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Re:Resort  作者: 雅あつ
9/25

8.リクエストじゃありません、命令です

 

「ムフフ。お似合いだって」


 彼女が手にしているのは、ついさっき撮ったばかりのインスタント写真。

 座るスペースのある窓枠に並んで腰かけたので、今は夜の東京を背にしている。


「これは今日の記念だね。比嘉氏」


 彼女は夜景に映える「素敵な」笑顔で写っているが、僕の方はだいぶ引きつっている。


「あーっ!」

「えっ、なに?」

「ダメだ、だってこれ一枚しかないもん。よし、撮って来よう、もう一枚」


 言いながら僕の手をつかんで立ち上がろうとする。


「いいよっ、取りあえず今日はいいから。良かったら君が持っててよ、ね?」

「え、いいの? ホントに?」

「うん、いいよ」

「イエィ、やった! じゃあ記念の写真、サンキュ」


 満足そうにもう一度眺めたあと、ポシェットを開けて中にしまっている。


「記念ねえ。まだ付き合ってるわけでもないのに、いったい何の記念なんだか……」

「…………」


 うん? なんだろう。

 彼女がじっとこっちを見ている。


「今度は、なに?」

「今、『まだ』って言ったよね?」

「まだ?」

「うん。『まだ付き合ってない』って言った」


 えっ。

「まだ」付き合っていないっていうことは、これから……。


「いや……言ってないでしょ」

「言った」

「言ってないよ」

「ノーノ―、言いましたー。絶対に」

「ちょっ……」 


 これって、からんでるよね?


