10話 恩を売るなら最高値で売るべき
この作品はフィクションです
実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。
藤本興業は新宿五丁目に本社を構える優良企業である。
主な業務として土木工事と建設工事さらには不動産業があるらしい。
彼らの最大の特徴として、従業員の多くが探索者であることが挙げられる。
彼らはダンジョン探索で上昇したステータスをフル活用することで、多岐にわたる作業を円滑に進めているそうな。
ギルドには探索者クラン龍星会の名で登録しており、そこそこの実績を上げている。
そのため彼らは土建屋としても探索者集団としてもそこそこに名の知れた組織であった。
ぶっちゃけダンジョンが発生する前まではヤの付く自由業を営んでいたのだが、ダンジョンの一般解禁に伴い当時の組長が「稼ぎ時じゃぁ!」と喜び勇んでダンジョンに吶喊したのがクラン龍星会の始まりらしい。
ちなみに五〇年前にダンジョンが発見された際、誰よりも喜び、誰よりも早くそれに吶喊したのは日本が誇るOTAKUと呼ばれる人々だった。
国の制止など知ったことかと言わんばかりに突っ込んでいったらしい。
しかし悲しきかな、彼らには戦闘技能というものが皆無であった。
彼らはレベルが上がる前に殺されたり、レベルが上がってもちょっとした傷を負うだけで大げさに隙を晒して殺されるパターンが相次いだそうな。
『エクストリーム自殺』だの『ダンジョンに餌を与えた』だのと揶揄されているうちはまだよかったのだが、彼らの犠牲は留まることを知らなかった。
最終的な犠牲者の数は、数万とも数十万とも言われている。
当然この数は盛られているだろうが、腰が重いことに定評があった当時の政権が即座にダンジョンへの入場を制限したくらいなので、相当数の犠牲が出たのは間違いないだろう。
その後、彼ら彼女らの尊い犠牲を教訓としてダンジョンに立ち向かったのは、国家の暴力装置こと警察と自衛隊であった。
彼らがなんやかんや頑張った結果、ダンジョンでの立ち回り方や何やらのテンプレートが完成。
その後、法整備やらなにやらを進め、数年後にはダンジョンが一般に開放されることとなった。
このとき、最初の熱狂はどこへやら。犠牲の多さや実際の戦闘の悲惨さにしり込みしていたOTAKUの方々を差し置いてダンジョンに飛び込んだのが、民間にあって暴力の専門家であったヤの付く自由業の方々であった。
元々暴力を振るうことにも振るわれることにも慣れていた彼らである。
極々自然にダンジョンに適応し、一定の成果を上げることができた。
それからしばらくして、ダンジョンから持ち帰る資源が国や企業を潤すようになると、それまで『反社会勢力』と言われ後ろ指を指されていた彼らは『お国のためにダンジョンに潜る探索者』という立場を得た。
これにより「自分には暴力しか取り柄がない」と俯いていた者たちや「自分は後ろ暗いことをしている」と俯いていた者たちは、真っ当な形で自尊心や承認欲求を満たすことができるようになったのである。
こうなると話は早い。最初は組長の行動に懐疑的であった藤本興業の社員たちも、率先してダンジョンに潜るようになったという。
ダンジョンに潜る。魔物と戦う。レベルが上がる。強くなる。ドロップアイテムを売って金を稼ぐ。周囲から褒められる。気を良くしたメンバーがまたダンジョンに潜る。魔物と戦う……以下同。
このような好循環ができあがったのだ。
高いステータス値のおかげで土木作業も捗る。建設作業も捗る。
不動産に関しては……ダンジョン関連で多少面倒になった点はあるものの、損はしていない。
銃火器を持ち出して血を流す必要もなければ、違法薬物を扱って小銭を稼ぐ必要もない。
無知な子供や老人を食い物にする必要もなければ、無理にみかじめ料を強請る必要もない。
彼らにとってこの時こそが我が世の春であった。
だがしかし、春という季節は短く、儚い季節である。
彼らにとっての春は僅か一〇年で終わりを迎えることとなる。
その理由はいくつかあるが、最大の理由は探索者が増加したことだろう。
そう。いつまでも元反社会勢力の方々に頼っていられないと奮起した国や企業が立ち上がったのである。
彼らは探索者のための学校を設立したり、探索者を優遇する政策を作ったり、できるだけ探索者が負傷しないようガイドラインを設定したり、先駆者である警察や自衛隊に探索者を育てさせたりと、様々な方策を打ち出した。
これにより探索者になる者は増加の一途を辿り、それまでほぼ彼らの独占状態だったダンジョン産資源の供給業に翳りが見えるようになった。
