19.リゾートの定義
教授が校門まで送ると言うので、三人で研究室を出た。
「ああ、そうだ。君たちも知らぬ仲ではないでしょうから、一応伝えておきますが……」
廊下を歩きながらそう言われた。
「ゼミ仲間の長谷川君が、しばらくのあいだ休学することになりました」
「ええっ!」
声を上げたのは僕。シンディは目を丸くしたまま絶句している。
「ど、どうしてですか?」
「まあ詳しい事情はあれですが……恐らく彼も、時間が必要なんじゃないでしょうかねえ」
シンディと顔を見合わせた。
複雑な表情をしているのは、たぶん僕も同じだろう。
校門まで三人とも何も言わずに黙っていた。
そこで二人揃って改めて教授にお礼を言い、校門を出た。
「……今日は、なんか偶然だったね」
そう切り出した。
「うん。かなりビックリした」
「というか、なんで今日返しに来たの?」
「たまたま」
「ふーん」
取りあえず、その偶然のお陰でこうして会うことが出来たのだ。
感謝しなければいけない。
「ねえ」
「うん?」
「髪切ったの、私」
「ああ、うん」
み、見ればわかるけど――。
「可愛いでしょ」
「うん」
「ホントに?」
「前のも良かったけど、今のも……似合ってる」
「そ。タケがそう言うなら、切られた髪も浮かばれるよ」
えっ。
「あー、ちょっともう、そんなにじっと見つめないでよ。今あんまりいい状態じゃないんだからさ……」
彼女は足を止め、右手を自分の目の辺りにかざして隠し始めた。
たぶん泣いた直後だから、というのが理由だろう。
「……ごめん」
見ろと言ったり見るなと言ったり、女の子は難しい。
「ねえミキー、夏休みはー?」
歩道沿いの文房具店から、二人連れの女性が出て来た。
そのまま隣の旅行代理店に置いてあるラックに手を伸ばし、パンフレットをパラパラと捲り始めた。
「うーん、今月はちょっと無理っぽいかなあ、仕事的に」
制服姿なのでたぶん近くの会社のOLだろう。
二人が手にしているのは、大きな白文字で僕の故郷の名が書かれた赤いパンフレットだ。
「まあねー。でもここならまだまだダイジョーブイでしょ。だってほとんど南国みたいなもんだしさ、来月に入ってもぜんぜん夏でーす、みたいな?」
「だよねー。こうなりゃ九月にガンガン焼いちゃいますかー……あ、ほらマイコの好きなのもあるし」
「あー、スキューバーねー。でもリゾートだったら、いっそのことハワイまで行っちゃうのも有りじゃん? 出逢い的にもそっちの方がけっこうアレでしょ」
「ハハハ、アレってなによー。おまえはリゾラバかって」
「キャハハ」
二人は去年のヒット曲を口ずさみながら、今度はハワイのパンフレットに手を伸ばした。
「行こ」
シンディが僕の手を握って来た。
「あ、うん」
彼女に促され、再び駅に向かって歩き出した。
その表情から察するに、特に機嫌を損ねたわけでもないらしい。
達観というのか、案外清々しい顔をしている。
「うわ」
いや、彼女が急に立ち止まったので、つんのめってしまったのだ。
「なに、どうしたの?」
「……見下ろしてみたい」
何やら上空を見つめている。
「は?」
「空からここ……今のこの世界を、見下ろしてみたくない?」
最上階に上がったのはもちろんあの夜以来だった。
先に窓辺へ行き着いた彼女に倣い、歩み寄って横に並んだ。
「昼間もいいねー」などと呟きながら、深呼吸をしている。
「なるほど、空からね」
「ヘリコプターにでも乗るかと思った?」
「まさか」
サンシャイン60の展望台。
ここが僕らに可能な、精一杯の空だ。
「でも……やっぱり、大きいよね……」
東京――。
「うん」
「やっぱり広い……」
「ああ……」
エレベーターホールの方から、子どもたちのはしゃぐ声が響いて来た。
やがて若い女性教諭に引率された園児たちの列が、僕たちの後ろを通過して行った。
「平和だよね」
「そうだね」
「見てるかな?」
「え?」
また彼女が上空を見上げている。
「あぁ……だと、いいよね」
もちろん、言いたいことはすぐに解った。
「ねえ、タケ」
空を見たまま続けて来る。
「なに?」
「教育者を志す理由って、別に後から追加しても構わないよね?」
「うん、もちろん」
ただ、いったいこの僕に何処まで出来るのかはわからないけれど――。
「バトン、受け取った?」
そう言われて、何となく自分の手のひらを見つめた。
すると、彼女もそこに自分の手を重ねて来た。
「私たちで、ちゃんと繋いでいかないとね」
言いながら、覗き込む様にして僕の目を見た。
「ああ」
彼女は笑みを浮かべると、再び視線をゆっくりと窓の外に向けた。
「それにしても……うん。今の世界というか、今の人々を見てどう思うのかな?」
「ええ?」
「……なんかね、沖縄とかハワイとか、無理して遠くのリゾートまで出掛けて行かなくてもいいのになあって、思っちゃった」
ああ、さっきの人たち。
「確かにね」
「リゾートか……ねえ、そもそもリゾートって何なのかな?」
リゾートの、定義?
