惰眠
『こぉの、怠け者の羽根付きトカゲが。いつまで寝ておるんじゃ!』
ロンガード大陸北東に位置する竜王国は、大陸から突き出た半島であり、周囲を海に囲まれている。
唯一大陸と繋がっている陸地部分は山々が連なっており、大陸からの行き来が制限されている。
その竜王国の王、ゼルギウスは惰眠を貪っていた。
それはもう、盛大に涎を垂れ流しながら貪っていた。
ゼルギウスはこの世に生を受けて一万年以上経つドラゴンである。見た目は背中に羽根を持つ西洋竜だ。
古代文明を滅ぼした邪神シシュリアーネと創造神ユリアーネの戦いを間近で見て、魔王国狂王の蛮行を諫め勇者に加担した唯一の者。
最早口伝でも語り継がれていないことを見聞きしてきた世界の監視者である。
その竜王に怒鳴り込んできた者がいた。
いや、正確には聴覚に頼らず、念話で直接脳に大音量をぶち込んできた。
「んなぁ! 誰じゃ。どこの阿呆じゃ。」
竜王は堪らずに惰眠を貪っていた首を持ち上げ、辺りを見回す。
だが、記憶の限り寝る前と周りの景色に変化はない。当たり前である。
『腐れ幼女め。お主か、ワシの至高の睡眠を妨げるのは。』
『何を寝ぼけておるのじゃ! 役目も忘れてグースカと。いつまで寝れば気が済むんじゃ、この耄碌ジジィめ!』
『喧しいわい。今日も世界はこともなし。平和なもんじゃ。』
『適当なことを言うものではないわ。マナが薄れていることに気が付かんのか、この役立たずが!』
『はぁ、何を言うとるんじゃ。世の中これほど快適ではないか。』
羽根をバサバサと動かし、体を維持するに何の支障もないことを確認するゼルギウス。この世に顕現できない幼女の考え過ぎではないかと疑う。何も問題ないと思い、更に文句のひとつもかましてやろうと口を開きかけると、
『お主には精霊が感じられるのか? 今お主のそばにどれほどの精霊がおる。』
幼女に指摘されて、ゼルギウスは辺りに神経を巡らせてみた。
だが、いつものように多数の精霊を感じることができない。
ちょっと寝ている間に、精霊たちはどこかへ行ってしまったのだろうか。
『いつもより少ないように思うが、たまたまじゃろう。ワシが寝ておったから精霊も離れただけじゃ。』
『それじゃからお主は役立たずなのじゃ。精霊に近しいドラゴンやハイエルフから精霊が離れるなど、あるわけがなかろうに。』
『そうじゃったかのう。』
『この阿呆が! じゃからお主は耄碌ジジィなのじゃ。』
放っておけばこの二人、いつまでも不毛なボケとツッコミを続けてしまう。
方や一万年以上の生を持って、ロンガード大陸の栄枯盛衰を見続けてきた者。方やフィルネリアの創造神である。
何の間違いかと、目を覆わんばかりの詰り合いだ。
一万年前、人々は栄華を誇り自らを神と名乗り出した。それに怒り嘆いた果てに、知恵の女神シシュリアーネが邪神と化して当時の文明を滅ぼした。
神々の不文律である地上世界への不干渉を破り、破壊の限りをつくした邪神は、創造神の手によって大陸に封印された。
この世界に生を受けて三百年ほどのゼルギウスが見た神々の聖戦である。
大陸に封印された邪神の欠片は七つに及ぶ。
しかし一つはヴォルフ大森林にあり、人々の目に触れることがなかったため、いつしか”六つの災い”と呼ばれるようになった。
封印はシシュリアーネの嘆きに呼応し、大地から、生命溢れる森から徐々にマナを吸収していく。
マナを取り込むことにより、シシュリアーネは一度覚醒することができたが、いち早くそのことに気が付いた創造神により、勇者の神託を受けた青年がシシュリアーネの活動を阻んだ。
シシュリアーネは、かつて自分が拾い上げた魔族の王の末裔を使って封印を解こうとしたのだが、魔族の王狂王アクラブは勇者によって滅ぼされた。
あれから千年、再度覚醒しようとシシュリアーネの蠢動が続く。フィルネリアのマナを取り込むことによって………
『確かにあの女神には可愛げはなかったが、何もすべてを破壊し尽くそうとしたわけでもあるまい。魔族や東側の者達は随分と可愛がっておったろう。ワシは、それほど目くじら立てんでもよいと思うんじゃがのう。』
『お主の言う通りかもしれんが、現にマナが減り続けて世界のバランスに影響を及ぼし始めておることを、放っておいていい理由にはなるまい。』
創造神ユリアーネの言葉に、今一つ納得がいかないゼルギウスであった。
『とにかくじゃ、このままマナが減り続けて、世界のバランスが崩れるようなことになってはいかん。じゃから、マナを持たせた遣いを出した。』
『ほう、神の遣いとな。また思い切ったことをしたものじゃのう。』
『そうじゃ。じゃからしばらくはその目をしっかり開いて、不都合が起きないかどうか見ておくのじゃ。』
『ほうほう、何か楽しそうなことでも起きるかのう。』
『そうではない。マナの動きによって、封印にどのような影響が出てくるのか、しっかり見極めろと言うとるのじゃ。』
『そうじゃのう。封印の方でも待ってましたとばかりにマナを吸収せんとも限らんからのう。』
『そうなのじゃ。あやつがどこまで意識を取り戻しているのかわからん以上、念には念を入れるのじゃ。』
『神をもってしても、邪神の心はわからんか。』
『当たり前じゃ。創造神とは言え、結局は世界を作るだけじゃ。あとはそこに生きる者たちの意思ひとつじゃ。』
『そうであろうのう。そこを越えては世界は簡単に崩壊するじゃろうのう。』
『わかっているのであれば、後のことは任せてよいな。』
『ああ、任された。それにしても、遣いは一人で放り出したのか?』
『いや、サイリースに頼んである。だれか人を付けてくれたと思うがのう。』
『そうか。でも、あの引きこもりに任せておいて大丈夫かのう。』
『お主が言うな! 他に気の利いた者がおるわけでもなし、ある程度事情を理解しておらんことには、碌なことになるまい。』
『そうじゃのう、確かに難しいのう。後でワシから引きこもりに一言伝えておこうかのう。』
『待て、お主何を考えておる。お主らのゴタゴタにあやつを巻き込むなよ。それなりに生きていけるようにはしてはあるが、お主らのじゃれ合いに巻き込まれれば無事には済むまい。』
『大丈夫じゃ。心配性じゃのう。』
『当たり前じゃ! あれだけの逸材を得るのに、どれだけ待ったと思っておるのじゃ。』
『随分と入れ込んでおるな。それほどの者であるか。ならばワシも気にしておくことにするわ。』
こうして神の遣いをめぐる、創造神と竜王の話は終わった。
互いに成果を得られたのかどうかは不明だが。
どことなく不毛さが漂うが、お互いにじゃれ合っていただけなのかもしれない。何とものんきなものである。
所詮長命種のやることであり、考えることである。
急いては事を仕損じる、とも言うが、幸運の女神には前髪しかないのではないか。
ヒト族が持つ時間とは隔絶した何かの基準があるのだろう。
それが証拠に、今日も涎を垂らして惰眠を貪るゼルギウスであった。