23.ここは……
◇
「穏やかな顔してたよな、教授」
「ああ」
晴れた夏空の眩しさに、思わず目を細めた。
都内にある斎場、緑に囲まれたこの瀟洒な佇まいが、再会した瀬川教授との永遠の別れの場となった。
長谷川ともかれこれ数年ぶりの再会になるが、互いに喪服姿というこの状況も、僕らの歳ではもうさほど珍しいことではないのかもしれない。
「弔電、来てなかったみたいだな、シンディから」
「うん。ご連絡、感謝します……なんて、ショートメールは届いてたんだけどね」
「へえ、そうなんだ」
粛々と斎場を後にする参列者の多さに、故人の人望の厚さが偲ばれる。
「さすがですね」という想いと共に、また空を見上げた。
「お前、この後どうすんの?」
長谷川が聞いて来た。
言いながら辺りを見回しているのは、喫煙所を探しているからなのか、それとも別の理由でもあるからなのか。
「いったん戻って着替えてから、すぐ実家へ行かないと」
「おー、今から沖縄か。海斗君、もう夏休みなんだっけ?」
「うん。ただ、二人はもう先に行ってるんだけどね」
「なるほど」
そろそろ連絡を入れておかないと。
「で、長谷川は?」
「俺? 俺は明日から、モルディブ、モーリシャス、セーシェルってさ、リゾート好きなセレブ達のお供で、クルージングの水先案内だよ」
「セーシェル? どこだっけ、それ。……いや、そんなことより、あれから船員の学校へ入り直して、よく航海士になんてなれたよな。すごいよ、やっぱり」
話しながら門を抜け、通りに出た。
「何言ってんだよ、お前だって超名門中学で立派に先生やってるじゃないか。その初志貫徹ぶりが、比嘉武幸たる所以だよなあ、やっぱり。教授も喜んでるぞ、きっと」
「はは、そうでもないよ。……まあ、この歳になって何を今さらって言われるかもしれないけど、ときどき思うんだよね。自分がなりたかったのは、果たしてこういう教師だったのだろうか……ってさ」
「何を今さら」
背後の歩道脇にタクシーが乗り付けた。
喪服姿の女性一人が降りて、斎場の門を入っていく。
別れを惜しむ人々の来場は尽きない。
「うん……いや実は、沖縄の公立中学にいる親戚から、向こうに帰って教師やらないかって、誘われているんだよね」
「ほう、それで?」
「断ってるよ、何度も」
「ふーん。ま、そろそろいいんじゃねーかって気もするけどねえ」
「え?」
「俺たちもさ、ほらもういい歳だし、今までどうにかこうにか折り合いをつけながらやってきたんだろ? この街とさ」
人差指を真下の歩道に向け、ヒョイヒョイと動かす。
東京――。
「たまに来るのにはいいんだよ、それなりに刺激もあるし。そういう意味じゃ、まあセーシェルやなんかと一緒なのかもな」
「は?」
「ずっと居続けるところじゃない。ふらっと来て、遊んで帰るくらいが丁度いいってこと」
まさか長谷川に言われるとは。
いや、というか――。
「何かそれだと、東京がリゾートだって、言ってるみたいに聞こえるけど?」
「ははは。どうだかな」
答えになっていない。
「……しっかしアレだなあ、シンディも薄情だよな」
「ええ?」
「だって連絡さえついてりゃ、一応数十年ぶりに話ぐらいは出来ただろ? おまえたちも」
「まあね。見事にタイミングが合わなかったからなあ、今回は」
ひょっとすると、必死になって連絡を取らならなくても何とかなるだろうと、タカを括っていたのかもしれない。
いや、お互いに。
「相性悪いんじゃないの? 俺の見立てが間違ってたのかなあ、昔も今も」
「ははは、そう言うなって。まあでも、お陰で色々と思い出せたよ。あの頃の……というか、あの夏の? 色んなことをさ」
「色んなことねえ……」
長谷川がポリポリと頭を掻きながら「あー左様ですか」と絵に描いた様な苦笑いを浮かべた。
この際だから、君もたまには振り返ってみるといい。若気の至りを。
大通りが近付いて来た。
「俺、この先のパーキングに車停めてんだよ。途中まで乗ってくか?」
黒いネクタイをシュっと外しながらそう言った。
「いや、駅まですぐだからいいよ。高級車を拝めなくて残念だけど」
「レンタカーだよ。帰国している間だけ借りることにしてんの。そんな高価なものを買って、オカに置きっ放しにしとくつもりはないね」
「それはそれは」
僕もネクタイを外し、折り畳んでポケットにしまった。
「じゃあ、家族によろしくな」
「ああ」
「今度の航海から戻ったら、一度ゆっくり飲もうぜ」
「わかった。じゃあまた」
彼は「じゃあな」と軽く手を振りながら背を向け、脱いだ上着を肩に引っ掛けながら歩き去って行った。
踵を返し、僕も駅に向かって歩き始めた。
