7.展望台
「今日はどうだった? 私は楽しかったけど、比嘉氏は楽しめた?」
会場を後にした僕たちは、駅に向かって歩いていた。
「白昼」と言っても差支えの無い明るさだが、実際にはもう午後五時を過ぎている。
「楽しかったよ、すごく。特に印象に残ったのが、君の知り合いのおじさんが弾いてたウクレレ。また聴きたいって、ホントに思った」
「リアリィ? よかったあ! いや、心配だったの、正直。誘っておいて言うのもアレなんだけど。比嘉氏はエンジョイしてくれるのかな? ハワイアンを。退屈しないかな? って」
嬉しそうな笑顔。
彼女にとって、自分が誉められるより何倍も嬉しいことなのだろう。
「荒木さんって、帰国子女じゃなくてハワイの出身だったんだね」
「ええっ……バ、バレちゃった?」
言いながら目を丸くして見せる。
「うそつけ。隠す気なんてぜんぜん無いクセに」
「アハハハ、だってぜんぜん無いもん、比嘉氏に内緒にする理由なんて」
こんなに楽しい時間を過ごしたのは、東京に出て来て初めてかもしれない。
「あ……あのさ、荒木さん。もしあれだったら、このあと食事でも……」
「あーっ!」
「えっ、えっ」
もちろん「あー」の原因は僕ではない。
視線は僕を通り越して背後に向けられている。
「な、なに?」
ふり返ると同時に、彼女が僕の横にスッと並んで来た。
「見て、あれ。あそこの二人」
顔の横で小さく指をさしている。
通りの向こう側、ドーナツショップの前辺りだ。
「あれって、チエと長谷川氏、だよね?」
確かに、歩道を行くのは紛れもなくあの二人だった。
腕を組んだ小泉さんは長谷川に寄り添い、互いに談笑しながら楽しそうに歩いている。
「見えるんだけど、恋人同士みたいに」
「ああ……うん、そうだね……」
荒木さんの視線を感じる。
痛いほどに。
「知ってたんだ、比嘉氏」
前におかあが言っていた。
嘘をつけないのが取り柄になるのか欠点になるのかは、おまえ次第だと。
「……うん。長谷川君から、そんな感じのことは……聞いてた」
「ふーん。まあ、比嘉氏はしゃべったりしないか、そんなゴシップ。知ってたってペラペラとは」
「そ、そうかな……」
「というかチエだよ。なんで言わないかなあ、私に。まったくもう……」
珍しく荒木さんがブツブツ言っている。
それにしても、聞くのと見るのとでは大違いだ。
通り過ぎて行くあの二人は本当に仲が良さそうに見える。
僕に言わせればあとはもう結婚するぐらいしか――。
「うわっ」
急に腕を引っ張られてよろけてしまった。
「いいよ、もう。行こっ、比嘉氏。お腹ペッコペコだよー、早く行こうよ、何か食べに」
「えっ、いいの?」
「いいのも何も、そのつもりでこっちの方に歩いて来たんだけど?」
気付けばここは公園通り。
行きとは違い、僕らは完全に渋谷方面に向かっていた。
「そ……そうだよね」
「ほら、私たちもデートみたいなものだしさ、やっぱりディナーでしょ? デートのラストは。比嘉氏……」
彼女は僕の腕をつかんだまま、真っすぐに見つめてくる。
「ね?」
ああ、はい――。
高速エレベーターに乗り合わせたのは、僕ら以外はカップルばかりだった。
だがすぐに、見かけ上は僕たち二人もその中のひと組に過ぎないのだと気づいて、ちょっとした緊張感に見舞われた。
「もうすぐだね」
階数表示を見上げながら呟く荒木さんの緊張は、僕と違い「ワクワク」に由来している。
「サンシャイン60の展望台? いいねえそれ! 私まだ行ったことなかったの。オーケイ、寄り道しよう。池袋で」
食欲も無事に満たされた渋谷帰りの山手線。
「ダメもと」の提案に二つ返事で同意してくれたのだった。
最上階――「六十階」にはあっという間に到達した。
「おー!」
チケットを買うが早いか、彼女は吸い寄せられる様にして窓辺に駆け寄った。
「見て見て、すっごいキレイ! さすが日本一高いビルだねー」
「うん、そうだね」
そういう僕も実はここから見る夜景は初めてなので、それなりに感動している。
「でも荒木さんがここへ来るの初めてって、ちょっと意外だったな」
「うん、近いのにね。そのうちそのうちって思っているうちに、今日になったって感じかな」
彼女が窓を離れた。
「あっちの方も、見てみよっか」
時おり夜景に目をやりながらフロアを歩いて行く。
屋内で目につくのは、目のやり場に困るほど親密なカップルたちの姿。
見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
夜景を際立たせるために少し薄暗くした間接照明の中、丁度二人が座るのにいいくらいな幅の窓枠部に腰掛けて、耳元でささやき合っていたり、手を握り合っていたり、中には抱き合っているカップルもいる。
「なんかすごいねー、みんな」
小声で耳打ちして来た。
「そ、そうだね……」
僕らもこの中のひと組に過ぎないなどと言ったのは、いったいどこの誰だろうか?
