4.なんだ、聞こえているじゃん
入店して二時間が経過した。
頼んだ料理はおおかた四人の胃袋に納まり、空いた皿も回収されて、テーブル上は結構スッキリしている。
小泉さんはワインの入った赤いカクテル、荒木さんは青いタイプを飲んでおり、気付けばビールを注文し続けているのは僕だけだ。
「高校からこっちって、ノリコちゃん帰国子女だったんだ。へえ、初めて知ったよ」
長谷川はウイスキー――いや、バーボンをロックで飲んでいる。
最初は遠慮していたらしいタバコも、いったん吸い始めたらもう止まらない。
「うん……まあ、そんな感じかな。あんまり言ってないからね、周りには」
その程度なら僕も知っている。
昼間に学校で聞いたバイト先の話の流れからではあったが、緊張しながらもちゃんと聞いていた。
「アメリカってどこよ。ニューヨーク? それともロスとか?」
あ、どこなんだろう――。
「教えなーい。教えてもらえると思うなよ、そう簡単にナンでもカンでも。ハセガワー」
「ちぇっ。なにそのとってつけた様な英語なまりはー。さっきまで普通だったクセに」
「アハハハ」
そう。みんなほろ酔いなのだ。
「……ああ、でも言っちゃおっかなー、今日は正直に。気をつけながら話してるんだよねー。これでもホントはね、日本語を、いつもけっこう。でもほど遠いよ、パーフェクトには」
「そんなことないよ、ノリコ」
ほろ酔いでも小泉さんは「秩序」だ。
「いやいやー、だって難しいでしょ? ほら日本語って。て、言っても伝わらないか。とにかく、スッゴくナンカイな言葉づかいとか、細かいニュアンスとかは、まだちょっとね」
「でもでも、バイトでは彼女とっても優秀でね、すごく評価高いんだから。ね? ノリコ」
「ノーノー、それほどでも……アリマース! アハハ」
笑いながら小泉さんに向かってグラスを掲げ、彼女も直ぐに応じた。友情に乾杯だ。
それにしても荒木さん、お酒飲むとこんなに陽気になるんだ。
ゼミでの真剣な雰囲気と違って、こんなおどけた雰囲気も、ちょと可愛いかも。
「ああ、だけどノリコ、普段の会話ではほら、ミスターの代わりにナニナニ『氏』って付けたり、語順が逆になったりって、そういうのけっこう多いよねー。一緒に話してると私もついツラれちゃうんだけど」
「ああ、最初のうちに英語を頭の中で日本語に訳して話していた時の癖だね、もうそれは。ゴメン、ゴメン」
「いやいや、謝らないでよ。ちょっとしたジョークのネタみたいなものだからさ」
「そうだよ、ノリコちゃんの日本語、ぜんぜん問題ないよ。ねえ、比嘉ちゃん?」
「え? ああ……」
まあ――うん、そうだね。
「ところで、比嘉君の苗字って珍しいよね?」
小泉さんが次の話題に進めた。
僕のコーナーなんて別にいらないのに。
「あ、ぜんぜん変な意味じゃなくて、そう言えば今まで知り合いにいなかったなあって」
「あれ、確か沖縄に多い苗字じゃなかったっけ。ひょっとして比嘉ちゃんって、沖縄出身?」
――ご丁寧にどうも。
「……うん、まあ」
「おお、マジか!」
「ほう、そうなんだ」
「ええっ、いいなあ!」
いや、僕はただ実家の場所を教えただけなんだけど――。
「沖縄って、ほんっとうにいいよねえ! だってね……」
そのあと小泉さんが「熱く」語ったのは、修学旅行で訪れた沖縄が如何に良かったかという感想――いや、違う。
要約すれば観光地に対する「リゾート愛」――そんな感じだ。
「そっかー、なんか行きたくなってきちゃったなー、俺も。やっぱせっかく行くならリゾート地でしょ。沖縄とか、あとは……ハワイとか、グアムとか? いやもうこうなったらさー、智恵ちゃん、二人でどっか行っちゃおうよー。ね? ね?」
「ええっ? ちょっと長谷川君、なんでそうなるんでしょうかあ」
楽しそうだ。リゾートって、それについて考えただけでこんな風に人を笑顔にさせるもの――いや、そういう役割を担っているということなのかもしれない。
それなら僕も、一応笑っておいた方がいいのだろうか――。
ん? 荒木さんだけぜんぜん笑っていない。
僕を見つめる目――それって、誰かを心配する時の目じゃないのかな?