長谷川にはああ言ったが、十五分程度は歩くことになる。
「すぐ」かどうかは意見の分かれるところだ。
それにしても暑い。
いったん空を仰ぐと、上着を脱いでから袖を捲った。
黒いタクシーが追い抜いて行った。
やはりここはタクシー利用者が多いらしい。
「タケ……」
一瞬、呼びかけてくる懐かしい声を思い出したが、立ち止まらず、駅への道を歩き続けた。
到着ロビー、アナウンス。家族連れ、カップル、団体客。
もちろん「季節柄」というのもあるだろう。
混雑する人々のほとんどは観光客だ。
ここ沖縄でのリゾート旅行を満喫しようと来島する人たち。
「あ、もしもし」
左手にスマホ、右手でスーツケースを転がしている。
「……うん、今着いたところ……いや、だってしょうがないじゃ……え? ……ああ、うん……え、なに大臣だって? ……いや、いいよ……うん、とりあえずバスで帰るから……はい……はい、じゃあね」
切る時に、画面の端に出ているマークに気付いた。
いつの間にか……搭乗中だろうか、留守電を預かるセンターに伝言が入っていたらしい。
センターに連絡し、自動音声に従って再生ボタンを押した。
だが残されていたのは、何と彼女からのメッセージだった。
「タケ……」
呼びかけてくる懐かしい声。
「ハーイ、タケ。連絡、サンキュ」
シンディ――。
声の感じも、昔とそれ程変わらない。
「……何か、タイミングが合わなくてごめんなさい。もう残してもいいかなーと思ってね、留守電」
気まぐれな――。
「……ああ、ちょうどカンファレンスで東京に来ていたものだから、終わってからすぐ葬儀に駆け付けたんだけど、会えなかったみたいで、残念」
なんだ、来てたの?
落胆というより拍子抜けをしつつ、その辺にあったベンチに腰を下ろした。
「タケは、元気? 私、あれから頑張ったんだよ。ハワイではそっちの方面で、今じゃけっこうな有名人なんだから。ハハ、なーんて……タケも、頑張ってる? 結婚したっていうのは、長谷川氏から聞いた。ちなみに、今でもエアメールで年賀状のやりとりを続けてるのは、チエと、長谷川氏だけなの」
皮肉にも、何とも懐かしい組み合わせだ。
「タケとは、会って話したかった様な、会いたかった様な……ハハ、だってほら、もう何十年も経つわけでしょ? オバちゃんになった私を見られるのって、やっぱりなんか恥ずかしいし……」
ははは、僕だってもうオジさんだよ。
「……まあ、それはいいとして。オハナ……家族を、大事にしてる? きっと今のタケにとって、大切な唯一の居場所になっているんだろうな……うん。じゃあ、元気でね。これからも夢に向かって、頑張って下さい。ゴーフォーブロークン!」
スマホを切ると、真っ黒な画面に自分の顔が映った。
まんざらでもない表情をしている。
「けーたんなー」
声のした方を見ると、六十絡みの男性が誰かに笑顔を向けていた。
ちなみにこれは「お帰り」という意味の沖縄方言――うちなーぐちだ。
そこへ近づいて行ったのは、三十代と思しき夫婦と、小学生くらいの幼い姉妹。
「なまちゃん!」
これは「ただいま」だ。
故にこの家族は観光客ではない。
迎えたのはきっとお爺ちゃんなのだろう。
孫娘たちはディズニーグッズの「お土産」を抱えて嬉しそうに笑っている。
「いやー、やっぱりくまが一番さー」
ちょっと紛らわしいが、彼女たちのパパは「やっぱりここが一番だ」と言っている。
「だからよー」
横の奥さんが「そうだねー」と同意して笑い掛けた――いや待て。
いつまでも、よその仲が良さそうな家族を観察している場合じゃないだろ。
「よし」
ポケットにスマホをしまい、立ち上がった。
「なまちゃん」か。
妻には前に説明したことがある。
頭がいいからきっと覚えているだろう。
海斗はすぐにスマホで調べるはずだ。
いや、間違いなく。
観光客の団体が大きな声で笑いあっている横を通り抜けて、エントランスの扉に近づく。
熱気とともに、太陽と湿気が混ざった懐かしい匂いがしてきた。
沖縄のこの小細工無しの暑さは、たぶん僕の気質を育んだ空気だ。
歩きながら胸いっぱいに吸い込んでみる。
深呼吸でも溜め息でも、好きにすればいいさーというその空気が、僕に「けーたんなー」と言っている様に思えた。
僕にとってここは――。
ガラスの自動ドアが開いた。
そうだ。
ここはリゾートなんかじゃない。
お読みいただき、ありがとうございます
どうにか、ここまで走ってこれました。。。
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「エピローグ」 へ続きます
次のエピソードで、この物語は完結となります




