司祭にしたのに!」
相変わらずの過保護ぶりに文句を言いつつ、なんだかんだで、のびのびと自由に過ごしている様子が見て取れる。
今でこそ大きくなった本組織。
ターゲットを滅びへと誘いざなう――悪役令嬢たちの、『黙示録』。
人が人を呼び、相互扶助の形で復讐を遂げるその成功率たるや、なんと驚異の百パーセント。
だがその相談内容は恋愛に留まらず、多方面へと波及する。
アダルトな内容や裏社会の奥深くにはびこる相談等、清純な悪役令嬢では対応しきれないものも増えてきた。
それではどなたかにお願いできないかと、人生経験をもりもり積んだ断罪経験者……元悪役令嬢のシスター・マチルダ(修道院コース履修済)をお招きし、幹部として迎えることにした。
広く恋愛に関わる相談を請負う『恋愛相談所』で対応しきれないものや、教会の『告解』では賄いきれない報復を伴うものについて、『まっくら懺悔バー』で受け付ける、という建付けである。
日中は教会や孤児院の仕事で手が空かないため、夜限定・予約者のみを対象とした。
公言が憚られる内容もあり、込み入った話になるほど顔を見られるのを嫌がる相談者は多い。
このため、カーテンに覆われたステンドグラスの高窓が一つあるだけの、手元以外は何も見えない特別な場所を用意した。
……『まっくら懺悔バー』、誕生秘話である。
「ベルトランの判断基準が甘くて困っているのです。これでは忙しくて、息つく暇もありません」
『告解室』で百合を渡すか否かは、司祭であるベルトランに一任している。
すぐに百合を渡してしまうのだと文句を言いつつ、マチルダの瞳が優しく揺れる。
「シスターなのに余暇を楽しもうなどと強欲すぎると、生意気にも忠言されました。自分だって夜な夜な酒盛りをしているくせに、小言が多すぎるんじゃないかしら……?」
神に仕える身でありながら、俗欲まみれの背徳者たち――。
「すべてを失くしたわたくしは、すべてを手に入れないと気が済まないのです!」
誰に何を言われようが、自分が信じた道を突き進む。
言い切るマチルダについに我慢ができなくなり、進行役は吹き出した。
***
あの夜――。
バルド以外の咎人を馬車から降ろし、取り巻きの男達は投獄された。
さらに自宅にいた秘書や犯罪に加担した者、賄賂に味をしめて犯罪を助長した役人たち等、皆捕縛され、それぞれの罪に応じた刑を負う。
死刑に処せられる者、懲役に服す者……例え出所したとしても、裏切り者としてこれから一生死の影に怯えながら過ごすことになるのだ。
そして主犯格であるバルドがひとり残された馬車は、修道院のある山の中腹、切り立った崖の手前でその動きを止めた。
「おい、着いたぞ」
御者は馬車を停め、スラリと剣を抜き馬車の扉を開けた。
怯えながら命乞いをするバルドの声が漏れ聞こえた後、悲痛な叫び声が細く長く、こだまする。
地獄の門は、開かれた。
赦しを得る機会を永遠に失ったその身体は、時を経てやがては朽ち、土へと還る。
弱者を踏みにじり、ときに命を奪い人生を謳歌してきた男の最期に憐れみの余地はなく、その惨めな姿を悼む者は誰一人としていない。
空が徐々に明るみ、冷たい風が吹きすさぶ崖向こうの街々が、薄っすらと姿を現し始める。
雲の切れ間から差し込む光がにじむように広がり、クレアは静かに目を閉じた。
『……それでは、良い旅を』
柔らかな微笑みとともに、慈しむように向けられたマチルダの瞳。
温かな光は指先を冷やす風を散らし、新しい一日の始まりを告げた。
***
クレアは小さな墓石の前でひざまずき、しばらく祈りを捧げた後、頬をかすめた一匹の蝶に目を留める。
背負った罪を償う機会と時間を、与えてもらった。
沢山の子供たちを育み、我が子のように慈しみ、世に送り出すことができるこれからの人生は、なんと恵みに溢れたものだろう。
そびえたつ岩壁をなぞるように風が吹き込むと、ゆるやかに波打つ髪が天に向かって舞い上がり、クレアの視界を柔らかく覆った。
「クレア様、サルタナ修道院からお客様ですよ」
声がかかり振り向くと、嬉しそうに微笑む『支援者』……マチルダが、大きく手を振っている姿が目に入る。
満面の笑みを浮かべ、クレアは思わず走り出す。
ここは、山頂に位置する修道院。
――天に一番、近い場所。
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※シリーズ化させていただきました。(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.
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