GWは図書館で
四月の終わりを告げるビッグイベント、GW。学生にとっては嬉しい連休を、虎太郎は図書館へ通い詰めていた。
多賀城にあるお洒落な市立図書館。駅から近い場所にあり仙台駅からも三十分で行ける好立地だ。一階にはスタバなどの飲食スペースもあり、時間を潰すには最適な空間だ。街のスタバは敷居が高いが、ここのスタバだけは虎太郎でも利用できる。
普段は無駄遣いなどしない虎太郎だが、今日は少し贅沢をしてスタバでホワイトモカを注文する。
背中にミッキーがプリントされた白いTシャツに黒いハーフパンツ。足元はシューズタイプのサンダルで、少しだけ厚底になっている。低身長を地味に気にしている虎太郎のわずかな抵抗だ。頭には熱中症予防でバケットハットを被り、仕上げに丸縁の伊達メガネをかけ休日スタイルの完成だ。
学校で生活している虎太郎の面影はなく、誰がどう見てもよくいるモブっぽい中学生だ。服は中学生らしくチープな感じで、ブランドものなどは一つも身につけていない。
大きなガラス窓から陽の光が差し込み、館内はそれなりに人の往来がある。日光に当たらない席に腰掛けて虎太郎は本を片手にホワイトモカを楽しむ。気分はさながら文系大学の爽やか系男子学生。
カッコつけて足を組んでみたりするが、すぐに落ち着かなくなり姿勢を正す。
「あれ? 秋山じゃーん」
虎太郎は微動だにしない。たまたま同じ苗字の人間が近くにいたのだろう。そもそも虎太郎には休日に声を掛け合うような知り合いはいない。
「秋山? え、人違い?」
何やら慌てている様子。虎太郎はちらりと目線だけを聞いたことのある声がする方へ向ける。
「やっぱり秋山じゃん! よっ!」
「……神谷、とぉ、その他の方々も」
「その他って言ったぞこいつ」
柚葉がぴくりと反応し、虎太郎は瞬時に首を縮こまらせる。亀のようだ。
「秋山くんは、人の名前を覚えるのが苦手なんだよ。きっと」
樽沢がすかさずフォローして事なきを得る。柚葉は樽沢の言葉に「なるほどね」と納得したように呟いた。
「秋山はここで何してるの?」
「見ての通り読書だよ」
「本好きだね〜。私たちはGWの宿題やりに来た!」
玲那は言いながら虎太郎の隣の席へ荷物を置く。それに合わせて残りの二人も……
「あれ、もう一人は?」
いつも玲那の後ろで彼女の頭を撫でている少女、笹塚京の姿が見つからず虎太郎は思わず問うた。
「京ちゃん? 今日はバド部練習試合なんだって」
「ほーん」
聞いておきながら返答に困った虎太郎は楽器の名前を言っておく。
常に四人で行動しているスクアッド部隊か何かだと思っていた虎太郎は、そんなこともあるんだなーと他人事のように考えていた。
「秋山が臨時メンバーだね」
「は? いやいや……」
「冗談冗談! 読書の邪魔はしないから」
玲那は笑いながら財布を取り出しスタバの方へパタパタ早歩きで去っていく。三人がいなくなったのを見計らって虎太郎はテキパキ荷物をまとめ出す。
「忘れ物―……あれ、帰るの?」
と、小柄女子の樽沢が席へ戻ってきた。中腰で本とカフェモカのカップを持っている虎太郎を見て一言だけ溢した。
「あー……いや、お手洗いに……」
「じゃ、荷物見といてあげる」
「お、あぁ、どうも……(帰りづれぇぇぇぇ!)」
樽沢の気遣いを無碍にするわけにもいかず虎太郎は席に荷物を残してトイレへと足早に向かう。担保、もしくは人質を取られた気分の虎太郎はなんとか穏便にやり過ごせないかと方法を考える。
(あいつら、人の休暇を……くっ、俺への嫌がらせか?)
トイレでなんとか気持ちにリセットをかけ虎太郎は席へ戻る。すると、既に玲那たちが買い物を終え、机の上にプリントやら文房具を広げているところだった。
どうやら真面目に宿題に取り組むらしい。
「なんで帽子被ってるの? 最初誰だか分からなかったよ」
「……熱中症対策(誰だか分からないために被ってるからな)」
虎太郎は言いながら帽子を目深に被り直す。これ以上クラスメイトなどに見つかるわけにはいかない。休日に玲那たちのグループと一緒にいたなどと知られれば、嫉妬や羨望の感情からいらぬ攻撃を受ける可能性もある。
「てか眼鏡! それ度入ってるの?」
「いや、伊達……」
「へ〜、似合うじゃん」
(何目線?)
虎太郎は答えながら本を開き直す。玲那以外の二人はペンを走らせ宿題に取り掛かっているというのに、玲那は未だ手をつける様子がない。くるくるとペンを回して手持ち無沙汰にしている。
「ゆず、英語のプリント写させて」
「愛羽〜、ちょっとは自分で考えな〜?」
「めんどくさい……玲那、国語のプリント見せて」
「え、私がやってるわけないよ〜」
「やっぱりかぁ……」
(なんだこのユル空間は)
虎太郎はひっそり耳を傾けていた。
小柄なツインテ女子の樽沢は完全に他力本願で、二人の宿題を写す気しかない。
「ほら」
と、母親のように樽沢を窘めていた柚葉がそっと英語のプリントを差し出した。
「わーい、ゆず大好き」
「わ、私は!?」
「玲那も大好きだよ」
(なんだこの百合空間は)
虎太郎は盗み聞きしていることに罪悪感を覚え、意識をリセットするようにカフェモカを口へ運んだ。
「秋山は宿題やった?」
「当たり前だ」
「ほんと!? ちょっと見せてほしいなぁ……なんて」
「今は手元にない」
「そっかー、残念」
それから玲那も少しずつプリントへ手をつけ……
「秋山、これ見て!」
(全然勉強しねえじゃねえか!)
