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夕方のお散歩

 日曜日の夕方。虎太郎は愛犬のマユゲを連れ散歩に出た。黒い体毛に覆われ、額に茶色いマロ眉毛を生やした愛くるしい柴犬のマユゲは、ご機嫌そうに尻尾を振って虎太郎の前を歩く。数歩歩いては振り返り、虎太郎がちゃんとついて来ているかを確認している。


(可愛いやつめ)


 小さい体でリードを引っ張る様は、動物園で目的の檻に向かい親の手を引く三歳児のようだが、生憎、虎太郎は子供が苦手なため微塵もそんな感想は抱かない。

 五月中旬の夕方は暗くなるのも遅くなりだし、そのおかげで日中の暑さがまだ尾を引いている。

 楽天球場を抜けて仙台駅に向かう一本道。途中にある榴岡公園が眉毛と虎太郎の散歩コースになっている。四月中は公園内に植えられた桜が花を咲かせるため、花見客で賑わう大きな公園で、一ヶ月間桜祭りが開かれ出店も並ぶ。

 今は桜も散りただの公園と化しており、人の姿はまばらだ。もう少し遅い時間になると、やんちゃな青年たちが出没するようになる。噴水がある一角ではスケートボードを走らせる青年が数人。当然、虎太郎はそこを避けて歩く。榴岡公園内はスケートボードは禁止のはずである。

 カールのかかったマユゲのプリチーな尻尾を眺めながら歩いていると、


「秋山?」


 マユゲがすれ違う人顔をじっと見つめている顔と思うと、次の瞬間に声をかけられた。聞き覚えのある女子の声に、虎太郎は足を止め顔を上げた。


「……神谷」

「やっほー! 偶然!」


 そこには私服姿の玲那が嬉しそうな笑みを浮かべて立っていた。虎太郎が「なんでこんなところに」と疑問に思ったのも束の間、玲那はその場に屈み込んでマユゲを撫で回し始めた。


「可愛い〜! 名前なんて言うの?」


 わしゃわしゃと激しいスキンシップにマユゲも嬉しそうに尻尾を振っている。


「マユゲ」

「マユゲか〜。確かに綺麗な眉毛はやしてるもんね!」


 玲那は言いながら、目の上にある茶毛のマロ眉毛を人差し指で優しく撫でる。


「マユゲ、お座り!」


 玲那がマユゲに命令を下すと、大人しくお座りをするマユゲ。お利口な様子に興奮した玲那は「えらいね〜!」と、両手でマユゲの頬を挟むように撫で繰り回す。そのままお手や伏せも試すが、基本的なことは対応できるマユゲは見事に玲那の期待に応えて見せた。


「すごいお利口だね」

「姉がな、色々仕込んでた」

「でも、誰が言っても聞くのすごいね!」

「それは確かに。えらいかも」


 虎太郎は玲那と同じように屈んでマユゲの頭を撫でてやる。


「ねえ、私も一緒に散歩してもいい?」

「あー……俺は別に、いいけど。そっちは、何か予定とかは?」

「もう終わって帰るところ!」


 見るからにお出かけと分かるおしゃれな格好。今日は気温も高いため、半袖のTシャツに黒いショートパンツと、涼しげな服装だ。


「映画、見てきたんだ! いいでしょ〜」

「ほお」

「コナン見てきたの」

「へえ〜」

「……反応がすごい淡白なんだけど」

「……ごめん」


 二人揃って立ち上がり公園の出口へ向かって行く最中、上機嫌な玲那が話題を提供するが、一言しか返さない虎太郎に呆れてしまう。


「映画、秋山のこと誘ったんだけどなぁ」

「……いきなり誘われたら困る。一ヶ月前くらいには教えて欲しい」

「一ヶ月って! 夏休みじゃないんだからそんなに先の予定立てたりしてないよ!」

「そうか」

「……」


 いつもより会話に興が乗っていない虎太郎の様子を見て、玲那少しだけ俯く。彼女の視界にマユゲの可愛い後ろ脚が映り、そこで思い出したようにハッとした表情で顔を上げた。


「金曜にライン送ったのに未読だったんだけど! なんで!?」


 玲那の勢いに驚いた虎太郎は、ビクッと肩を跳ねさせる。


「あー、金曜はそのまま寝ちゃってた。悪い」

「それからライン開いてないの!?」

「まあ、基本的に連絡来ないし」

「マジか……」


 驚愕する玲那はわずかに引きながら虎太郎を見つめる。

 なんて可哀想、とでも言いたげな哀れみの視線を感じ取った虎太郎は、


(何か文句でも?)


