5.恋は盲目
「何故、お前まで同席するのだ……」
予想通り、眉間にシワを寄せてアスターを睨みつける次兄ホリホック。
アスターが書類の確認後もここに居座っている事が、気にくわないらしい……。
その兄の問い掛けに曖昧な笑みで返す事で、誤魔化すアスター。
ビオラの方は、やや俯いて二人から視線を外している。
「兄上、以前もお伝え致しましたが、未婚の婚約者でもない女性を個人的に呼び出されるのは、ビオラにとっても体裁が良くないとお伝えしましたよね?」
「彼女は俺の大切な友人だ! 友人と頻繁に会って何が悪い! そもそも今回ビオラを茶に招待したのは、問題行動ばかり起こしているお前の婚約者の昨夜の無礼極まりない振る舞いで、ビオラが深く傷ついた事を詫びる気持ちからだ!」
「ですから……その責任を担うのは僕であって、兄上には関係ないのでは?」
「婚約者の管理も出来ない愚弟に代わって、俺がビオラを気遣っている配慮が、お前には分からないのか?」
「そうですね……。兄上のお気遣いには感謝の言葉もございません。ですが、それならばビオラを労う為、お茶に招待された事を僕にご一報くださってもよろしいかと思いますが?」
「お前も婚約者同様、屁理屈ばかりだな……」
不機嫌そうに呟くと、ホリホックは自分の前の紅茶をグビグビと飲み干した。
その様子にアスターが、深いため息をつく。
図星を指され立場が悪くなると、すぐに自分の都合の良い解釈をし、一方的に会話を押し切る様に終了させる……ホリホックの昔からの癖だ。
長兄ディアンツは、次兄のこの部分の対応を面倒がって、弟のアスターに全て押し付けてくる……。その気持ちはよく分かるのだが……ホリホックにとっての弟という立場のアスターからすると、大変迷惑な長兄の丸投げだ……。
「確かに自身の婚約者の目に余る行動を管理しきれない僕にも問題はありますが……兄上のビオラと二人だけで過ごされようとする行動も王族として、軽率な行動かと思いますよ? 今後そのような場合は、僕や母上、義姉上に同席して頂いた方がビオラの体裁的にもよろしいかと思いますが?」
「お前は俺がビオラと二人きりで会うと、不埒な真似をするとでも?」
ホリホックのその返答に「それ以外に何があるのだ……」と思わず口走りそうになり、その言葉をアスターはグッと呑み込んだ。
「そういう訳ではございませんが、王族が婚約者でもない未婚の女性と二人だけで会う事は、それなりのリスクがお互いにあると申し上げているだけです」
「全く! お前は母上のように口うるさいな……」
母もこの件に関しては目を光らせている事にアスターが、小さく息を吐く。
アスターだけでなく、周りの人間も次兄のビオラに対する執着気味な愛情アピールが、ビオラにとって負担になっている事を気に掛けているのだ……。
すると、先程から二人のやり取りを冷や冷やしながら見守っていたビオラが、彼女の中での精一杯な声量で珍しく声を上げる。
「わ、わたくしは、あまり社交的な人間ではございません……。ですので、いつホリホック様を退屈させてしまわないかと、毎回心苦しくなります……。それに高貴な身分である王族の方と二人きりという状況は、かなり緊張してしまいますので、三人以上でのお茶席は良いご提案かと思いますが……」
「ビオラと一緒ならば俺は退屈などしないのだが……。しかし、ビオラがその方が緊張しないというのであれば、仕方ないな……」
かなり渋々だったが「今後は善処しよう」と次兄から言質を取る。
しかしこれも当てにはならないので、母と義姉には次兄が単独行動をしないよう目を光らせてもらう方がいいと、アスターは感じていた。
「だが、お前もそうだが母上や義姉上もそうそう暇ではないだろう……。その場合は、俺とビオラが二人きりで会う機会も出てくると思うが?」
それでも諦めの悪い次兄の言い分にアスターが、やや白い目を向ける。
だがここで、ビオラが意外な内容の提案してきた。
「でしたら、リアトリス様もご一緒にお誘いすればよろしいのでは?」
「リアをっ!?」
「リアトリスをだとっ!?」
予想外の人物の名前が出てきた為、性格が真逆な兄弟の声が珍しく重なる。
その反応にビオラが、キョトンとした表情を浮かべた。
「いや! リアトリスはダメだ! そもそもあんな無礼な女を同席させたら嫌な思いをするのは、ビオラなのだぞ!?」
「兄上、それは少々リアに言葉が過ぎると思いますが……。でもビオラ、僕もそれはやめた方がいいと思うよ?」
「ですが……王妃様や王太子妃様のお時間を割いて頂くより、アスター様のご婚約者様であるリアトリス様にご参加して頂く方が自然かと……」