こんな顔するんだ、彼女も――。
「ヘイ、ヘイ……」
僕を見たまま、そう口を開いた。
「ふたりともっ」
「へ?」
「うん?」
「リゾートもいいけど、ちょっとは考えた方がいいんじゃないの? そこで生活している人がいるってことも……お、荒木くんが今いいことを言いましたよ」
最後のくだりは瀬川教授の真似。
既に笑顔が戻っている。
「いや、そんなことは解ってるよ、ノリコちゃん。だからこそ、沖縄の場合は観光産業……」
「プロフェッサー長谷川、言うな、みなまで。良くわかってる、きみが賢いことは。でもさ、やっぱり空気を読めないコは、嫌われちゃうかもよ? リゾートに。アハハ……なあんて」
みんなの目がそれとなく僕に向けられた。
まあ、この場合は自然の成り行きだろう。
「ノリコの言う通りだね。ごめん、ちょっと無神経過ぎたかも」
「謝らないで。一度もないよ、チエが無神経だなんて思ったこと。チエはね」
「そしてノリコちゃん、俺をにらむ……みたいな?」
思わずみんな吹き出した。いや、もちろん僕も。
「でもね、沖縄とかアメリカとか。正直すごいなあ、このメンバーって、思っちゃったのは事実。うん、だからやっぱり今日は参加できて良かった。また誘ってね」
「もちろんだよ、智恵ちゃん」
主賓面、と言ったら言葉が悪いだろうか。まあそれはいいとして――。
「……あの、小泉さんって、出身は?」
気になったので一応聞いてみた。
「私? ああ、出身というか今も住んでるんだけど、東京。世田谷の実家にね」
「お。お嬢様じゃん」
長谷川はそう言うが、僕には都内の地域性が今いちピンとこない。
「ぜんぜんだよぉ。そんなことないない」
「ああ……世田谷の事情はよくわからないけど。うん、お嬢様かもしれない、確かにチエは」
「ちょっとノリコ」
「だってタイムリミットだってあるもんね? シンデレラ」
「なにそれぇ……あ、でも冗談抜きで、そろそろ時間かも」
「門限? えっ、もうなの?」
もちろん長谷川だ。
「ごめんね、私はちょっとお先にってことで。この間、従姉の婚前妊娠が発覚しちゃって、最近特にうるさいの。ウチの親」
「……うん、オールライっ」
荒木さんが「文字通り」立ち上がった。
「今日はおヒラキき……だっけ? おしまいにしよう、この辺で。ほら、いいんだからさ、また集まれば。ね?」
「えーっ、うそー」
不満の声を上げる長谷川を尻目に、他の三人は帰り支度を始めた。
「そういえば、長谷川氏も都内だったよね。出身もそうなの?」
何となく荒木さんが尋ねた。
「……え、出身?」
みんなの視線が長谷川に集まる。
「俺は、あれよ……サイタマ」
「でも、今日はありがとう。すっごく楽しかったよー」
かの有名なスクランブル交差点を臨む駅前広場。
締めの挨拶は小泉さんからだ。
「だって私けっこう飲んじゃったもーん。まあ最近いろいろあった反動かもしれないけど。でもホント、楽しいお酒だった!」
「ちょっと大丈夫? アーユーオーケー? チエー」
荒木さんが横から腕を組む様にして体を寄せた。
「平気だよぉ、のーぷろぶれむ」
若干ふらついている様に見えなくもないが、まあ言われなければわからない程度だ。
「じゃあ、私はこっちの電車だから。ホントにありがと、また誘ってね。じゃあねノリコ」
小泉さんが二、三歩離れ、こちらの三人に向かって改めて手を振り――。
「ああ……俺ちょっと、途中まで送って来るわ」
もう一人離れた。
「……やっぱほら、何か心配だしさ、うん」
珍しく静かだった長谷川が、そう言いながら歩き始めた。
確か彼女の家とは反対方向だったはずだが、案外労を惜しまないタイプなのかもしれない。
彼が歩み寄ると「でも悪いよぉ」と恐縮する声が聞こえた。
結局、長谷川と小泉さんは「あちら側」に並んで収まった。
荒木さんが声を掛ける。
「気をつけて帰ってね、チエー」
「ありがとう、また四人で行こうね!」
「ちゃんと送るんだぞー、長谷川氏。頼んだからね!」
「おう、任せなさい!」
それからしばらくの間、何となく歩き去る二人の後ろ姿を見送っていた。
「長谷川氏、どこまで送ってくれるのかな……」
荒木さんがポツリと言った。
そういえば途中までと言っていた様な気もするが、そんなことは本人に聞いて欲しい。
「……どうかなあ。というか、長谷川君のことなら荒木さんの方が詳しいでしょ。だって一緒にランチ……行くほどの仲……っていうか……」
「ウァット? 聞こえませんよ? 比嘉氏」
彼女がスタスタと歩き始めたので僕もそうした。
だが少し行ったところで立ち止まり、こちらを振り返った。
「一回だけだよ、ランチしたのなんて」
そう言って口を尖らせた。
なんだ、聞こえてるじゃん。
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「5.チケットゲート」 へ続きます