 と心の中で玲那を睨み返す。実際に言葉に出す勇気はこれっぽっちもない。


「寝てたってのは、リアルで?」

「ん? そうだけど」

「そっか……ならいいや」

「なんだよ」


 玲那が何を疑問に思っているのか不思議な虎太郎は、歯切れの悪い彼女に怪訝な目を向ける。


「いや、寝てたって言い訳を本当の理由で使う人あんまりいないから」

「そうなの?」

「そうだよ!」


 玲那の返事に熱が入る。


「会ってから寝てたって言うのは、実際は返すのが面倒とか距離を取りたい人に使う言い訳だよ!」

「そうなの!?」


 交友関係が狭い虎太郎は、そのあたりの感覚が分からず恐々と肩を震わせる。


「自分に好意を持ってくれている男子とかに、必要以上に期待を持たせないためにも使ったりする」「……女子、怖い」


 驚きの情報に虎太郎は怯えて強張った表情を浮かべる。隣を歩く玲那はいたって真剣な様子で、それにも少し怖がるような仕草を見せた。


「秋山がそういう意味で未読無視してるのかと思ったよ」

「あー、それはないから安心しろ」

「そうなんだ!」

「他に連絡が来ないからな」

「理由が寂しい」


 懸念を虎太郎に否定された玲那はすっかり安心したような表情でふにゃりと微笑んだ。


「ねね、私にも持たせてよ」

「……どうぞ」

「やったぁ」


 虎太郎は、マユゲの首に繋がっているリードを玲那に渡す。持ち手が変わってもマユゲは変わらず二人の前を独走する。くるりと丸まった尻尾を揺らしながら上機嫌だ。玲那がリードを持っていても後ろを振り向く癖はいつも通りで、二人がついて来るのを確認している。玲那を見たかと思えば、首を逆に振って虎太郎を見る。そんな忙しないマユゲの様子に、玲那の表情は綻びっぱなしだ。

 榴岡公園を抜けサンプラザホール側にある階段を下る。数刻前よりも、太陽が稜線の向こう側へ近づいている。


「ねね、楽天球場まで競走しようよ?」

「え、なんで……」

「リレーの練習!」

「えぇ……」


 嫌そうに目を細める虎太郎だが、玲那はそんなことはお構いなしにポーズを取る。


「よーい、ドン!」

「ちょっ……」


 玲那が走り出したの見てマユゲも駆け出す。嬉しそうに尻尾をブンブンと振りながら。一拍遅れて虎太郎も彼女らの背中を追いかける。

 虎太郎は玲那の背中を捉えるが、マユゲが先頭を行くためリードで前に出られない。仕方なく玲那の隣を走る。

 二人と一匹は「はあはあ」と息を乱して一心不乱に走る。何も考えずただひたすら走る。独走状態のマユゲを追いかけて。


「ゴール!」


 およそ500メール直線の道を走り抜け、丁字路の突き当たりにある信号までやってきた玲那は声高に叫んだ。三者とも息を切らしている。


「…………長くね?」


 運動会で行われるリレーは一人100メートル。今走ってきた距離では種目が全く違う。


「まあ、いい運動になったでしょ。秋山は体力つけないと!」

(余計なお世話だ)


