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恋人と遊園地に行った

 金時計横のデパートのガラスの前でワンピースのスカートを摘み、小さく回ってみる。ガラスに映る私の服は、どことなくこの前美玖が着ていたのと似ていた。


 休日の駅でも朝は少し穏やかだった。ぽつりぽつりと人が並び、エスカレーターの脇で待ち合わせていた女の子は、相手が来た途端に華やかに笑った。相手は男の子だった。


 待ち合わせまで十五分あった。もう一本遅い電車だと時間ぎりぎりになってしまうため、早く着きすぎてしまった。駅の反対側のカフェで時間を潰そうかとも思ったが、それほどの時間はなかった。彼が来た時スマホを見ているのも何となく印象が悪い気がして、周りを見渡した。


 待ち合わせの十分前になって、遠くの方に祐樹くんが見えた。私が小さく手を振ると、祐樹くんは軽く頭を下げて近づいてきた。


「おはようございます。早いですね」


「そちらこそ」


 そばに来た祐樹くんの挨拶はいつもより何だか少し畏まっていて、私もぎこちなく返した。


 祐樹くんは上から下まで私の全身を見渡した。お互いに制服やスポーツブランドのシャツ姿しか見せたことがないからじろじろと見られるのは気恥ずかしかった。


「変かな?」


「すごく似合ってます」


「ありがとう。祐樹くんも似合ってます」


「ありがとうございます」


 緊張した空気を纏いながら、私たちは遊園地へと向かうシャトルバスの方へ向かった。



 あの夜、私は祐樹君と付き合うことになった。だが、まともに祐樹くんと話すのは久しぶりだった。

 付き合い始めてから祐樹くんとは部活で顔を合わせることもあったが、その時の彼は少し素っ気なかった。スマホでやり取りをして、部活がたまたまオフになった週末私たちは隣県の遊園地に行く約束をした。



 シャトルバスに乗り込み、前から一番前の列で席が二つちょうど空いていた。私が窓際、その隣に祐樹くんが座った。私たちを最後にバスは発車した。



「今日行くところ、久しぶりだから楽しみなんだ」


 私は祐樹くんに言った。


「行ったことあるんですか?」


「うん、去年友達と」


 私はその時のことを思い出す。楽しい思い出ばかりだった。


「どうでした?」


「すごく楽しかったよ」


 あの時は隣に美玖がいた。


「意外と人少ないですね」


 夏のこの遊園地は人が少ない。併設されたプールに人が流れるからだ。去年も穴場だからと美玖に誘われ、菜緒と陽菜と一緒に来た。私たちは入口を抜け、アトラクションへと続く長い道のりを歩いている。その横にプールがあって中は人で溢れていた。対して私たちの歩く道はぽつぽつと人が見える程度だった。


「どこ行きましょうか? おすすめのアトラクションありますか?」


 緊張感は霧散することなく、しつこく私たちに付きまとっている。そう言う祐樹くんはやはりどこか固かった。


「コーヒーカップでも乗る?」


 私たちは入り口から少し歩いたところにあるコーヒーカップへ向かった。



 美玖たちと来た時も最初にこれに乗った。美玖は笑いながらカップの中心にあるハンドルを力強く回した。叫び笑い悲鳴、様々な声が混ざり合って、降りたころにはへとへとになっていた。みんなが疲れ切っている様がおかしくてそのあとも私たちはしばらく笑い続けた。



「どれにしますか?」


 コーヒーカップは今も昔もあまり人気がないようで、一切並ぶことなく入ることができた。大きかったり小さかったり様々な模様のコーヒーカップを模した乗り物がいくつもある。その間を祐樹くんとすり抜けていく。