「意味なら……やっぱり観光地かな。あとは『保養地』なんていうのもあったと思うけど」
「なに? ホヨーチって」
「保養、だからその……身体を休める、ゆっくり休む、みたいなことかな……」
指を動かして、窓に「保養」という文字を書いた。
「……まあ、そうするための場所ってことでしょ」
「ふーん。ゆっくり、身体を休める、か……」
「ほら、連休とかあるとさ、みんなそういう場所を求めて、温泉とか海とかに泊まり掛けで遊びに行くじゃん」
「あー、はいはい。遠くのエアポートまで行って飛行機に乗ったり、渋滞のハイウェイをノロノロと走ったりしながら、いかにも『ここがリゾートです!』っていう場所に行って、一生懸命にゆっくり休むっていうアレでしょ?」
「ははは。一生懸命ゆっくり休むかぁ。何かおかしいね」
「でしょ? なんか違うんだよね」
「うん。だから旅行先から帰って来た途端、思わず『はー、やっぱり家が一番』なんてセリフが出ちゃうんだよ、きっと」
「聞いたことあるそれ。その『家がイチバン』っていうのは、イチバン安心出来る場所っていう意味なんだろうね。安心出来る家族や大切な人と、一緒に居られる所、みたいな」
「たぶんね。リゾートだって結局は同じで、本当は有名な観光地や話題の場所である必要なんて無いんだよ。そういうことじゃなくてさ、うん……なんて言ったらいいのかな……」
僕は腕を組み、彼女は「うーん」と首をひねった。
先に声を上げたのは彼女だった。
「あ、わかった。場所じゃないんだ、きっと。場所なんてぜんぜん関係無いんだよ」
え、それならどういう――。
「わかったかも、私……」
だがすぐには続きを話さず、しばらくのあいだ黙って俯いていた。
「あの……シンディ?」
すると、おもむろに顔を上げてじっと見つめて来た。すごく近い。
「タケ」
思わずいったん辺りを見回してから、また彼女に視線を戻した。
すると彼女はこちらに向き直り、両腕を伸ばしながらなんと「ハグ」をして来た。
「え……何っ、どうしたの?」
明るいし……というか、こんなところだし――。
「……これからは私、ゴーヤも残さずに食べるから」
「はっ?」
急に?
