どうか幸せになってください
とある夏。公園の芝生でブルーシートを広げ、弁当を食べている三人家族がいた。
父親は幼い娘を楽しませようと、テンションを上げて話しかける。
「ほら、タコさんウインナー! 早希これ好きだろ? 」
タコさんウインナーを箸で掴み、早希に見せた。
「うん! 早希、タコさんウインナー大好き! 」
早希は満面の笑みでそう答えた。
「お父さんとタコさんウインナーだったら、どっちがすき? 」
「お父さん! 」
「早希は本当にいい子に育ったなぁ」
天使の様な笑顔で早希がそう言うと、父は涙ぐみながら感心した。
「お父さん泣いてるの? 」
心配した早希が、母親に尋ねた。
「お父さんはね、嬉しくて泣いてるのよ」
母親は優しい口調でそう答えた。
「そっかぁ。タコさんウインナー、お父さんも大好きだから、嬉しくて泣いちゃったのかなぁ」
「ううん、違うと思うよ」
母親は早口で否定した。
「あぁ、俺は幸せ者だなぁ」
その言葉は、夏の大空に吸い込まれていった。
俺は、思い出していた。ぼんやりと浮かぶ、幸せな光景を。優しい過去を。
家族三人でピクニックができて、仕事も好調で、毎日が幸せで。そんな日々が、いつまでも続いて。
でもいつかは娘も結婚して、離れていって、歳も老いて。
最後は幸せがいっぱい詰まった暖かいベットの上で、沢山の愛情に包まれながら息を引き取るのだと、俺は本気で信じていた。
しかし、それが現実になることはなかった。
早希が中学一年生の頃、事故で母親が亡くなった。
しかし、悲しんでいる暇もないほど慌ただしく、時は過ぎていった。
俺は仕事が忙しく、家事があまりできなかった為、早希が代わりにしてくれることになった。
早希は放課後になると毎日早く家に帰って掃除や洗濯をした後、晩御飯の買い出しに出かけ、晩御飯を作って俺の帰りを待っててくれる。
「早希、別に毎日しなくても良いんだぞ? 」
夜8時、夜ご飯を食べながら俺は早希に尋ねた。
「んー? なにが? 」
早希はそっぽを向きながら白々しい口調で答える。
「いや、洗濯とか掃除とか。お父さんもするぞ? 」
「ううん、お父さん夜帰ってくるの遅くなる時あるし、大丈夫だよ」
「遅くなる時は連絡してるだろ? 遅くならない時は、お父さんが洗濯するよ」
「ううん、お父さんは仕事で疲れてるから、良いんだよ」
優しい笑顔を作って、早希は俺を見つめた。俺はそんな早希に感動してしまい、涙が目の端に溜まる。
「早希は本当にいい子に育ってくれて、お父さんはなんて言っていいか……」
「どうしたのお父さん。そんなに洗濯したかったの? 」
「ううん、違うよ」
目の端に溜まる涙を拭いながら、俺は早口で否定した。早希は俺を見て、楽しそうに笑っている。
俺は、早希に不自由な生活をさせたくないと意気込み、頑張って仕事した。家事ができなくても、せめてお金だけは稼いで早希に何でも買ってあげようと思った。しかし。
「早希、何か欲しいものあるか? 」
と聞いても、
「ううん、大丈夫だよ」
と早希は答えた。
「じゃあお小遣いあげるよ」
そう言って俺は二万円を早希に差し出す。
「良いよお父さん、欲しいもの無いし。それは、いざと言う時必要でしょ? 」
「大丈夫って。言っておくがお父さん、結構稼いでるからな。貯金だって金額は言えないけど、結構あるんだぞ? 」
得意げに言う俺に、早希はジト目を向け、
「何かあった時、お金に困ってしんどい思いするのはお父さんなんだよ? わかってる? 」
早希の重たい言葉に、俺は思わず押し黙ってしまった。
何かあった時。早希にとって母の死は、まさに【何かあった時】なのだろう。
俺は情けなくも、早希に「そうだな、すまん」 と感謝しながら謝罪した。
暫くは、そんな日々が続いた。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
仕事中、急に俺が倒れてしまったのだ。
全身が痺れて動かない。目も開けられないし耳も聞こえない。呼吸が苦しく、今にも吐きそうな状態で、しかし意識だけははっきりしていた。
どうしてこうなった……?
