39話 ヒニング
投げられた当人が不平混じりの驚きの声を上げるが、モイフォロとシントタンのような恋人同士の間柄でも無し、口の悪い同期にはこの程度の扱いで充分だろう。それに、無駄口を叩く事が出来る程にまで回復したという証拠でもある。
「お互い油断したなぁオイ。被弾防止用魔具落として拾わねぇとか、手落ちにしても酷すぎじゃねえか?」
名称の無駄な長さに加え、誰しもが軍人の第一歩を踏み出す際に必ず身に付けるそのメジャーさから様々な愛称で呼ばれる被弾防止用魔具だが、軽度の差はあれど大体はお堅く「安全装置」・古い家電で馴染みのある「アース」・使用者を未熟者であると蔑む蔑称までを含めても「補助輪」の三パターンに大別される。「ヒニング」などと言う下劣の極まったスラングが通じるのは、数多の部隊を有するキィトスでも三一八小隊のみ。実際にこんな巫山戯た呼び名を使っている者は隊内でも極一部に限られるが、考案者のターキュージュは勿論、彼等全体の素行の悪さが伺える一例である。
……ちなみに、数少ない女性陣からは蛇蝎の如く嫌われているスラングである。
「だなぁ。帰ったら鍛え直さねえと」
「つーかよぉ、さっき一瞬俺の腹の肉断裂しやがってよ。生涯一の痛みだったなありゃ」
「腹の筋肉か? 吸血鬼じゃなけりゃ即死だな」
無駄な会話の応酬だが、敵は既に体勢を整えている。
「お前が近距離で肉弾戦。俺が中距離から電撃系で援護。どうよ? この完璧な作戦」
「俺が痛えけど仕方ねえな。帰ったら一杯奢れよ?」
「偉そうに言うなボケ。脳でも損傷したか? 誰の所為で、地面に叩きつけられて潰れたトマトになったんだよ」
「ああ? ぬかせよコラ。今、竹輪みてえなテメェの腹の穴塞いでやったろうがボケ」
「「………………チッ!!!」」
無論、軽口を叩きながらも警戒は怠らない。
ティーダが数歩後ろへ下がり、ジュニアは数歩前へ出る。
「……来るか!!」
クレセントが跳躍した。
「「あん?」」
何故か二人とは反対の方向。即ち後方へと。
「ああ?? アイツ等、距離なんざ取ってどうすんだ??」
「俺に聞くなや」
見事なまでの逃走。敵の兵装の全てを把握しているわけでは勿論ないが、距離を離せばティーダの良い的である。
さらに接近戦の必要が無くなったジュニアも助力すれば、一方的な展開となることは想像に難くない。
先程の恨みとばかりに、電撃を雨霰と叩き込むべく魔術を練り上げる二人。
「「あ」」
数瞬遅れ、先程まで敵が立っていた場所が音も無く抉れ飛ぶ。
「ティーダよぉ。俺等、殺されんじゃね?」
「姐さんの命令なら仕方ねえだろ。まあ、何発かは殴られっかも知れねえけどよ」
思い当たるのはただ一人。
アネッテと対峙する黒衣の男へ向けて駆け出したクレセント達の尾を引く様に、地面が音も無く抉られ続ける。
「…………──ッって!! ヤベェ追うぞジュニア!!!」
「お、応!!」
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「………………」
黒衣の男を守っているのだろうか? クレセントの一人が黒衣の男を地面に押し付け、もう一人が壁になるかのように両手を広げ立ち塞がっている。それは理解出来る。しかし──
「…………???」
──しかし、アネッテとの間に立ち塞がるのならまだしも、明後日の方向へ体と視線を向けているのはどうしたことか。
「あ」
アネッテが更に探知を広げること数十km。それは居た。
(うわ。クアン来た。あの二人、救援要請しちゃったのかな)
《さっきの爆煙をキィトスで観測して、あの二人が居る位置を考えて…………後は芋蔓式だろ。リエルが言い付けを無視してクアンを寄越した可能性も有るだろうがな》
発射から着弾までを完全無音でこなすヘカトンⅣによる狙撃だろう。幾発の弾丸が音も無く、正確無比にクレセントに着弾し、その全てが悉く昇華される。
(あーそっか。じゃあリエルも、もしかしたら……)
《ん―、そりゃ無えだろ。クアンがここに居る事を知ってるかは──分かんねえけど、俺が居る事は当然理解してる。その上で兄弟の側からアイツが離れるとは思えねえ》
(そりゃそうだ)
「おい! クレセント!! これは何の冗談だ!!」
地面に押し付けられた当人は、状況を理解出来て居ないようだった。
「………………(ボフッ)」
精霊王は長く伸びた髭などを撫でつつその動きを止め注視していたのだが、痛みなど感じない生物なのだろう。数発の弾丸を頭部に受けつつも、意に介さず「はて」と首を傾げる。
柘榴の様に花開いた頭部が、瞬きにも満たない速度で何事も無かったかの如く再生する。頭の中身は白い霧状の何かで満たされているようだった。それ故にスプラッタな光景にこそなってはいなかったが、これはこれで気色が悪いものがある。
(何か……混乱してる?)