「これとかどう?」


 赤くてふちに波模様の白い線が入ったカップを私は指さした。青いカップは避けた。あの時は葵だから青いカップにしようと美玖が言い出して、青いカップに乗った。



どうぞと言って祐樹くんは私を先にカップに乗せてくれた。そのあと祐樹くんが乗り込んだ。他のカップには四人組の中学生や小さな子供を連れた家族が乗っていた。


 従業員の合図でにぎやかな音楽が流れ、カップは動き出した。初めは祐樹くんも私もハンドルを握らなかったから、カップは穏やかに回った。私がハンドルを掴もうとするとき祐樹くんも手をあげたので、私が手を引っ込めると祐樹くんも同時に引っ込めた。


 互いに手で示してハンドルを譲り合って結局二人で操作することになったが、終始緩やかに回転した。時々近づく中学生の元気な声がよく響いていた。


 コーヒーカップを降りたとき、あの時は遠心力で首が取れてしまうかとも思ったが、今は多少目が回る程度だった。



「どこか次に乗りたいのありますか?」


「次は祐樹くんが行きたいところ行こうよ」



 適当に歩いた先、祐樹くんが指さしたのは大きな円盤の円周上にブランコが鎖で吊るされたアトラクションだった。ブランコは遥か上空でぐるぐると回り遠心力によって開いたり閉じたりする。美玖たちとは乗った覚えはなかった。


 そこに向かうと私たちはまた並ぶことなく、隣同士のブランコに座った。中身のない会話をしていると円盤は回りながら上昇していく。それに伴ってブランコは外に広がりながら空へ登っていく。下から見たようにブランコは開いたり閉じたりして、気づいたときには回転が収まり地面に降ろされていた。


「楽しかったですね」


 気まずそうに言う祐樹くんに対して、私は「うん」とだけ言って頷いた。


 次に何に乗るか、何となくどちらも言い出せずにまばらな人たちが流れていく方に動いた。少し歩くと外にテーブルと椅子がオープンカフェのようにたくさん並べられている場所に着いた。そこに座る人たちはそれぞれ何かを頬張っていた。


 テーブルをL字に囲うように屋台が並んでいて、ホットドッグやチュロスの旗が立っていた。


「何かの飲みます?あと食べ物とか」


「じゃあ買おうかな」


 私たちは左の方の屋台から順番に眺めていく。


「いろいろありますね」


 それぞれの看板に大きく書かれたメニューを声に出しながら回り、誰も並んでないところは避けて、並んでいる人が比較的少ない屋台を選んだ。その屋台はチュロスやアイスクリームなどデザートのようなものをメインとしていた。


「どうする?」


「これ、おいしそうじゃない?」


 列は進み、前に並ぶ手を繋いだカップルがチュロスを頼んだ。仲睦まじい光景を私たちは後ろから眺めた。


「俺たちもチュロスにしますか?」


 屋台から顔を出す店員に呼ばれたときに祐樹くんが言って、私たちは飲み物と、シナモン味とチョコ味のチュロスをそれぞれ頼んだ。値段を提示されたとき、晃先輩の背中が浮かんだ。


「ここは私が払うよ」


 そう言って二人分の代金を払おうとした私の手を祐樹くんが止めた。


「俺が払います」


「いいって。先輩に任せてよ」


「初デートくらい格好つけさせてください。男なんで」


 二人で押し問答をしていると、店員が笑顔のまま困惑しているのに気付いた。結局次のデートで私が奢ると約束をして、祐樹くんに奢ってもらうことになった。「どこにします?」と祐樹くんが聞いて、私は「じゃあここ」と適当に空いてる席を選んだ。


「美味しいね」


「そうですね」


 私たちはお互いに気を使いあって探り探り会話をする。


 屋台の脇に立つ時計は正午を過ぎたころだった。美玖たちと来たときはくだらない会話が延々と続き、気づけば日が暮れようとしていた。こんなんだったら近くのカフェでも良かったなんて笑いながら、美玖と居ればどこに行っても楽しいのだと実感した。