「オーケイ、いい。わかったよ、比嘉氏」


 彼女が立ち上がったので、イタズラっぽく微笑む彼女を見上げることとなった。


「それなら、今日は私を送ること」

「うん、オーケーだよ。例の……ニシの改札でしょ?」

「ノーノー、う、ち、ま、で。マイホーム、家まで」

「ええっ……」

「これはリクエストじゃありません、命令です」


 真っすぐに指をさして来た。

 何でそうなるの? というかやっぱり、だいぶ酔ってるな――。


「比嘉氏、返事はっ?」

「あー、いや……はい。イ、イエス、サー」




「なんか悪いですねー、こんなところまで送ってもらっちゃって」


 改札を出て歩き始めると、すぐに彼女がそう言った。

 池袋からここまでは電車で七分、自宅までは徒歩五、六分だと聞いている。

「こんなところまで」という程、遠いわけではない。


「そっちが命令したんでしょうよ」


 照れ隠しからくる精いっぱいの反論だ。

 本当は距離も時間もどうでも良かった。

 これからどうなるのだろう――それだけが差し迫った唯一の問題だ。

 緊張の度合いは、高速エレベーターに乗っていた時の比ではない。


「あ、そんなこと言っちゃって。心配じゃないの? 私みたいなキュートな女の子、遅い時間にひとりで帰すなんて」

「そ、そりゃまあ……」

「エヘヘ。キュートなんだ、やっぱり」

「は、そっち?」

「えー、可愛くないのぉ?」

「ああ、いや……」

「ショック」


 もう。可愛くないわけないじゃん――。


「あ、ここを左ね」


 短い商店街を抜け、現れた大通りを左折して行く。


「ここってもしかして、桜並木?」


 大通りと言っても、道幅の半分近くを赤っぽいブロック敷きの広い歩道が占めている。

 そこを遥か向こうまで続いて行くこの並木が、全て桜だったら綺麗だろうと思っただけだ。


「ビンゴ! その通りです」


 体ごと振り返り、人さし指を「ピン」と立てている。


「この桜ね、うちはこの通り沿いだから、バルコニーからパーフェクトに見下ろせるんだよ、春になると。初めて見た時なんてそれはもうアメイジング!」


 なるほど。住まいがこの通り沿いなら、きっと向こうで暮らす両親も安心だろう。

 家賃は高そうだけど。


「ああ、うちはあそこ。わかるかな? 左側の白いアパートメントだけど」


 そう言って指さしたのは、十階建てを超える様なマンションだった。

 もちろん日本では「アパート」等とは呼ばれない。

 もう目と鼻の先だ。


「うん……」


 例えばもしもと考える。

「上がっていかない?」などと言われたらどう答えようかと。

 だが一方で、それはちょっと考え過ぎじゃないかという気もしている。

 彼女はきっと、純粋に送って欲しかっただけに違いないと。


「ね、近かったでしょ?」

「……うん、そうだね」


 ふと浮かんで来たのは、いつか長谷川が口にしていたセリフ。


「……それほど珍しいことでもないと思うけど?」


 会ったその日に「そうなって」しまった、あの二人のことが、ここへ来て妙に思い起こされる。

 要するに、知り合って間もない自分たちの現状と彼らのことを、脳が勝手に比較し始めているのだ。


「喉かわいたねー」

「そう……だね」


 公園通りで見掛けた長谷川と小泉さんは、本当に仲睦まじく見えた。

 始まりは軽はずみだったかもしれないが、ちゃんと付き合っているのなら別に問題ないのでは――そんな風にも思えてくる。

 だけど、どうしても何かが引っ掛かり、拭い去ることが出来ない――。 


「コンビニに寄りたいんだけど、比嘉氏も行く?」

「え? ああ、ええと……」

「……あっ、うん大丈夫。すぐ買ってくるから、比嘉氏はちょっと待ってて」


 マンション脇のコンビニに入って行く後ろ姿を、やるせない気持ちのまま見送った。

 すぐ近くにバス停があった。

 時刻表で最終バスが終わっているのを確認してからベンチに腰掛けた。

 思わず深い溜め息が漏れる。

 浮かんで来たのは、何度も目を逸らし続けて来た思い出したくもないあの記憶。

 やはりこれなのかという思いもあった。

 そう。

 それはまだこちらに出て来たばかりの、大学一年の春に起こった出来事だ。

 当時の僕は、それなりに「東京に馴染みたい」という思いが強かったこともあり、入学前から必ず何処かのサークルに入ろうと決めていた。

 新入生に対する勧誘は予想以上に激しく、右も左もわからない僕は、とある「大雑把な」スポーツ系サークルに捕まった。

「まずは見学から」ということで参加したのだが、断り切れずにそのまま取り込まれてしまった。

 すぐに「新入生歓迎コンパ」という名目の飲み会があり、未成年だった僕も飲むことを強要された。

 相手は「みんなやってること」「別に珍しいことじゃない」という文句をことある毎に繰り返す先輩たちだ。

 結局僕はその飲み会で酔い潰れ、気づいた時には見知らぬ女性の部屋にいた。

 だが、その人は優しかった。

 僕の緊張を解きほぐし、話も聞いてくれた。

 程なく心を許した僕は、短時間に打ち解けて行く感覚を味わった。

 ほとんどすべてが、初めての経験だった。

 東京の扉を、その人が開けてくれたのだとさえ思った。

 翌週のサークルの集まりで知ったのは、その女性が二年上の先輩であることと、滅多に顔を出さない人だということ。

 そして、僕とそうなったことをサークルのメンバー全員が知っているという現実だった。


「おー、どうよ、比嘉くん、あのあと行ったんだろ?」

「聞いた聞いた、今回は比嘉くんだったんだって?」

「あそっか、去年はおまえだったもんなー」

「お、バレた? っていうかどうせみんなやってるっしょ、あのひととー」  

「ははは、いやさすがにみんなじゃないだろうけど、別に珍しいことでもねーわな」


 先輩たちは、さも楽しそうに終始ニヤニヤしていた。

 経緯はどうであれ、改めてちゃんと会って話したいと思っていた僕は真相を知って愕然とし、そのサークルで過ごした短い日々に幻滅した。

 そしてその日を限りにそこを辞めた。

 そして、その女性の先輩を見かけることは二度となかった。

 いや、なぜ今ここでそんなことを事細かに思い出す必要がある?

