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Re:Resort  作者: 雅あつ
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6.スパムむすびとポークおにぎり

 ◇


「……うん、やがてそっちの空港に着くはずよー」


 空港から自宅に戻るや否や、沖縄の実家に連絡を入れた。

 まごまごしていて二人が先に着いてしまってはことだ。


「……ああ、あれと海斗の二人だけ先に来るからねー……わー? わーはだから、知り合いの葬儀があってさー……」


 朝はバタバタしていてちゃんと見ていなかったが、喪服から数珠から香典袋から、必要なものはすべて揃えてリビングに用意されている。


「……だから、大学の時にでーじ世話になった教授……」


 あ、キャッチホン。


「……ああごめん、電話入ったみたいだからね、切るよー」


 ん――ああ、駄目か。

 間に合わなかった。ただ、タイミング的には妻からだろうと思っていたので、着信履歴を見て驚いた。

 例の、こちらでは馴染みのないあの電話番号――シンディからだった。

 折り返して電話してみたが、繋がらなかった。

 留守電になったが、今回はメッセージは残さなかった。

 彼女も何も入れてくれていなかったし。

 別に留守電ぐらい、残してくれたっていいだろ――。


 ◇


 梅雨ならではの曇天。降っていないだけまだマシだと、納得せざるを得ない空だ。

 校門を出たところで「よお」と声を掛けられた。

 振り返ると、石の門柱に寄り掛かって立つ長谷川の姿があった。まさか僕を待っていたのだろうか。 


「ねえ、こないだどうだった?」


 そう言うと、歩道に投げ捨てたタバコの吸い殻を踏みつけながら、近づいて来た。


「なにが」


 駅に向かって歩き出すとすかさず僕の横につき、肘で突く様な仕草をして来る。


「とぼけるなって。あのあとノリコちゃん、送って行ったんだろ?」

「ああ、行ったけど」

「部屋、上がったんだよな」

「はあ?」


 鼻で笑っている。何を言い出すかと思えば――。


「何言ってるの。送ったのは乗り換えの改札までだよ」


 思わず足が早まった。

 気持ちが表れるのはなにも顔だけではない。


「ははは、まあまあ。いやノリコちゃん、ひとり暮らしって聞いてたし、比嘉ちゃんと彼女って、けっこういい感じに見えたからさ」

「え?」


 歩く速度を少し緩めてやる。


「まあでも、比嘉ちゃんなら……うん、改札までね。納得。紳士だねえ」


 言いながらまた鼻で笑った。


「だったら、長谷川君はどうなの? 自分だって小泉さんのこと送って行ったじゃん」

「ああ。それなら翌朝、駅で別れたよ。バイバイまた遊ぼうねー、みたいな?」

「えっ……」


 思わずつんのめりそうになった。


「それって、もしかして……」


 僕の足が止まる。


「いやそんな、驚くほどのことでもないでしょうよ」

「だって小泉さん、確かいろいろと事情が……ほら、門限だってさ」

「あー、そういうのはね、ま、何とでもなるもんなのよ」


 促され、また歩き出す。

 えっ――嘘でしょ。あのあと?


「同意の上っていうかさ、別に大したことじゃ……いや、は? そんな顔すんなって。それほど珍しいことでもないと思うけど?」


 珍しいことでもないって、そんな――。


「おっ、ヤバ」


 腕時計を見ている。


「今日も智恵と会う約束してんだよねー。じゃ、また」


 言うが早いか、そのまま走り去ってしまった。

 自ずとあの日の小泉さん――僕が「秩序」という言葉を勝手に重ねていた、彼女の笑顔が思い起こされた。

 なんだか、溜め息が出た。

 近くの商業ビルの一階にあるテナントに明かりが灯った。

 この間の店、「CROSS ROAD」も交差点の向こうに見えているが、そちらはまだ点灯していない。

 きっとまだ準備中なのだろう。

 信号が赤になり、立ち止まった。

 行き交う車のヘッドライト、街灯、ビルの窓。灯っていたり、いなかったり――。

 雨は降らないが太陽も見せないという、このハッキリしない空のせいで、街も人も色々なことを決めあぐねている様に思えてしまう。

 急に長谷川が言った、「別に大したことじゃ……」という言葉が頭をよぎった。

 まだ微かだが、ついに雨粒が落ちて来た。

 なぜかふと、嫌な思い出が蘇った。



 目を覚ますと見知らぬ天井が見えた。

 一瞬当惑したが、程なくこの場所へ至った経緯を思い出した。

 気配で雨とわかったので、カーテンに手を伸ばすのはやめておいた。

 そのひとはまだ、横で眠っていた。

 そのまま夕べのこと――交わした会話を出来る限り思い起こしていた。

 やがて彼女が寝返りを打ち、吐息が聞こえて来た。


「ん……あぁ……起きてたんだ」

「はい」

「今日行くの? ガッコウ」

「……いえ」

「そ」


 ベッドから起き上がると彼女は部屋を出て行き、トイレのドアが閉まる音が聞こえた。

 しばらくすると、キッチンから水を使う音がし始めた。


 

