呼び方
制服についてやいやい言い合っていた二人は、虎太郎が本を開いたことで読書の時間へと──
「教室で面白そうな話してたね」
「……なんか話してたか?」
「コードネームの話!」
今日は読書をする気がないのか、玲那は本を出してすらいない。代わりに椅子ごと体を虎太郎の方に向け、雑談に花を咲かせる気満々だ。
「聞いてたのか」
「だって男子の声大きいし」
午前中に行われた国分のくだらない提案を聞かれていたと思うと、少し恥ずかしい気分に陥る虎太郎だった。
「コードネームは興味ないけど、」
(興味ないのかよ……)
「あだ名なら好きだよ!」
椅子の上で肩を左右に揺らす玲那は、ぱっちり開いた可愛い目で虎太郎を見つめる。本を読もうとしていた手を止めた虎太郎は横目でチラリと確認し、諦めたように栞を本へ挟んだ。玲那の醸し出す空気に根負けした。
小さく息を吐き出し顔だけを玲那の方に向ける。すると、玲那は嬉しそうに微笑んで話を続けた。
「私、あだ名で呼ばれること全然なくて、ちょっと憧れてるんだ」
「へー」
「基本苗字で呼ばれるし、仲がいい柚たちでも下の名前であだ名じゃないんだ」
「そうなのか」
なんて返すべきなのか。正しい回答が分からない虎太郎は適当な相槌を打つ。
(俺なんかに聞いても無駄なのは明らかだろ……)
「秋山は、虎太郎だからコタ? とかかな?」
「……家では、そう呼ばれることもある」
虎太郎のあだ名を考え始めた玲那に、家で耳にする名で呼ばれどきりとする。自分だけの図書室、家とも教室とも違う特別な空間に突如自宅の空気が紛れ込んだ気分になり、一瞬気が抜けそうになった。
「他にはぁ……とらとか?」
「トラはちょっと……いかつすぎる」
「トラじゃなくて、とら! らが上がるの。寅さんと同じイントネーションだよ」
「細か……」
謎のこだわりを見せる玲那からわずかに身を引く。
そんな虎太郎の様子に気づかない玲那は細く綺麗な顎に手を当て考え込んでいる。思わず繋ぎたくなってしまう不思議な魅力に取り憑かれそうになり、虎太郎はふいと顔を逸らした。
「アッキーとか山ちゃんとかはどう?」
「どうって言われても……」
「良くないかぁ」
「良くないというか、アッキーはありきたりだし、山ちゃんはもっと適任のやつがいるでしょ。山崎とか」
「山崎は、ザキヤマでしょ!」
「いや、まぁ……」
玲那の指摘を受け、クラスメイトの山崎を思い浮かべた虎太郎は納得して頷いた。顎の割れたひょうきん者で、第二のムードメーカーだ。喋り過ぎでよく怒られている。
「やっぱりコタかぁ」
「コタはちょっと……」
「え、なんで?」
「実家感が出て、気が緩むからダメだ」
「なにそれ!」
断る理由がツボに入ったのか、玲那は吹き出して笑った。綺麗な二重がきゅっと細められ垂れ気味になる。
玲那はよく笑う女の子だが、至近距離でその笑顔を浴びることになった虎太郎は陽光の如き眩しさに目を細めた。
「……ふぅ」
ひとしきり笑った玲那は少し疲れたような息を吐いてから虎太郎へ再び話を振る。
「私のあだ名考えてよ」
「……俺が?」
「そう」
つぶらな瞳で見つめてくる玲那の視線を躱すように背もたれへ体重を預ける虎太郎だが、玲那のメデューサの如くしつこい視線から逃れられるはずもなく、その姿勢のまま返答する。
「れ──」
「レナは結構呼ばれるからなしね。それ以外でお願いします!」
先手を取られ一投目を封じられた虎太郎は、出しかけた言葉を喉に詰まらせ咽せる。
「れ……」
「れ?」
「レイ……いや、かみやんとかどうだろうか。呼びやすいしちゃんと名前から取ってるし音もいい感じだろ。うん、我ながらいい案だと思う」
「めっちゃ早口……」
下の名前で呼ぶにはハードルが高い。恐れ多くすら思う。虎太郎には出かけた言葉を早口で掻き消すことしかできないかった。当然、玲那はその様子に不服そうな表情を浮かべている。
「かみやん、可愛くない。却下」
「さいですか……」
「もっと可愛いあだ名考えて」
(そんなこと言われても……)
と、愚痴や文句を零しそうになるが、漏らしかけた言葉は音にせずため息で吐き出した。
「下の名前で十分いいと思うけど……」
「……ふぇ!?」
不意に褒められた玲那は予期せぬ返答に顔を赤く染める。耳まで紅潮しているが、幸か不幸か、虎太郎は先ほどから玲那を見ないようにしているため気づいていない。マジシャンの如き早業で表情を整えた玲那は、それでも漏れ出る笑みを隠しきれずふやけた顔で虎太郎を見つめる。
「わ、私も、虎太郎っていい名前だと思う! かっこいい」
「そうか?」
「うん!」
名は体を表す。とはよく言うが、果たして虎太郎が虎になれる日は来るのだろうか。
虎太郎自身は自分の名前を気に入っていないようだが、玲那の肯定的な反応を受け、今のうちだけは納得することにして玲那の言葉を素直に受け止めた。