意識がはっきりしても、それまでの記憶が全く無い。確か俺は仕事中だったはずだ。
それなのに今はどこにいるかもわからない。
暫く経つと、耳が段々と聞こえる様になってきた。
「お父さん! 死んじゃやだよ!? 」
早希の、泣き声が聞こえる。
泣かないでくれ早希。お願いだから、笑ってくれ。
そんな言葉を掛けたくても、声は出ない。
ゴロゴロと音が聞こえる。俺は今運ばれているのだろうか。大人の女性の声で、「手術室入るから、ここで待っててね」 と聞こえた。
恐らく俺は、仕事中に倒れたのだろうと、今気づいた。たからさっき早希が泣いていたのかと、遅れて理解する。
「お父さんをお願いします」
早希の渇仰するような悲しい声が聞こえた。まだ泣いているのか、声が震えていた。
俺はその後もう一度気を失い、一日中眠り続けた。
目を覚ますと知らない天井だった。
隣を見ると、早希が座って本を読んでいた。
「あぅぁ」
俺は衝撃を受けた。声が出なかったのだ。
俺の声に気づいた早希は、ギョッとした顔で目をぱちくりさせ、
「お父さん!! 」
俺の手を掴み、涙目で叫んだ。
すぐにお医者さんを呼び出し、事情を聞くことになった。俺は、痺れて動かない体をなんとか起こしてもらい、話を聞いた。
どうやら俺は、謎の奇病にかかってしまったらしい。
医者によると今までに見たこともない病気で、治療法もわからないらしい。しかし、一つだけわかる事があるとすればそれは……
俺は一年以内に死んでしまうということだけだった。
「あぅぁうぁぁあ」
声が出ない。早希に言ってあげたい事が沢山あるのに、伝える事ができない。
「お父さん、しんじゃやだよぅ……」
どうしてこうなったんだ。何故早希をこんなに不幸にしてしまった。
幼い頃に母を亡くし。家事全般で俺を支えてきた早希が、なぜこんなに不幸になってしまっているんだ。
あぁ、お願いだから早希を幸せにしてあげてください。願わくば、俺なんか死んでしまっても悲しまずに済むほどの愛を、早希に与えてあげてください。
そう願っても、早希は泣いていた。
早希は、俺が死ぬ事を悲しんでくれていた。
俺は、早希に何かをしてあげられただろうか。
これから、何をしてあげられるのだろうか。
ごめんな、早希。こんな不甲斐ないお父さんで。ごめんな。
「おぇぅぅあぁ」
伝えたくても声にならない。
「いぁぁえぅぃあっぅえっ、ゴホッゴホッ」
声にならない声を出そうとすると、むせてしまった。
「良いよお父さん! 無理に話さないで! 」
血相を変えて心配してくれる早希。本気で心配しているのか、オロオロしながら俺の手を握ってくれる。
「あぅぅ」
俺は、涙が止まらなかった。全身が痺れて動かないのに、涙がとめどなく溢れた。
「お父さん、ごめんね。私、何もしてあげられない……」
そんな事ない。早希は最高の娘だ。俺は早希に何度も救われた。
「お父さんを、救ってあげたいよ……うぅ、うぁぁ……」
早希が子供の様に泣きじゃくった。
ごめんな、早希。
ごめんな。
それから数ヶ月が経った。
早希は毎日俺の病室に来てくれた。
「それでね、友達がフランスパンを丸齧りするから、千切って食べたほうがいいんじゃない? って私言ったの。そしたらね、フランスパンは硬いから手で千切れないって言って、そのまま食べるの。そしたらもう一人の友達が、手より顎の方が力が強いのねって言って、それでおかしくてみんなお腹抱えて笑っちゃって」
「あぅぁあ」
早希は俺の病室に来ては学校であった楽しい話を聞かせてくれた。早希の漫談はとても面白く、毎日聴いていて飽きなかった。
相変わらず声がまともに出せない俺であったが、それでも飽きずに早希は俺の病室に来てくれた。
「じゃあ、もう帰るね」
早希の帰る時間になってしまった。
「また明日ね」
「あぅぁ」
俺は視線だけ早希に向けて、さよならを告げた。
それからは、孤独との戦いだった。
やけに静かで、とても寂しい。
寂しい。
それからさらに数ヶ月後。
「お父さんおはよう」
「おはよう」
俺は、声が出るようになっていた。
「リハビリどう? 順調? 」
「ああ、最近は歩けるようになってきてるよ」
全身の痺れも取れ、少しだが歩けるようにもなった。これもきっと、早希の楽しいお話のおかげだろう。
これにはお医者さんも驚いていて、もしかしたら余命一年と言っていたのも取り消す事ができるかもしれないと言っていた。
それから、俺はリハビリを続け、
数ヶ月後、
無事、退院することになった。
退院当日。
俺は、久しぶりに外を歩いていた。
今日退院することは早希も知っていて、この後病院で会うことになっていた。少し早く退院できた俺は、早希を驚かせようと外で待つことにした。
心地よい、春風が吹いている。
暖かな風が頬を撫でる。懐かしい感覚に、色んなことを思い出していた。
家族三人でピクニックをしたこと。
早希がタコさんウインナーを口いっぱいに頬張って、幸せそうに笑っていたこと。
色々なことを振り返りながら、前を向いた。
信号待ち。横断歩道を挟んで目の前に、早希がいた。
早希は俺を見つけると、感情が昂って泣いてしまっていた。
外に出る事ができた俺を見て、感動していた。
「お父さん! 」
赤信号なんて無視して、気持ちが堪えきれなくなった早希が、俺の元へ飛び出してきた。
ーーその時だった。
「あぶない!! 」
ーーガシャン!!