普段あれだけリアトリスに辛辣な言葉を浴びせられ、嫌がらせも受けているというのに……ビオラは、そこまで彼女を嫌がっていないのだろうか……。
そんな事をふと考えてしまったアスターだがいや、その可能性は低い。
何故なら、昨夜のリアトリスの辛辣な言葉にビオラは涙目になっていたからだ。
それともビオラなりに何か考えでもあるのだろうか……。
アスターがその事に考えをめぐらせていると、その様子に気が付いたホリホックが怒鳴ってきた。
「アスター! まさか本気でリアトリスをビオラと同席させる気か!!」
「いえ。そもそもリアが、それを承諾しないと思いますので……」
「そうでしょうか? アスター様の事をかなり気に掛けていらっしゃるようなので、アスター様の行動が把握出来る事にむしろ安心なされるのでは?」
やけにリアトリスの参加に前向きなビオラにアスターが、怪訝な顔をする。
そしてそれは、ホリホックも同様だ。
「ビオラはリアが同席しても平気なのかい?」
「はい。特に問題ございません」
「いや、ダメだ! またビオラが傷付けられてしまう!」
「しかし兄上、ビオラ自身がそれを希望していますよ?」
「ビオラ……リアトリスへの気遣いなど不要だぞ?」
「ですが、一介の子爵令嬢のわたくしが、この国の王子であるお二人とお茶の時間を過ごしている事は、あまり外聞がよろしくないかと……」
そのビオラの言い分にアスターとホリホックが、顔を見合わせる。
確かにその状況では、ビオラが王子二人に気に入られていると勘違いされ、他令嬢達からの風当りは、ますます酷くなるだろう。
だが、ここにアスターの婚約者であるリアトリスが参加する事で、その解釈はかなり変化する。第二王子のお気に入りの令嬢が、第三王子とその婚約者を交えて、4人で交流しているという状況になるからだ。
もちろん、ホリホックに想いを寄せている令嬢達からは、ビオラは引き続き嫉妬の対象となるが……。
『王子二人を虜にしている令嬢』という悪評は、回避出来るはずだ。
だがそのビオラの提案は、あまりにもリスクが高い。
それがアスターの婚約者であるリアトリスから受ける嫌味や嫌がらせの嵐だ。
しかし、当のビオラは、リアトリスから受ける暴言よりも周りから注がれる嫉妬心の方を懸念している様子だ。
「リアの返答次第だから約束は出来ないけれど、一応彼女に確認してみるよ」
アスターがそう答えると、何故かビオラの瞳に光が宿る。
「是非、お願い致します!」
そのビオラの意外な反応に再度アスターとホリホックが顔を見合わせ、お互い不思議そうな顔をした。
二日後、登城して来たリアトリスに例のお茶の件をアスターが切り出す。
「ビオラ様は随分と、お優しいお気遣いをしてくださるのですね? もしやアスター様への点数稼ぎで、そのような事を言い出されたのかしら? そもそも子爵令嬢であるビオラ様が、侯爵令嬢であるわたくしにそのような情けを掛けるような事をおっしゃるなんて、どのお立場でのお言葉なのでしょうか?」
予想はしていたが、リアトリスはここぞとばかりにビオラを落すような内容を口にして来た。その反応にアスターが、ややうんざりした表情で一言添える。
「リア、もし嫌ならば断ってくれてもいいのだけれど?」
「まぁ! アスター様は宣戦布告をされたわたくしに敵前逃亡しろと、おっしゃるのですか? いいえ。是非、同席させて頂きます!」
「そう……。でもあまりビオラに辛く当たる様な言動は控えて欲しいな」
「やはりビオラ様は、もうアスター様の同情心を引く事に成功しているのですね!? 騙されてはなりません! あれはビオラ様お得意のか弱い仮面を被り、周りの人間に庇護を働きかける打算的なお考えから来るものです!」
その婚約者の言い分にアスターが、長いため息をつく。
「君のビオラに対する偏見は、かなり歪んだ見方だと思うよ?」
「歪んで等ございません! どう見ても下心がある事が明白ではありませんか!」
「僕の同情を引くうんぬんは置いておいて……同席する際はホリホック兄上もいるから、やめて欲しいんだよ……。兄上は君がビオラに辛辣な態度を取ると、食って掛かってくるだろう? 君だって兄の対応は面倒なはずだ」
「そんな事はございませんわ。ホリホック様の微笑ましいくらいのビオラ様への空回り過ぎる愛情のアプローチは、大変面白い余興でございますもの」
「それ兄上の前では絶対に言わないでね……。確実に『不敬罪だ!』って騒いで面倒になるから……」
「極力気を付けさせて頂きます」
翌日、ホリホックとビオラのお茶の時間にアスター達が同席した。
