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5.訪問者はお金をちらつかせた

 

 突然の訪問者に驚きながら、おそるおそる茶を差し出した。

 毒見ののち、優雅な所作でカップを持つ黒髪の男。

 見た目は裕福な貴族という出で立ちであり、それだけでも気後れするのだが、とにもかくにも初手の自己紹介が効いていた。


「ええと、その、トランブールの王子様?」


 それが一体何の用だと言うの。


 真っ先に偽物を疑ったけれど、そもそもこんな庶民の工房に大層な嘘を吐いてまで近づいてくる理由が見当たらない。貴族であっても十分畏まる対象だ。聞いたことのない貴族名をでっち上げた方がよっぽど足が付かないと思われた。


 が、しかし、目の前の男が堂々名乗ったのは、新聞でも取り上げられる同盟国の王子ジールである。

 ジールといえば、自国レイラントの第一王子殿下アレンとも仲が良いと評判の美男子だ。そのため肖像画が新聞に載れば、いつもより多く刷った新聞であっても瞬く間に完売するという有名人だった。

 そして、見れば見るほど、その肖像画によく似ている。


 騙すのであれば、なぜジールを選んだのか。

 はたまた本物だとすれば何が目的なのか。

 さっぱりとわからないフレイはただただジール(と名乗った男)の挙動を見守っていた。


「うーん、警戒するのはわかるが……。ここはフレイ嬢の工房だろう? ここには仕事の依頼に来たんだ」

「……仕事、ですか」


 訝しむように眉を顰めたフレイに説明をすることなく、ジールは喉を鳴らした。


「まだ詳細を話すことはできないんだ、悪いね。君が受けてくれるというならもちろん話そう。ただ、こちらも極秘に動いている。安易には話せることじゃない。どうかな、受けてもらえるだろうか」


 同意を求められるが、一切の説明がない。

 畏れ多くもフレイはあからさまに眉を下げた。


「……大変恐縮ですが、仕事の内容をお聞きしないことにはなんとも申し上げられませんとしか……そもそも私の工房でできるような仕事なのかどうか。王子様のご期待に添えるような仕事ができるとはあまり思えませんし」


 謙遜ではなく、心から思う。

 王宮の中のほうがよっぽど知識も経験も技術もある人間がいるはずだ。


「はは、何を言うかと思えば。君の力が多くの人の転換点となっていることを知っているぞ。まさか”真実の愛”を嘘から作り出す人間がいるとは思わなかった」

「……! まさか咎めに?」


 ”真実の愛”が蔓延したこの世の中。火のないところに煙は立たず。もちろんきっかけがあった。

 本当の”真実の愛”の物語が実際にあったのだ。その物語は大きく取り上げられ、演劇や小説、絵本に唄にいたるまで、あらゆるところで脚色されて伝え広がった。

 そのきっかけこそ、トランブール国の王族による愛の物語だった。


 “真実の愛”はトランブール国から広まった。それを鎮静化することなく、他国にまで流出するほどだ。

 トランブール国の王族が、その物語が広まることを良しとしたからこその広まりようである。


(まさか、トランブールを侮辱されたとか愛を食い物にしてるとか言われるのかしら)


 表情が張り付いたフレイを面白がるように、ジールは鼻で笑った。


「まさか! そんなことはしない。面白いなと思っていたんだ。実は君に依頼したいのもその件」

「……ああ、それで……」


 いろいろな事業に手と足を突っ込んでいるフレイだから、どんな仕事なのかわからなかった。

 だが“真実の愛”関係と言われると、すっと胸に落ちる。同様の仕事をしているところはきっと他に無いだろうから。


「それで、受けてくれるかな」


 たっぷりと十数秒口籠ったのち、フレイは首を振った。


「…………いいえ。お引き受けすることはできません」


 背後からケビンの驚く気配を感じた。

 王族からの依頼を断ることは、どの商会にとってもリスクが高いことだからだ。

 気に入らない商会など簡単に潰せるのが王族であり、隣国とはいえど同盟国の縁がそれを可能にする。


 真一文字に結んだ口を変えることなく、再び十数秒、ジールと向かい合っていた。

 こんなとき、真剣な顔の美男子ほど恐怖を覚えるものはない。内心びくびくしているのをおそらくケビンは感じ取っているだろう。


 長く感じられた沈黙は、ジールの吐息で破られた。


「──うん。想定内。でも俺も譲れないんだ。……聞いたところによると、君は何よりお金が好きなんでしょう。報酬はもちろん弾むし、なんなら言い値で支払おう。これくらいでどうだい」


 さらさらと紙にペンを走らせて、ジールはそれを寄越して見せた。

 覗き込んだフレイは固まった。ついでに背後のケビンも固まった。


(なに、これ。見たことのない金額なんだけど……!)


 一年は楽に生活できるほどの金額だ。これだけあれば親の借金はおろか、ケビンの給料一年分も賄える。


 怖い、と思った。

 上手い話には必ず裏があるものだ。


 けれど身体は引き寄せられるように紙へと近づく。

 見たことのない数字の羅列を睨みながら、絞り出す。


「……私、下調べは入念にしているんです。もしトラブルが起きたら困りますし、巻き込まれるのも嫌ですし、犯罪に使われてしまったら責任も負えませんし……」

「ああ、ある程度君のことは調べさせてもらったから、知ってるさ」

「……ですから、本当に、申し訳ないですが、何もわからないお仕事はお断りするしかないのです」


 苦渋に顔を歪めてのお断りだが、ジールは依然王子たる顔で頷いた。


「はは、助かるよ。期待している」


 フレイは小さく首を傾げて、少し合わないジールの視線を追う。徐々に視線を下ろせば、先にあったのはフレイの手。


 お金の威力とは恐ろしいもので。

 気づけば大金が記された紙切れを握りしめていた。

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