「でもさー、今日はけっこう食べちゃったよね、二人とも」
話が変わった。
いや、変えてくれたのかもしれない。
「……スッカリご馳走になっちゃったけど、ホントに良かったの? 比嘉氏」
渋谷ではちょっと背伸びをしてイタリアン――縁遠いと思っていた流行りの「イタめし」に入った。
会計の時、彼女は当然払おうとしたのだが、僕が丁重かつ頑なに断ったのだ。
「もちろん。あれは今日誘ってもらったお礼だからさ」
話も弾み、アルコールも進んだ。
見た感じ彼女の足取りはしっかりしている様だが、この間の「暴走大笑い」の例もある。
内心ちょっと心配だった。
「あ、あそこは?」
ひと組のカップルが離れたことで、窓前のスペースが空いた。
何となく窓ひとつにカップル一組というのが暗黙のルールとなっている。
「おー、こっちもすごくビューティフル。やっぱり飽きないねー」
「うん」
「でも、比嘉氏のお陰でやっと来ることが出来たよ。ひとりじゃ、なかなか来られないもんねー。サンキュ、連れて来てくれて」
例によってTHのキレイな発音でお礼を言われた。
「はは、別にそんな」
「けど優しいよね、比嘉氏って。相手の気持ちだってさりげなく考えてくれるし」
「え、そうかな……」
「比嘉氏に言わせると、君が優しいのはリゾートの出身だからってことになるのかな? 観光だけの島で育ったからこそ、サービスマインドがハイレベルになった、みたいな」
えっ、何それ。
どうして急にそんなこと――。
「……沖縄は、別に観光だけの島なんかじゃないよ」
少し語気が強すぎたかもしれないと思ったのも束の間、彼女がスッと顔を近づけて来た。
「おやおやおや? 観光以外なにもないって言ったの、君でしょ」
自分がそう言ったことは覚えている。
その時に彼女が少し寂しそうな顔をしたことも。
「いや……確かにそうは言ったけどさ、それは外から来る大多数の人にとっては、ってことだよ。そういう人たちからすれば、ただの観光地かもしれないし、リゾート地にもなっちゃうんだろうなってこと。だけどさ……」
「だけど?」
「ホントは色々……うん、いろんなことがあるんだよ」
「いろんなことって?」
「ああ……つまり生活とか、文化とか、歴史とかさ。内側から見ると、やっぱりいろんなことがある」
「……うん。例えば?」
妙なことを思った。
いや、深い意味はないけれど、カウンセリングってこういう感じなのだろうか――みたいな。
「……え? ああ、例えば……」
考えを巡らせつつ、何となく夜景に目を向けた。
同じ様に彼女もそうしたのがわかった。
東京を縫う高速道路の光が、白い鎖の様に見えている。
それに沿う様に、赤いテールランプの帯が反対方向に動いて行く。
「例えば、戦争」
「戦争……」
「うん。知っているかな? アメリカと戦争になった時、アメリカ軍との最後の陸上戦闘が行われた場所なんだ、沖縄って」
「……うん。聞いたことは、ある」
「兵士だけじゃなく、そこで暮らしている住民……もちろん僕の親戚も含めてだけど、たくさんの人たちが亡くなったんだよ。老人も女性も、子どもだって関係なく……」
「うん……」
「リゾートだ、南国だ、ビーチだって、たくさんの人が来てくれる。ありがたいことだとは思うけど、その地では……その地面の土や砂の上にはさ、多くの人たちの血が流されたんだよ。それからまだ、四十年チョットしか経ってない……」
赤く流れるテールランプのうねりが目障りに思えて来て、思わず焦点を他へ移した。
窓に映った荒木さんの顔が見えた。
同じものを見下ろしている様な感じがした。
「最後の、戦闘……ラストバトル……その戦争、始まったのは、ハワイからなんだよね?」