玲那はスマホの画面を虎太郎の方へ向けている。そこにはショート動画で動物の珍行動が映っていた。
「そっちで共有したらいいんじゃ……?」
「柚たちは勉強中だから」
(俺の邪魔ならいいとでも?)
とは言葉に出せず、虎太郎は本から目を離す。
「玲那、秋山だって読書中なんだから邪魔しないの」
「はーい……」
困った様子の虎太郎を見かねてか、柚葉が母親のように玲那を注意した。少しだけ不満げな返事をする玲那も、虎太郎へちょっかいを出すのをやめ集中して宿題に取り込み始めた。
ようやく落ち着いたかと虎太郎もすっかり本の世界にのめり込んでしまい、気づけば日が傾き始めていた。小説を一冊読み切り、満足感に浸る虎太郎は余韻を堪能するように目を瞑る。
「秋山ももう帰る?」
余韻台無し。
「あー、そうだな。いい時間だし帰るわ。じゃ」
「待て待て! みんなで一緒に帰ろうよ。どうせ同じ電車でしょ」
「あー、そうだね……」
乗り気じゃないが、それを悟られてはいけない。「私たちと一緒に帰るのが嫌なのか? ああん?」的な展開になっては目も当てられない。虎太郎は努めて平静を装い荷物をまとめる。
(まだ帰る準備できてないじゃねえか)
せっせと帰り支度を済ませた玲那たちと共に図書館を後にする。三人の後ろを違和感のない程度に距離を空けてピクミンのようについて行く。
「秋山! 家帰ったらでいいからさ、数学の宿題見せてくれない?」
(終わってないのかよ……)
玲那たちが図書館で作業していたのは三時間ほどだ。玲那と樽沢はほとんど写すだけの作業だったが、途中でスマホを触ったり絵しりとりを始めたりでさほど進まなかった。
「いい?」
「あー、わかった。了解」
それから家の最寄駅まで女子たちは会話に花を咲かせ、虎太郎は赤の他人に見えるように気配を消していた。
「私こっちだ! じゃあね二人とも!」
最寄駅の改札を抜け柚葉と樽沢は右へ、玲那と虎太郎は左へ別れる。
「秋山もこっちの方なの?」
「あー、うん」
虎太郎は適当に返しながら空を見上げた。
西の空に日が入りかけ東の空からは夜が迫っている。仙台の空はあまり星が映らない。東北唯一と言っていい都会で、地上の明かりが星の光を霞めさせている。
「そうだ! 秋山のライン知らない! ラインやってる?」
「あー、一応?」
「なら交換しよ! 宿題の画像送ってもらわないと!」
虎太郎は逡巡ののち、パチクリと瞬きを数回繰り返し黙ってスマホを取り出した。断る理由がない。断れる理由がない。
虎太郎が慣れない機能を使うのに苦戦していると、横から玲那が彼の手元を覗き込み優しく手解きする。
「ここ押して、私のQRコード読み取って」
「さすがにそれくらい分かる」
馬鹿にされていると思った虎太郎はムッとした表情を浮かべながらコードを読み取る。すると、画面に猫のアイコンが表示された。
「私んちの猫。ウサギって名前なんだよ! 可愛いでしょ!」
「ややこしいな!」
玲那は楽しげに画像フォルダを漁り、茶トラ猫のウサギの写真を見せびらかす。
「どれどれ、秋山のアイコンは〜?」
先ほど追加されたばかりの虎太郎のラインを開く。丸いアイコンの中にはマロ眉毛の黒い柴犬が写っていた。
「めっっちゃ可愛い! 秋山んちのワンちゃん!?」
「……まぁ」
「今度会ってみたいなぁ」
「気が向いたら、」
「ほんとっ!?」
食い気味な玲那に若干身を引きながらも虎太郎は小さく頷いた。果たして気が向くことはあるのだろうか。
「ていうか秋山、ラインの友達少なすぎだよ! 一桁って」
「いいだろ別に。大事なのは数じゃない、質だ」
「へぇ〜、秋山にとっての友達って誰?」
「……いない。ラインは家族だけだ」
「なんか、ごめん……」
「謝るなよ」
虎太郎は虚しい気持ちを抱えて黙り込む。玲那も少し気まずそうにして、一瞬だけ沈黙が生まれた。
「あきや──」
「俺の家ここだから」
「うぇ!?」
いつの間にか虎太郎の自宅前に着いてしまい、鞄からガチャガチャと鍵を取り出した。
「秋山、またね!」
「おう、また」
「あと、プリントの写真よろしくね!」
虎太郎は片手を小さく上げて家の中へと入っていく。
その背中が見えなくなるまで手を振っていた玲那は愉快げな笑顔を浮かべスキップでその場を離れていく。
そんな玲那の後ろ姿をじっと見つめる二つの人と柴犬の影が、秋山の家へと入っていった。
「姉ちゃん、おかえり」