 キッと目を細めて恨めしそうに玲那を睨みつけるが、彼女は気づいていない。爽快な面持ちで口角を上げている。


「マユゲ君も楽しかったかな〜?」


 玲那は猫撫で声、もとい犬撫で声で、舌を出して早い呼吸をしているマユゲをわしゃわしゃしてやる。マユゲも嬉しそうに尻尾をブンブンと振っている。

 帰りは楽天球場を右に迂回していく。それがいつものルートで、マユゲが二人を先導するようにリードを引っ張る。


「走るのって楽しいね」

「……」

「秋山は好きじゃないみたいだ」

「短い距離だったらいいけど、長い距離は疲れるから嫌だ」

「ゾンビ世界になったら死んじゃうよ」


 唐突なゾンビ発言と共に、玲那は「ガオー」と言いながら襲いかかる素振りを見せる。


「(ガオーは猛獣だろ……)神谷もそう言う妄想するんだな」

「最近ウォーキングデッドを見始めたんだ。お父さんが」


 猛獣の鳴き声に内心で呆れる虎太郎は、普段ならマユゲのリードを握っている右手を手持ち無沙汰にする。


「ねえ知ってる? ゾンビって走るんだよ」

「……それは作品によるだろ」

「そうなの!?」


 驚き、目を剥く玲那は虎太郎との距離を詰める。


「走らないゾンビってどの作品に出てるの?」

「えぇ…………」


 虎太郎は今まで見たドラマや映画を思い出す。


(ゾン100、アイアムレジェンド、バイオハザード、ゾンビランド、新感染、生きている、デイブレイク……デイブレイクのゾンビは走るんだっけ? ダメだ。走るゾンビしか思いつかない)

 一時ゾンビものやパンデミック系の作品にハマり、映画やドラマを見漁っていた虎太郎は、予想以上に歩くゾンビが少ないことに気づき頭を悩ませる。


「あ、ロンドンゾンビ紀行とか」

「どんなやつ?」

「なんやかんやあって、主人公が老人ホームにいるおじいちゃんたちを助ける話。これは歩きゾンビだった」

「へえ、見てみるね!」


 るんるん気分の玲那はマユゲを連れスキップしている。ゾンビが溢れる世界になっても、彼女は生き残りそうだ。と、先を行く玲那の背中を眺めて虎太郎は思った。

 それからマユゲが満足する距離を稼ぐため、町内をぐるりと遠回りして帰路に着く。


「私も犬飼いたいけど、うちにはウサギがいるからなぁ」

「ややこしい名前の猫だ」

「可愛い名前でしょ。あ、マユゲも可愛いと思う!」


 名前を呼ばれたマユゲが興味ありげな表情で振り返った。「呼んだ!? 僕のこと呼んだ!?」とでも言っているかのような表情に、玲那の顔も綻ぶ。


「……うちのマユゲでよければ、散歩の時くらいは会いに来てもいいぞ」


 既に虎太郎の家付近。マユゲとの別れを惜しむ玲那に同情のような気持ちを抱いた虎太郎は、言いにくそうになんとか言葉を絞り出した。

 そんな提案に、玲那は満面の笑みで食いつき「絶対だからね!」と虎太郎に念押しする。


「じゃあ、また」

「うん、また明日!」


 数段の階段を駆け上がり虎太郎は玄関の扉へ消えていく。その後ろ姿とマユゲのプリチーなお尻を見送った玲那は、るんるん気分で小走りしながら帰路につく。手に持ったスマホには、こっそり撮影した虎太郎とマユゲのツーショットが写っていた。



 マユゲの散歩を終えた虎太郎は、濡れタオルでマユゲの足裏を丁寧に拭いてやる。室内飼いのマユゲは大人しく足を差し出しされるがまま。そのドヤ顔は下僕に足を磨かせる君主のようだ。


「久しぶりに走ったらちょっとスッキリしたな〜。ありがとうな、マユゲ」


 虎太郎の謝意へ答えるかのように鼻を鳴らすマユゲは、足を拭き終わったのを見て颯爽と家の中へ戻っていった。



 後日。


「神谷からライン返ってっきたんだけどさ、あいつ寝るの早いんだな」


 国分がスマホの画面を見せながら自慢するように言う。画面には玲那からの返信が『ごめん、寝てたー』と表示されている。


(……ドンマイ国分)


 玲那とのやりとりを思い出した虎太郎は、心の中で国分に向けて手を合わせた。

 国分は、ついこの間に虎太郎が失った純粋さを未だ持ち続けている。


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