 祐樹くんと私はチュロスを食べている間も会話は続かず「そろそろ行こうか」という私の一言でまた歩き始めた。時計の針は三十分も進んでいなかった。


 もともと人と話すのが得意でなかった私にとって、心の見えない相手と過ごすのは正直堪えた。付き合っていくうちにお互いを知っていくのはやっぱり難しいのだと悟った。


 すれ違う人たちは目を輝かせ、ここでしか味わえない非日常的な体験を堪能している。私たちは隣を歩く相手と向き合うという現実的な困難に直面している。遊園地という空間はその現実をより一層際立たせている。心の傷を癒すために付き合っておいて、何とも身勝手な考えだと思った。



 祐樹くんは今何を考えているのだろうか。私は祐樹くんのことをまだ何も知らない。どんな食べ物が好きで、どんな音楽を聴いて、小さなころの将来の夢は何だったんだろう。祐樹くんは私の何を知っているんだろう。一体彼は私のどこを好きになって、一緒にいたいと思ってくれているのだろう。



 そんなことを考えて祐樹くんを見ていると、ふと彼が何かに視線を向けた。祐樹くんはその先を少しの間眺めた。



「あれ乗りませんか?」 



 祐樹くんが指した高くそびえるジェットコースターに向かった。

 頂点は遠くから見たそれも高く感じたが、近くで見るとさらに高いと思えた。



 このジェットコースターは他のアトラクションと違い短い列ができていた。コーヒーカップにいた四人組の中学生が後ろの方で楽しそうにはしゃいでいる。時々走るジェットコースターから小さな悲鳴が聞こえる。



 少しの間並んで、私たちの番が来た。隣り合ったシートに座る。後ろには中学生たちが二列に二人ずつ乗り込んだ。賑やかな彼女たちに比べて、私たちは静かだった。その原因は、もう若くないとかそんなことではないと思う。


 安全バーは上から降ろすタイプではなく、レバーのように下に設置されていて、手前に引くと足だけが挟まれる形になる。上半身はゲーミングチェアのような背もたれに預けることしかできず、少し不安になる。


「少し怖いね」


「そうですね」


 そんな会話をしている間に従業員がレバーを確認しに来た。従業員は前から後ろまで一通り確認し終えると、また前に戻った。


「それではいってらっしゃい!」


 その声に呼応して、後ろの中学生たちが「いってきまーす!」と大きな返事をした。


 ガコン、と音を立てて、車体はゆっくり前に進みだした。


 鼓動は高鳴る。祐樹くんは緊張しているのか、表情が暗いように見えた。その緊張がジェットコースターによるものなのか、私によるものなのか、どっちだろうと考えた。


 車体は私たちを運びを高く上る。下を見ると地面が遠くなっていく。人が豆粒のような大きさになって、私たちに向かって手を振っている。

 遠くの方にコンビナートで、紅白の煙突の先からもくもくと白い煙が上がっているのが見えた。

 コースは下から眺めていたときよりも実際に乗ったほうが高く感じる。前を見ると、じりじりと頂点が近づいてくる。それに伴って心音が上がる。期待感と高揚感が高まる。



 あの時は、美玖が隣に座っていた。期待とともに不安が押し寄せ、美玖と目を合わせ伸ばした手と手を繋いだ。


 ついに車体が水平になる。もう頂点は見えない。



 その刹那、重力が消えた。



 軽くなったのも束の間体はすぐに後方に押さえつけられ、急降下した。そしてその時「わああああああ!」と大きな雄叫びのような声が隣から聞こえた。私がそっちを向くと、祐樹くんが大きな口を開けて楽しそうに叫んでいた。それがなんだかおかしくて私も叫んだ。


「きゃあああああ!」


 車体は右へ左へ揺れ時には一回転し、四方八方からの慣性を浴びた。風圧で髪は乱れ、乾いた目から涙が出る。体と共に脳が振られ、考える間もなくすべてのことに笑いがこみあげてきた。車体が乗降口の手前で止まったころには爽快感に満ちていた。前の車体が空の旅へと向かい、私たちを乗せた車体はゆっくりと乗降口へ戻った。