「冷蔵庫に豚の顔があっても、もう驚いたりしません。だからお願い……ギュウってして」
そう言うと僕の肩に額を押し当て、軽く腰に手を回して来た。
人目もある。
すごく恥ずかしいし、何より意図が解らない。
「あ……うん……」
それでもある意味開き直り、両腕で包み込む様にして彼女をしっかりと抱きしめた。
「……こう、かな」
彼女の肩越しに、少し離れたところで園児たちを引率している年配の先生と、目が合った。
「ほら、みんなこっち、東京タワーが見えるよー」
園児たちの目線を僕たちと別の方向へ誘導しようとする、その先生の声が聞えた。
すいません、こんなところで――。
でももう誰に見られたって、構うもんか。
「タケ、もっとギュウっと」
「ああ、うん……」
言われた通りにすると、「充足感」を思わせる吐息が聞こえて来た。そして――。
「……この間はごめんなさい。私、言い過ぎちゃった……」
「ああ……いや、僕の方こそ……」
背中に回された彼女の腕に力がこもった。
「私にとってのリゾートは、やっぱりタケだったみたい。今回……それがよくわかった」
「シンディ……」
逆に少し腕を緩め、胸を離した。
彼女の顔が見たくなったからだ。
「それなら僕のリゾートは、シンディが居る場所だよ。君さえ横に居てくれれば、そこが僕のリゾートになる。そう、思う……」
「……うん……へへ、嬉しい」
少し陽が傾いて来た。
僕たちは寄り添ったまま、夕陽に染まる東京の街を再び見下ろしていた。
「そうだ」
と、彼女。
「……うん?」
「オリオンある?」
「うちに? うん、あるけど」
「私ね、タケと話したいことがまだまだ、たっ……くさんあるの。今から行ってもいい?」
言いながら腕を組んで来た。
「……ああ、もちろん」
帰宅すると、留守番電話のランプが点滅していた。
勧誘か、さもなければ実家か――。
「どうしたの?」
「いや」
どちらにせよ、シンディに聞かれて困ることなどありはしない。
そのまま再生ボタンを押した。
電子音に続いて流れて来たのは、何とあの「悪友」からのメッセージだった。
「……ああ、長谷川です。一応ちゃんと報告しておきます。実は俺、しばらく大学を休むことにしました。まあ……智恵のことがあって、タケとも色々と話すことが出来て……うん、つくづく自分は何にもない人間なんだってことを、思い知らされた気がしてさ。ホント、身につまされたよ。なので、しばらくのあいだ東京を離れようと思う。知っている人間が誰もいない所へ行って、バイトでも探して働いてさ。知らない世界を見たり、知らない人たちと関わったりすることで、本当の自分が見えて来る様な気がすんだよね。弱さなんかも含めてさ。そしたらその先に、やりたいことや、こうなりたい自分ってものも見えて来るんじゃないかって。結果、曲がりなりにも全力を傾けられる目標が出来たと、胸を張って言える様になったら、そういう覚悟が出来たらさ、またそっちに戻ろうと思う。まあその頃にはもう、タケたちは卒業してるだろうけど、連絡は必ず入れるから。あ、それと典子ちゃん……いや、シンディには、くれぐれも長谷川が謝っていたと伝えて欲しい。ホントは、直接謝りたかったけど……」
横目でシンディの顔を見た。無表情だ。
「……俺の軽率な言動が、智恵やシンディや周りの人たちを傷つけたこと、それと色々なことから逃げてたことについても、心から反省してます。スゴく後悔もしています。だからもう、逃げたりしない。二度と後悔したくないし……あ、長くなっちゃったけど……それじゃあ、二人とも仲良くな。マジでお似合いだと思うから。本当に。じゃあ、また」
電子音が響き、再生が終了した。
気付けば二人とも、直立不動のまま聴き入っていた。
「ええと……何ていうか、その……」
「タケ」
「うん?」
「飲んでもいい?」
「……ああ、もちろん」
彼女は振り返って腰を屈めると、冷蔵庫を開けて缶ビールを二本取り出した。
ちなみに「チラガー」も入っていたのだが、特に反応は無かった。
そのままビールを持って奥の六畳間へ行くと、座椅子に腰を下ろした。
どうして何も言わないのだろう。
「タケ、早く」
「ああ……はいはい」
座卓で向かい合い、プルタブを引いて「プシュッ」と音を立てた。
「乾杯」
缶を合わせ、同時に喉へと流し込む。
「はあ……美味しいね」
「うん……あ、あのさ、シンディ」
「教授の言った通りだよ」
「えっ?」
「許せるかどうか……今ここでそれを言ったら、全部ウソになる気がする」
両手で缶を持ち、じっと見つめている。
「ただ……前へ進もうとしている人の思いは、尊重すべきだと思う。ちなみにこれは、イッパン論ね」
「シンディ……」
「こんな感じで、どう?」
「……うん、いいと思う。というか、僕だって全然偉そうなこと言える立場じゃないし」
「そんなことないでしょ、フフフ」
そう言って笑った。
「……あ、お腹すいたね、タケ」
「ゴーヤーチャンプルーだったらすぐ出来るけど?」
「おっ」
一瞬の沈黙――。
「よーし……かかって来い」
「はははは」
僕たちが初めて結ばれることになったのは、ちょうど日付が変わる頃だった。
お読みいただき、ありがとうございます
多分、エピローグ含めて25話くらいで完結じゃないかと思っております
「20.呼び出しアナウンス」 へ続きます




