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Re:Resort  作者: 雅あつ
16/25

15.加速度


 待ち合わせはあのビル、サンシャイン60の一階エントランス脇にあるファミリーレストラン。

 彼女はまだ来ておらず、「後からもう一人」と告げると、窓際の席に案内された。

 夕立らしく、大粒の雨が降って来た。

 普段からほとんど天気予報を見ないので、今日降るとは思っていなかった。

 丁度シンディが、ドアを押し開けて入って来るのが見えた。

 軽く手を挙げただけで僕に気付き、足早に近づいて来た。


「やられたー。なんか最近多くない? イブニングシャワー」


 たぶん彼女も天気予報で服装を決めるタイプではない。

 今日着ているベージュ色のワンピースは、濡れると目立つ素材だ。

 ハンカチで顔や腕を拭きながら席に座った。


「大丈夫?」

「あ、ごめんね。待たせちゃって、呼び出したのに」

「ううん、全然」


 彼女が置いてあったメニューを眺めながら一息ついていると、歩み寄って来た男性店員が「いらっしゃいませ」と言って頭を下げ、お冷とおしぼりを置いた。


「ご注文、お決まりになりましたら……」

「あ、じゃあ同じものを……いや、やっぱり私、ホットコーヒーにします」


 微笑んでそう言うと、店員にメニューを手渡した。

 ちなみに僕はアイスコーヒーを飲んでいる。


「……で、どうだった? 本人は、何て言ってるの?」


 濡れた髪を軽く指ですく様にしながら、そう聞いて来た。


「え?」

「え、じゃなくて。言ってやったんでしょ? さすがにガツンと、長谷川氏に」

「ああ、うん……」


 ここへ来るまでずっと感じていたモヤモヤの理由がやっとわかった。

 たぶん僕には、シンディが期待している様な答えを提供することが出来ないことがわかっている。


「タケ?」


 そして恐らくそれはもう伝わってしまった。

 その証拠に彼女の顔から表情が消えて行く。


「……驚いてたよ。その……小泉さんが、手首を切ったこと」

「妊娠の、ことは?」

「それは……うん」


 アイスコーヒーを見ながら頷いた。


「そう。……で?」

「あぁ……二人ともまだ学生だし、結婚とか子どもとかは、まだちょっと考えられないかなっていう……まあ、長谷川の思いなんかもあってさ。色々と話し合った結果、二人は結局そういう方向で……」

「そんな言い方じゃなかったんでしょ?」


 声からはもう、普段の何かが抜け落ちてしまっている。


「……言い方はあれだけど……いやそれより、何でそんな風に言わなければならなかったのかってことの方が、もっと大事なんじゃ……」

「手首を切ったんだよ、チエっ」


 声が大きかったので思わず周囲を見渡した。

 近くまでコーヒーを運んで来ていた先ほどの店員が、立ち止まって目を逸らした。

 僕はストローに口をつけ、シンディはいったん水を飲んだ。

 その隙に「お待たせしました」と言いながら近付いて来た店員が、素早くコーヒーを置いて立ち去った。

 一拍置いて、彼女が口を開いた。


「長谷川氏にとって、チエってなに?」

「あ……それはもちろん、たった一人の……」

「アクセサリー?」

「いや、は? ちょっと待ってよ、シンディ」


 反論なんて無いでしょう、とでも言いたげな無表情。


「そりゃ、長谷川にだって軽率なところはあったし、軽薄な男だと思われても仕方がないのかもしれない。でも、結果的に自分だけ逃げる様な格好になってしまったことについては、彼なりに深く反省してたし、もの凄く後悔もしてたよ」

「だから?」

「だからって……ほら、いくら気を付けていても、人間なんてやっぱり完璧じゃないからさ、予想外の出来事に気が動転したり、うっかり心にもないことを口走っちゃったり、怖くなってついつい逃げ腰になったりすることだって……」