ブー、ブー、ブー、ブー
警告音が、トラックから聞こえる。
「さき!!! 」
サキ、ノ、カラダ、ガ、コワレテシマッタ
ウデガ、マガッテイル
オナカガ、ハリサケテイル
アシ、アシガ、まがって、曲がって、マガッテイテ、
「うわああぁぁ!!!!!! 」
早希が、死んだ目をして俺を見ていた。
「なんでなんだよ!! なんで早希がこんな目に!! 」
早希を抱き抱えて、俺は泣き叫んだ。
「お、おとう、さん。わ、たし、、」
「いい、喋らなくて、、すぐ、病院に連れて行くから……」
「おとうさんの、、娘に、、うまれて、、よかった」
早希は、最後の力を振り絞って想いを伝え、息途絶えた。
俺はもはや、何も考えれなくなっていた。
わざと思考を止めようとしていた。
しかし、止められない想いがあった。
早希に対する罪悪感、感謝、そして、自分に対する嫌悪感。
早希は俺に尽くしてくれた。
なのに、何もあげれてない。
人並みの幸せも、何もかも、早希に与えられなかった。
家のことで精一杯で、友達とも満足に遊べなくて、塾にも通わせてあげれなくて、母親の美味しいご飯も食べさせてあげられなかった。
早希の楽しいこと、嬉しいことは俺が全部奪い取ってしまったんだ。
それなのに俺の娘に生まれて良かった……?
俺の娘にさえ生まれなければ、もっと幸せになれただろ……早希。
早希をこんなに苦しめてしまった事に対する罪悪感に、心が苦しくなる。でもいくら謝っても、もう早希がこの世に戻ってくることはない。
ごめんな、早希。幸せにしてあげられなくて。
だからせめて、願うよ。
あぁ、神様。
私はなんでもします。ですから、どうか。
来世では早希を、幸せにしてあげてください。
それだけが私の願いです。
★
「どうしたの、お父さん? 」
ぱちくりと、目を開けた。
ここは、どこだ?
夏の眩しい日差しの下、芝生の上で俺は寝転んでいた。
「あなた。こんな所で寝ていると、風邪をひきますよ」
目の前には最愛の嫁と娘がいた。
俺は夢を見ていたのだろうか。気がつくと、三人でピクニックをしたあの日に戻っていた。
「そーだよお父さん。どーしたの? 疲れちゃったの? 」
キョトンとした顔で俺を見つめる早希。
俺は、そんな早希をぎゅっと抱きしめる。
「お父さん痛い、痛いよう」
「早希、ごめんなぁ。俺、幸せにするから。もう絶対早希を泣かせたりしないから」
「わかった! わかったから落ち着いてお父さん! 」
「ありがとう早希。俺の娘に生まれてきてくれて」
「うん。ありがとう」
どうやら俺は、今まで夢を見ていたようだ。
最悪な夢から覚め、俺は感じたのだ。
今ここにある幸せを。
★
「ここは、どこ? 」
早希は眩い光に照らされて目覚めた。
トラックに轢かれて死んだことは覚えているので、ここはきっとあの世なのだろうと早希は考察する。
「目覚めたかい? 」
「あなたは誰? 」
「私はそうだね、神様とでも言っておこうか。君のお父さんに頼まれて、こうして君の前に現れたのさ」
早希は訝しげな顔で神様と名乗る女性を見つめる。
「まぁそんな顔するのは無理もないか」
「いえ、大丈夫です。私死んだんですよね? 」
「そう、君は死んだ」
「私は、これからどうなるんですか? 」
「君はこれから二つの道がある。一つ目はこのまま記憶を受け継いで裕福な家に生まれ、家族や友人、恋人に恵まれた環境で幸せに暮らすこと。もう一つは、記憶そのままで、過去に戻ってやり直す事。どっちがいい? 」
「過去に戻りたいです」
早希は迷いなく答えた。
「即答だね。でも本当にいいのかい? 」
「はい。もう一度お父さんやお母さんに会えるなら」
「君は両親が好きなんだね」
「はい」
「どうしてだい? あの親さえ別のものであれば、君はもっと幸せに生きられたはずではないか」
早希は、神様を睨みつけた。そして、怒りをあらわにし、
「そんな事ない!! 」
大きな声で怒鳴りつけた。
「お母さんは、優しい人だった。お父さんは、いつも私の幸せを第一に考えてくれていた。私は、あの家族が大好きなの! 生まれて幸せだったの! 私の幸せを否定しないで!! 」
早希は、涙を流しながら叫んだ。
「ははっ、ごめんごめん。それを聞いて、私も満足したよ」
神様はそう言って右手を前に出し、
「いってらっしゃい」
光を打ち上げた。
神々しい光に包まれ、早希は過去に旅立っていった。
「あ、お父さんも記憶残ってる。……まぁいっか」
神様は天高く見上げ、
「幸せになったらいいなぁ」
と、静かに願うのであった。