告白を見守って
教室はいつだって騒がしい。図書室の静かな空間とは違い、これもまた趣がある。騒がしさが小さい己の存在をかき消してくれる気がする。時計の音が響くほどのしんとした教室で二人きり、などが一番気まずい。故に虎太郎はこの喧騒も嫌いじゃない。
「それでさ……がさ……だよね」
「お前それ最新号のジャンプじゃん! 次貸せよ!」
喧騒に飲まれる誰かの声。それを掻き消した月曜日男子の興奮する声。毎週月曜日、学校に漫画を持ってきてはいけないというルールを破り、ヒーローになろうとする男子が一人。リスクを冒してでも手に入れたいものなのか、クラスメイトからの羨望と尊敬というのは。
「あ……まがね当番かも」
「ああ……やまくんね、聞い……」
(俺の悪口か?)
自身の名前がどこかで上がったのを察した虎太郎は本を読んでいるふりをしながら耳を澄ませる。自分の話題になると地獄耳になってしまうのは思春期の性なのか、虎太郎も例外ではなく敏感になっている。いや、虎太郎の場合は他とは少し違う。悪口であろうとなんであろうと、自分が話題に上がることを避けたいのだ。話題に上がるほど注目を浴びる。誰とも関わらないことが目立たないことへの一歩なのだから。
「秋山、今日図書室の当番だよね?」
「ん?」
虎太郎は今気づいたようにして顔を上げた。そこには玲那と……
「(名前忘れた……)何か用か?」
虎太郎は名前を呼ぶくだりを省いてさっさと本題へ入らせる。
「図書室を一時的に貸し切らせてほしい!」
「……は?」
言われた言葉の意味が理解できず、咄嗟にそんな反応が口をついて出た。
(どういうことだってばよ)
全く状況を把握できず、虎太郎は玲那に説明させる。件の図書室へ向かいながら。
玲那は大仰に、かくかくしかじかウンヌンカンヌン回り道をしながら壮大に語った。
「つまり、七日市さんが告白をするから、その場所として図書室を使いたいということだな?」
「そゆこと! 飲み込み早いじゃん!」
(俺をなんだと思ってるんだ……)
玲那の冗長な話をなんとか聞き終えた虎太郎は、七日市のお願いとやらをかいつまんで一言に要約した。
漸く話の流れを理解した虎太郎は少しだけ不満げな表情を浮かべる。
「図書室は神聖な場所だ。男女が乳繰り合うための場所じゃない。変なことをしないというのなら、少しの間なら許してやろう」
「もちろん!」
七日市の表情をじっと観察した虎太郎は納得したようで、図書室の鍵を開けてやる。
「内側の札をクローズにして、二人で入れたら鍵をかけるといい」
「あ、ありがと! 秋山くん!」
「別に。図書委員の仕事をしなくて済んだからな」
そう言い残して虎太郎は図書室へ七日市を残し離れる。虎太郎の後をつける玲那は「へへへ」と笑っている。
(なんでこいつはこんなに楽しそうなんだ)
「秋山も気が使えるんだね」
「神谷は俺のことを相当低く見積もっているみたいだな。まあ、その気持ちは分からないでもないが」
「え、なんで!?」
図書室前の廊下を真っ直ぐ行き、体育館のギャラリーへと通じている階段へ腰掛ける。
玲那は先の虎太郎の発言に異を唱え彼を問い詰める。
「なんでって、見たまんまだろ」
「別に、秋山のことを下に見てるつもりはなかったよ……ごめん」
「謝るなよ……俺が悪いことしてるみたいだろ」
俯き自身の膝を見つめる玲那を見てたじろぐ虎太郎。
「秋山は、もっと周りを見た方がいいよ」
「急な説教」
「ごめん、説教なんてつもりじゃなくて! もっとこう……なんというか……」
ピンとくる言葉が思いつかないのか、玲那は云々と唸っている。
「秋山が思っている以上に、うちのクラスのみんなもこの学校も良いところだよ」
「それは、まあ、なんとなく分かる」
「ほんと!?」
「なんとなくな……」
なんとなく。抽象的で曖昧な表現。その場しのぎにはちょうどいい塩梅の便利な言葉だ。
「ちなみに、みんなの中には秋山もいるのだぜ」
「ふっ、なんだそれ」
「秋山は一人じゃないってこと」
玲那は柔らかな微笑みを浮かべて虎太郎の目を見つめた。前髪で隠れてしまい二割も表に出ていない目を。切れ長の二重だが、三白眼で目つきが悪く見える。真正面から向き合えば少しだけ相手を威嚇しているようにも見えるその目を。
「別に、一人でもいいけど」
「それは寂しいよ」
「それは神谷の思い込みだろ」
「秋山こそ、知らないから現状に満足しようとしてるんだよ。友達がいっぱいいて、話し相手がいっぱいいるの、めっっちゃ楽しんだから!」
玲那は心の底からそう思っているかのような満面の笑みを浮かべた。日の光を反射して笑顔が輝いている。まるで、ダイヤモンドダストのエフェクトでもかかっているかのように。
「あっ! もうそろそろ七日市さんの相手が図書室に来てるかも! 行かないと!」
「行かないとってなんだよ」
「何って、誰かが間違って図書室に入らないように守るんだよ」
「絶対盗み聞きしたいだけだろ」
「別に、ほんのちょっとしか思ってないから! 早く行こ!」
「俺も!?」
玲那は虎太郎の背中をバシバシ叩いて急かす。
「早くしないと、教室で秋山がみんなと友達になりたいって言いふらすぞ〜」
「悪魔か。羞恥心で死ぬわ」
「なんでそんなに嫌がるかね」
二人は早足で図書室の前まで戻ってくる。図書室の扉についている窓は曇りガラスになっており、シルエットでしか中の様子を把握できない。
玲那はそこから中の様子を覗き込む。シルエットは二つ。一つは女子の制服である紺色。もう一つは学ランの黒。確実に二人いる。
「なあ、なんで今なんだ? 時間も時期も、なんか変だろ。しかも図書室って」
「放課後は部活あるし、昼休みに人がいない場所ってここくらいしかないから。それと、二人は一年生の頃からいい感じだったらしいよ」
(だとしても、今か?)