「ストップ!」


 さすがに周囲を気にしたのか、彼女も声のボリュームを落とした。


「キレイな彼女をつれて歩いていい気になって、気持よくなりたいからってゲームみたいにセックスして、イザ相手が妊娠したら急に手のひらを返して、産みたい? ジョークだろ? 堕ろすでしょ普通……タケはそういう気持が解るって言うんだ。私にも理解しろって、そう言いたいんだ」


 彼女なりの推論は付け加えられていたものの、あながち間違っているとも言い切れない。


「いや、何もそこまで言わなくたって……」

「そこまで? どこまでよ。 タケがあんな人のことをディフェンス……弁護するのを黙って聞いてろっていうの? なんて言うんだっけ……そう、ヒトデナシ。私はあのヒトデナシをほんのこれっぽっちも許す気にはなれない。仮にもしチエがそうしたとしても、私だけは絶対に!」


 ほんのこれっぽっちも――そうまで言われてもまだ、取り付く島を探そうとしていた。


「……あのさ、シンディ。ちょっとだけ冷静になろうよ。ここで僕たちが言い争ったって、それじゃ何の解決にも……」

「チエのことなんだよ? 大切な友達のことなの! しかも彼女にあんな男を紹介しちゃったのはこの私っ。なのにタケはクールでいられるって言うの? ねえどうしてそんなに他人ギョウギなのよ!」


 それでもなんとか冷静になろうという想いからか、彼女はコーヒーに口をつけて勢い良く喉へ流し込んだ。


「……ん」


 熱かったのか顔を歪めながら、「もう」とぞんざいにカップを戻した。

 ソーサーとスプーンが大袈裟な音を立てた。


「比嘉武幸サン」

「えっ?」

「クエッションです。私が……ノーノ―、もしタケの付き合っている彼女が同じシュチエーションに立たされたら、君ならどうする?」


 身近でこういうことが起きたのだ。

 僕だって当然、自分に置き換えて考えてもみた。

 だけど、即答出来るほど単純な問題じゃない。 


「うん……」


 引き寄せたアイスコーヒーは殆ど残っておらず、ストローだけがゴロゴロと音を立てた。


「ルック。こっちを見てよ、タケ」


 確かに今、窓の方へ目を逸らしてしまったかもしれない。

 だが、答えが無いから視線も逃げ場を探すのだ。


「タケ?」


 ここでそんな質問をして来る、そっちだって悪い――。

 そんな思いが、ジワリと生まれた感覚があった。

 彼女に視線を戻すが、残念ながら殆ど「ニラむ」という状態に近かった。


「ねえ、何か言ってよ。黙るのは嫌だよ、言ったでしょ? 前にも」

「別に」

「え?」

「……だから別に、長谷川だってこの結果を喜んでいるわけじゃないんだよ。確かシンディは、前にそう言ってたと思うけど」

「なにそれ」

「アイツ泣いてたんだよ。小泉さんが無事で良かったって、声を震わせながら……」

「それは、どうなんだろう」

「は?」

「ホッとしたからなんじゃないの? やっかいなコトにならなくて良かった、みたいな」

「ちょっと待ってよ……」


 それについては本人だって自覚していた。

 その上で、ちゃんと自らを戒めようと――。


「結局いつも自分なんだよ、あの男は。自分ファースト、他人の気持ちとか事情とかそんなことはどうでもいいの。だから、チエはあんなことに……わかるでしょ、タケだって」

「わからない」

「えっ……」

「人はそんなに強くないんだよ。誰もがシンディみたいに出来るわけじゃない」


 自分の弱さを払い退けてでも相手の気持ちを考えようとしたり、逆に自分の気持ちを洗いざらい伝えようとしてみたり――それを試みること自体、僕にとっては「偉業」だ。


「待ってよ、私がそんなに強くないことくらいタケだって……ううん、違う、強いとか弱いとかの問題じゃないの。大事なのはコミュニケーションだよ。ワンウェイなものじゃなくて、互いに理解し合おうとする気持ち。そうでしょ?」

