新しい朝が来る幸せ
挙式して三日後のアスターとリアトリスの話です。
夫婦設定なのでR-15要素と、かなり甘いので苦手な方はご注意ください。
真夜中にふと目が覚めたリアトリスは、見慣れない部屋の風景に一瞬だけ、ビクリと体を強張らせた。
しかし、そこが三日前にアスターと共に移住したグラジオラス領にある自分達の新居の寝室だと気付くと、すぐに安堵する。
窓に目を向けると、空が濃紺と鮮やかな青で綺麗なグラデーションを作っているので、まだ朝日が昇る前の明け方の時間のようだ。
それを認識すると、リアトリスは慎重に体の向きを変える。
そして自分を抱きしめて眠るアスターの胸元に顔を埋めた。
夫の柔らかい夜着用のシャツ越しから伝わってくる温もりと、静かな寝息と共に聞こえてくる心音が耳に心地よい。
アスターは、こうしてリアトリスを抱き込むようにして眠る。
そんな二人を周囲は、新婚時代の甘いひと時だと思っているが……アスターとリアトリスにとっては、そんな甘い理由からではない。
リアトリスが成人してから半年後、アスターはグラジオラス領の公爵として臣籍に下り、二人はルリジア城で挙式後、この屋敷に移住したのだ。
二人の婚礼は盛大に行われ、国中を盛り上げるイベントとなった。
そしてそのままグラジオラス領に入ると、領民達からも盛大な歓迎を受けた。
そんな幸福感で満たされながら夫婦となった二人だが、内心は再び時間の繰り返しが、起こるかもしれないという不安をずっと抱えていた……。
いくらビオラがパルドーと婚約したとはいえ、金のナイフが起こす呪いのような現象から解放されたかは、まだはっきりとは確定していない。
翌朝、目が覚めると再び5歳の頃に時間が戻っているかもしれない……。
どうしてもそう考えてしまう二人の初夜は、息を潜めて身を寄せ合いながら、審判の時を待つものだった。
だがその現象は、もう起こらなかった。
やっとあの金のナイフの呪いのような力から解放された二人だが……それでもあの出来事は、未だに二人の心に大きな傷を残している。
特にアスターの方は、時間の繰り返しに気付いてからは、傍らにリアトリスがいないと、不安になるという時期が三か月程あった。
その為、無意識にリアトリスの手を握ってしまい、その事で何度も長兄ディアンツに「幼稚過ぎるエスコートはやめろ!」と窘められている。
だが、それは仕方のない事だとリアトリスは思ってしまう。
あの繰り返しの中で、アスターは6回も婚約者の死を目の当たりにしたのだ。
だが6回中、5回分の記憶をアスターは持ってはいないはずだ。
実際にアスターが持っているリアトリスの死の記憶は、6回目の自害した時の事しかないのだから……。
それでも頭の片隅には、何度もホリホックに刺されるリアトリスの姿が、うっすらと記憶に残っているらしい。その為、アスターは、無意識にリアトリスに触れる事で、その恐怖と不安を解消していた。
それだけあの金のナイフが、アスターに与えたトラウマは相当根深い……。
そしてそれは、リアトリスも同じなのだ。
毎回眠りから目覚めると、いつも体を強張らせるほど警戒してしまう。
また5歳の頃に時間が戻ってしまっていたら……。
すでに事実上、アスターとは夫婦となって三日も経っているのだから、その現象が起こる事は、もう無いと理解はしている。
それでも……7回も人生を繰り返したリアトリスの不安は消えない。
アスターが安心感を得る為、リアトリスを抱き込みながら眠るようにリアトリスの方も目が覚めた時は、アスターの温もりを感じる事で、自分達の時間が前に進んでいる事を再確認して安心するのだ。
そういう意味では、夫のこの独特な眠り方は本当にありがたい。
そんな事を考えながら、心地よい心音を奏でている夫の胸元に頬をすり寄せると、規則正しく上下していた胸の動きが少し変わった。
するとアスターの瞼が、ゆっくりと開く。
「……………リア?」
目を覚ましてしまった夫の寝ぼけているような顔が、月明りに照らされる。
そして少し体を離し、リアトリスの片頬を撫でながら顔を覗き込んできた。
「申し訳ございません……。起こしてしまいましたか?」
「いや。何だか急に目が覚めちゃって……。リアの方こそ、眠れないのかい?」
「わたくしの方も、ふと目が覚めてしまって……」
「そうか……」
そう短く返事をしたアスターは、再び妻を自分の方に引き寄せ、そのフワフワな髪質を堪能するように顔を埋めた。
「もし眠れないようなら言ってくれ……。僕も一緒に付き合うから……」
そう言いながら、すでに子供のような体温になっているアスターは、またすぐにでも眠りに落ちて行きそうな状態だ。
必死でその眠気に抗うようにリアトリスの首筋に顔を埋めて、堪能している。
「アスター様、明日もお仕事がございますし、どうぞお休みに……」
「嫌だ……。リアが眠れないのであれば、僕も起きていたい……」