物語の恋愛しか知らない虎太郎には七日市の心情が分からなかった。放課後の屋上だったり、お祭りで花火を眺めたりと、ロマンチックなシチュエーションが虎太郎の頭に思い浮かぶ。
「本当に好きなんだろうなぁ」
「なんで分かる?」
「きっと、思いを伝えなきゃいけない。今すぐにでも伝えたいって気持ちに駆られたんだよ。今じゃなきゃダメだって」
「ふーん……そういうもんか」
「そういうもんなの!」
理屈じゃない。虎太郎にはやはりまだ理解のできないものだった。
「あ、やばいこっち来る!」
「お、おわ……」
急に動き出した玲那に押された虎太郎はバランスを崩して転びかける。直後、ガシッと玲那に腕を組まれなんとか転ぶのは回避した。
「悪い……」
虎太郎が立ち上がったのと同時、図書室の扉が乾いた音を立てながら開いた。中から出てきた男子生徒は二人とは反対方向へと歩いていき、玲那はそれを見届け、そのまま虎太郎の腕を引き図書室へ駆け込む。
「ナノカちゃん!」
玲那は図書室へ飛び込むなり、気遣わしげな表情で一人残っている七日市へと声をかけた。
「玲那ちゃん……」
頬を赤く染めた七日市は、徐に玲那の顔を見つめピースサインを前に突き出した。
「やったー! よかったじゃん!」
「めっちゃドキドキしたよぉ!」
ハイタッチの要領で手を握り合う二人はぴょんぴょんとその場で跳ね喜びを表現している。
「秋山くんも、無茶を聞いてくれてありがと」
「いや、俺は何も……」
「そういう時はどういたしましてで良いんだよ」
玲那は小恥ずかしがる虎太郎の肩をパンチしてやりながら言う。
「ど、どういたしまして」
七日市は改めて二人へお礼を告げ図書室を出て行った。残された二人はいつもの特等席へ腰を落ち着かせる。
「私も告白とかされてみたいなー」
「神谷ならいくらでもされるだろ」
「えっ!? なんで!? 秋山的にはあり的な感じ!?」
玲那は興奮した様子で虎太郎へ詰め寄る。自慢の美少女の尊顔を見せつけるように前髪を整えながら。
「いや、俺というか、男子人気高いし。この前クラスの女子で誰が良いかみたいな話をみんながしてて、名前が一番に上がってたから」
「うわー、男子ってすぐ順位とかつけたがるよね」
「仕方がない。男は競争社会に生きる動物だからな」
虎太郎が話す男子、の群れの中には当然自身のことは数えていないが、虎太郎は都合のいい時はこういう言い回しを利用する。
「みんなじゃなくて、秋山がどう思うか聞いてるんだけど」
「え……」
だが、その手が通じる相手じゃない。行動力とコミュニケーション能力に長けた玲那は持ち前の負けん気で虎太郎の逃げ道を封じる。
「お、俺は、別に……」
「ふーん……別に、ねぇ」
少しだけしょんぼりとした様子の玲那は目を伏せ分かりやすく落ち込んで見せる。長いまつ毛が艶やかに光り庇護欲をそそる。しかし、玲那のことを見ていない虎太郎には効かなかった。
「秋山のカバ、ワニ、キリン」
「…………それを言うならばか、あほ、間抜けじゃね……誰がばかだ」
「なんでこれは分かったんだ」
玲那は驚いた目で虎太郎を睨みつけた。