それを渋々承諾したホリホックは、開始早々から仏頂面をしている。
「リアトリス様、ご一緒頂き、本当にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそお誘い、ありがとうございます。そもそも王族の男性お二人と子爵令嬢のビオラ様が頻繁にお茶などされていたら、ビオラ様に尻軽令嬢という不名誉な噂が流れてしまいますものね? その不名誉な噂の抑制にお手伝い出来るなんて、大変光栄ですわ」
「リアトリス!! お前はっ!!」
「まぁ、ホリホック様。そのような大きなお声を出されては、ビオラ様が驚かれてしまいますわよ? それともあえてその振る舞いをなされて、男性らしさをアピールされているのでしょうか? ですが、それは逆効果ではございませんか? なんせビオラ様は、アスター様の様な穏やかな殿方がお好みのようですので」
しれっとした顔で、リアトリスが息をする様に次兄に嫌味を浴びせる。
最近この二人は、顔を合わせれば毎回こんな感じなのだ……。
「アスター! やはりお前達は退席しろ!!」
「お、お待ちください! お二人はわたくしの立場をご考慮されて同席してくださっています! こちらからお誘い申し上げたのにそれは、あまりにも非礼に値する行為です……。これではわたくしは、お二人に申し訳無さ過ぎて、今後こちらへの登城を控える事を検討しなければなりません……」
ビオラが珍しく通る声で訴えると『登城を控える事を検討しなければならない』という部分にホリホックが、ピクリと反応する。
どうやらビオラは、ホリホックと二人きりになるよりもリアトリスからの嫌味の応酬を受けている方が、まだマシな様だ。
それだけ次兄は、ビオラに苦手意識を抱かれているという事なのだが……本人はそれに全く気付いていないというのもある意味、凄い事だ。
それどころか懲りずに何度もアピールしているので、本当に質が悪い……。
「流石ビオラ様! ご自身のお立場をよくご理解されておりますわね! ホリホック様もビオラ様のお心構えをご参考にされたら、よろしいのでは? いくら王族の方とはいえ、謙虚さを心がける事は人としての美徳に繋がりますわよ? 特に横柄な男性には是非、身に付けて頂きたい事ですわ」
リアトリスのその言葉にビオラの手前、ホリホックが小刻みに震え、怒りを必死で抑え込んでいる。どうやらリアトリスが選んだ本日嫌がらせをするターゲットは、ビオラではなく次兄ホリホックらしい。
以前は、よく次兄に振り回さているアスターを目にしても苦笑しながら、あえて口出しせずに一歩下がって控えていたリアトリスだが……。三年前に豹変してからはホリホックと顔を合わせれば、皮肉の嵐を繰り出している。
そもそもホリホックは、かなり威圧的な性格なので羨望の眼差しを向ける女性がいる反面、その気性の荒さに恐怖心を抱いてしまう女性も多い。
しかしリアトリスは、そんな次兄に真っ向から喧嘩を吹っ掛けに行く。
今のリアトリスは、何故か怖い物知らずという感じなのだ。
「リア、あまり度が過ぎると王族に対する不敬罪になるよ?」
「まぁ! 子爵令嬢のビオラ様を常に気遣う程のお心が広いホリホック様ともあろう方が、侯爵令嬢のわたくしの戯言で目くじらなど立てませんわ。アスター様は、かなりご心配症でいらっしゃるのですね?」
そう言って、上品に紅茶の入ったティーカップを口元に運ぶリアトリス。
この際どい会話展開は、社交場での淑女の嗜みの一つでもあるので、リアトリスがこういう返しを出来る事はアスターもよく知っている。
だが、それを率先して行う様になったのは、豹変した三年前からなのだ……。
目鼻立ちのハッキリした美しい顔立ちで気の強そうな見た目の彼女のその振る舞いは、見た目とイメージ通りだと評する人間も多いが、ずっと一緒に過ごして来たアスターからしてみれば、彼女らしくない会話展開だと感じてしまう……。
それだけ以前のリアトリスは、周りの人間への配慮が素晴らしかったのだ。
だから今のような切り返しをする彼女には、また違和感を抱いてしまう……。
「リアトリス……。アスターだけ残してお前は退席しろ……」
そして、ついにホリホックの限界が来たらしい……。
こめかみに青筋を立てながら目を座らせ、リアトリスに低い声でそう告げる。
「ですが……そうなりますと、ビオラ様に不名誉な噂が立ってしまうのでは? そうだわ! ホリホック様がこの場をご退席なさればよろしいのではないかしら! この場でわたくしの同席を快く思っていらっしゃらないのは、ホリホック様のみでございましょう?」
