13.第二王子の苦悩
「アスター、すまなかった……」
ホリホックは、入室して来たアスターに気付くと、間髪をいれずに謝罪してきた。
そのあまりにも次兄らしくない潔さにアスターが、拍子抜けする。
「こちらこそ申し訳ありません。その、お怪我の方は……」
先程、リアトリスから贈られた銀のナイフを全力で投げつけてしまった手前、アスターの方もあまり強く出られない。
するとホリホックが、自嘲気味な表情を浮かべた。
「少々コブが出来たぐらいで大した事はないそうだ。それよりも……リアトリスは無事か?」
先程の凄まじい殺気を放っていた人間とは思えない程、矛盾した言葉が出てきた事にアスターが、やや反応に困るような素振りを見せる。
「リアは無事です。パルドーも軽い打撲だけで済みました」
「そうか……」
そう一言だけ返すと、ホリホックは押し黙ってしまった……。
「アスター、今回の騒動の件なのだが……。先程ホリホックから確認しようとしたが、どうも途中から記憶が曖昧になっているらしく、詳細がよく分からない状態なのだ……。後でお前からも話を聞きたいのだが……」
口を閉ざしている次兄の代わりに父が口を開く。
「かしこまりました。ですが、その前にホリホック兄上と二人だけで、話をさせて頂けませんか?」
そのアスターの申し出に父が、目を丸くする。
「いや……それは……」
「先程の様な乱闘は僕も兄上も致しません。仮にもし何かあれば、外で控えている者達にすぐに声を掛けます。ですから、お願いできませんか?」
「だが、お前が良くてもホリホックが……」
そうして俯いたまま押し黙っている二番目の息子に父が視線を向けた。
「父上、俺からもお願い致します」
二人の息子から言われ、父が大きく息を吐く。
「分かった。だがもう子供のような取っ組み合いのケンカはするな?」
そう言ってやや心配そうな表情をしながら、父が部屋を出て行った。
すると耳が痛くなる程、部屋の中が静まり返る……。
その重苦しい沈黙に先に音を上げたのは、アスターだった。
「兄上、先程なのですが……」
「本当にすまなかった……。リアトリスとパルドーには後で正式に謝罪する」
そう絞り出す様に零した次兄は、両手で頭を抱え込んでしまった。
恐らくあの時、ホリホック自身も訳が分からなくなっていた可能性がある。
「その事なのですが……あの時、兄上はどの辺りまでご自身の意識がありましたか?」
弟のその問いに次兄が、ガバッと顔を上げた。
「アスター、お前……」
「僕が受けた印象としては、パルドーを殴りつけた辺りから、本来の兄上らしからぬ行動をなさっていたように見受けられました。そして本格的に兄上の様子がおかしくなったのが、あの金のナイフを手にされた時です。あの時……兄上の心境は、一体どのような状態になっていたのです?」
すると、ホリホックが片手で顔を抑えながら、頭痛を堪える様な仕草をする。
「お前に掴みかかった時までは、自我があったと思う……。だが、パルドーに後ろから羽交い絞めにされた瞬間、何か箍のような物が外れる感覚が起こって……。お前を殴っている時は、我を忘れたように怒りが止まらなくなってしまっていた……」
「その後は?」
「…………リアトリスの姿が目に入ってからは、記憶が曖昧で……」
そこでホリホックは、再び両手で頭を抱えて項垂れてしまう。
どうやらあの禍々しい光を瞳に宿していた時の次兄は、ほぼ自我がないような状態だったようだ。
だが、いくら自我が無かったとは言え、あの時リアトリスに対して呟いていた事は、次兄がずっと心の中に抱いていた闇のような気がした。
そしてその根本的な部分に関わっているのが……ビオラだ。
次兄がビオラに深い愛情を抱いていたからこそ、彼女に嫌がらせをしていたリアトリスへの憎悪が、ずっと心のどこかで募っていったのだろう。
それがあの金のナイフに反応したのだろうか……。
だが、そうなると次兄がビオラに惹かれたのは、次兄の意思だったのかどうか、怪しくなってくる。
「兄上はビオラに嫌がらせをする前のリアの事は、どのように思っていましたか?」