 まだ路面を濡らす程の雨ではなかった。

 迷いながらも傘を開く人、駅まで差さずに済ませようと足を早める人、対応は人それぞれ。

 傘の無い僕に選択の余地は無い。

 雨脚が強まれば濡れるだけだ。

 いや、僕だっていつかは――。

 信号が青になった。

 渡っているうちにあの「CROSS ROAD」にも照明が灯された。

 立て看板を抱えて出て来た女性店員と一瞬だけ目が合う。

 無論会釈を交わすこともなく、その店員は手のひらを翳しながら空を見上げた。

 駅は近い。僕も少しだけ足を早めた。




 原宿駅で降り、大通り沿いの歩道を並んで歩き始めた。


「晴れたねー」


 横の彼女が手を翳しながら空を見上げ、嬉しそうに呟いた。

 六月下旬の日曜日、快晴ともなれば人々はもう真夏の装い。

 フワっとした淡い緑色のワンピースを着た荒木さんも、肩を覆うのはもはや細い紐だけだ。

 見えて来たのは、とぐろを巻いた巨大なハブの様な姿をした建造物。

 有名な「代々木体育館」だ。

 その脇を通り過ぎる頃には、人通りもかなり増え始めた。

 この駅で降りた経験のない僕にとって、混み具合を普段と比較することは困難だが、例のコンサートと無関係でないことは程なくわかった。


「あっ、ほらあれだよ、比嘉氏。けっこう人すごいねー」


 現れたのはまばらな木立に囲まれた広場。

 サッカーコートくらいの広さはありそうな、その一画に、一定の割合で人が入って行く。

 入り口のアーチに掲げられた看板には「ハワイアンフェスティバル」「チャリティ」といったカラフルな文字が並んでおり、コンサートがこのイベントを構成する要素のひとつだということがわかる。

