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9/11

告白してくれた後輩と電話で話した

 ベッドの上で目を覚ますと、目尻が湿っていて冷たかった。どうやら少しの間寝てしまっていたようだった。


 部屋を出ると。右手のリビングの扉に取り付けられた曇りガラスに明かりが灯っていた。息を殺してリビング横の洗面台に移動し、歯を磨いた。電気は付けなかった。何となく私の存在を悟られたくなかった。



 暗号のような音がリビングから漏れ聞こえているのに気付いた。それはお母さんと、いつの間にか帰ってきていたお父さんの話し声だった。私はリビングの方に耳を寄せた。



「今日ね、葵にうざいって言われたの」



 嘆くお母さんの声が聞こえた。


「母さん、それも成長には必要なことだよ。喜ばしいことじゃないか」


 なだめるようにお父さんが言った。


「あなたは見てないから言えるのよ。いつも家にいないくせに」


「しょうがないじゃないか。仕事なんだから」



 苛立つ二人は徐々に温度を上げた。


 そのきっかけは私だった。お父さんもお母さんもいつも喧嘩ばかりしている。お父さんは下請けのプログラマーだとかで、毎晩遅く帰ってきて心のどこかにいつも苛立ちを抱えている。お母さんはそのお父さんに文句を言って、たまに愚痴を私にこぼす。二人の言い合いなど、この家では見慣れた光景だ。



「毎晩毎晩遅く帰って、少しくらい家族の時間作ってよ」


「あのなあ、納期が近いと忙しくなるって結婚するときに言ったろう?分かってくれよ。もう少ししたら時間取れるから」


「分かったわよ」


 ため息混じりにお母さんが言った。


「それで、なんて言って怒らせたんだ?」


「怒らせたなんて人聞きの悪い。私はただ将来結婚する気がないって言うから、そんなの寂しいわよって言っただけよ」


「本人がする気がないって言ってるんだからいいじゃないか」


「でも、将来あの子が子供もいなくて寂しい思いしたら可哀そうでしょう?」


「過保護すぎるのはよくない」


「そうかもしれないけど……」


「まあ、あの子も大人になれば分かってくれるさ」



 私の両親は何一つ分かってくれていない。


 それ以上聞くのが怖くて、すぐに口を濯いでその場を去った。



 自分の部屋に入って扉をそっと閉めた。そしてそのまま扉に寄りかかった。


 ぽつりぽつりと雨の音が外から聞こえてきた。時々何かに当たって甲高い音がする。細く開けた窓の隙間から雨の匂いがした。



 もう日付が変わろうとしている。しかしベッドまで動く気にもなれず、座り込んでさらに背中を扉に預けた。力が抜けていき、このまま扉をすり抜けてしまうかもしれないと思った。



 もし私が男だったら。もし美玖が女の人のことを好きだったら。私がもしも晃先輩になれたら。何度そう願っても神様は叶えてくれなかった。



 最初からこれは報われない恋だったのだ。私はこれからも好きという気持ちも伝えられず、今までと同じように美玖の親友として生きていくしかない。



 これから先、私は誰かを好きになれるだろうか。なったとして、それは男の子か女の子かどっちなんだろう。男の子だったらいいな。そうしたらきっと普通にお出かけを重ねて、普通に告白をして、付き合えても付き合えなくてもいい思い出だったって誰かと笑いあえる気がする。それが運命の人だったら婚約して、お互いの両親に正装で挨拶なんかもして。その姿を見せたらお父さんもお母さんもきっと安心してくれる。



 次に好きになったのがまた女の子だったらどうしよう。また思いを伝えられずに好きな人が恋に落ちていくさまを横で見て歯を食いしばることしかできないのかな。会わせたい人がいると女の人を連れて行ったら両親はどんな顔をするだろうか。



 お父さんもお母さんも私のことちゃんと愛してくれてるのかな。本当に私のことを思ってくれてるのかな。私には、自分たちの娘が結婚しないのがみっともないと思うから結婚させようとしてるようにしか思えなかった。



 胸が締め付けられて、息が苦しい。好きな人に好きと伝えることができないから?好きな相手に振り向いてもらえないから? 両親が私の気持ちも考えず自分たちの価値観を押し付けてくるから? 多分全部だ。



 そろそろベッドに行けと脳が指令を出すが、体は従わない。腰をつけたまま壁にあるスイッチを手で探して電気を消した。それから私は液体のように床を這ってベッドに移動する。何とかベッドまで辿り着いて、寝る前にスマホを確認しようと思った。