「リアトリスか? そうだな……。三年前のリアトリスに関しては、お前の婚約者という事で、いずれは自分の妹になる存在だと思っていた。そもそもあの頃のリアトリスは、絵に描いたような完璧な淑女だったからな。個人的な感情を抱くなどはあまりなかったが……認識としては、お前には勿体なさ過ぎる婚約者であるとも思っていたな」
「勿体なさ過ぎる……」
先程、しおらしく謝罪してきたと思ったが、やはり次兄は次兄だ……。
そんな次兄の相変わらずな態度に何故かアスターは、安心して苦笑してしまう。
「では、ビオラの事は? 三年前と今とでは、何か違いはありますか?」
するとホリホックは一瞬だけ、困惑した表情を浮かべた後、俯いてしまう。
「俺は三年前に初めてビオラと出会った時から、彼女に好意を抱いている。だから将来的には、彼女を自身の伴侶に迎えたいと、ずっと思っていた。だが……お前に彼女が俺の事を恐れていると言われた際、かなり図星を突かれ、あの時感情的になってしまったのは、それも原因なのだろう。本当は、大分前からその事には、気付いてはいたのだ……。だた、どうしても彼女を諦めきれず、何とか自分の方に振りむいて欲しい一心で……。ますます彼女に執着するような振る舞いをしてしまっていた」
「兄上……」
「少しでも自分に好意を持って貰いたいと振る舞えば振る舞う程、ビオラを追いつめる様な行動になってしまって……。だが、何もしていないお前は、何故かビオラの心を掴んで……いつの間にか俺はお前に深い嫉妬を抱く様に……」
そう言って、組んだ両手に自分の額を押し当てたまま、ホリホックは押し黙ってしまった。
プライドの高い次兄にとっては、自分よりも劣っていると思っていたアスターに対して、嫉妬を抱いていたと告白するのは、相当屈辱的だろう……。
だが、それが事実だと受け入れられる強さも次兄は、持ち合わせている。
ただ力を誇示するだけではないからこそ、次兄はカリスマ性を持ち、多くの人を惹きつける存在なのだ。
ただ次兄のその力強い魅力は、ビオラには合わなかった……。
内向的で控え目なビオラは、恐らくホリホックのこのパワフルな部分には、付いて行けないのだろう。
ビオラの性格だと、グイグイ引っ張るタイプのホリホックより、隣で静かに見守ってくれるような穏やかな男性の方が、付き合いやすいはずだ。
だが好かれたのは、自分が苦手とするような行動派のホリホックだった。
そしてそのホリホックが惹かれたのは、ビオラが自身とは対局なタイプの人間だったからだろう……。
自分とは違うタイプだから惹かれてしまったホリホックと、自分とは違うタイプなので困惑してしまったビオラ。
ある意味、追いかけっこのような次兄の恋は上手く行きそうにない。
本人も薄々それを感じていたからこそ、弟に図星を指された事であのように逆上してしまったのだろう。
だからこそ、確認しなければならない事がある。
「兄上は、ビオラに対しての想いがご自身の意思ではなく、何か不思議な力の影響で執着してしまったような感覚は、ございませんでしたか?」
弟のその不可解な質問にホリホックが、眉をひそめた。
「お前は何を言っているのだ? 俺のビオラに対しての想いは、俺自身が抱いている物だ。そもそも……もしお前の言うその訳の分からない力の影響があれば、俺はそれに抗う事などせず、もっとビオラに積極的に迫っている」
そうキッパリ言い切った次兄にアスターが、思わず呆れてしまった……。
「あれでもビオラへのアピールを抑えていたというのですか……?」
「当たり前だ。もし俺が本気を出したら、あれぐらいでは済まない」
「ですが、ビオラに戸惑われていた事は、自覚なさっていたのですよね?」
「だが、それで諦める事など俺に出来ると思うか?」
「確かに……」
いつもの次兄らしさが戻って来たと思い、アスターが苦笑する。
しかし、すぐにホリホックの表情が曇り出した。
「だからこそ、分からないのだ……。何故先程、俺はビオラへの想いよりも自身が上手く行かない事に対して激しく怒りを感じ、お前やリアトリスに八つ当たりのような感情をむき出しにしてしまったのかが……」
「兄上……」
「確かにリアトリスには、この三年間苛立ちを感じさせられる事が多かった。だが、殺してしまいたい程の憎しみを抱いた事はない。いずれは、俺の妹になる予定の存在なのだから……」
