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世界は思ったより悪くない

『周りを見た方がいい』


 という玲那の言葉が、あれから虎太郎の胸に引っかかっていた。

 周りを見たって何も変わらない。周囲は虎太郎に無関心。虎太郎も周囲に無関心。

 きっと周囲の人間は、心のどこかで虎太郎を嫌っている。嫌いだから関わらないのだ。今どきは嫌いだからいじめるという時代じゃない。

 無関心でいられるより嫌われた方が良いという人間がいるが、虎太郎においては無関心で良い。嫌われて誰かとぶつかって傷つくよりも、初めから期待なんかしないで生きていきたい。


「虎太郎、貧乏ゆすり激しいぞ」

「あぁ、ごめん」


 虎太郎の姉、琴音はリビングのソファで小説を読んでいる彼の足を突いて指摘した。


「なんかあった?」

「別に……」

「思春期かよこのやろ〜、ウェイウェイ」

「大学生ノリうざ……」


 指でつんつこされる虎太郎は本を閉じる。


「姉ちゃんは、何考えて生きてる?」

「なんだその質問!」


 琴音は茶化すように笑うが、すぐに真面目に考える素振りを見せる。年が五つ離れた可愛い弟からの問いだ。真面目に答える以外の選択肢はない。思春期で反抗期真っ只中でこうして話してくれるのは姉冥利に尽きる。


「私は、恥をかかない程度に卒なくこなすことを考えてるかな」

「ふーん」

「まあ、たまーに、ごくたまに大失敗することもあるけど、それは後で笑い話にする。ただでは転ばん!」

「どんな失敗したの?」

「この前新歓のサークル飲み会で、一年生にゲロぶっかけた」

「かわいそうに。てか姉ちゃん未成年じゃ……」

「時効時効! 私みたいにはなるなよ、弟!」


 死んでもならない。とは口には出さなかった。やはり姉弟だからか、琴音の考え方は虎太郎と似たり寄ったりなものだった。


(てか、ちょっとした恥なんてもんじゃねえな)


 琴音のゲロ話を思い出した虎太郎は、自身の姉が外では予想以上にはっちゃけているのを想像して身震いする。琴音と並んで外を歩けない。琴音の友人に遭遇しようものなら(あ、ゲロの弟)と思われる可能性が大だ。


「姉ちゃん、ゲロは人にかけるな」

「分かってるよぉ! もうしないって!」

「そして俺にも近寄るな」

「そんなに!?」


 缶チューハイを片手に持つ姉を避けるように、虎太郎はソファから立ち上がり自室へ戻る。


「今日は吐くほど飲んでないぞー!」


 琴音の主張が虚しくリビングに響いた。



(周りを見るってなんだ?)


 翌朝。疑問を引きずったままの虎太郎は、若干隈ができた目で周囲を確認する。いつも登下校で通る道。他にも学生やスーツ姿のサラリーマンが忙しなく歩いている。

 校門を過ぎると、同じ箱庭に通う学生たちしかいなくなる。

 変わり映えのしない景色。無色透明で線画のような世界。そこで虎太郎はふと気づく。褪せた世界の中ではっきりと、自己主張の強い色を放つ人間がいることを。


(神谷はどこにいても分かりやすいな。存在がうるさい)


 虎太郎は玲那に見つからないよう道の端を行く。校門から校舎まではすぐだ。幸いにも玲那は虎太郎の前方を歩いている。


「……げっ」

「あっ」


 と、虎太郎の視線を感じ取ったのか玲那が不意に振り返った。そのおかげで、玲那を眺めていた虎太郎と目が合う。


「なんか視線を感じると思ったら、秋山かぁ」

「別に見てない」

「ほんとかなぁ?」


 ニンマリとした揶揄うような笑みを隠そうともしない玲那は、虎太郎が横に並ぶのを待ち共に昇降口へと入っていく。

 虎太郎は玲那より半歩遅れてついていく。たまたまクラスメイトと同じタイミングで入ってきたという体を装うためだ。


「なんか眠たげだね」

「……別に」


 虎太郎は玲那の方など見向きもせず周囲に意識を向けている。誰かに見られていないか、誰かに馬鹿にされてはいないか。そんな思考が虎太郎の警戒心を刺激する。


「なにキョロキョロしてんだよ〜、ういうい」

「……やめろ」


 落ち着きのない虎太郎の頬を玲那は人差し指でつつく。ジト目でそれを睨みつける虎太郎に対して、「やっとこっち見た」と玲那は嬉しそうに微笑んだ。


「落ち着きがないね。何かあった?」

「別に。ただ、俺なんかと一緒にいるところを見られたら困るだろ」

「なんで!?」

「俺みたいな奴と仲良くしてたら、神谷の評判が落ちるだろ」

「落ちないよ!?」


 靴を履き替えた玲那は想定していない回答だったのか、「はぁ?」と眉間に皺を寄せている。


「ちょっと」


 玲那は虎太郎の腕を引っ張り下駄箱から離れて昇降口全体を眺められる位置までやってくると、虎太郎を解放してやる。


「秋山が思っているより、周りは他人のことなんか気にしてないよ。私のことも秋山のことも」


 虎太郎はその言葉の真意を掴みかねて、言われるがままなんとなく下駄箱を眺める。他クラスの生徒、別の学年の生徒。誰も二人のことなど目にも留めず自分たちの教室へ向かって歩いていく。よほど顔の広い人間でなければ、下駄箱ですれ違う一人一人を気にしている暇などないということか。


「なるほどな」


 合点がいった虎太郎はふっと笑みを溢した。


「私は別にアイドルじゃない。まあ? アイドル並みに可愛いけどね?」

「自分で言うか」


 玲那の言いたいことをようやく理解した虎太郎は胸の痞えが取れたような晴々とした表情を浮かべる。

 玲那が誰と歩いていようと、玲那が何を話していようと、友達でない赤の他人は気にしない。たとえ話し相手が虎太郎であっても、変に勘繰ったりはしない。


「神谷も大したことないんだな」

「なっ!? なんか失礼なこと言ってる! ひどいなぁ」


 玲那は頬を膨らませて虎太郎の肩を殴りつける。


「確かに、神谷の言う通りかもな。世界は思ったより悪くない」

「世界て。そんな規模の話したっけ」


 大袈裟な虎太郎の反応がおかしかったのか玲那は楽しげな笑みを浮かべると同時に、思惑通りに事が運んだことにほくそ笑む。


「これは一歩目。世界は秋山が思ってる千倍は良いもんだよ」

「それは盛ってるだろ」

「じゃあ一万倍!」

「もっと盛るな」


 玲那は「えへへ」と笑って教室へと続く階段を上がっていく。ちゃんと虎太郎がついてきているか時折確認しながら。

 教室に入ると同時に、虎太郎は我関せずといった表情で自席へ直行した。周りの人間が虎太郎を見ていないと言っても、玲那を見ていないと言ってもクラスメイトは別だ。虎太郎にとってはまだ、目立たないなら良いかと気にしない対象ではなかった。


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