好み
週の真ん中である水曜日。図書委員の仕事もない虎太郎は、水曜日が一番嫌いだった。これから後二日も学校に来なければならないのだから。
「それ! 今週のマガジンじゃん!」
ジャンプの次はマガジンか。中学生は毎週二つも楽しみがあって羨ましい限りだ。と虎太郎は自分のことは棚に上げて心の中でそう思っていた。
「おお! 見ろよこれ!」
と、朝から国分の元(他人の席)に集まる男子たちから控えめの歓声が上がる。大方の予想がついた虎太郎は我関せずと言った顔で瞑目する。
「秋山! お前もこっち来いよ!」
「……いや、」
「なら俺がそっちに行く!」
国分に突然呼ばれた虎太郎は遠慮してみせるが、遠慮とか謙遜とかお世辞とか社交辞令とかが分からないタイプの国分は、マガジンと男子を引き連れ虎太郎の席へやってきてしまった。
「誰が一番好みかを指差すんだ。秋山もな!」
国分は巻頭のカラーページを開く。そこには水着姿のアイドルが七人ほど映っていた。それぞれ綺麗な体を防御力のなさそうな布一枚で覆っている。
「やっぱりアイドルは違うな。このクラスだと玲那くらいじゃね?」
国分の見立て通り、身近でアイドルになれる逸材は玲那だけだろう。残酷な事実だが、事実は時に人を傷つけることを知らない。
「どれも同じに見えるけど」
「秋山、さてはむっつりだな?」
「なっ!?」
国分の指摘で周りの男子からも「むっつり〜」と弄られる虎太郎。
「行くぞ、せーの!」
国分の音頭で男子が一斉に雑誌へ指を刺す。
「おいおい、秋山〜」
「やっぱりむっつりだったか?」
言い表しようのない羞恥心に襲われた虎太郎は反論の言葉が喉から出ていかず、指を机の下で立てている。
「もうちょっと、よく見てから……」
「おお! よく見ろよく見ろ!」
なんとか苦し紛れの言い訳を吐いた虎太郎は雑誌を穴が開くほど見つめる。正直、どれも同じに見えているというのは本音だった。アイドルになれるくらいだからそれなりに顔はいい。選ぶとしたら体の好みになってしまう。
「ていうか、今思い出したんだけど、せーのって、イタリア語でおっぱいって意味らしいぜ」
「おっぱ……」
虎太郎の目がアイドルの胸元に吸い寄せられる。
「じゃあ、今度は顔じゃなくておっぱいで決めようぜ!」
(教室で、それも俺を中心にして大きな声を出すな!)
恥ずかしさやら苛立ちやらで考えがまとまらない虎太郎は、考えることをやめた。
「決まったか?」
そんな虎太郎の様子を見た国分が何かを感じ取り、再び男子へ問いかける。
「一番好きなおっぱいは?」
「せーの!」(虎太郎のみ)
目を瞑っていた虎太郎は気づかなかった。教室内にいる女子たちの冷たい視線に。汚物でも見るかのような冷め切った視線と、「黙れよ」とでも言いたげな表情。
そして、雑誌へ伸びる男子たちの手。その目の前を一人の女子が通過する。虎太郎の机を凝視するのは、玲那だ。
「あ……」
軽蔑するかのような恐ろしく冷たい目だ。こんな顔をする玲那を虎太郎は見たことがなかった。
虎太郎は慌ててその手を引っ込める。
「おー、秋山はこういうタイプが好みなんだな!」
「いや、違っ、くはない、か……」
何を否定することがあるのか。直感的に選んだのだから好みであることに変わりはない。
「ていうか、裏切った?」
「悪い悪い!」
女子の様子に気づいていた男子たちは、口々に謝罪の言葉を残して虎太郎の席から解散する。
被害を受けた虎太郎は自省し先ほどの行動を思い返す。もっと上手いやり方があったのではないかと。玲那に毒されたかと虎太郎は彼女を睨みつける。
玲那は女子の群れにいながら、本を開いていた。
翌日、委員の当番で図書室に逃げ込んだ虎太郎は、言い表しようのない気まずさにみを縮こまらせていた。
(なんでいるんだ)
隣にはいつものように玲那が座っている。いつもと違うことと言えば、全然口をきかず黙々と本を読んでいる。
心に霧がかかったような気分に陥った虎太郎は、何か言うべきかと口を開いては閉じを繰り返す。
「読み終わった!」
「うぉ、急にでかい声出すなよ」
「ごめんごめん」
集中していただけだったようで、本を閉じた玲那は満足げな表情で頷いた。
「次は何読もうかな〜」
玲那はそう言いながらも動く様子はなく、じっと虎太郎の顔を見つめている。おすすめを紹介しろという意味かと解釈した虎太郎は、図書室にある本で玲那のお眼鏡に叶う物を考える。
「秋山はさ、おっ……胸が大きい女の子の方が好き?」
「ぐふっ!?」
唐突な問いかけに思わず吹き出す虎太郎。
「(あの一瞬で見てたのかよ。てか違うし)その、黒髪と清楚な感じが……」
「ふーん」
不貞腐れたような玲那は素っ気ない返事をする。そっぽを向いてしまい、虎太郎はなぜそんな反応をされるのかが分からず困惑する。
「秋山は黒髪で清楚な子が好きなの?」
「よく分からない。人を好きになったことないし」
「見た目の好みとかもないの?」
「似合ってればなんでもいいんじゃないか?」
「ふーん……ふーん……」
「なんだよ」
「別に! つまんないと思っただけ!」
餅のように顔を膨らませる玲那は次なる本を求めて文庫本コーナーへと足を向ける。
「ねえ、おすすめは?」
虎太郎の方を振り返る玲那はまた表情を変えて、彼を見つめ手招きしている。
「あ、マガジンは読まない!」
(その話題出すのか……)
ピシリと指を立てた玲那は、ムッと眉間に皺を寄せている。虎太郎もそこまで馬鹿じゃないし、図書室にマガジンは置いていない。
呼ばれた虎太郎は徐に立ち上がって玲那の隣に並んだ。本棚の上から下までゆっくりと目線を動かして、おすすめの本を取る。
「ミステリーは好き?」
「うーん、ドラマなら見るよ!」
「なら大丈夫か」
呟きながら本を手渡す。それを卒業証書のように受け取った玲那は、大事なもののように本を抱えた。
「読み終わったら感想言うね!」
「ああ」
楽しげな玲那は軽い足取りで彼女の席へと戻っていく。