《そうだな。ここでクアンが来るのは想定外──…いや、アークの野郎は敢えて黙ってたってトコだろうよ》
(性格悪)
《ハハッ!! 何を今更》
(と言うか、あの距離で正確に当てるって無茶苦茶だね)
《だなぁ。上手く味方側に抱き込めて良かった良かった。後処理が面倒だが……まぁ、部下を人質にするなり外界に叩き出すなり、兄弟なら遣りようは幾らでも有るか》
(私、追撃は?)
《いや、必要無え。もうオチが見えた》
(?? オチ?)
ッガァン!!!
「「「!?!?」」」
痛痒無く立ち塞がって居たクレセントが、唐突によろめいた。
《ケルベム合金弾だ。安くもねえだろうに》
(うわ痛そ)
如何な技術を持っていようとも距離が距離である。誤射を恐れて単発の狙撃に終始していたクアンだったが、敵が動かないことを察し、いよいよ1000発/分の猛威で以てクレセントを削りにかかる。
ギュギガガガガンッ!!!!!
「……ぐっ。あ゛、う゛ぅ」
イマイチ緊張感を感じさせない声色で後退るクレセント。それでも僅かに昇華には成功しているらしく、空気中の物質とは別に、時折小さな粉塵が宙に舞う。
(ヘカトンⅣは着弾音しないんじゃなかったっけ?)
前述の通り、ヘカトンⅣは発射から着弾まで一切の音を立てない。機構としては召喚付与式自動小銃と同じく空気銃に近いが、各種アタッチメントを装着すれば剣にもトンファーにも化けるトンデモ兵器であり、四万の試作を経て完成されたリンプファーの傑作の一つである。
《気付いたか。その筈なんだがな。アイツの内部機構が衝撃で軋みでもしてんじゃねえのか?》
(そっか。召喚術使えないから減衰出来ないんだっけ。それはエグい……)
ティーダとジュニアが遅れて駆け寄って来る。
「姐さん!! 隊長が──」
「ああ、大丈夫大丈夫。あの爆発なら呼ばなくても来ちゃうよね」
表情には焦燥が感じられたが、アネッテの言葉を受けそれも霧散する。
それもそうだろう。彼等からすれば、分断していた敵二体を合流させてしまった手落ちに加え「報告するな」との命を破った嫌疑がかけられている図式である。
ここに来て初めて、クレセントが動きを見せた。
「「術式アプリケーションに多重接続します」」
二人共々、両手を地面に翳している。
「やっば!!」
「「へ??」」
ガシッ!
即座に敵の狙いを見抜いたアネッテは、ティーダとジュニアの奥襟を掴むと──
「「へ!?」」
──足元へと展開する障壁もそこそこに、大きく後方へと飛び退る!!
ッドォッ!!!
「「へぇぇぇぇぇぇぇ!?」」
同時、クレセント周辺の大地が広範囲に渡って昇華される。
「「げぇぇぇぇぇぇっ!?」」
三人は大地に穿たれた大穴へと落下する形で。精霊王は風に掻き消えるように逃亡した。