14.東京
「……やっぱり、こうならないと気づかないものなのかな……」
久しぶりに長谷川は口を開いた。
タバコをふかす彼の目は虚ろで、黙っていると煙を出すだけの人形の様に見えていた。
「何が?」
ライターだけは無事拾い上げて来た彼も、粉砕された帆船模型の残骸はそのまま。
直視するのも辛いのだろう。
「俺……いや、たぶん智恵もなんだろうけど、『みんなやってることだ』、『珍しいことじゃないんだ』って自分をごまかしてさ、慣れたフリして、慣れない場所で背伸びして……」
タバコを消そうとするが満杯の灰皿では上手くいかず、グラスに残った液体をかけた。
「覚悟も知識もなんにも無いクセに、失敗した時のことをまったく考えてない。東京の街なんて、そんな俺みたいなヤツらで溢れてるんだよな……きっと」
浮かんで来たのは、サンシャイン60から観たあの夜景だった。
展望台の窓を埋め尽さんばかりの、膨大で眩しかった、東京の光――。
あの明るさは希望や期待に光り輝いているだけでは、なかったように今は感じる。
東京に憧れて、集まってきたそんな光たちが失望したり、絶望したり、疲弊して、消費されて輝きを失っていくまでの断末魔の輝きなのかもしれない。
あの展望台で感じた怖さはこれだったのか。
打ちのめされてなお都会的なスマートさを手放そうとしない、目の前の男を見てそう思った。
「……だから今回、俺が失敗しちゃったことだって……」
「ねえ、長谷川君さ」
「うん?」
「失敗って言葉、やめない?」
ずっと引っかかっていた。
命の芽生えと、決して相容れない言葉だ。
「あぁ……うん。はは……そうだよな……」
自嘲気味に弱く笑うと、タバコの箱を小さく振って次の一本を送り出した。
「というか僕は……長谷川君のことを、ちょっと羨ましいと思ってたところがあってさ」
「ええ? ホントかな。俺は正直、比嘉ちゃんからはあんまし好かれてないような気がしてたけど」
「羨ましいのと好き嫌いは、たぶん別だよ」
あいかわらず自嘲気味な苦笑いのまま、彼は息を吐いた。
「言うねえ」
「……はは。うん、なんていうか……僕から見た長谷川君は、頭の回転が速くて活動的で、ほら要領もいいしさ」
「ズル賢い?」
「……じゃなくて、自信に満ち溢れてるっていうのかな。新しいことや知らない人たちのことも、ドンドン受け入れちゃうしさ。僕にしてみれば都会人の象徴、というか東京の代表? いや、東京そのものだったのかもしれない。だから長谷川君と一緒に居ると、ちょっと気後れしちゃう自分が居たのも確かで……」
長谷川君は僕の方をじっと見たまま、口を開いた。
「比嘉ちゃん、今言ってて無理があるなーって思わなかった?」
「そんなことないよ」
「俺は、自分で聞いてて虚しくなったけどね」
灰皿の上でタバコの灰を落とすが、いい加減その満杯状態を見兼ねたのか、ようやく重い腰を上げた。
両手でそれを持つとくわえタバコのままキッチンに向かい、若干ふらつきながらも手際よく洗い始めた。
「自分でもダサいと思うよ。いつも調子こいてたクセに、何だ、このザマはっ、てさぁ。おまえ、ついにボロが出たのかって」
蛇口を閉める音と冷蔵庫を開ける音。
綺麗になった灰皿以外にも、アイスペールと言ったか――持ち手の付いた容器に氷を入れて戻って来た。
「自信に満ち溢れてるわけがない。他人と違うと不安だから、周りに合わせる事で安心してるだけ。それでやっと、自信がある様に見せ掛けることが出来る。な? ダサいだろ」
僕のグラスにも氷を入れようとするので「もういいよ」と辞退した。
すると大げさに落胆の表情を作る。
「……じゃあ、ちょっとだけ」
注いで来たバーボンの量は案の定「ドボドボ」というレベル。
仕方なく少し口をつける。
「知らない人と話すのだって、別に得意なわけじゃない。暗いヤツと思われるのが嫌だから、頑張って社交的に見える様に振る舞ってただけでさ」
ひょっとして彼は今、明かすはずの無かった「秘密」を告白しているのかもしれない。
「勉強やスポーツも、大抵のことは人並みにこなせたよ。小さい頃から、親が色々と習い事をさせてくれていたお陰かもしれない。智恵んトコ程じゃないけど、うちもそこそこ裕福だったからさ。学費の心配もいらないし、進学だって今の学力で行けるところに行けばいいって感じで、必死になって受験勉強をする必要も無かった」
恵まれていたのは間違いないらしい。
もし僕が彼の立場だったら、自分の意思で敢えて楽な選択肢に背を向けることが出来ただろうか?