そう絞り出す様に口にした次兄は、自分を責めるように唇を噛んだ。
その様子から、アスターも同じような感覚をつい最近、抱いた事を思い出す。
18歳の誕生日の朝、悪夢で目覚めた直後に抱いた感覚を……。
きつく唇を噛み、俯き気味で押し黙ってしまった次兄に何と声を掛けていいか分からず、アスターが戸惑っていると、次兄がゆっくりと顔を上げた。
「先程、父上に臣籍降下を申し出た……」
それを聞いたアスターが、大きく目を見開く。
ホリホックはまだ婚約者がいないので、しばらくはそのまま第二王子として王家に残り、国内の治安維持関係の部分で表立って動く予定になっていた……。
その為、領地を持つことは、結婚を機に臣籍降下する予定のアスターよりも後となっていたのだ。
「本来ならば王族としては、あるまじき行為を犯したのだから、除名処分をされても仕方がないのだが……。それを申し出たら、お前のお節介な婚約者が、かなり私を弁護する証言をしてくれたようだ。その証言を聞いた父上より先程説得されて、臣籍降下で国境付近の領地を貰う事になった」
他国でも次兄が人望に恵まれ、武芸に秀でているという噂は有名だ。
現在は平和条約が結ばれているとは言え、国境付近の警備は強化した方がいい。
その人材として次兄は適任者ではある。
しかし、本来はギリギリまで王族として城に残り、そのカリスマ性を活かして、国民の愛国心を高める存在としての役割を担うはずだった。
しかし人の口に戸が立てられる訳もなく……今回の件は、早くも裏の方で噂となってしまっているらしい。
「兄上、それでは……」
「すまないが、俺の方がお前よりも先に領地と爵位を貰う事になる。今回の件で、このまま俺が城に残っていては、ビオラへの執着気味な愛情が原因で、また暴走しかねない懸念が出てしまったからな……。父上との話し合いでもお互い、それが最善の選択だという事で話がまとまっている」
「それはビオラを……諦めるという事ですか?」
アスターのその言葉にホリホックが、やや切なそうな笑みを浮かべる。
「物理的にビオラと会う機会を無くさなくては、俺はまた暴走する……。本当はお前に指摘される前から、彼女を諦めるべきだと自覚はしていたのだ。だがその嫉妬心が原因で、このような事を引き起こしてしまった以上、俺にその気持ちを貫く権利はない。何よりももう彼女に心労を与え続けたくはない……」
「兄上……」
恐らくその次兄の決断は、断腸の思いだっただろう……。
だが、アスターの方もそれが一番ビオラだけなく、次兄の未来にとって良い判断だと感じていた。
もしこのまま次兄が王家の権力を使い、力ずくでビオラを妻に迎えてしまったら、二人の結婚生活は不幸しか生み出さないような気がする。
自分には無い部分を持っている真逆なタイプのビオラに惹かれてしまう次兄の気持ちは、分からなくもない。
だが、それはビオラにとって、一方的な気持ちの押し付けにしかならない。
ましてや子爵令嬢という弱い立場の彼女には、拒否すら出来ないのだ……。
どんなに深い愛情でも……相手の事を考えられない一方的な愛情の押し付けでは、ただの迷惑行為だ。
それにやっと気付き、諦める事を決断した事は、プライドの高い次兄の中では、かなりの葛藤があっただろう。
この三年間、次兄には振り回され気味だったアスターだが……こういう潔い真っ直ぐな性格を持つ次兄なので、嫌いになる事など出来ないのだ。
そんな事を感じながら、アスターが表情を曇らせる。
すると次兄が、自嘲気味な表情を向けてきた。
「この三年間、お前には負担をかけたな。本当にすまなかった……」
次兄のその謝罪をアスターは、困り果てたような笑みで返す。
だが今の次兄の話を聞く限りでは、次兄がビオラへの恋心を拗らせてしまった事と、あの金のナイフは全く関係ないようだ。
ならばあのナイフの効果は、次兄が心の奥底に抱いていた嫉妬心や劣等感、そして怒りという不の感情を増幅させたという事なのだろうか……。
その辺に関しては、やはりビオラがあの金のナイフを手入した経緯に答えが隠されているような気がする。
次兄との話が済んだアスターは、明日ビオラに金のナイフを購入した経緯を確認する時に必要な情報をいくつか準備する為、自分の執務室へと向かった。