 まさか僕はあの忌まわしい記憶をもとに、荒木さんの気持ちを推し量ろうとしているとでもいうのか?

 だとしたら最低だ。

 今日一日、いったい僕は彼女と何を話して来たんだ?

 比べるなんて絶対にあり得ない。

 そんなの解っているはずなのに、どうして僕は――。


「大丈夫?」


 そっと肩に手を置かれた。


「頭痛いの? 比嘉氏」


 視線を上げると、コンビニの袋を提げた荒木さんが僕の顔を心配そうにのぞき込んでいた。

 頭を抱えるようにして、前屈みに突っ伏していたらしい。


「ああ、いや……平気だよ。ぜんぜん平気」


 慌てて姿勢を元に戻した。


「本当に?」


 スッと僕の横に座りながら、なおもじっと見つめて来る。

 耐えきれなくなった。


「……ご、ごめん、荒木さん」


 何か言わなければと思って出た言葉が、それだった。


「どうして謝るの?」

「え、その……いろいろ」

「ハハ、なにそれ」


 図らずも、彼女に笑顔が戻った。


「ねえ比嘉氏」

「うん?」

「うちに上がってコーヒーでも飲んで……」


 ええっ。


「……行かないよね。はい、どうぞ」


 袋から缶コーヒーを二本取り出し、一方を渡して来た。

 だが手を伸ばすとサっと交わされ、僕の頬にそれをギュっと押し当てて来た。


「冷たっ!」

「アハハハ」

「酷いよー」


 僕たちは喉を鳴らしながらアイスコーヒーを飲んだ。

 それほどカラカラだったのだ。

 風の無い夜だった。

 生い茂る桜の葉もそよぐ気配はない。


「なんか思い出しちゃうなぁ……こっちに来たばかりの頃のこと。どうしてだろ」

「うん?」


 遠くを見る様な眼差し。

 満開の桜でも思い出しているのだろうか。


「高校一年生の時にね、言葉とか、すぐにはどうにもならないことが原因で、なんか変な感じになっちゃって」

「え、変な感じって?」

「浮いてた、って言ったらいいのかな」

「ああ……」

「ファーストネームなんて教えたら、余計にシチュエーションが悪化しちゃう様な気がして、言うのやめたの。そして、アップトゥナウ」

「今に至る……ん? ファーストネー……え、典子っていう、名前を?」

「違う違う、ノリコはミドルネーム。亡くなったおじいちゃんの、ママの名前なの。もちろん気に入ってるけど、ファーストネームではない」

「じゃあ……」

「シンディ」

「えっ?」

「申し遅れました。マイネームイーズ、シンディ・ノリコ・アラキ……ってこと、です」

「……そう、なんだ」


 シンディ――。


「小さい頃からずーっとシンディ。なのにこっちでは誰にも呼んでもらってないから、ホントはすっごく寂しかったんですよ。シンディは」

「…………」

「ねえねえ」

「うん?」

「知ったからには、呼ばなきゃ」

「……うん……でも、僕が呼んでもいいのかな……」

「呼んでもいいなんて言ってない」

「え?」

「呼んで欲しいんだって、コールミー」

「そ……」


 いや、こんな「荒木さん」としか呼んだことのない様な男に、いきなり?


「これは、リクエスト」


 でも――。


「シ……シンディ?」 


 答える代わりに、彼女は僕の両手をギュっと握って引き寄せた。

 そして――顔が近づいて来た。ちょっと――。


「動かない」

「……えっ」

「そのまましばらく、動かないでください……」

「…………」

「素敵なキスを、するためですよ……」


 瞼が閉じられる直前に思ったのは、こんなに綺麗な目をした人が、この世界にはいるのだということ――。


お読みいただき、ありがとうございます


「9.瀬川ゼミ」 へ続きます

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