「だからっ、そんなの言うほど簡単なことじゃないんだって」

「簡単じゃないからトライしないの? もし本当に必要なことだと思うなら、逃げずに向き合わなきゃダメなんじゃないの?」

「そんな正論をふりかざされたって……」

「けっきょくタケには必要無いってことなんでしょ? 無理して歩み寄る必要性を感じてないんだよ、他人のことに興味がないから」

「そんなこと……」

「長谷川氏だったらまだわかる。もともと自分にしか興味の無い男だもん、そんなの必要無いって言われても今さら驚かない。でもタケは別。君まであんなヤツと同じ価値観を持っていただなんて、そんなの聞きたくなかった。知りたくなかったよ」


 追い詰められて行く気分だ。

 もしかするとこの乱暴な「決めつけ」が、今回の悲劇を生んだ要因の一つなのかもしれない。


「……っていうかアンタたち二人とも、人に対してろくに興味も持てないのに、よく教育を学ぼうなんて気になったよね。私にはぜんぜん理解出来ない、ギブアップだよっ」


 両方の手の平を上に向け、肩をキュッとすくめる「お手上げ」のポーズ。

 僕の中で、何かが勢いを増しながら、加速度的にふくらんできている感覚。


「…………」


 そしてついに、その何かが溢れてしまったんだと思う。


「……うん、さすがだよ、シンディは。今まで、それはそれは立派な人間関係を築き上げて来たんだろうね。じゃなきゃ、人のことをそこまで解った風に言い切れちゃうはずがない」

「なに……?」

「でもそういうのがコミュニケーションだって言うのなら、うん、やっぱり僕には必要ない。それがどれほど一方的で、自分本位の押し付けになっているかも解らない様な……」


 ――ああ、なるほど。


「タケ?」

「……シンディってさ、見た目は日本人でも、やっぱり中身は完全にアメリカ人なんだ」

「えっ……ねえ、何言ってるの?」

「僕とシンディは根本的に考え方が違うんだよ。だからいくら歩み寄ろうとしても、ずっと平行線のままだったんだ」

「ちょっと……」

「本当の意味で解り合うことなんて、逆立ちしたって不可能」

「タケ、ストップ。お願いだから……」

「だって日本人にはいないからさ、シンディなんて名前は」

「…………」


 有り得ないものを見てしまった瞬間――それはきっと、こういう表情のことを言うのだろう。

 彼女は充血した眼差しを僕から逸らし、漫然と店内を見渡した。

 いったい僕は、何を言ってしまったのだろうか――。


「……私、自分のルーツやアイデンティティに……誇りを持ってる」


 声が震えている。


「それを否定されるのは我慢できない。オハナ……家族をすべて否定されたのと、同じことだから……」


 横のバッグを引き寄せると、財布から五百円硬貨を取り出してテーブルに置いた。


「帰るね……私たち、一緒にいるべきじゃない」


 そう言ってスッと立ち上がった。


「これからは私のこと、ファーストネームでは呼ばないで。さようなら、比嘉クン」


 踵を返すと、足早に出口へと向かった。

 一刻も早く立ち去りたい――そんな思いがにじんだ背中は、あっという間に見えなくなった。

 まるで喉に石でも詰まったかの様に、一言も返すことが出来なかった。

 返す言葉――そんなものは、たぶん存在しない。

 窓の外にも彼女の姿は無かった。

 きっとサンシャインの館内を通って帰ったのだろう。

 コーヒーポットを持って近づいて来た店員が、シンディの前にあった空のカップを一瞥すると、ソーサーに手を添えて持ち上げた。


「コーヒーのお替わり、お注ぎしますね」

「あ、いや……」


 そのまま注ぎ終えたカップを僕の前に置き直し、やはり空になっていたアイスコーヒーのグラスを回収した。


「ごゆっくりどうぞ」


 そして、また一人になった。

 カップから微かに湯気が立ちのぼっている。

 頭の中が真っ白で、今は何も考えられない――。

 ガラスを打つ雨の動きに反応して、ふと窓を見た。

 雨のしずくが自分の重みに耐えられずに、勢いを増しながらスーっと落ちて行くところだった。


毎回、最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

エピタイトルは、さだまさしさんの曲へのオマージュです。


「16.東京には不似合い」 へ続きます。

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