拗ねる様にそう呟く夫にリアトリスが、苦笑する。
その妻の反応が面白くなかったのか、アスターがリアトリスの首筋に唇を這わせ始めた。
「アスター様……」
「このままもっと目が冴える事をして、朝まで二人で起きていようか……」
「あと二時間程で、皆がわたくし達を起こしに来ますよ?」
「大丈夫。ドアに鍵を掛けてしまえば、新婚の僕らに皆が気を使ってくれるから。そうしたら、もう二時間は僕らをそっとしておいてくれるよ?」
いたずらっぽく言いながら、鎖骨辺りにも唇を這わせてきたアスターの肩をリアトリスが、容赦なく突き離す。
「アスター様ぁ~?」
「ごめん……冗談だから。そんな可愛い怒り方しないで? でないと本当に目が冴えるような行為をしたくなってしまうから……」
そう言って、今度はリアトリスの頭部を抱え込み、自分の胸元に引き寄せる。
そしてそのままリアトリスの髪を梳くように撫で始めた。
「もしかして……さっき怖い夢でも見て、目が覚めちゃった?」
「いえ。夢は恐らく見ていなかったと思います」
「そうか。それじゃあ……目が覚めた時、また時間が逆戻りを起こしているかもって、一瞬勘違いしちゃったとか?」
アスターのその的確な推測に思わずリアトリスが顔を上げた。
「もしかして……正解?」
「はい……」
苦笑気味で確認してきたアスターにリアトリスが、悔しそうに答える。
「もうそのような事は起こらないと、分かってはいるはずなのですが……」
「仕方ないよ。それだけ簡単には乗り越えられない程、僕達は深手を負ってしまったのだから……。ゆっくり時間をかけて克服して行けばいいと思う」
「そう……ですよね……」
そう言ってリアトリスは、自分からアスターの胸に顔を埋めた。
珍しく甘えてきた妻の行動にアスターが、優しい笑みを浮かべる。
しかしその表情は、すぐに何かを考え込む真剣な顔つきに変わった。
「ねぇ、リア。その時間が逆戻りするかもしれないという不安なのだけれど……。もし僕達に子供が出来たら、少しは緩和されるかな?」
「え……?」
まさか新婚三日目で、家族計画の話が出てくるとは思わなかったリアトリスが、キョトンとしながら、再びアスターを腕の中から見上げる。
「だって子供が出来れば、それは僕達が新しい未来を作ったって事になるだろう? そうなれば時間の逆戻りなんて、微塵も気にしなくなるかなって」
「確かに……」
「ただ正直なところ、僕は子供を作る事は、もう少し先送りにしたいかな……」
その予想外の夫の意見にリアトリスが驚く。
「アスター様は……子供をあやすのは、お上手でしたよね?」
「うん。子供は好きだよ。だからリアとの子供は凄く欲しい。でもなぁ……」
「何か問題でも?」
「だって子供が出来たら、リアを子供に独占されてしまうだろう? 僕としては、もう少し夫婦二人だけの時間を満喫したいなぁと思って。それに……ディアンツ兄上達より早く子供を授かると、継承問題で色々面倒になりそうだしね」
そう愚痴るように呟くアスターは、再びリアトリスの頭部を両腕で抱き込む。
「でももし子供を早く授かる事で、リアの時間繰り返しへの恐怖心が、少しでも和らぐのであれば、その方がいいかと思ったんだ……」
そのままアスターが、リアトリスの頭頂部に口付けを落とす。
「リアは、どっちの方がいい?」
再び腕の中の妻を気遣うように顔を覗き込むと、リアトリスが幸福そうな笑みを浮かべた後、アスターにしがみついてきた。
「アスター様にお任せし致します」
「いいの……? 僕に任せると、当分子供は先送りになるよ?」
「構いません。それに毎晩こうしてアスター様が、わたくしの事を抱きしめて眠りについて下されば、もし朝目覚めた時に時間の繰り返しに恐怖を感じてもアスター様の温もりで、すぐに安心出来ますので……」
そう言ってすり寄る妻をアスターが、愛おしそうに更に深く抱きしめる。
「分かった。なら僕は眠る時、一生こうやってリアを抱きしめながら眠る」
「一生ですか?」
「うん。一生。僕が死ぬまで。いや、もしかしたら僕が先に死んだ後も」
その夫の子供っぽい言い分にリアトリスが苦笑する。
するとアスターが、リアトリスの頭の上で大きな欠伸をした。
「ごめん、リア。さっき一緒に起きているって言ったけれど、やっぱりまだ眠たくて仕方がないんだ……。だからもうひと眠り、リアも一緒に付き合って……」
そう言って、お気に入りの枕のようにアスターが、リアトリスを抱きしめる。
するとアスターの温かい体温で、リアトリスにも心地よい眠気が襲って来た。
夫の要望に応えるようにリアトリスが背中に腕をまわすと、耳元でアスターの微笑むような息遣いが聞こえ、そのまま二人は二度目の眠りに落ちて行く。
この後、目を覚ましても自分達の時間は、もう過去に戻る事はない。
翌朝目覚めると、未来に続く新しい朝が当たり前のように二人にも訪れた。