 真っ暗な部屋の中で充電器に繋がれたスマホを手探りで探した。四角く固い感触を見つけ、それを手に取って電源を付けた。


 ぱっとスマホが光を放つとそこに、十分前と示された一件の通知が浮かんでいた。


【葵先輩大丈夫ですか?】


 送り主は祐樹くんだった。なんと返すべきか迷った。だけど、寝たふりをして明日変えそうという気は起こらなかった。


【どうしたの急に? 笑】と返した。


【やっぱり今日元気ないように見えたんで】


 振動と共にすぐに返事が来た。私もすぐに返した。


【気のせいだよ】


【本当ですか?】


【本当だよ笑】


 そう送ったら、少し間があった。しばらくしても返信が来ないから、私はスマホを閉じてひっくり返してベッドに軽く放り投げた。その時、スマホがまた震えた。スマホを拾い上げると、画面にはまた祐樹くんからの通知が浮かんでいた。



【帰りも言いましたけど何かあったら俺、相談乗りますから】



 その言葉が私の胸に深く突き刺さった。胸の中で蠢く感情は常に飛び出る場所を狙っていて、彼らは祐樹くん目を付けた。感情が祐樹くんの言葉が刺した穴から少しずつ漏れ出す。



【電話かけてもいい?】



 衝動的にこの言葉を送った。送ってから鼓動が少し速くなった。今すぐ感情を吐き出さなければ胸が張り裂けてしまう気がした。【はい】と返事が来たころには私は電話をかけていた。祐樹くんはすぐに電話を取った。


「ごめんね急に電話かけて」


『いえ、全然。ビックリはしましたけど嬉しかったです』


 電話で聞く祐樹くんの声はいつもより低く感じて別人に思えた。


『やっぱりなんかあったんですか?』


 落ち着いた祐樹くんの声を聞いて、私はすべてをさらけ出す準備が整った。と、そう思った。はずなのに、喉まで出かかっていた言葉は急に尻込みをした。


「あ、いや祐樹くんこんな夜中に何してるのかなあって」


 暴れていた感情は胸の奥の方へ隠れてしまい、気づけば違う言葉を放っていた。


『寝る準備してました』


「それもそっか」


 祐樹くんの答えに私は何だか気が抜けて笑ってしまった。


『……でも寝れなくなっちゃいました』


 祐樹君が言った。



「どうして?」



 そう聞くと祐樹くんは少しの間黙った。私も何も言わずにいると、彼が沈黙を破った。


『好きな人から電話かかってきたら、眠れなくもなりますよ』



 はっとした。祐樹くんの言葉を聞いて、私が酷なことをしていることに気づいた。



 美玖から優しくされたら私は辛い。手に入らないのに、手の届く場所にある。近くにいるのに、思いは別の人に向かっている。そのもどかしさは私が一番よく知っている。


 私は祐樹くんの優しさに甘えてもどかしい思いをさせてしまっている。それに気づいて申し訳ないと思った。最低だとも思った。


 だがそれに反して私の中にある欲求がふつふつと湧いた。


「祐樹くんさ、まだ私と付き合いたいって思ってくれてる?」


『当たり前ですよ。好きなんですから』


 祐樹くんはすぐに答えた。


 なぜこの人はこんなにも真っ直ぐ想いを伝えられるのか。祐樹くんのことが羨ましい。


「ねえ祐樹くん」


『なんですか?』


「私と付き合ってくれないかな?」


 私がそう言うと、電話の向こうでバンっと音が鳴り、祐樹くんは何やら声を上げた。だが、なんと言っているかはよく分からなかった。祐樹くんはスマホを落としたようだった。


「ごめん、何て言った?」


『い、いいんですか?』


 あまり動揺しなさそうな祐樹くんが取り乱しているのが少しおかしかった。


「正直ね、祐樹くんのことまだ好きかは分からないの。だから、その……お試しみたいな感じでもいいなら」


 喋っていながら、自己嫌悪と欲求が激しくぶつかり合った。私は語尾に向かうにつれて歯切れを悪くした。


 だけど祐樹くんは迷いなく高らかに答えた。


『今はお試しでもいいです。チャンスをくれるなら』


 そして彼は咳払いをした。



『改めてなんですけど。葵先輩、付き合ってください』



 祐樹くんは私と違ってどこまでも真っ直ぐだった。曲がった私とは正反対だ。だけど、私だって同じ人間だ。少しくらい愛を求めてもいいじゃないか。私の心の欠けている部分を誰かに補ってほしかった。



 私が返事をすると、人生で初めての恋人ができた。

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