ただ、これだけなら彼らが衰退することはなかった。
需要はいくらでもあるのだから、独占なんて欲をかかず普通に探索者として活動すればそれで充分稼げるだろう。彼らの多くはそう考えた。
しかし、ある意味楽観的ともいえる彼らの目論見は大きく外れることとなる。
探索者の資質の問題が彼らを襲ったのだ。
彼らの大半は暴力の専門家である。
暴力を振るうことにも振るわれることにも詳しい人間が――好むか好まざるかは別として――彼らと同じ道に進む。
そんな彼らにとって、暴力とは目的を達成するための手段であって、目的ではない。
畢竟、彼らはある一定の力を手に入れた時点で『このくらいでいい』と見切りを付けてしまう。
暴力に詳しいからこそ、危険を冒さないようになるのだ。
言うなればローリスク・ローリターン。
それが悪いとは言わない。
無理をして命を落としたり不要な怪我を負うくらいなら、安全かつ定期的な稼ぎを求める。
これも一つの探索者の姿なのだから。
ただし、そうなると彼らが得られる素材はそれなりのモノしか得られない。
それなりのモノしか得られない以上、立場も収入もそれなり以上のものにはならない。
当たり前のことであった。
対して後発的にダンジョン探索に挑む探索者たちは違った。
ステータスアップを喜び。レベルが高い者ほど偉いと称賛する。
より珍しい素材を持って帰れば英雄扱い。
全員が全員そうとは言わないが、学校で、社会で、企業でそのように教育を受けた探索者たちの多くは、ときに危険を顧みずダンジョンへと挑んでいくのである。
言わばハイリスクハイリターン。
自尊心を、冒険心を、承認欲求を、金銭欲を煽られてブレーキが効かない状態となった後発組の探索者たちが、安全安心を心掛けて中層と呼ばれる階層で無難な探索に従事する探索者たちを追い抜くのに大した時間は必要なかった。
後発組に追い越される形となった元ヤの付く自営業を営んでいた探索者たちは、その規模を縮小せざるを得なかった。
もちろん中層の素材だって欲しがるものはたくさんいる。
しかしそれがいつまで続くだろうか。
後発組の探索者が増えれば増えるほど、中層の素材は溢れていく。
それどころか、下層や深層とよばれる階層から得られる素材が増えてしまえば、中層で得られる素材の価値など大暴落してしまうこと請け合いである。
そんな中、危険を冒せない探索者にどんな価値があるというのか。
近い将来、自分たちはまた追いやられることになるだろう。
この種の不安を覚えていたのは龍星会に所属する探索者だけではない。
彼らと似たような境遇に在る探索者のほとんどが、同じ不安を覚えていた。
―――結局どうにもならなかったんだけどね。
儚い笑顔を見せながらそう呟いたのは、未来の俺が『タダ券』のことを教えてくれた女性……の次に贔屓にしていた女性だった。
彼女は、彼女を可愛がってくれた社員の人たちと一緒になんとかしようと頑張ったが無理だったそうだ。
無理をしたせいか、主力だった人たちはダンジョンから帰ってこなかったそうだ。
主力と共に多くの探索者を失ったクランは潰れたし、多くの社員を失った会社も潰れてしまったそうだ。
一人残された彼女に、明るい未来はなかったそうだ。
死ぬことも考えたらしいが、少しでも社員だった人の子供たちに金が渡るようにと、体を張ることにしたんだったか。
その話が本当かどうかはわからない。
もしかしたら同情を誘うための嘘だったのかもしれない。
それならそれでもいい。
かわいそうな少女はいなかったってことだからな。
同時にこうも思ったのだ。
確かに彼らの置かれている状況はよろしくない。
将来的には間違いなく沈む船だ。
銀行なら融資を打ち切るレベルの泥船だ。
しかし、言い換えればこの船は『まだ沈んでいない船』である。
沈んではいない。しかもその船員たちは自分たちの船が沈むことを理解しており、なんとか延命するために試行錯誤をしている最中。
端的に言ってこれは。
「おいしいよな」
主に”簡単に餌に喰いついてくれそう”という意味で。
もちろん彼らとて馬鹿ではない。
悪意に敏感な彼らのことだ。
俺如きでは騙そうとしても即座にバレるだろう。
(できるかどうかは別として)報復もされるだろう。
しかし、俺に彼らを騙すつもりはないから問題ない。
なぜなら俺が求めるのは共存共栄。
お互いがお互いを利用し合う、素敵な関係になることなのだから。
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