「この茶の席は俺が言い出した事だ! そもそも主催の俺の不興を買ったお前が退席するのが筋だろう!!」
「まぁ! それではわたくしに参加をお願いしたビオラ様のお立場が! そうだわ! ならばわたくしとビオラ様がご一緒に退席すればよいのでは? それならばお二人は、わたくし達の会話を聞かずにすみますし、ホリホック様もお怒りになるような事がなくなりますわよ?」
「いいからさっさと退席しろ!!」
明らかに悪ふざけをしているリアトリスの言い様についにホリホックが、怒鳴り散らした。すると、リアトリスがスッと目を細める。
「かしこまりました。それではビオラ様、ご一緒に退席いたしましょう?」
「え……?」
「待て! ビオラは置いて行け!」
「先程『いいからさっさと退席しろ』とおっしゃったのは、ホリホック様でございます。それはわたくしが、ビオラ様との退席を提案した内容へのご返答と受け取りましたので」
「違う! それは……」
「さぁ、ビオラ様。折角ですのでわたくしとアスター様が幼少期から、どれだけ仲睦まじかったか、わたくし達の思い出の場所をご案内しながらお教えいたしますわ。そうすればビオラ様も三年前のように城内で迷われてもアスター様のお手を患わせるような失態は、二度とされずに済みますわよ?」
そう言ってリアトリスがニコニコしながら、ビオラの腕をグイグイ引っ張る。
「ま、待て! リアトリス! ビオラは連れて行くな!」
そう叫んだホリホックの声は、二人が退室する際の扉の音にかき消された。
「アスター!! お前の婚約者は、頭がおかしいのではないか!?」
「兄上、そのお言葉はあまりにも僕の婚約者に対して失礼です……」
「だが! あれはどう見てもおかしいだろう!! そもそも三年前のリアトリスは、王族に対してあんな無礼極まりない振る舞いは一切しなかったぞ!? たった三年であそこまで人格が豹変するなど……悪霊にでも憑かれているとしか思えん!!」
「兄上、落ち着いてください。リアにはこの後、僕の方から態度を改める様に厳重に注意しておきますので……」
「お前は……毎回そのように言うが、俺はリアトリスが考えを改めた状態を一度も見た事がないのだが!? お前が甘すぎるから、あの女がつけ上がるのだ!」
抗議する様に睨みつけてきた兄にアスターが肩をすくめる。
「申し訳ございません……。確かにここ三年のリアの振る舞いには、問題ばかりかと思います……。ですが僕からすると、それは兄上にも言える事では?」
「どういう事だ……」
「兄上もビオラと出会ってから、かなり変わられたかと。以前はこれほどまで一人の女性に盲目的なアプローチ等なさらなかったですよね? 僕としてはリアの豹変ぶりも問題視しておりますが、同時に兄上が過剰にビオラと交流を図ろうとなさる事で、彼女が周りの令嬢達から嫉妬の対象にされてしまう事への原因にもなっているかと思いますが?」
やや痛い部分を突かれたのか、ホリホックが眉間にシワを寄せる。
「それはお前の嫉妬深い婚約者が周りを焚きつけているからではないのか?」
「今のリアの嫉妬による主張には、呆れて誰も耳を傾けておりませんよ? ですが……婚約者を持たない第二王子である兄上が、あまり身分の高くない子爵令嬢であるビオラばかりを過剰に構ってしまうと、それだけで彼女は兄上を慕っているご令嬢方から厳しい視線を向けられます。兄上はそれにお気づきになっていらっしゃいますか?」
アスターはホリホックを真っ直ぐ見据えながら、ビオラへの配慮の無さを指摘すると、次兄が面白くなさそうに顔を顰めた。
「バカバカしい!! そのような下らない事で嫉妬心をむき出しにする女など、お前の異常な婚約者だけだろう!!」
吐き捨てるように次兄が叫ぶと、アスターがため息をついてサッと席を立つ。
「とりあえず、リアからビオラを解放させてきます。兄上も本日ビオラとのお茶を継続する事は、諦めてくださいね?」
「アスター、もうお前の婚約者を俺とビオラの茶の席に同席させるな……」
「兄上、それを決めるのはビオラですよ? 彼女が一番この場を儲ける事で、あらぬ噂を立てられ、被害に遭いやすい立場になるのですから……」
ドアノブに手を掛けながらそう告げると、ホリホックが苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべながら、アスターから視線を逸らす。
「一番ビオラに不快な思いをさせているのは、お前の婚約者だろう!! さっさとビオラをお前のイカれた婚約者から解放して来い!」
苛立ちながら放たれたその次兄の言葉にアスターは、苦笑する事で返事をした。