 彼女によれば入場は無料で、募金以外では、主に雑貨などを扱うフリーマーケットやハワイアンフードを提供する屋台の売り上げのほとんどが、寄付に回されるのだそうだ。

 入り口で手渡されたチラシには「海をキレイに」とあった。

 ビーチや海を汚す大量のゴミは「リゾート地」と呼ばれている地域に共通する問題で、近年深刻化の一途をたどっていると書いてある。

 その通りだろう。

 人々がお金を使うことで汚れてしまった海。

 元に戻す為にはもっと多くの費用が必要になる。

 やはりチャリティの存在は不可欠だ。

 それに、こういうイベントによって現実を知って貰うのも大切なことだと思う。

 ゴミ問題を含めた、様々なことを。

 ゲート横の折り畳み机の上に並んだ募金箱に二人で向かい、本当の本当に気持ちだけのささやかな募金をする。


「開演まで、まだ少し時間あるんだよねぇ……」


 振り返って場内に視線を走らせながら、彼女が言った。

 奥の方に見える白い屋根がステージだ。

 コンクリートで出来た四角い洞窟といった感じの、特徴的な形をしている。

 その前にずらりと並べられた長椅子の占有率を見る限り、まだ「開演間近」という雰囲気ではない。


「ね、食べようよ。何か」


 返事を待つことなく、まるで子どもの様に駆け出して行く彼女。

 広場内にはいくつもの白いテントが並んでおり、確かに飲食を提供する屋台も多そうだ。

 既にいくつもの列が出来始めている。

 結局のところ、こちらを目当てに訪れた来場者が大半なのかもしれない。


「比嘉氏、早く!」

「ああ、はいはい」


 その時だった。

 近くの屋台に並ぶ母親の腕をすり抜けた二歳ぐらいの男の子が、おぼつかない足取りでパタパタと駆けて来た。


「あっ、荒木さん、後ろっ」

「え? ……ワォ」


 彼女の脚に体当たりすることになってしまったその子は、弾みでポンと尻餅をついた。

 一瞬のキョトン顔の後に来る大泣きを覚悟しつつ、僕も駆け寄った。

 だが実際には、そうはならなかった。


「だいじょうぶ?」


「女の子座り」というのか、彼女はその場にペタンと座り込み、子どもの顔を覗き込む様にして声を掛けていた。

 大人がそんな風にして地べたに座ったことに驚いたのか、泣きそうだった子どもは、またキョトン顔に戻った。

 Tシャツの胸には、可愛らしいイルカと虹のイラストが描かれている。


「ごめんなさい! もうシュンちゃん、だから言ったで……えっ、あの、大丈夫ですか?」


 追ってきた母親が、座り込んでいる荒木さんを見てそう尋ねて来た。

 あら、何が起こったのかしら? という表情だ。


「はい、大丈夫です、私は。……あ、シュンちゃんは? 痛くなあい? どこも」

「うん」

「オーケイ」


 笑顔の彼女を見上げるその子にも、既に微かな笑みが戻っていた。

 無用な警戒心を取り除いて、最短距離で子どもの心に歩み寄る。

 たぶん彼女はそれを自然にやっている。

 すごいな、僕には絶対に出来ない芸当だ。


「じゃあシュンちゃん、お姉ちゃんと一緒に立とうか? いくよ、レディ……」


 二人は同時に「ヨイショ」と立ち上がった。


「よし、おしりを払うよー、ポンポン」

「ポンポン」


 シュンちゃんも彼女に倣い、両手でお尻を払っている。笑顔だ。


「はい、ベリーグッ。よくできましたー」


 二人のやり取りを微笑ましく見守っていたシュンちゃんママが歩み寄り、我が子の頭に手をのせながら言った。


「本当に、ごめんなさいね」

「ノーノ―、私が悪いんです。こっちこそ、ごめんなさい」


 そう言ってペコリと頭を下げた。


「シュンちゃん、お姉ちゃんにありがとうは?」

「あいがと」

「どういたしまして。レッツエンジョイ、楽しんでね、シュンちゃん。バイバイ」

「バイバイ」


 母子が手を繋いで去って行く。

 見送っていた彼女がくるりと振り返った。


「ごめん、お待たせ。じゃあ、なに食べる?」

「えっ。ああ……君が食べたいものなら、何でも」

「アハハ、なにそれ? オーケイ、じゃあついて来て」



 

 屋台で買ったものを手に、木陰のベンチに並んで腰を下ろした。


「ンン! このスパムむすびがやっぱりイチバン! どう? 比嘉氏」

「……うん、すごく美味しいよ。ああだけど、実は沖縄でも『ポークおにぎり』っていうのがあってさ、ほとんどこれと同じ食べ方なんだよね」


 握った白飯の上に焼いたポークランチョンミートを載せ、それを海苔でぐるりと巻いた日常の味。

 子どもの頃から大好きだ。


「ほう! そうなんだ」

「うん。うちではこのポークと一緒に玉子焼きをご飯の間に挟んで、それを海苔で巻いて食べることが多かったかな。おかあは、いや母さんは……」

「おかあ、って呼ぶんだね? ママのこと」

「いや、今は別にそんな……」

「で、おかあが?」


 ――しまった。そう来たか。


「いやポークを、まあチャンプルー以外にも、味噌汁なんかにも入れていたなあって……」

「そう」


 ニッコリ笑っている。

 まいったな。


「でもいいなあ。私も行ってみたいよ、オキナワに。君の育った家で食べてみたい、君のママが作ったスパムフード」


 たぶんリップサービスなのだと思う。

 言いながら肩を寄せる様にキュっと押して来たし。


「……まあでも、こっちに来てからは、まだ一度も帰ってないんだよね。沖縄に」

「えっ、どうして?」


 あ。

 どうしてだろう――。


「恋しくなったりしないの? ママやパパ、オキナワが」

「んん……」


 スパムむすびをひと口食べた。

 正直、自分でもよくわからない。


「うん……もし一度帰ったら、もう出て来られなくなっちゃうような気がして……とか」

「うーん……ん?」


 彼女は斜め上の空を見上げている。


「なんだろう……いや、意地張ってただけなのかもしれないよ。負けたくない、みたいな」

「何に?」

「え? ああ、それは……」


 自分に負けたくない――それとも、東京に負けたくない?

 いや、そもそも本当に「負けたくない」などと思っているのか。

 むしろ既に決着がついていることを自覚しているのに、その姿を家族や地元の人たちに見せたくなかったのか。


「オーケイ、オーケイ――いいよ」


 そう言うと顔をこちらに向け、真っすぐに見つめて来た。


「少しずつでいいの。だからまた教えてね。君のこと、オキナワのこと」

「……うん。だけど……観光以外なにも無いところだよ。他にはたぶん、なにも……」

「ん? ……ふーん」


 僕の腕にポンと手を置きながら、彼女は立ち上がった。


「オーケイ。またあとでね、続きは」


 寂しそうな表情――ほんの一瞬だけ、そんな印象を受けた。

 ステージの方から、音合わせでもしている様な軽やかな弦楽器の音色が聞こえ始めた。


「おっ、そろそろだね。行こう、比嘉氏」

「あ、うん」


 彼女が歩き出したので、僕も慌てて立ち上がった。


お読みいただき、ありがとうございます


「7.展望台」 へ続きます

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