「もう一回乗ろ!」


「もう一回乗りましょう!」


 停止した車体の上でほとんど同時に言った。私がぷっと吹き出し、祐樹くんも吹き出した。そこで緊張の糸が解けた。その時初めて、二人で目を合わせて笑い合った。


 私たちはもう一度同じ列の後ろに並んだ。



「祐樹くんがはしゃいでる姿初めて見たかも」



 隣の祐樹くんの姿を思い出す。進む方向が変わるたびに、大きな叫び声を上げていた。私はその姿を思い出して笑った。


「はしゃがないとジェットコースターなんて乗れないですよ」


 拗ねたように祐樹くんが言った。


「たしかに」


 私が笑うと、祐樹くんも笑った。


「俺、実はすごい緊張してたんです」


「見てれば分かるよ。前より全然喋ってくれないんだもん」


「付き合うのとか初めてで。なんか付き合うってなると意識してしまって」


「もしかして普段の部活で素っ気なかったのも、それで?」


「はい」


 好きだと躊躇なく言えるくせに、付き合ったら緊張してしまうところがなんだかアンバランスでおかしかった。


「笑わないでください」


 そう言った祐樹くんも少し笑っていた。



 それからはお互いにリラックスして遊園地を楽しんだ。別のジェットコースターに乗って水を被ったり、ゴーカートで競争をしたり、お化け屋敷に入ったり。それまでの関係がどうであろうと、案外ほんの些細な出来事で二人の関係は変わっていくのだと知った。



 射的に夢中になって結局何も取れなかったり、小さな子供に交じってメリーゴーランドに乗ったり、自動販売機で買った炭酸が吹きこぼれたり、何でもないことが笑いの種になった。美玖が晃先輩と付き合ってから、初めてちゃんと笑えた気がする。



 祐樹くんが私を好きでいてくれてよかった。そう思った。



 一通り遊び終わって三度目のジェットコースターを乗った後には、日は徐々に落ち、夕陽の赤い光と薄いナイターの証明が園内を照らしていた。気づけばあっという間に時間が過ぎていた。



 閉園が近づき、最後のアトラクションにと園内を歩く人たちは皆早足だった。


「そろそろ帰らないと遅くなっちゃうね」


「そうですね」


 祐樹くんもそう言ったから、私は出口の方へ足を向けた。その私を祐樹くんが「あの」と呼び止めた。私は振り向く。


「最後に観覧車乗りませんか?」


「うん、行こう」


 祐樹くんの指さした先に向かって私たちは歩き出した。あれが怖かった、あれにまた乗りたいと私たちは今日回ったアトラクションの話をしながら、観覧車の列に並んだ。前には男女のカップルが並ぶ。後ろもそうだった。


 従業員の案内に従い青いゴンドラに乗り込んだ。私が左に、祐樹くんが右に行き、向かい合って座った。扉が閉まると、私たちは宙に浮かび出した。沈んでいたはずの夕陽が窓の外に見えて眩しい。私は窓から見える景色の思い出をなぞっていく。どれも忘れられない笑いに溢れた楽しい思い出ばかりだった。


 私たちを乗せたゴンドラは半分くらいの高さまで上がった。それでも祐樹くんは喋らなかった。祐樹くんは私と目が合うと窓の外を向いて、私が窓の外を向くと私を見ているのが目の端に映った。その視線を捕まえて私は聞いた。