「俺はさ、今まで熱くなることや必死になることを避けてたんだと思う。同時に、そうしている人間を小馬鹿にもして来た。それは、自分が苦労したり挫折したりする可能性から逃げてることを自覚してたからで、その負い目からも逃げてたってことなんだよ。一生懸命に頑張った挙句に上手く行かなかった時、他人からカッコ悪く見られること……いや、違うな。自分がそのショックから立ち直れないと、怖いから……」
ボトルを持ち上げ、僕のグラスに注ごうとしたので「まだあるから」と手で覆った。
「その点、比嘉ちゃんは流されないもんなぁ。一見そう見えるかもしれないけど、実は揺るがない芯の強さがある。周囲の目を気にして、みんながやってるから自分も……みたいなところが無いもん。だからずっと俺、強ええヤツだなーって思ってた。話してみたかったって前に言ったけど、アレ本心だから」
さすがに少し呂律が回らなくなって来ている。
「買いかぶりだよ。長谷川君こそ、言ってて無理があるって思わないの?」
「ええ?」
「僕は……ただ、目立ちたくなかっただけだよ。何故なら、他人と深く関わることでお互いに……いや自分が、かな、傷つくぐらいなら最初から関わらない方がいいって考えてたから。で、気が付いたら周りに壁が出来ちゃってて、今いる場所から動けなくなってる」
気付けば僕自身も、誰にも言うつもりなどなかったはずの本音を話している。
「いや、比嘉ちゃんはさ、少なくとも自分が作った壁のことを自覚してるじゃん。最近は、それを壊して前に進もうとしている様にも見えるし。だけど俺は違う。壁が無い分、自由に動けるのに、動く方向をずーっと間違って来た。前に進まないで適当に逃げ回ってただけなんだよ。そんないい加減で臆病なヤツが教育について語るとか、笑っちゃうだろって!」
勢いでまたテーブルを叩いた。
「長谷川君……」
酔いが回って来ている。
とりあえずキッチンへ行ってコップに水を汲んで戻ると、氷を入れて彼の前に置いた。
だが目線が「ここにあらず」で全く気付かない。様子がおかしい。
「飲みなよ」
「えっ? ……ああ、うん……」
彼の視線の先にあるのは、帆船模型の残骸だった。
創造者であり破壊者でもある彼に、無残に壊されたことへの抗議の声をあげることすら出来ずに、その姿をさらしている。
「智恵……本当に俺の子なのかって言われた時、自分だけ逃げようとした俺のこと見透かして、さぞ幻滅したんだろうな……」
そう言ってから肩で呼吸をし、その空気を鼻息で放出した。
目が赤い。
「俺なんかのこと、せっかく信じてくれてたのに。家庭内の事情だって俺、色々聞いてたのにさ……そりゃ絶望だってするよなぁ……」
テーブルに肘を付き、大きくうなだれた。
そして――。
「比嘉ちゃん、俺……智恵が無事でよかった。本当に、生きててくれてよかったよぉ……」
ガラステーブルの上に涙がポトポトと落ちた。
「そうだね……」
きっと彼にとってこれは、生まれて初めて経験する大きな試練なのだ。
仮にもう会うことは無かったとしても、彼女のことは決して忘れないだろう。
もちろん、この世に産まれ出ることの叶わなかった、小さな命のことも。
そしてこのショックを乗り越えた時、本当の強さを手に入れるのかもしれない。
「……色々、ごめんな。それと……ありがとう……」
「えっ。いや、僕は何も……」
「……そうだ。俺も『タケ』って呼ぼうかな……」
「え、なんで?」
まだ涙声すら抜け切らないうちに、何を言い出すかと思えば――。
「だって今日、シンディにそう呼ばれてたから」
「そ、そうだっけ……」
「ついでに、そっちももう『君付け』とかいいからさ。さっきみたいに『長谷川っ』でいいよ。どうせ心の中じゃ、とっくの昔に呼び捨てなんだろうし」
「いや、別にそんなことは……」
「前から顔に書いてありましたけど」
うっ――。
「な? タケ」
「お、おう……」
自宅に戻ったのは翌日の午前十一時半頃だった。
すぐにエアコンのスイッチを入れたが、暑さに耐えきれずいったん窓を全開にした。
冷蔵庫を開けて麦茶のポットを出し、コップに注いで一気に飲み干す。
部屋の電話機を見ると、留守電のランプが点滅していたので、ボタンを押してからベッドに転がった。
電子音のあとに聞こえてきたのはもちろん、シンディからのメッセージだ。
「タケ? 私。……で、どうでしたか? 話を聞きたいので、バイトのあと会えればと思って。ええと、仕事が終わるのが……」
結局あの後、長谷川とは明け方まで飲んでしまった。
少し仮眠を取ってから出て来たものの、まだまだ寝足りない気分だ。
冷房が効いて来た。
そろそろ窓を閉めようか――。
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