「ああ……うん、そうだね」
「子どもの頃ね、私のグランマ……お婆ちゃんが話してくれたの。その始まりを、目撃してしまった日のことを」
もちろん、ハワイのパールハーバー――真珠湾を狙った、日本軍による奇襲攻撃のことを言っている。
被害を受けたのは、湾内にあった米軍基地や、停泊していた何隻もの戦艦。
大勢の人々が犠牲になったことは言うまでもない。
「……その後は、おまえたちの祖国がヒキョウな攻撃を仕掛けて来た、絶対に許せない……そんな風に責められて、思い出すのも辛い体験をしたって……」
そしてハワイの真珠湾で始まってしまったものが、最後の最後は沖縄にまで押し寄せて来た――戦争のことを知った幼い頃、僕はそう思った。
「私たちの故郷がこんな風に繋がるのって、何かフクザツだね……。だけど、ルーツはルーツ、私たちは私たちだって、そう……思いたい。今は」
「うん」
「それと……これだけは言える。亡くなった人たちはみんな、戦争が終わったあとの……こんな世界を、見てみたかっただろうなって」
この夜景は恐らく、見る人にそれなりの感動を与えて来たのだろうと思う。
こんな空気を作り出してしまったのは、僕たちが初めてなのかもしれない。
東京に出て来てから、沖縄の持つこうした一面についての話を、人としたことはなかった。
「あ……ゴメンね、荒木さん。何か、重たい話になっちゃって。酔いが回ったかなあ……」
「ノーノ―。言ったでしょ? また教えてね、沖縄のことって。出し惜しみなんてしないで、話してくれればいいんだよ、もっと。その方が私も、話しやすいし、いろいろと」
それから少しの間、そのまま黙って煌めく街を見つめていた。
彼女の呼吸の音が聞こえるくらいに、窓は静寂を受け入れてくれた。
「比嘉氏……」
「ん?」
再び窓に映った彼女を見た。
その視線はまだ外に向かっている。
「……東京って……大きいよね。なんて、明るいんだろうね……」
返事を期待しているわけではなさそうだった。
「なんかね」
彼女が振り向いた。
もう笑顔が戻っている。
「夜じゃなきゃ見えないものが、見えちゃった気がするよ」
「ははは、なんだそりゃ……」
僕はといえば、この夜景を目の当たりにしたお陰で、自分の中で東京の巨大さが強調されてしまった様な気がしていた。
大きすぎて、何だか怖いくらいだ。
「あ、ねえ、あれ見て。比嘉氏」
「えっ、どこ?」
「アハハ、外じゃなくてこっちー」
指をさしているのは窓のこちら側、フロアの先だった。
「写真サービスだって。撮ってもらおうよ、せっかくだから」
せっかくの意味はよくわからなかったが、腕を引っ張って連れて行かれた。
「はーい、お疲れ様でしたー」
撮影を終えたカップルが、腕を組んで専用の台の上から降りて来た。
要するに「夜景をバックに記念写真を撮りませんか」という商品で、特にサービスというわけではない。
「次、お願いします! 私たちも」
彼女は「ここは私が」と言って料金を支払い、再び僕の手を引っ張って台に上がった。
どういうわけだか「ノリノリ」だ。
「お、これはまた、お似合いの二人ですねー。はい、じゃあ彼女さん、腕組んじゃいましょうか」
「はーい」
何の躊躇もなくササッと組んで来た。
というか、彼女さんって――。
「あー、彼氏さん表情硬いですねー、笑いましょうかー」
はは、ははは――。
「はい、じゃあオッケーと言うまでそのまましばらく動かないで下さいよー、夜景を綺麗に撮るためですからねー、いいですかー」
ええっ――。
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