「どうしたの?」


「あの、あーいや、何でもないです」


 祐樹くんは噛みしめるようにそう言って、また窓の外を眺めた。


「絶対何かあるでしょ。せっかく仲良くなれたのに、そんなこと言われたら寂しいよ」


 祐樹くんは私を一度見て、「えー?」と言ったり首を傾げたり口角を上げたり挙動不審な動きを見せながらようやく観念したように口を開いた。


「葵先輩、隣座ってもいいですか?」


 予想外の言葉で少し驚いた。私が頷いて右に避けると、祐樹くんは私の左側に座った。近い距離に緊張して、右の窓を見ると背後から祐樹くんの声がした。


「葵先輩と来れて今日は本当によかったです」


 祐樹くんが照れたように言うから、私も何だか面映ゆくて窓を見続けたまま言った。


「私も祐樹くんと来れてよかった」


「楽しかったですか?」


 そう聞く祐樹くんの方を見ると不安げな顔をしていた。


「うん。すっごく楽しかった」


 面と向かって私が言うと祐樹くんはまた照れた。祐樹くんは表情をころころと変える。何事にも動じないと思っていた私の中の祐樹くんのイメージはどんどん崩れ去っていく。それが何だか気恥ずかしくて、私はやっぱりどうしても窓の方を向いてしまう。


 徐々に頂上に近づく。ゴンドラの中には静かで心地いい空気が漂っていた。私の後ろで、祐樹くんは何を見ているのだろうか。


 そう思ったとき、私が椅子に置いていた左手の指先に何かが触れた。それは二、三度跳ねて、私の左手の上に乗った。暖かくて、ごつごつしていた。私はその感触の方に目を向ける。私の左手に手が重なっている。私はその手を辿った。その先には祐樹くんがいた。祐樹くんがまっすぐな目で私を見つめていた。夕陽が彼の瞳に映っている。


 私はそこから目が離せなかった。何秒経ったか分からない。長い時間が経った気がした。一度目を逸らして重なった手を見ても、また顔を上げると彼が私を見ていた。


 私たちは見つめ合った。密室の中でお互いに同じものを感じ取って。祐樹くんは私に顔を近づけて、その途中で目を閉じた。あとは私が目を閉じるだけでいい。そう思って目を閉じた。



 その瞬間、瞼の裏に何かが見えた。



 私は反射的に祐樹くんの体を押しのけてしまった。


 私はすぐに自分が何をしたか自覚した。目を開けると祐樹くんは今まで見せたことのないような悲しそうで焦った表情をしている。その顔を見て途端に血の気が引いた。


「ごめん。突然だったから。こういうのはまだ時間がほしいっていうか」


「すみません。焦り過ぎました」


 祐樹くんは自然と離れて、また向かいの席に座った。私は外の景色を眺めた。さっきまで漂っていた空気は閉じた窓から出て行ってしまった。ふと祐樹くんの方を見ると、彼の目は最後まで夕陽の沈む先を見ていた。


 下に降りると従業員は笑顔で私たちを迎え入れ降ろしてくれた。私たちはそのまま無言で進むと、祐樹くんが言った。


「混んできましたね」


 閉園する前に、と人がぞろぞろ観覧車に集まり長い列をなしていた。祐樹くんは観覧車の中であったことから話題を逸らそうとしているように感じた。


「早めに来てよかったね」


 私もあの出来事から目を逸らして、二人で人の波に逆らって出口へと向かった。そのあと出口を出るまでの会話はあまり覚えていない。


 帰りのシャトルバスは混み合い、何故かあまり喋ってはいけない雰囲気があって祐樹くんと喋ることはなかった。その雰囲気で助かったと思ってしまった。


「ありがとう。今日は楽しかった」


「俺もすごい楽しかったです」


 言葉とは裏腹に駅についても気まずさの残り香がした。今朝顔を合わせたときのような緊張感があった。


「じゃあ、また」


 私が小さく手を振ると、彼は軽く会釈した。



 私は今日、美玖と過ごした思い出を祐樹くんとの思い出で塗り替えてしまおうと思った。


 今日一日、一緒にいて楽しかった。祐樹くんのおかげで久しぶりにあんなに笑えた。


 だけど祐樹くんの唇が近づいたあの時、瞼の裏に美玖の姿が浮かんでしまった。 



 観覧車から見下げた思い出は祐樹くんとのものではなかった。ジェットコースターもコーヒーカップも、お化け屋敷もチュロスを買った屋台も一緒に食べたテーブルにもそこにいるのは美玖だった。


 唇を重ねる想像をしてもやはり私は美玖を浮かべてしまう。

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